higonの日記: 映画: Sound and Fury
" Sound and Fury "
自分の授かった子供が生まれながらに障碍を持っていたとしましょう。
その障碍を克服するための治療法があるとしたら、あなたは子供に治療を受
けさせますか?
それでは次に、「いいえ」と答えたとして、自分を正当化できますか?
このフィルムは、この質問への答えの背景に隠された、人間のプライドと恥、
差別と嘘をテーマにした真摯なドキュメンタリーです。「聴覚の無い夫婦の元
で育つ、聴覚を持たない5歳の少女」と「聴覚をもつ夫婦の元で生まれた聴覚
を持たない男の子」の家族が、人工内耳(cochlear implants。直接頭に埋め込
まれ、聴覚神経にマイクから変換された電流を流すことで聴覚を作る機械)を
子供の頭に埋め込む手術への葛藤が描きだされています。
「そうよ。私、この機械でね、蛇が這う音だって聞けるのよ」
「ね、蛇は怖いし危険なんだよ。こうやって噛み付くんでしょ。」
「そうね」
「熊の吼える音は聞ける?ねぇ、動物園で、こーんなにして口をあけてる奴。」
「もちろんよ」
「じゃあ、植物の育つ音はどんなの?」
「ははは、育つのは見えないし聞いたことが無いわよ。」
「じゃぁじゃぁっ。車と車がぶつかる音は聞こえる?」
「見たことないし、だいたい毎日事故が起こってるわけないでしょ。」
「私は一回見たことあるもん。へへ。」
少女の家族と友人は聴覚を持たないで人生を過ごしてきた。そして今幸せだ。
ある日少女が両親に「音を聞きたい」と言い出したことから手術の話が持ち上
がる。手術を受けさせるなら言語習得のために早いほうが良く「後で子供に決
めさせる」という選択肢は限りなく受けないに等しい。祖父母と医師は手術を勧
める。しかし少女の両親の意見は「手術に反対」だ。いや賛成だったのだが、
賛成は自分の存在を否定することでありまた、「音の無い世界」で生きる娘が
幸せだと感じる両親は反対の姿勢を取る。涙ながらに「音のすばらしさ」を訴
える「聴覚を持つ」祖母と、少女の父親のやり取りは痛々しい。「アメリカで一番
の聾唖学校で教育を受ければ問題ない。子供も生き生きとしてる。言葉の壁も
無いからずっといい。…俺を見ろ、幸せじゃないか。幸せに生きるのに、他に
何が必要だって言うんだ!」
聴覚を持たないと診断された男の子の両親は、聴覚を持つ両親の元で生まれた。
医師に人工内耳を薦められ、手術を肯定的に見るが、聾唖者コミュニティの全員と、
聴覚を持たない祖父母に激しく反対される。「殆どの親はなにも知らないで、機械
を子供の頭の中に入れちゃうのよ。恐ろしい。」「俺はそんなもの無くたって立派に
やっているぜ。」そんな反対を押し切って手術は成功した。「今、この子の耳は生
後5分なのよ。」男の子が人工聴覚を手に入れた直後の両親の喜びは計り知れ
ない。父親は言う「聾唖者の社会は、彼らも察するとおり、終わったんだ。
("deaf community's, as they think, DONE.")」。祖母はいう「いつかこの子に障害
をからかわれる時が来るわ」
このフィルムに「嫌悪感」は出てきません。皆が誰かを愛していて、スクリーン
で語られるのは、幸せと幸せのゆがみ、聞かれない訴えと声にならない助けで、
上品でかつとても挑発的な内容です。障碍者の世界に触れたことのある人は必
見のフィルムだと思います。そうでなくとも、人生の中での(私はそんなに生きて
いないけど。)非常に苦しい選択を迫られた時の心や、決断を揺さぶる葛藤の匂
いもするので少し欝気味な方にびびっと効くフィルムでしょう。非常に優秀な作
品です。
お薦め。
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