まあ、SNS業者に頼らず、サイト管理者がアクセス制限・アカウント管理つきのBBS作ればいいじゃないか(作れない人も探せば出来合いのがあるだろう)と思わないでもないが、きっとそれは流行らないだろう。使う側にとって見れば、そんな個別のアカウントいちいち管理するのは嫌だし、セキュリティ不安もある。どうせならSNS業者に一本化して任せるほうがマシ、と僕も思う(ただ、大手だから一応信頼するか、みたいなことで、少し悔しい気分)。
それよりも僕が憂えるのは、NIFのフォーラムのような本来は閲覧制限する必要の薄いコミュまで、しかもいったんウェブBBSとして運営されていたようなものまでが、再び閉鎖空間に戻っていく傾向はどうよ、ということです。日記についても(これは人によるけど)大概の人はそんなにプライバシー出していないから、オープンなblogでいいんじゃないの、と思うことがしばしば。
結局、双方向性は持たせたいけど、荒らし対策・スパム対策が大変なので…というのが、何でもSNSに持って行きたがる人の動機なんだと思う。
提案めいたことを言うと、書き込み制限の認証に関して、決済システムみたいに第三者が担保する仕組みがあればいいのに。それでSNS独占問題wのかなりの部分が解消する。…でも使う側に決済ほどの動機がないし、プライバシー問題的にも非常に困難か。そう簡単じゃないね。
それより、SNS業者がシステムを部分開放して、認証なしの閲覧も可に設定できるようになれば、それでいいのか(笑。囲い込みたがってるから、よっぽどSNS間の競争が激化しない限りそれはないだろう)。
まあ、こんなことは今さら僕が憂うまでもないんだろうけど、ミクシィのプロフィールが後ろ向きな理由を一度説明しておこうというわけでした。
でもSNSは大嫌い。せっかく開放されたインターネットを再び分断するのか? 独占企業の手にゆだねてしまうのか? 有用な情報がGoogleにもInternet archiveにも引っかからなくなっていいのか? 一方通行のハイパーリンクはインフラタダ乗りなんじゃないのか?
メールに本文を載せない上に機能貧弱な、ミクシィのメッセージ機能をみんな許せるのか?
つか最後の「ィ」って何なんだ? ミクシでもミクスィでもミクシーでもなくミクシィってどう発音するんだよ…。
この映画の原案は、中島源太郎とクレジットされている。当時大映入社5年目くらいで、後にプロデューサとして何本かの作品を手がける人物である。しかしこの作品、超大作ってほどじゃないにしてもそれなりの規模の映画なのに、若い社員の原案がいきなり採用され、しっかりクレジットされるというのは一般的にいって大変な幸運なのじゃないかと思う。もっとも彼は、大戦中に日本の軍用機の多くを作った中島飛行機の創業者の御曹司なので、周囲も一目以上置いていたんだろう。
中島家は歴代政界に進出しており、後年、中島源太郎氏も竹下内閣の文相まで昇りつめた。今となっては悪名高いが、ゆとり教育を実施した政治家であり、また戦後教科書への東郷元帥の復活(小学校社会科の学習指導要領への例示)を頑として拒否したことでも知られる。これらのエピソードからは、自民党安倍派所属ながら、リベラルな平和主義者であったように思われる。軍需産業で財をなした陰で、多くの航空兵が犠牲となったことを気に病んでいたのではないかと想像される。
『宇宙人東京に現わる』には、確かに中島源太郎氏の色が出ていたのだろうなあと思う所以である。
またずいぶん間が開いてしまいました。
ちなみに冬のコミケット、私のいるところは
(月)東U-25b (SF)あるごー読書会
(火)東V-26b (評論)エッジワースボックス
です。
ソースは http://www.asahi.com/culture/update/0420/002.html
Web版に載ったからといって、紙の辞書の次版に載るかというとそれはわからないようだが。
ふつうの黒糖パンかと思いきや、餡のようににゅるっとマーガリンが 入っている。実にストレートかつジャンクな味の商品である。だが、うまい。冷たいままでもいいし、オーブンでちょっと焼いてもいい(時間の加減が難しい)。
黒砂糖味とのマッチングもさることながら、最近のマーガリンは昔よりかなり美味くなったような気がする。ついつい、マーガリンってバターの粗悪な代用品というイメージで見てしまうのだが、認識を改めた。
Q1 あなたはアンケートについてどのように考えていますか?
