本家インタビュー:ジャーナリストのダン・ギルモア 13
ITの未来を予測 部門より
zokkon 曰く、 "本家スラッシュドットに11月1日に掲載されたダン・ギルモアへのインタビューのうち、読者からのコメントを除く質問と回答の部分を翻訳してみた。素人くさい文章で申し訳ない。ダンは「世界で最も影響力のあるITジャーナリストの一人」とも称されるサンノゼ・マーキュリーのコラムニスト(asahi.comによる紹介文)。最近はblogに対して高い評価を与えていることで知られているかもしれない。本人も Dan Gillmor's eJournal というblogをやっている。
なお、本家のインタビューの方法は2001年12月28日のオリバー日記に紹介されている。このダン・ギルモアへのインタビューは、モデレーション機能がうまく働いたものとは言い難い気が個人的にはするが。
インタビューの合意が得られると、まずは、/.読者から質問を告知記事のコメントとして募り、そこからモデレーションポイントのもっとも多かったものおよびスタッフの選んだ質問をメールでインタビュー対象にメールで送る。すると数日~数週間後に返事がきて、それが再び掲載されるという仕組みだ。
プログラミングはいつまでアメリカにとどまる?
georgehaによる
プログラムを書く仕事をインド、ロシア、シンガポール(などの外国)へ外注するのはますます容易に、かつ安価になりつつあります。プログラマーはあとどれくらいアメリカに基盤のある健全な業界にいられるのでしょうか。
ダン:
うーん、今日の市場環境を見ると、「健全な」という用語には眉をひそめざるを得ない。平均的なプログラマー、少なくとも求職中のプログラマーにとって条件は非常に悪いからね。花形と呼べる存在が不足しているのはいつものことだが。
でも時宜を得た質問だ。先頃マーキュリーニュースに載ったこの記事でも明らかなように。仕事を海外に出すのは確かに安上がりだし、ますます簡単になってもいる。ただ今のところ、十分に容易かどうか、言い換えれば種々の雑事を会社が計算に入れても最終的に安く上がるのかどうかは何とも言えない。長期の傾向としては米国に有利ではないが。
時差はもちろん、文化の違いも、必ずかなりの障壁になるものだ。国境をまたいだエンジニアリング・プロジェクトを管理しようとした人々と話をしたことがあるが、大いに困難になり得るという意見だった。
しかし、通信手段や共同作業のための道具の改良はめざましい。英語はビジネスと科学技術の世界でデフォルトの言語になっている。また、米国外の人々が受ける専門教育の質は向上していて、かつアメリカ自身の教育制度はどんどんだめになりつつあるから、外国の競争相手は増える一方だろう。
さらに、わたしが心配しているのは、あまりにも多くの米国のハイテク企業が「若いのを雇い、燃え尽きるまで働かせ、捨てる」というやりかたをとりがちだということだ。若い人々にとって最悪のメッセージになっている。技術系の企業で働くのは愚かなことだということになるんだから。ただ、これはアメリカが慢性的に抱える問題ではある。短期でものを見がちだという。
技術の将来の方向
knightwolfによる
現在、業界のほとんどはシリコンに基づいた技術に依存し、シリコン・ウエハーに焼き付けるのに光学機械を使用しています。業界はどの分野を有望視していると思いますか。それと、有望なのに業界が追及していない分野は何ですか。さらに、十分に重視されていないとあなたが考える技術は何ですか。最後に、革新を担っているのは主にどこですか。IBMのような大企業なのか、あるいはより小規模な企業や新興の会社ですか。
ダン:
最後の質問から答えよう。技術革新は、ほとんどの場合、大学と小企業で起こっている。大企業でも確かに革新は行われるが、利益を上げているビジネスモデルを守るために、つぶされたり修正されることがしばしばだ。もちろんこれはおおざっぱに一般化した言い方だから、この法則を証明する(あるいは論駁する)例外を指摘できる人は多いだろう。
プロセス技術に関しては、自分が望むほどわたしは明るくないので、この回答の残りの部分には少し推論が入っている。しかし、確実に言えることは、半導体に起こっていることを見るたびに、この業界は戦場であり続けているということだ。
シリコンに基づいたチップの将来はまだまだ長いだろう。わたしの見るところ、ムーアの法則はあと十年くらいは限界に突き当たることはない。半導体の進歩は遅くなるか止まるだろうと門外漢が予言するたびに、業界の人間は笑って、進歩をさらに押し進めるんだ。
