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日記

yasuokaの日記: 『大正新脩大蔵経』の著作権は切れているのか

日記 by yasuoka

昨日の私(安岡孝一)の日記を読んだ人はウスウス感づいていると思うが、『大正新脩大蔵経』(1923年~1934年、大正一切経刊行会、全88巻)の著作権は、本当に切れているのか。もちろん、収録されている各経典の原著作権は、とっくの昔に切れていると考えられるが、二次的著作物としての『大正新脩大蔵経』の著作権は、現時点では必ずしも切れていない。わかりやすい例として、『大正新脩大蔵経』第13巻(大集部)所収の「般舟三昧經三卷」を見てみよう。

「般舟三昧經三卷」の原典は、いわゆる白文であり、返り点はおろか句読点すらついていない。言い方は悪いが、単なる漢字の羅列である。三~七世紀頃に成立したものらしいので、原著作権はとっくの昔に切れている。一方、『大正新脩大蔵経』所収の「般舟三昧經三卷」には、句点や返り点や註が付されており、原典とはかなり様相の異なる二次的著作物となっている。この「般舟三昧經三卷」に点を打った人物の名は、奥付の「加點及原語註」に「椎尾辨匡」と明記されており、その著作権は現時点で存続している。

以前に「漢字情報学の構築」共同研究班報告(東方學報、第83卷、pp.360-349)でも論じたが、漢文に点を打つという行為は、少なくともtransliterationではありえず、transcriptionないしtranslationにあたると私自身は考えている。と言うか、返り点を打つという行為は、漢文から日本語(文語文)への翻訳であり、本質的に創作表現である。読みにくい部分にわざわざ註を付すのも、翻訳としての理解を助けるためだ。

このような形で、二次的著作物としての著作権が(一部でも)存続しているにもかかわらず、あたかも『大正新脩大蔵経』の著作権が切れているかのような発表や報道は、非常にミスリーディングなものだと感じる。著作権が切れていると主張したいのなら、せめて『大正新脩大蔵経』各巻の奥付に何が書かれているか、ちゃんと読んでみてからにしてほしい。

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