さらには、「積極的に協力したいジャンルのアンケートをお選びください」「随時にアンケートをお送りしても良いですか?」といった設問」が並び、拒否の選択肢は存在しない。回答のスキップも許されない。
タダより高いものはないってことか。
日本の著作権法は、私的利用にかなりの自由を認める一方、公衆を対象とする利用についてはほとんど用途を問わず厳しく制限しています。しかし、前々項で述べたように、その中間領域についてはやや不自然な空白地帯が空いているように思われます。積極的に自由を認めるわけでもないが、かといって、違法ともしない。これはどういう意味なのか?
著作権法の立案時、たとえ多少の問題があるとしても、取り締まりようのない違法状態をむやみに作らないという方針があったという話をききます。その方針の表れなのかもしれません。
また、このグレーゾーンの利用の実態の変化や議論の高まりなどがあった際、条文の追加・修正によって現在のラインをどっちかに寄せられるように含みを残しているのかもしれません。 だとすれば、したがって、公の場では行儀よくしていようね、となりがちな昨今の風潮も、ある意味、利用者にとって既得権を失うまいとする合理的な行動といえるかもしれません。
著作権の運用が厳しくなり、また啓蒙活動が実を結ぶにつれ、利用者の側は、表では必要以上に従順、裏ではやりたい放題という二重構造ができてしまっているような感もあります。こんな状態では、精神の健康上よろしくないのでは? バランスをとって、利用者側の権利も、もっと見直してあげればいいと思うんですが……。
ソニーのサイトにベータマックス訴訟の経緯を書いたページがあります。そこにこんな記述があります。アメリカの著作権法には、日本のように「私的複製の例外(個人の楽しみのための複製は著作権侵害にあたらない)」というのがなかったのである。
この点が、米国においてベータマックス訴訟が起きた(そして日本では起きなかった)原因のように言われているわけですが、はたしてそうなのでしょうか。
条文の違いは、日米の成文法主義と判例法主義の違いであって、米著作権法の欠陥とみるのは単純に過ぎると思います。良くも悪くも運用次第です。
米著作権法107条は、個人利用の複製をフェアユースの適用範囲に含めるとも含めないとも書いてありません(線引きではなくて判断要素を漠然と並べているだけです)。ベータマックス訴訟の一審ではあっさりフェアユースと認定されているようで、それが定着してもおかしくはなかった。その後、一転二転したのは、条文の曖昧さからというより、そこをたまたま争点とした映画業界と家電業界のロビー合戦・広報合戦の結果といえると思います。
また、日本著作権法30条の私的複製の概念を、テレビ録画の合法性の根拠とするのは、今日では違和感があるような気がします。レンタルビデオの複製は不可、放送の複製は可という差別化ができないからです(実際、レンタル品の複製も可と解釈する学者もいます)。そうなるとまず実状に合わないでしょうし、ベルヌ条約あたりに反しているような気がします。また、素朴にいって、所有物でなくたまたま手元を通過しているものの複製を認めるのはすごいことで、立法時点の想定を越えているようにも思えます。
米で個人利用とフェアユースが争点になったのは、そこにスキがあったから、ということはいえるにしても、日本の著作権法には別の突っ込みどころがあるのかもしれません。テレビ録画は30条の適用範囲ではないとして訴訟に持ち込むのは不可能ではなかったと思います。著作権については、概念上の権利であるだけに、少しでもスキがあれば何でも訴訟になるし、どっちに転ぶかわからないところがあります。
より本質的なのは、条文の違いではなく、日米の映画業界と家電業界のパワーバランスの違いではないでしょうか。米映画業界が米ベータマックス訴訟で勝っていれば、日本でも訴訟を起こしたかもしれません (もしくは立法を迫るでしょうか)。しかし、ホームですら負けたのに、アウェイで再戦する気にはなれなかった、単にそれだけのような気がします。