また、わたしは常にムーアの法則が意味するところの別の側面を忘れないでいようとしている。チップの改良は、高周波数のプロセッサーの外見や性能だけの問題ではない。物体がどれだけ小さくなれるかということでもある。少なくとも、高機能のもので何ができるかということと同じくらい、小型化の利点は何かということに興味を持っている。つい先ごろも、例えばZ80の新しい使い道を見つけた人のことを聞いたし、386で動くすばらしい埋め込みアプリケーションの存在を人々はいずれ知ることになるだろう。Itanium級のチップが単に通信機器の内部の小さな部品になるとき、どういうことになるのか、わたしにはわからないが、とにかくクールであることは間違いない。新しいプロセスと材料がハイエンドの世界でシリコンに取って代わり、この分野に革新をもたらすだろうか。間違いなくそうなる。わたしは量子コンピューティングに好奇心をそそられているから、必死で勉強しているところだ。
あらゆるものに無線を組み込もうというインテルの計画には、ひさしぶりに現れた重大な構想だと感銘を受けている。この動きはもっと注目を集めてしかるべきだと思う。あらゆるものに知能とメモリを付け加えるだけじゃなくて、すべてを接続するんだと考えるととても楽しい。それに、有機発光ダイオードの可能性を考えるとわくわくする。ディスプレイの姿をまったく変えてしまうだろう。もちろん、ナノテクノロジーとマイクロ・エレクトロ・メカニカル・システムも同様だ。
しかしながら、わたしが懸念するのは、産業が複雑さに対して十分に注目していないんじゃないかということだ。あらゆるものが1つに結ばれ、予測不能の状態で相互に作用するとき、泥縄のような戦略をとっている余裕はないと思う。
また、法律、特に知的財産権の分野の傾向も非常に心配だ。「知的財産」という用語を使用禁止にしたいほどだ。
特許制度も操縦不能になっている。確かに、連邦特許商標庁はいくつかの問題点を認識している。しかし、適用範囲の広過ぎる特許、新規性のない特許、不合理なだけの特許といったものを認可している例がまだあまりにも多すぎる。議会は、特許申請費用からの収入を奪い取ってほかの事業に振り向けるということを続けているから、特許商標庁が有能なスタッフを抱えることは、より難しくなっている。裁判所は特許の訴訟で手いっぱいになり、しかもその訴訟ときたら単に公に存在を主張するだけの代物だ。企業が技術者の代わりに弁護士を雇うようになったら、技術革新は打撃を受ける。
著作権関係の分野は革新にとって(また言論と学問の自由にとって。/.の人々がよく知っている通り)もう1つの心配の種だ。
ハリウッドは、IT技術革新のうちどれに市場への参入を許すか決定する権利があると主張している。ジャック・ヴァレンティが最近わたしに率直に語ったところによると、ハリウッドはピア・ツー・ピアに関して何らかの対処をする(翻訳: それをコントロールする)つもりだということだ。これほど多くの技術系企業が、顧客の権利のために闘う代わりに娯楽産業のカルテルとの妥協に安易に進んでしまうのを見ると大いに失望させられる。
政府は、ネットを抑制することに大方の予想を超えて成功している。確かに、Slashdotコミュニティなら、障壁を回避する方法を常に見つけ出すだろうが、中国政府が平均的インターネット利用者の見たいものの98パーセントを妨害することができるなら、自由の敗北だ。一方ここ米国でも、ある地域からネットに接続する方法は2つかせいぜい3つしかないといった事態に近づきつつある。それは技術革新と言論の自由の両面からみて恐るべきことだ。
技術についてのメディアの理解
Dr. Bentによる
新しい技術に関する様々な主流メディアの記事を読んでいると、自分で報道していることが全然わかってないなという印象を受けます。平均的な主流メディアのジャーナリストは、自分の書く記事で扱っている技術についてせいぜい最小限の理解しかないことは明らかです。このことは新しい技術に対する一般人の理解と意識に対してどんなインパクトがありますか。古株のジャーナリストが若くて科学技術にも詳しい世代に取って代わられると、こういった理解不足は解消されるでしょうか。
ダン:
わたしも時々そんな印象を受けることがある。しかし、あなたが思うほどそれが悪いこととは思わない。
主流メディアのジャーナリストの大部分はジェネラリストだ。ほとんどの大新聞で、記者はよく異動になる。これはものの見方を新鮮に保ち、よくある類の公正さに影響を与え得る問題(情報源に接近しすぎることなど)を避けるために行われる。もちろん、記事に深みが欠けがちだという難点もある。科学技術に関しては、たくさんの新しいものが常に生まれているから、フレッシュでありつづけるのは例えば政治などの分野よりは容易だが。
