phasonの日記: 電子化物をベースとしたアンモニア合成用触媒 1
"Ammonia synthesis using a stable electride as an electron donor and reversible hydrogen store"
M. Kitano et al, Nature Chem., in press (2012).
ハーバー・ボッシュ法は20世紀最大の発明と言っても良い.少なくとも化学工業の分野では間違いなくそうだろう.この開発により人類は無尽蔵の窒素肥料を入手出来るようになり,現在の膨大な人口を支えるだけの農業基盤を維持出来るようになった.大気から固定される窒素の量は膨大であり,現在では自然界が固定する窒素と同等の量がハーバー・ボッシュ法により大気中から固定されている.
さてこのように世界を劇的に変えたハーバー・ボッシュ法であるが,弱点もある.もっとも大きなものは,非常に高い圧力を,しかも高温下で実現しなくてはならないという点だ.条件は設計によりいろいろであるが,例えば300気圧,500℃といった条件が使用される.このような極端はプラントの設計を困難にし危険があるだけで無く,その膨大なエネルギーの浪費が大きな問題となっている(何せ全世界のエネルギー消費の数パーセントを占めている).
さて,このように困難なアンモニア合成であるが,実は窒素からアンモニアを作る反応は発熱反応である.つまりアンモニアの方がエネルギーが低いのだ.自発的に進むはずの反応をわざわざ高エネルギーを投入して進めてやらないといけないのは,その活性化エネルギーが高い事に由来する.簡単に言ってしまえば,三重結合で非常に強く結びついた窒素分子を一度切断する際に必要なエネルギーが大きすぎるのだ.ここで,触媒の重要性がクローズアップされる.もし触媒によりこの活性化エネルギーを大幅に下げることが出来れば,無駄に高温・高圧にする必要は無くなり,エネルギーが大幅に節約出来ることになる.実際,植物などは常温・常圧で(規模は小さいとは言え)同じ事をやってのけているわけで,不可能では無いはずだ.そういった観点から,実に様々な触媒が研究されている.かつては「無理じゃないか」とも言われていた常温・常圧で働く触媒なども,窒素固定細菌の活性中心の構造が判明して以降様々な開発が行われ,(繰り返し回数などに大きな制限があるものの)人工的な触媒で成功するまでになっている.
さて,そんな中発表された今回の論文は,ハーバーボッシュ法を基本としながら,その条件をかなり温和に出来る可能性を持つ新触媒である.発表は東工大の細野グループで,彼らの代表的な研究であるセメント系物質を用いている(まあ最近では鉄系超伝導の方が有名ではあるが).
この研究の起源を辿ると,同じく東工大(確か既に退官)の秋鹿先生に遡る.秋鹿先生は,ハーバー・ボッシュ法で用いられる鉄系触媒に代わり,周期表で一つ下のRuを使うことでより温和な条件(例えば常圧,300℃)で反応が進行することを発見した.この手法は最近ようやく工業化が始まったのだが,しかし弱点も存在した.それは,Ruが水素により被毒(触媒活性が無くなること)するのだ.このため水素分圧を高くすることが出来ず,水素を減らした条件でしか運転出来ない(=収量が減る)という問題があった.また,後で述べるように触媒が電子を放出しやすいようにRuとアルカリ金属であるCsなどを混ぜるのだが,よく知られたようにアルカリ金属は反応性が高く危険であり,また容易に様々な化学種と反応してしまうという問題もある.
さて,今回この研究をベースに細野先生が使用したのが,触媒である金属Ruを担体であるC12A7系エレクトライド(電子化物)にのせものである.C12A7というのは12CaO・7Al2O3を指し,要するにセメントだ.結晶構造としてはこのCaとAlの酸化物が大きな籠状構造(4.4Å径程度の空間を持つ)を作り,その泡がくっついて並んでいるような構造となる(C12A7で検索すると多量に出てくるので参照のこと).そしてこの籠の一部の中にO2-イオンを含むことで電荷が補償され全体で中性となっている.数年前の研究で彼らが発見したのは,このセメントに金属Tiを付け高温処理すると,この籠にトラップされたO2-が酸化チタンとして脱離,その代わりに籠の内部には単独の「電子」がトラップされる,という事であった.なお,こういった「陰イオンの代わりに電子が存在する物質」をエレクトライド(電子化物)と呼ぶ.こういった物質では,「電子」というものがまるで一つの独立した陰イオンであるかのように振る舞う.通常こういった電子化物は不安定(何せ遊離した電子が存在するので反応性が高い)なのだが,このC12A7系は常温・大気中でも安定というとんでもない代物であった.というのも,(電荷の補償の必要性から)電子が抜ければ何かが代わりに籠の中に入らないといけないのに籠の隙間が小さいからほとんどの原子は内部に侵入出来ず(=身代わりが来ないので,電子が抜けることが出来ない),さらに籠を作っているのは非常に安定である酸化物(セメント)だから籠自体はそう簡単に壊れない.しかもこの電子,籠の中から隣接する籠の中へと自由に移動出来る.ドープ量が多ければ金属になるし,ついには超伝導になることまで彼らは報告している(セメントが超伝導になるわけだ).
