hixの日記: 映画「ふがいない僕は空を見た」
日記 by
hix
助産婦さん(お母さん)の「思う」という台詞の手前の“間”が重い。
人は、自らが望んで産まれてきた訳ではなくて、仮にもしそうだとすれば、実はとんでもなく不幸な事で、それは何故かというと、自らが望んで死ぬという事がこの上なく不幸な事だからだ。
「生んでくれと頼んだ覚えは無い」とは我が身の不幸を呪う時の言葉でも有ると思う。
どんな親であれ、覚悟を持って生んだ(それは父親にもあてはまるので「生んだ」という表現が適切ではないかも知れないけれど)か否かに関わらず、産まれてきた子どもの人生を幸せで有って欲しいと願う親こそ有れ、不幸で有って欲しいとは思わないわけで、それでも幸せになる人もいれば、呪いたくなるぐらい不幸に生きていかざるを得ない人も居る。
自らが望んで産まれてきた訳ではないとして、では両親が望んでこの世に産まれてきたのかというと、それは、どう、何を、望んで産まれてきたのか?は、やはりはっきりとしたものは解らないと思う。
今が惨めであれば、将来ずっと不幸なのかな?と考えたりもするけれど、簡単ではないかも知れないが、そうとは限らないよね。
人は、自らが望んで産まれてきた訳ではなくて、仮にもしそうだとすれば、実はとんでもなく不幸な事で、それは何故かというと、自らが望んで死ぬという事がこの上なく不幸な事だからだ。
「生んでくれと頼んだ覚えは無い」とは我が身の不幸を呪う時の言葉でも有ると思う。
どんな親であれ、覚悟を持って生んだ(それは父親にもあてはまるので「生んだ」という表現が適切ではないかも知れないけれど)か否かに関わらず、産まれてきた子どもの人生を幸せで有って欲しいと願う親こそ有れ、不幸で有って欲しいとは思わないわけで、それでも幸せになる人もいれば、呪いたくなるぐらい不幸に生きていかざるを得ない人も居る。
自らが望んで産まれてきた訳ではないとして、では両親が望んでこの世に産まれてきたのかというと、それは、どう、何を、望んで産まれてきたのか?は、やはりはっきりとしたものは解らないと思う。
今が惨めであれば、将来ずっと不幸なのかな?と考えたりもするけれど、簡単ではないかも知れないが、そうとは限らないよね。
映画「ふがいない僕は空を見た」 More ログイン