あと、主流のニュース・メディアの使命を覚えておくことも重要だ。メディアの人間は、ある特定の主題についてよく知っているかもしれないし知らないかもしれない読者に向けて見解やニュースを紹介する傾向がある。わたしは完全な技術的誤りを見逃しはしない(だから何かをするには自分より知識のある人のそばでやろうとする)が、一般のニュース・メディアには、既に多くのことを知っている人々に向けた業界紙誌とは異なる規準を適用すべきだと思う。わたし自身の場合、紙の版の製作に携わっていてシリコンバレーの読者を相手にしているにもかかわらず、読者は聡明だけれども必ずしもその話題についてよく知っているわけではないことを前提にしている。オンライン版の読者なら、もっと科学技術の問題に関心が集中する傾向があるが。
わたしの仕事の大きな変化の1つは、科学技術の発達の結果だ。わたしより読者のほうが詳しいはずだ。またそのことは、わたしにとって脅威ではなく大きなチャンスだとも思う。この状態が続くかぎり、結果はよりよいものになるだろう。
明日の読者とジャーナリストがこの進歩をどのように生かしていくか確かめることは興味深いだろう。わたしの感触では、従来のジャーナリズム、テクノロジーに詳しいリポーター、ウェブログなどを組み合わせたものが、論点についてのより広い理解に結びつくだろうと思う。
物事の循環
Hannoによる
誰もが知っているように、経済は循環して進んでいますが、あなたの経験からして、ITはどれくらい周期的ですか?最後の大きな下降局面はいつで、そのとき何が起こりましたか。また、そのために何が変わりましたか。
現時点で、「われわれ」IT労働者のほとんどは、「ニューエコノミー」バブルの結果とそれに引き続くITの下降局面に立ち会っています。今でも覚えていますが、ここドイツでは、わたしが高校を卒業した1991年には、コンピューターサイエンスの分野に進まないように助言されたものです。職業としての見込みは薄く、 IT関係の学問を修めた人の多くが職がないか低い額の給与しか受け取っていなかったので。その後でインターネットがやって来て、給料から何からすべてが爆発的に上がりました。それが続いている間は、信じられないほどに超現実的でしたがまだよかった。
今は、顧客は1銭でも惜しむようになっています。わたしは、会社が雇用契約を更新しなかったために、高度に熟練したIT労働者なのに失業中の人もいるのを知っているし、かつては業界の主要選手だったのに倒産した企業さえいくつかあります。
それで、IT産業において同様の経済状態にあった記憶はありますか。また、その経験はどんなものでしたか。
ダン:
わたしがシリコンバレーに来たのは、ちょうど1990年代のブームが起こり始めていた頃だった。その前はデトロイトに6年ほど住んでいた。どちらの地域も景気の循環を経験している。
現代のシリコンバレーには、好況と不況のサイクルが常にあった。ここの企業群は実体経済の一部門であり、科学技術自体と同様に、活力があり急速に成長している。前回の不況は90年代の初頭で、地域全体が不安な空気に包まれていた。職を見つけるのは困難だった。住宅の価格は暴落し(今回この現象が起こっていないのは驚きだ)、事態がもとに戻るための手掛かりなど誰も持っていなかった。マーキュリー・ニュースは、シリコンバレーの最良の日はもう過去のものになったのだろうかという内容の記事を掲載した。
その後、シリコンバレーは以前に起こったことを経験した、それは周縁から始まった。最も目立つ触媒になったのがネットスケープだ。技術とその後の株式の新規公開の両方において。しかし、それからの期待の高まりはただただ気違いじみていた。こんなことを言うのは、ある種の詐欺師がわたしたちに信じこませようとするように、インターネットがすべてを速くするのではなく変えつつあると堅く信じる人を目にするからだ。90年代の終わりにいちばん驚かされたのは、どういうわけだか技術が景気循環を根絶させたという途方もない考えだった。いつかはそんなことが起こるかもしれない(デジタル・コミュニケーションおよびナノテクノロジーが遍在するようになれば)が、歴史感覚のある人間なら、そんな誇大広告を鵜呑みにしてはいけない。
