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まだ中学生で高級オーディオに憧れがあった頃、秋葉原は高級オーディオ製品が実際に見られる街だった。FM雑誌が隆盛を誇っていた時代、数十万から数百万する機器が雑誌で紹介されてたけど大阪の日本橋や秋葉原に行くと実物を見ることが出来た。東京に住んでる親戚を訪ねて泊めてもらって何度か見に行った。
ただ、薄いモノリスみたいなスピーカーだけは見ることが出来なかった。数センチの厚みの金属製の板みたいな外見のスピーカーで、最低でも200万以上してたような覚えがある。あれはどんな音だったんだろう。
2002年くらいまではガード下の電気店前で客と店主が回路図広げて議論してる光景を見たものだけど最近は全く見なってしまったな。
おれが行ったことのあるのは修学旅行で寄った80年代の秋葉原だけ。
同じく「一度しか行ったことがないのでその時の秋葉原しか知らない」で。
AthlonXP 1800+(苺皿)を買いに行きました。2003年か。
平面型スピーカ(コンデンサ型とかリボン型とか)でしょうかね?日本製だとヘッドフォンでも知られるスタックスのコンデンサ型とか、海外製だとクォード(モノリスとは似ても似つかない)とかアポジー(リボン型)とか。
>コンデンサ型
多分それかな。磁石で振動させるんじゃなくて電圧がどうのこうのって解説されてたような気がする。
自分もオーディオ関係の印象が強いです。中古品が結構流通してて、中古のアンプを買ったりした記憶が。店名は忘れちゃったけど、ガード下のお店でスピーカーユニットを買って渋谷の東急ハンズで合板をカットしてもらって、スピーカーやらラックやらを組み立ててました。
それより昔、大型家電を買い込んでそのままお持ち帰りする人が普通にいた時代もあったそうだな(相撲取りが洗濯機を抱えて運んでたとか.....)#高級オーディオ市場の崩壊はCDの功績
TOTOKUの19インチダイヤモンドトロンモニタを大宮まで持ち帰った記憶が・・・・(苦笑)#インチは間違っているかもしれん(汗)
FM雑誌です. FM fan, FM レコパル、なつかしいですね。多分薄いモノリスみたいなスピーカーはコンデンサースピーカーですね。1990 年代後半に Yamagiwa Livina に置いてありました。音は...音量が小さくて、とても軽い感じでした。
サポート部のひとたちが増設作業が間にあわないってんで夜にヘルプに行ったら、あのG4-CUBE [wired.jp]の筐体が本当に美しくて、作業しながら、すごく楽しかった。あと、その作業をいっさい手伝わずにじーーーっと全員を見つめつづけるだけのリテール本部長が印象深かった(『俺の仕事はおまえらの監督と評価だ、この作業はまるで能力の足らねえお前らの仕事だ』みたいな?)。
# いつのどこの話かって? さあ?
当時小学生の俺にはマイコンで何が出来るかさっぱり理解できなかった。こんなバカ高いものを買うより2SC372を買った方がええやんと思ってた頃やな。
があった時代ぐらい?ザ・コン館がランドマークとして存在し、かなりの裏道にも雑多な部品屋さんがあって行くたびにお店が入れ替わっていた時代。
あと、個人的にはヤマギワに輸入オーディオフロアが存在し、普通の一見さんでもそれなりの試聴ができた時代かな。
トヨムラ、ロケット、九十九電機、ハム月販、角田無線電機、廣瀬無線電機、信越電気商会...