では,なぜこんな変な物質を触媒担体に使用したのかというと,それにはハーバー・ボッシュ法における触媒のメカニズムが関係してくる.ハーバー・ボッシュ法の触媒であるFeやRuに窒素分子がくっつくと,これらの金属原子から窒素分子に電子が供給される.窒素の結合性軌道は全て電子で埋まっているので,供給された電子は反結合性軌道に流れ込み,これが窒素分子の三重結合を弱体化する.これによって窒素分子の開裂を促進するわけだ.という事は,触媒担体は電子を出しやすい物質であればあるほどふさわしい,という事になる.担体が触媒金属であるFeやRuに電子を押し付け,電子が余ったFeやRuがそれを窒素に押し付けるわけだ.前述のRu触媒系では例えばMgOを担体にし,さらにRuに電子を出しやすいCsを混ぜ込むことでこういった特性を実現している.アルカリ金属であるCsは仕事関数(金属から,電子を真空中に引きはがすのに必要なエネルギー.小さいほど電子を放出しやすい)が小さく,Ruに電子を押し付けることが出来る.
ここでC12A7系エレクトライドの出番である.何せそこに居るのはほとんどフリーな電子だから,電子が出て行くのは余裕である(ただし,身代わりの電子か何かが供給され続ける必要は有る).その仕事関数はなんと2.4eVとアルカリ金属に匹敵する低さだ(さすがにCsよりは大きいが).つまり研究の発想としては,ハーバーボッシュ法の触媒担体には低い仕事関数の物質が有効 → C12A7系エレクトライドは仕事関数が低い,しかも相当安定 → こいつを担体にすれば,触媒の寿命とか延びるんじゃね?,とかそんなものだったと思われる.
で,結果である.報告されている結果は恐らく研究前の予想を大きく超えるものだったと思われる.
まず,活性化エネルギーが非常に低くなっている.既存のRu系の半分以下程度のようだ.活性化エネルギーが低いと言うことは,それだけ反応が進行しやすいと言うことであり,合成上非常に有利になる.さらに,TOF(Turn Over Frequency,単位時間あたりの反応数のようなもの)がとんでもなく高い.比較しているRu系に比べると,10倍やそれ以上の値となっている.つまり,迅速に反応が進行する.また安定性も高く,長時間の反応も行きそうである.触媒表面に吸着した窒素分子の赤外分光を行っているが,通常のRu系触媒よりもさらに振動数が低い方向にシフトしていることも確認された.これは窒素分子の分子内結合がさらに弱くなっていることを示しており,反応性が上がっているという結果と対応する.
さらに注目すべきは,水素分圧が高くても反応性が落ちない,という点だ.前述の通り,Ru系触媒は水素により被毒するため水素分圧を高くしても活性が上がらず,むしろ低下する事もある.ところが本触媒では,水素分圧を上げると徐々に反応速度が上がっていく.水素の量が増えると反応速度が上がること自体は反応として当然ではあるのだが,これは本触媒が水素による被毒が少ないことを意味しており,通常のRu系触媒とは違う何かが起きていることを示唆している.ここで水素や窒素の分圧に対して反応速度がどう変わるか,という点から反応解析を行っており,これも含めた考察からH-の関与が示唆されている.どういうことかというと,水素分子がRu上で解離した後,表面を移動するうちにC12A7との界面に移動,原子が小さい事からC12A7の籠をすり抜けて内部に浸透し内部の電子と組み合わさることでH-イオン(ヒドリド)に変化.これがセメント中を移動して表面からRu上に移動しそこで窒素と組み合わさることでアンモニアへと変化している,という推測だ.通常のRu系触媒では表面で生じたH原子がRuに吸着,以後の反応を阻害する(Ru系触媒の被毒)のに対し,今回の触媒ではその生じた水素原子を担体であるC12A7がどんどん吸い取り,むしろ反応を促進する方向に行っているわけだ.
いや,これはなかなか面白い.
物性屋としてはそもそものC12A7系の伝導とか超伝導とか非常に面白かったわけだが,そこからまさかこんな成果にまで繋がるとは思わなかった.実に見事である.
電子バケモノ! (スコア:0)
モット絶縁体!
いいたかっただけ。
電子化物(でんしかぶつ、英: electride)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E5%8C%96%E7%89%A9 [wikipedia.org]
知らないうちにどんどん新しいハナシが、
出てきますね。