ここで景気の下降局面を2回以上経験した人なら、今回の不況のひどさも今までと同じくらい、もしかしたら最悪かもしれないだと言うだろう。われわれはバブルを経験するうちに理性をなくしてしまったので、堅実な成長を回復するにはこれまでより時間がかかるかもしれない。多くの革新が行われているが、今や市場への不信は非常に大きく人々を覆っており、今この環境では恥ずべきバブルが膨らむのを助長したベンチャーキャピタルだろうが何だろうが、融資してくれるコミュニティをもっておくことは完全に正しい。
ついこの前終ったのと同じような好景気がまた来るとは思えないが、今の混乱状態からいつかは抜け出ることは間違いない。多くの革新も行われているから、人々が再び市場を信頼するようになれば景気回復は起こるだろう。ただし問題はある。今この時に、とりわけブッシュとその仲間たちが市場の抜本的改良を粉砕するためにあらゆることをしているこの時に、市場を信頼するというのは道を誤っているのではないかと心配している。
利害の衝突について
joyoflinuxによる
利害の衝突を経験したことはありますか。書くべきものより昇進や職務経歴上で有利になるものを優先したりといったような。そういうときはどうやって対処しますか。
ダン:
職務経歴の文脈でいうと、これまで働いてきた新聞で、何を書けとか書いちゃいけないとか誰にも命令されたことはない。当然ながら、記事やコラムを最終的にどんな形にするかに関して編集者とごくふつうの意見の不一致はあったが。
わたしは、1つの主要な点でこれまで幸運だった。シリコンバレーの大勢力の利益に反する場合(たいてい反するのだが)でも、強力な見解を示すことがわたしの仕事なんだ。
さて、利益の衝突がないと言うつもりはない。もちろん、衝突は起こる。最良の解毒剤で予防薬でもあるのは日の光にさらすことだ。いくつかのジャーナリズムの刊行物は倫理の違反に対して目を光らせているが、業界の外では広く読まれてはいない。ジャーナリズム批判に関して従来の方法ではなくウェブの影響力が増しつつあることに勇気づけられている。例えば、インタビューを受けた人が筆記録を自分のウェブサイトに上げて、自分の発言がどのように引用されたかという文脈を示すことは素晴らしいと思う。
わたしが書かないもの? もちろんある。これまでもさんざん訊かれたが、わたしはたいていの場合、自分の仲間に毒針を打つつもりはない。もっとも、会社の1部門が反マイクロソフトのロビー活動をする組織を支持したときは公に雇用者を批判した。マイクロソフトに関する見解自体には賛成なのだが、会社がその種の支持を表明することは、われわれの毎日の仕事であるジャーナリズムに対して有用ではないと考えたからだ。
アップルはデジタル著作権管理に本当に反対なの?
dpbsmithによる
あなたのこの記事www.siliconvalley.com/mld/siliconvalley/4193833.htmには、アップルがデジタル著作権管理に対して意識的に、かつ定見に基づいて反対すると示唆されていますが、それを信じたい気持ちです。
でも、あの記事は基本的に推論ですね。
アップルが実際に企業としてデジタル著作権管理に反対する戦略をとるという証拠を握っていますか。ゲートウェイはフェアユースの権利を守ることを指示するという限定的ながら重要な公式の声明を出しました。なぜアップルが同様のことを何もしていないかわかりますか。
ダン:
確かに、あれは推論の域を出なかったけれど、レトリックでなく証拠に基づいて書いたつもりだ。
直接に答えよう。わたしは、アップルが企業として反デジタル著作権管理戦略をとりはしないと思う。個人的にはそうしてほしいと望んでいるのだが。アップルは概して顧客本位の立場をとってきたし、ほかのそのへんの会社よりはるかにましだとは思う。恐らく、あの会社は、両陣営が問題を2進法の質問(つまり完全な管理か完全な無秩序かの二者択一)に誘導しがちな状況でバランスを模索しているのだと思う。バランスの例としては、アップルは、iPodのユーザーが他のディスクに(直接ではなく)コピーするのを可能にすることはない。しかし、わたしの知る限り、サードパーティがそれを容易にすることを止める策は講じていない。
ゲートウェイのキャンペーンはすばらしかった。しかし、ゲートウェイはウィンテル生態系の一部だし、明らかにデジタル著作権管理推進側であるハリウッドに好意的な政権にマイクロソフトが急速に接近しつつあることに疑問の余地はない。ゲートウェイがよくできたリナックスボックスを売り、顧客の選択権とデジタル自由の観点から販売促進活動を始めたら、もっと感動するのだが。
シリコンバレーの新興企業文化に変化?
Infonautによる
ダン、わたしたちの質問に答えるために時間をさいてくれて感謝しています。
1990年代の終わりにシリコンバレーのベンチャー・キャピタリストは、利益を上げる見込みのまったくなかった会社を多数作るのに関係するために金銭と注意を払ってきました。
個人的な経験から、ベンチャー・キャピタルは個々の新興企業をがっちりコントロールすることを通じて、IT市場の発展に対していかに影響力を持っているかわかりました。
ここ2、3年のシリコンバレーでのIT関連の新興企業への資金集めや創業のやりかたを見て、根本的な力の移動や変化はありましたか。
ダン:
大変化は、今はほとんど誰にも資金が提供されていないということだ。ベンチャー・キャピタリストもやっぱり群れで動くものだから。
わたしは一般にベンチャー・キャピタリスト(少なくとも遠い将来に向けて調査し、危険な賭けをするベンチャー・キャピタリスト)には敬意を抱いている。しかし、ベンチャー・キャピタルが90年代の終わりにやったことはあまり尊敬できない。彼らとその背後にいる投資銀行は、ほとんどのリスクを市場に負わせたのだから。
変化があるとすれば、これまで多くの技術革新を促してきた従来の危険負担のやりかたに戻るという望みを持っている。シリコンバレーは、清算する前に持続可能なビジネスを構築するという考え方に戻りつつある。
バブルの時期には、事業を清算することがほとんどすべてだった。それを捨て去るのはよいことだ。
わたしが見るところ、もう1つの大きな変化は、起業家の危険負担がシリコンバレーの外側へ広がっていることだ。これは世界的な進歩に重大な影響を与える。わたしは、長期でものを考えることが文化の一部になっているような場所を含む外国の聡明なベンチャー・キャピタリストに会って、そういう人たちが結局は有利なのかもしれないと思った。
隠れた腐敗?
PhotoGuyによる
ドットコムブーム中には、非常に多額の金銭が恐ろしく問題のある方法で費やされたのを目撃しました。まったく理解を越えていました。それがまったくの愚かさからきたというよりは、リベートなどの疑わしい取り引き(背中をかいてあげるからぼくの背中もかいてくれよ)が行われていたということのほうが説明として適切かもしれないとしばしば思います。
これほど多額の金が浪費された裏には、多くの汚れた取引があったことは確実だと思いますが、報道でも噂話でもそういった話を耳にしません。
その第一の理由は、これらの会社は公開企業ではないから説明責任を負わない、したがってミニエンロンが発見されることはなかったということでしょうか。とんでもなく愚かだったからと考えるより、腐敗がからんでいるからと考えたほうが、いろんな面で説明としてわかりやすいでしょう。こういったことが実際に起こっていることを認識していないという点で、わたしはかなり素朴かもしれません。この業界の汚れた取引や見返りの配分についてどう考えますか。
ダン:
素朴ではないと思うよ。民間会社にはまったく問題外の行動が多くあることは疑いの余地がない。しかし、記者であれほかの誰であれ、どの程度そうなのかつかむのは難しいし、公開の説明責任があればこのプロセスのより多くの部分が光にさらされることを示唆するのは実に正しいことだ。
毎日一面を飾っているニュースを見ると、公開市場においてさえ、不幸にも説明責任は恐ろしく不足している。残念ながら、ニュースになるのは非常に遅い。しかし、あらゆるバブル(そしてあらゆる好況)は強欲な金融業者を生む。この領域にはつきものだ。
また、政治的には、強欲な金融業者からの資金提供を受けたイデオローグも生まれる。その結果、大規模な規制緩和が行われる。それは一般的にはいいことなんだが、悪事を監視するのをやめさせるための用意周到なキャンペーンが伴うんだ。だから巡回警官がいなかったんだし、今でもある種のイデオローグが改革を妨害したがるのはそういうわけなんだ。連邦証券取引委員長のハーヴィー・ピット[訳注:11月5日辞任]は、多くの人々が疑う通り企業の下僕であることを証明するのに必死だけど[(w]、投資銀行の責任を追求している州は今よくやっていると思う。おそらく、わたしこそ素朴なんだろう。しかし、市場は規則を必要としていると信じている。強制力を伴う規則なしでは、誰も信頼などできない。
プロミセズ・プロミセズ
gcondonによる
IT報道はわたしたちに様々なでたらめを何年も約束してきました。マイクロソフトの革新、アップルの破産、デスクトップのリナックス、空飛ぶ自動車、などなど。わたしの考えでは、ITジャーナリストが業界の人間への接触と親密な内輪の集団に対して過剰な信頼を置いていることによるところが大きいと思います。業界人との接触は、誇大広告とFUDで内輪の集団を染め上げようとする業界人自身の立てた予定表に従うものなので、記者は例によって業界内ですでに確立された関係を強化するだけの役割しか果たしません。
IT産業は伝統的に小企業、新興企業に革新の多くを負っていますから、これは特に問題です。
つまるところ、ITジャーナリズムは本当に業界に寄与しているでしょうか、そして、そうならば、どのように?
ダン:
ジャーナリズムはあらゆることに貢献しているよ。はい、笑うのはそこまで。
あなたの前提は多少一面的だと思う。ジャーナリストがすべての分野で既得権を反映しがちなのは事実だ。さらに、われわれは良きにつけ悪しきにつけ、群れで行動するものだし、問い合わせに答えてくれる情報源の言葉を引用しがちなのも事実だ。
しかし、一般通念に挑戦し、わたしたちを真の未来へといざなうような報道も数多いのだと指摘しておかなければならない。わたしが心ひかれているのは、最良の情報あるいはトップニュースのいくつかが、非伝統的な情報源(ここがまさにその1つだ)から生まれているということだ。
これは素晴らしいことだ。ジャーナリストには、現実と誇大広告を区別するという仕事があるから、わたしはいろんなやり方でそうしようとしている。あらゆるものを読み(Slashdotも含む。自分が思ってもみなかった視角を常に与えてくれる)、できるだけ多くの人々と話をし、一般的には自分の仮定を疑ってみることにしている。こういったことすべてのための時間を持てるのが、この仕事の贅沢さだ。
さて、あなたが指摘したでたらめの例のうちの1つについても反論してみたい。わたしも、デスクトップのリナックスを軽蔑していた。わたしにとって、デスクトップのUnixとはMac OS Xという名前を持つものだ。しかし、オープン・ソース生態系は、わたしの思いなど気にしてはいない。デスクトップ環境の要素を1つにまとめ、多くのユーザーにとって適切と言える以上のものを、ゆっくりだが確実に作りつつある。アナログの生物は指数関数的な変化を真に理解することができないので、わたしたちはムーアの法則の長期のインパクトを過小評価する傾向があるが、それと同じように、わたしはコミュニティでの開発プロセスの集合的な力を過小評価したのではないかと思う。言ってみれば新築の手伝いの、人数が桁違いに多い知的職業版だね。
直接行動主義?
Anonymous Cowardによる
もし記憶違いでなければ、あなたがかなり真面目な活動家だったときのことです。Usenixでバッジを配ってサインを掲げるあなたの姿を見たのを覚えています。
まだあなた自身を活動家と考えますか。そうでなければ、何が変わりましたか。オタクのコミュニティーの中にはまだ行動主義の活躍の場はありますか。あるとすればそれは何ですか。
ダン:
誰かと混同してるんじゃないかな。たぶんジョン・ギルモアと。彼のことは尊敬しているけど、親戚でも何でもない。わたしの記憶にある中で最後にサインを掲げたのは、1970年代の初めにワシントンでベトナム戦争に反対する集会に参加したときだった。
わたしはある意味では活動家だと思う。著作権、競争政策、プライバシーなどをかなりの頻度でコラムにとり上げている。わたしは、オタクはもっともっと活動的になる必要があると強く信じている。すべてを中央統制したがる人々は、革新と自由に至る道を閉ざしつつある。そうなると、オタクにとって、恐らくほかの人々以上に失うものは多いはずだ。"
何者? (スコア:1, 参考になる)
あちこち、Mac関係の名前が混じってるけど、マックジャーナリズム関係の有名人てこと?
(_ _)ZZZZzzzzz...... I'm sleepy
Re:何者? (スコア:0)
Re:何者? (スコア:1)
(_ _)ZZZZzzzzz...... I'm sleepy
blog (スコア:1, 参考になる)
私には、昔からよくある独り言を載せる掲示板にしか見えないのですが。
Re:blog (スコア:1, 参考になる)
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/net/1037028447/
Re:blog (スコア:0)
Re:blog (スコア:1)
というか、個人ニュースサイトという言い方の紛らわしさは異常
最初聞いたとき、個人ジャーナリストのサイトかと思った。
ギルモア (スコア:0)
Re:ギルモア (スコア:1)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
Re:ギルモア (スコア:0)
指摘 (スコア:0)
ギルモアさんといえば (スコア:0)
なんとなく、AC。