あと、石丸電気のクラシックレコード(LPね)売り場もよく通ったっけ。店員さんが博識で、鼻歌で「この曲のレコードを欲しい」とか言われたら一発でレコードを出してきた、なんて現場をみたっけ。いや、「女心の歌」とか「闘牛士の歌」レベルじゃなくてドニゼッティの当時はマイナーな作品だったかなあ。
亜土電子に秋月電子と・・・下を向いて歩いてましたっけ灯油缶いっぱいのICチップやコンデンサーが並んでてどっから持ってきたんだといいつつ物色してましたっけ
あとウナギの寝床でしたっけ?(正式名称忘れた)パーツ屋が詰め込まれたビル(?)なんてのがあったけど、ああいったのはもうどこにもないんだろうなスイッチだけの店とかコンデンサーだけの店とかケーブルだけの店とかどこ探してもないようなパーツもここならあったんだよなぁ
そうそう、食事処がほとんどなくて困ってたんだよね
#乱文失礼
石丸のレコード売り場が海賊版のメッカだった頃ですね。目利きのバイヤーと中身を知り尽くしている店員がいたからこその時代。
今じゃ売ってるCDの中身を理解してるCDショップなんて何軒あるのやら…参考:超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか [ascii.jp]
昔の記憶を手繰っていたら、Aボーイ [imidas.jp]という全然流行らなかった言葉を思い出した。
対象に合わないしマーケティング臭が嫌だったが、言葉自体の語感はいいと思う。少し違うものをその名前で呼ぶならよかった。
インターネット環境が十分ではなく、雑誌にCD-ROMが付きはじめる頃。(まだOSまでは付録になかった)名古屋から夜中に車で出掛け、次の日に帰ってくるというのを数回やった。slackware+JEのCD-ROMがどうしても欲しかった。昌平橋だけでなく、当然、秋葉原の中心もまわって買い物していた。池袋のLaser5はマンションの一室でやっていたね。
雑誌にCD-ROMが付き始める頃といったらTOWNSでしょ。もっとも出版界の規制により、当初は引換券で我慢しなければならなかったそうだけど。
世界がCD-ROM添付を当たり前に迎えた頃、逆に取り残されるのはTOWNSらしい、酒が苦く感じられるエピソードだ、とOh!FMTOWNS最終号とフリコレ最終巻でPuremanこと編集長さんが呟いていましたっけ。
地方民なので昔の秋葉原をあんまり知らない。。高校の修学旅行の自由時間で行ってSCSIボード買ったのが最初かなあ。アニメで見てた駅前のバスケットコートはもうなくなってた。
調べたらバスケットコートは2001年に閉鎖か。なら、自分の修学旅行の時にはまだあったんだな。自分が気づかなかっただけか。
好きだった時代だから、実際に行った時とか昔話じゃあなくて、想像してたあの頃とか、そういうのでもいいとおもうの。
1999年公開の劇場版アキハバラ電脳組2011年の夏休みではあのコートのシーンがあったんだよなあ。2011年にDVD見直して懐かしかった覚えがある。
アキハバラデパート1階「伊呂波」の、注文から秒で出てくるキジ丼が懐かしい
伊呂波は私もよく利用してましたただ当時はキジ丼が名物だという情報は知らず、得体が知れなかったのでカツ丼とかの普通のメニューしか食べたことなかったですカウンターに着くと目の前で普通の水道の蛇口をひねってお冷(冷えてない)を出してきたのが豪快でよく覚えてます
しかし冨貴はもうない。
数えるほどしかなかった時から比べたら、天地の差でしょうね。
思い出補正とはおもうけど、いすず、ダニエル、もう一度食べたいなー。
金が無かったので「ミスター陳」のもやしそば。# 今も金は無いけど。
「ミスター陳」というと辛ラーメンが好きだったな。なつかしい。
電気屋街になる前は青果市場街だったから、そこそこ美味いものを食わす所があってもおかしくない筈だったんだが、何故か滅多に無かった。
# (前後両)北条氏より前となると、平将門時代か。
垂れ込んだ人だが
># (前後両)北条氏より前となると、平将門時代か。
こういう突っ込み?というか知的余裕はスラドでしか得られなかったなくなるのは寂しいね
お昼にたまに食べる「キッチンジロー」と、夜に先輩に連れられて食べさせてもらった「じゃんがらラーメン」で、当時はほんとうに幸せでした。
# いつも昼は立ち食いの「小諸そば」でした。早く食えるから早く売り場に戻れる。いまでも立ち食い蕎麦が大好き。
自分ひとりのときは買い物に夢中で特に食事したいと思わなかった。知り合いと一緒の時にじゃんがらと駅前にあったカレーステーションとかいう店で食べたことがあるくらい。
今は大きな駅になったけど、昔は年末になると大混雑で入場規制とかしてたのが懐かしい。市場がなくなった後、再開発されるまでの数年間は夏場にテント張って展示会やってたのも。
電気街だった時代に含まれるのか……
LAOXとかの頃……
・ラジ館に完動のタイムマシーンがあった世界線
・ラジ館にタイムマシーン刺さっていた世界線
・ラジ館のタイムマシーンが雨天で壊れていた世界線
・その他いろいろ
常にその時々の秋葉原に順応適合できなければ真の秋葉原民とは呼べない。
秋葉原と言う地名だけは有名になったけど、結局は節操なく変貌しているだけの街な気がする。
小さな雑居ビルだらけで、色々な店舗が激しく入れ替わる。(Liunx cafeなんて物すらあったなんて、若い技術者は信じられないだろう)時代を反映した商売をするけど、ターゲットは独身男性向けの趣味趣向を反映した物だけ。そういう新陳代謝によって街を維持してきたけど、もうネタ切れ状態でしょ。
あれだけ交通の便が良い場所を商店街にしておく事は許されない。UDXみたいな巨大施設に侵食され、どんどん淘汰され、マンションなんかも立ち並ぶだけの街になると思うよ。
マハーポーシャが PC 売ってた頃だから、インターネットのちょい前~黎明期ぐらいかな。情報が便利じゃないほうが、夢があった。今の秋葉原は、地名だけが秋葉原。忘れられた文明のようだ。
あなたが思っている秋葉原の地名は秋葉原じゃない件
そもそもあそこは外神田。
秋葉原って地名じゃなくて駅名だよな。駅ができた場所にあった社の名前とも言われてるが。
土曜、日曜はかなりの頻度で秋葉原にいた。ラオックスやTゾーンといった大きい店は繁栄してい(るように見え)たし、アミュレットやぷらっとホームや同じビルの地階の店(名前忘れてごめんなさい)も妖しいハード、ソフトで元気だったし、iMacの地味な発売スタートも見たし、モバイルギヤも買ったし、ラジオデパートにも出入りしたし、千石や秋月も知った。今思えばオウム系だったパーツショップもあった。99年に関西に戻ってからは知らない。何年か前に Linux Cafe の跡地を見たくらいか。
一番思い出深いのは90年代後半で、当時フリーターで時間とお金をけっこう遊びに費やしていてよく秋葉原に行くようになって、どこに何の店があるか覚えた。この頃はPARとかも売っていて、タイゲン貿易かどこかの店で知り合いが買ってた。自分は古いパソコン用のソフトが欲しかったけど、この頃には中古でも売ってなかった。
2000年以降は、仕事している時は時間がないし仕事やめると生活が心配で、遊びに時間やお金を使わなくなった。最初の頃は週一で巡回していたけど、あまり買いもしないのに歩き回って無駄に体力を消耗したくないとも思うようになった。最近は時折中古スマホを買うか、まれにPCパーツを買いに行くくらい。
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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級
オーディオの街だった頃 (スコア:3)
まだ中学生で高級オーディオに憧れがあった頃、秋葉原は高級オーディオ製品が実際に見られる街だった。
FM雑誌が隆盛を誇っていた時代、数十万から数百万する機器が雑誌で紹介されてたけど
大阪の日本橋や秋葉原に行くと実物を見ることが出来た。
東京に住んでる親戚を訪ねて泊めてもらって何度か見に行った。
ただ、薄いモノリスみたいなスピーカーだけは見ることが出来なかった。
数センチの厚みの金属製の板みたいな外見のスピーカーで、最低でも200万以上してたような覚えがある。
あれはどんな音だったんだろう。
--------------------
/* SHADOWFIRE */
Re: (スコア:0)
2002年くらいまではガード下の電気店前で客と店主が回路図広げて
議論してる光景を見たものだけど最近は全く見なってしまったな。
Re: (スコア:0)
おれが行ったことのあるのは修学旅行で寄った80年代の秋葉原だけ。
Re:オーディオの街だった頃 (スコア:2)
同じく「一度しか行ったことがないのでその時の秋葉原しか知らない」で。
AthlonXP 1800+(苺皿)を買いに行きました。2003年か。
Re: (スコア:0)
ただ、薄いモノリスみたいなスピーカーだけは見ることが出来なかった。
数センチの厚みの金属製の板みたいな外見のスピーカーで、最低でも200万以上してたような覚えがある。
あれはどんな音だったんだろう。
平面型スピーカ(コンデンサ型とかリボン型とか)でしょうかね?
日本製だとヘッドフォンでも知られるスタックスのコンデンサ型とか、海外製だとクォード(モノリスとは似ても似つかない)とかアポジー(リボン型)とか。
Re:オーディオの街だった頃 (スコア:2)
>コンデンサ型
多分それかな。
磁石で振動させるんじゃなくて電圧がどうのこうのって解説されてたような気がする。
--------------------
/* SHADOWFIRE */
Re: (スコア:0)
自分もオーディオ関係の印象が強いです。
中古品が結構流通してて、中古のアンプを買ったりした記憶が。
店名は忘れちゃったけど、ガード下のお店でスピーカーユニットを買って
渋谷の東急ハンズで合板をカットしてもらって、スピーカーやらラックやらを
組み立ててました。
Re: (スコア:0)
それより昔、大型家電を買い込んでそのままお持ち帰りする人が普通にいた時代もあったそうだな
(相撲取りが洗濯機を抱えて運んでたとか.....)
#高級オーディオ市場の崩壊はCDの功績
Re: (スコア:0)
TOTOKUの19インチダイヤモンドトロンモニタを大宮まで持ち帰った記憶が・・・・(苦笑)
#インチは間違っているかもしれん(汗)
Re: (スコア:0)
FM雑誌です. FM fan, FM レコパル、なつかしいですね。
多分薄いモノリスみたいなスピーカーはコンデンサースピーカーですね。
1990 年代後半に Yamagiwa Livina に置いてありました。音は...
音量が小さくて、とても軽い感じでした。
国際ラジオのおじさんは小学生に優しかった (スコア:2)
店頭に並んでる部品でダメなやつを教えてくれた。
G4-CUBEのメモリ増設作業を夜手伝って出荷してた頃。 (スコア:1)
サポート部のひとたちが増設作業が間にあわないってんで夜にヘルプに行ったら、あのG4-CUBE [wired.jp]の筐体が本当に美しくて、作業しながら、すごく楽しかった。あと、その作業をいっさい手伝わずにじーーーっと全員を見つめつづけるだけのリテール本部長が印象深かった(『俺の仕事はおまえらの監督と評価だ、この作業はまるで能力の足らねえお前らの仕事だ』みたいな?)。
# いつのどこの話かって? さあ?
BIT-INNが出来た頃 (スコア:0)
当時小学生の俺にはマイコンで何が出来るかさっぱり理解できなかった。
こんなバカ高いものを買うより2SC372を買った方がええやんと思ってた頃やな。
マハーポーシャ (スコア:0)
があった時代ぐらい?
ザ・コン館がランドマークとして存在し、かなりの裏道にも雑多な部品屋さんがあって行くたびにお店が入れ替わっていた時代。
あと、個人的にはヤマギワに輸入オーディオフロアが存在し、普通の一見さんでもそれなりの試聴ができた時代かな。
無線機や関連パーツを大々的に売っていた時代 (スコア:0)
トヨムラ、ロケット、九十九電機、ハム月販、角田無線電機、廣瀬無線電機、信越電気商会...
あと、石丸電気のクラシックレコード(LPね)売り場もよく通ったっけ。
店員さんが博識で、鼻歌で「この曲のレコードを欲しい」とか言われたら一発でレコードを出してきた、なんて現場をみたっけ。いや、「女心の歌」とか「闘牛士の歌」レベルじゃなくてドニゼッティの当時はマイナーな作品だったかなあ。
Re:無線機や関連パーツを大々的に売っていた時代 (スコア:2)
亜土電子に秋月電子と・・・下を向いて歩いてましたっけ
灯油缶いっぱいのICチップやコンデンサーが並んでてどっから持ってきたんだといいつつ物色してましたっけ
あとウナギの寝床でしたっけ?(正式名称忘れた)
パーツ屋が詰め込まれたビル(?)なんてのがあったけど、ああいったのはもうどこにもな
いんだろうな
スイッチだけの店とかコンデンサーだけの店とかケーブルだけの店とか
どこ探してもないようなパーツもここならあったんだよなぁ
そうそう、食事処がほとんどなくて困ってたんだよね
#乱文失礼
Re:無線機や関連パーツを大々的に売っていた時代 (スコア:1)
石丸のレコード売り場が海賊版のメッカだった頃ですね。
目利きのバイヤーと中身を知り尽くしている店員がいたからこその時代。
今じゃ売ってるCDの中身を理解してるCDショップなんて何軒あるのやら…
参考:超マニアックなCD屋「メカノ」はなぜ潰れないのか [ascii.jp]
Aボーイ (スコア:0)
昔の記憶を手繰っていたら、Aボーイ [imidas.jp]という全然流行らなかった言葉を思い出した。
対象に合わないしマーケティング臭が嫌だったが、言葉自体の語感はいいと思う。少し違うものをその名前で呼ぶならよかった。
Laser5があった頃 (スコア:0)
インターネット環境が十分ではなく、雑誌にCD-ROMが付きはじめる頃。(まだOSまでは付録になかった)
名古屋から夜中に車で出掛け、次の日に帰ってくるというのを数回やった。slackware+JEのCD-ROMがどうしても欲しかった。昌平橋だけでなく、当然、秋葉原の中心もまわって買い物していた。
池袋のLaser5はマンションの一室でやっていたね。
Re: (スコア:0)
雑誌にCD-ROMが付き始める頃といったらTOWNSでしょ。
もっとも出版界の規制により、当初は引換券で我慢しなければならなかったそうだけど。
世界がCD-ROM添付を当たり前に迎えた頃、逆に取り残されるのはTOWNSらしい、酒が苦く感じられるエピソードだ、とOh!FMTOWNS最終号とフリコレ最終巻でPuremanこと編集長さんが呟いていましたっけ。
地方民なので (スコア:0)
地方民なので昔の秋葉原をあんまり知らない。。
高校の修学旅行の自由時間で行ってSCSIボード買ったのが最初かなあ。
アニメで見てた駅前のバスケットコートはもうなくなってた。
Re: (スコア:0)
調べたらバスケットコートは2001年に閉鎖か。
なら、自分の修学旅行の時にはまだあったんだな。
自分が気づかなかっただけか。
Re: (スコア:0)
好きだった時代だから、実際に行った時とか昔話じゃあなくて、
想像してたあの頃とか、そういうのでもいいとおもうの。
Re: (スコア:0)
1999年公開の劇場版アキハバラ電脳組2011年の夏休みではあのコートの
シーンがあったんだよなあ。2011年にDVD見直して懐かしかった覚えがある。
食事処 (スコア:0)
Re:食事処 (スコア:1)
アキハバラデパート1階「伊呂波」の、注文から秒で出てくるキジ丼が懐かしい
Re: (スコア:0)
伊呂波は私もよく利用してました
ただ当時はキジ丼が名物だという情報は知らず、得体が知れなかったのでカツ丼とかの普通のメニューしか食べたことなかったです
カウンターに着くと目の前で普通の水道の蛇口をひねってお冷(冷えてない)を出してきたのが豪快でよく覚えてます
Re: (スコア:0)
しかし冨貴はもうない。
Re: (スコア:0)
数えるほどしかなかった時から比べたら、天地の差でしょうね。
思い出補正とはおもうけど、いすず、ダニエル、もう一度食べたいなー。
Re:食事処 (スコア:2)
金が無かったので「ミスター陳」のもやしそば。
# 今も金は無いけど。
Re: (スコア:0)
「ミスター陳」というと辛ラーメンが好きだったな。
なつかしい。
Re: (スコア:0)
電気屋街になる前は青果市場街だったから、そこそこ美味いものを食わす所があってもおかしくない筈だったんだが、何故か滅多に無かった。
# (前後両)北条氏より前となると、平将門時代か。
Re: (スコア:0)
垂れ込んだ人だが
># (前後両)北条氏より前となると、平将門時代か。
こういう突っ込み?というか知的余裕はスラドでしか得られなかった
なくなるのは寂しいね
Re: (スコア:0)
お昼にたまに食べる「キッチンジロー」と、夜に先輩に連れられて食べさせてもらった「じゃんがらラーメン」で、当時はほんとうに幸せでした。
# いつも昼は立ち食いの「小諸そば」でした。早く食えるから早く売り場に戻れる。いまでも立ち食い蕎麦が大好き。
Re: (スコア:0)
自分ひとりのときは買い物に夢中で特に食事したいと思わなかった。知り合いと一緒の時に
じゃんがらと駅前にあったカレーステーションとかいう店で食べたことがあるくらい。
昔の駅舎 (スコア:0)
今は大きな駅になったけど、昔は年末になると大混雑で入場規制とかしてたのが懐かしい。
市場がなくなった後、再開発されるまでの数年間は夏場にテント張って展示会やってたのも。
江戸時代は…… (スコア:0)
電気街だった時代に含まれるのか……
LAOXとかの頃……
もしくは (スコア:0)
・ラジ館に完動のタイムマシーンがあった世界線
・ラジ館にタイムマシーン刺さっていた世界線
・ラジ館のタイムマシーンが雨天で壊れていた世界線
・その他いろいろ
秋葉原は過去を振り返らない街 (スコア:0)
常にその時々の秋葉原に順応適合できなければ真の秋葉原民とは呼べない。
Re: (スコア:0)
秋葉原と言う地名だけは有名になったけど、結局は節操なく変貌しているだけの街な気がする。
小さな雑居ビルだらけで、色々な店舗が激しく入れ替わる。
(Liunx cafeなんて物すらあったなんて、若い技術者は信じられないだろう)
時代を反映した商売をするけど、ターゲットは独身男性向けの趣味趣向を反映した物だけ。
そういう新陳代謝によって街を維持してきたけど、もうネタ切れ状態でしょ。
あれだけ交通の便が良い場所を商店街にしておく事は許されない。
UDXみたいな巨大施設に侵食され、どんどん淘汰され、マンションなんかも立ち並ぶだけの街になると思うよ。
宗教 (スコア:0)
マハーポーシャが PC 売ってた頃だから、インターネットのちょい前~黎明期ぐらいかな。
情報が便利じゃないほうが、夢があった。
今の秋葉原は、地名だけが秋葉原。忘れられた文明のようだ。
Re: (スコア:0)
あなたが思っている秋葉原の地名は秋葉原じゃない件
Re: (スコア:0)
そもそもあそこは外神田。
秋葉原って地名じゃなくて駅名だよな。駅ができた場所にあった社の名前とも言われてるが。
関東に住んでた98年 (スコア:0)
土曜、日曜はかなりの頻度で秋葉原にいた。
ラオックスやTゾーンといった大きい店は繁栄してい(るように見え)たし、アミュレットやぷらっとホームや同じビルの地階の店(名前忘れてごめんなさい)も妖しいハード、ソフトで元気だったし、iMacの地味な発売スタートも見たし、モバイルギヤも買ったし、ラジオデパートにも出入りしたし、千石や秋月も知った。今思えばオウム系だったパーツショップもあった。
99年に関西に戻ってからは知らない。何年か前に Linux Cafe の跡地を見たくらいか。
昔は欲しいものがいろいろあった (スコア:0)
一番思い出深いのは90年代後半で、当時フリーターで時間とお金をけっこう遊びに費やしていて
よく秋葉原に行くようになって、どこに何の店があるか覚えた。この頃はPARとかも売っていて、
タイゲン貿易かどこかの店で知り合いが買ってた。自分は古いパソコン用のソフトが欲しかった
けど、この頃には中古でも売ってなかった。
2000年以降は、仕事している時は時間がないし仕事やめると生活が心配で、遊びに時間やお金を
使わなくなった。最初の頃は週一で巡回していたけど、あまり買いもしないのに歩き回って無駄に
体力を消耗したくないとも思うようになった。最近は時折中古スマホを買うか、まれにPCパーツを
買いに行くくらい。