ちなみに日本においても、テレビ録画の合法性の根拠を、30条ではなく、米訴訟のソニーの主張と同様に「タイムシフトは複製ではない(複製権の侵害とは見なされない利用形態である)」という論理に求める立場も不可能ではないし(真っ向から対立する条項や判例があれば別ですが、どうでしょうか?)、個人的にはむしろ自然だと思います。日本の裁判で主張するには相当な勇気と技術が要るかもしれませんが、国際協調のためすんなり通るかもしれません(笑)。
妻の掲示板で話題になっている件です。あっちに乱入する気はあまりないんですが、面白い話題なので個人的な見解をまとめてみました。
一般的に、ビデオテープを貸すことが、映画の著作物の頒布にあたれば疑問の余地なく違法ですので、26条がまず重要ですが、2条の定義からは、一人の特定の友人に貸すという行為は頒布には相当しないと思われます(テレビ放映によって頒布権が消尽しているとは思われませんが、そもそも頒布権を侵していません)。
テレビ番組の録画はそもそもどうして合法なのか、という点については、日本では、判例はないものの通説では、私的複製が合法であるからとされているようです(ちょっと違和感もあります。次項に後述)。
とすると、次に、30条によりテレビ録画が私的複製として合法的に作成されたとして、それを友人に貸すことは、49条に定められた30条の「目的外の頒布」にあたるかどうか、が争点になるでしょう。「目的外」ではないか、または「頒布(または公衆への提示)」とはみなされないなら合法といえるでしょう。
まず「目的外」かどうかですが、友人が家庭内に準じる範囲と認められれば(専門家間で幅あり)目的内であり問題ないと いうことになります。ぼくの意見としては、家に遊びにいけるような関係であれば、裁判で勝てるかどうかは時の運ですけれども(笑)、相当に勝算があると思います(遊びに行けば見られますから、理にかなっていると思います)。
また「頒布」にあたるかどうかについても、友人との間であれば、前述の通り、2条で定義される頒布でないことは明らかだと思います。ただ、「家庭内に準じる範囲」を逸脱しているとしても、それがすべて「公衆」(不特定多数を指すのが普通。2条には特定でも多数は公衆、とは書いてある)ではない、という常識にしたがって考えれば、49条の条文は問題をはらんでいて、30条の目的には合致しないながらも、49条によって複製権の侵害とも見なされることもないような中間領域(家庭内に準じる範囲ではないながらも特定少数の関係者)が生じますが、きっとこれが、いわゆるグレーゾーンというものですね。この中間領域が生じるのは不自然ですが、ここをすべて複製権の侵害とするのも難しいでしょう(次々項参照)。
もうひとつ重要なのは、親告罪であるということで、かりに違法状態といえるとしても、権利者が黙認していれば犯罪ではありません。また、営利目的でもない限り、刑事事件になることはまずなさそうです。
(補足)「違法」でなく「犯罪」といった場合、可罰性があるということを意味します。問題のケースをよく吟味しないと、そこまで言い切るのは相当な勇気がいると思いますけどね。また、刑事として扱うためには、故意の侵害であることが必要です(かなり曖昧な認識で充分なようですが)。また、著作権侵害が親告罪であることは、強姦罪が親告罪であることと同等ではありません。警察や市民にとって犯罪の区別がつきにくいという点では同じですが、その他の事情が全く異なります。著作権については、第一に、セカンドレイプのような微妙な問題がないこと、第二に、あくまでも私権であって、他人の自由にさせておくことや多少の侵害について気にかけないこともまた権利者の自由であって、他人が代わって裁くべき問題ではないこと。
10.26 一部訂正
11.18 もうどうでもよくなってきたが、勢いで補足すると書いちゃったので追加。展開し始めるとキリがないんですよねえ。著作権ネタにしても、次からはもっと面白いこと書きます。
皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー