みんなの考えた「オープンソース」 578
ストーリー by Oliver
人はそれをエセと呼ぶ 部門より
人はそれをエセと呼ぶ 部門より
k3c 曰く、 "みんなの考えたオープンソースというWebページが開設されている。オープンソースの定義には合致しないのにオープンソースを自称しているソフトウェア、オープンソースに対する間違った解説の実例をWikiによって広く収集していこうという試みで、既に多くの実例が投稿されている。マスコミ、ソフトウェア開発者・会社、研究者、など、実に広い範囲で「オープンソース」という言葉が誤解されている、あるいはさらに誤解を招きそうな表現で解説されていることが分かる。中には、指摘された内容が指摘後改訂されている例や、sourceforge.jpでホスティングされているのになぜかライセンスで使用する分野を限定している例なんてのもあり興味深い。当てはまる例をご存知のヒトはどんどん追加してみましょう。そのうち何かが見えて来るかも…。"
リストアップの意味 (スコア:3, すばらしい洞察)
リストアップされた人が、厳密な「オープンソース」の定義に無自覚なのは事実だと思います。
でも、ここで一方的にリストアップされることで、「晒された」側の人は悪い印象やおそろしいという感じを受け、その結果「オープンソース」から遠ざかることになってしまう可能性はないでしょうか。
そうは思いたくないのですが、もしそういった圧力をかけるようなことが目的なら仕方がないと思います。
でも、OSD準拠のオープンソースが広まってほしいと思っていて、それが目的なのであれば、こういう形はとらずに作者に直接コンタクトをとって、まず話をしてみるべきなのでは。
それによって厳密な意味でのオープンソースが増えていく、というのが理想なのではないのでしょうか。
リストアップよりも、例えばこういう事態が生じた原因として影響が大きいであろうメディア上での単語の使われ方をもっと正していくような活動が先だったりしませんか。
「オープンソース」のロボット PINO [srad.jp]
オープンソースミュージック [srad.jp]
この辺とか疑問があるんですけど。:)
(そもそもこれらはどういうライセンスなのだろう(苦笑))
Re:リストアップの意味 (スコア:2, 参考になる)
1.まずどれだけ無理解が広まっているかを認識する。
2.無理解のパターンを研究する
3.対抗策についての議論の材料にする
などがありますから、集めることに意義があると思います。
だれでも無謬ではありませんから、間違いの指摘程度で「おそろしい」と思ってもらっては困ります。実際にWebで広く誤解を広めているのに。
それから、メディアでの使用例も当然リストの対象だと思います。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
OSDに準拠していないオープンソースという単語の使い方を指摘(or 抗議)しようという意図はありますが、それを「俺たちに従わないオープンソースを馬鹿にしよう」と表現するのは適切でないと思います。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
(ACさんが僕の自作自演でないと仮定するとですが(笑))
間違いの指摘なら、当事者にmailなりなんなりすればいいのではないでしょうか。
コミュニケーションせずにこういう形をとるのは、一方的だと感じられるのは当然なのではないかと。
>実際にWebで広く誤解を広めているのに。
あのリストの中には、意図的に誤解を広めている人はほとんどいないのではないかと思うんです。
無知は罪というのはわからなくもないです。ですが、それはとても厳しい態度だと思いますし、そういう人々に怖さを感じる人はいると思います。
それこそ、適切に話をすればすぐに直してもらえそうな人も多いのではないでしょうか。
そして、その際の対話は無理解への有効な研究にならないでしょうか。
なにより、ただ晒すよりも表記が修正されることで、誤解が広まるのを防ぐことになりませんか。
#wikiなんて晒す前に書き換えればいいのでは…
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
それは同意します。リスト中の文章を書いた人の中には私が個人的に知っている人、尊敬している人も含まれています。
でも間違いの指摘ってそんなにこそこそしないといけないものなの?
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
でも、間違いを書いてて、それを「広く人々の目に止まるように」されたら恥ずかしいと思いますし、少なくともいい印象は感じないのではないでしょうか。
印象は悪くてもいいというならなんの疑問もないです。(オープンソースの普及にとっていいこととは僕には思えませんが…)
指摘の方法が他にもあって、その手段の方が得るものが多いのではないかと。
しかも、リストアップしても指摘?に気付かない人もいるのではないでしょうか。
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
どっちにしても、書いていたことが間違いなら、それをWebで「広く人々の目に止まるように」放置する事の方が恥ずかしいはずです。
「知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」といいますし。
#「傷口に塩を塗る」とも。
まあ、間違いを指摘されたぐらいで逆切れするようなら、その人の人間性を疑いますが。
-- By Grabthar's Hammer!
Re:リストアップの意味 (スコア:1, すばらしい洞察)
上の「さらし首」の意味に引っ張られる可能性が大きいと思います。
それに、「晒し者」(さらしの刑に処された罪人、転じて人前で恥をさらされるもの)という言葉もあります。
今回の動きは、まさに晒し者に仕立てようとしているのではないですか?
# 正しい理解のないまま運営している方にも責任がありますし、そのことは是正されるべきだとは思っていますが…
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
しかし、Webで「全世界に発信した情報」について間違いを指摘したくらいで「攻撃」と見なすのはバイアスがかかっていると思います。間違っていると指摘しただけで人格攻撃をしたわけでもなし。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
「全世界に発信した(間違った)情報」の記述者へ、ではないのでしょうか。
リストしただけで指摘になるんでしょうか。
リストの目的は研究なのでしょうか。それとも指摘なんでしょうか。
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
あのリストを読んだ人は「ああこの表現は間違っているんだな」と理解し、他の間違いも見つけ出せるようになります。
あのリストを読んだ記述者は「私の文章は間違っていたんだ」と理解するかもしれません。あるいは反論して議論が始まるかもしれません。いずれにせよ、有意義な議論が進めば理解が深まります。
あのリストを読んだ啓蒙者はリストの内容を研究することができます。
いや、実際にあのページを作った鵜飼さんの意図はまた別かも。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:リストアップの意味 (スコア:1)
でも、当事者と対話して結果を含めて事例をまとめられれば、よりよいような気もします。
ただ、あのページの印象がよくないと感じる人がいるのはほぼ間違いないように思うのですが、いかがでしょうか。
活動として、それがすごくマイナスだと思うんです。
特殊な例かもしれませんが、実際に僕の周囲には「オープンソースという単語は誤用すると危険だから使わないように身内の人間にはいっておかなくては」という人がいました。
#なんか交互にコメントする形になるほど対応していただいてありがとうございます
#鵜飼さんのwikiのページは、反論とかページそのものの存在意義に関して書きづらい雰囲気だったのですが、ここで書いてるより前向きな気がするのでいまから書きにいきます…
Re:リストアップの意味 (スコア:2, 参考になる)
がんばってください。私はそこまでする元気はありません。
まぁそう思ってしまう人もいるでしょうね。 でも、いい印象をもってる人もいないわけではないようです。
要はそういっている人達は「誤用しないように正しく理解しよう」という 気はさらさらないということでしょうか。
理解するつもりがないのなら、間違いを再生産しないように使わないというのは それはそれでいいのかもしれませんが。
固有名詞? (スコア:3, すばらしい洞察)
固有名詞としての意味を込めるから混乱するんでしょうね。
バックグラウンドの知識が無い人が
「ソースがオープンならオープンソース」と
誤解するのも無理は無いはず。
理想としては別の言葉を考えるべきでした。
MSがかつてWindowsという言葉は汎用語句ではない [zdnet.co.jp]
とか主張していたことを思い出しちゃいました。
Re:固有名詞? (スコア:1, 興味深い)
素晴らしい非オープンソースソフトウェアの例 (スコア:2, 参考になる)
ダメな例ばかり挙げているのも何ですので。
Windows用のメーラ電信八号 [esprix.net]はオープンソースではありませんが、 自ら「オープンソースではない [esprix.net]」とはっきり書いてあります。しかも解説付き。
結構勘違いしている人がいるのですが、私たちは「オープンソースにしろ」と言っているわけではありません。「オープンソースでないならそう名乗らないでくれ」というだけです。そういう意味で、電八の姿勢は非常にまっとうで素晴らしいと思います。
mhatta was here
Re:素晴らしい非オープンソースソフトウェアの例 (スコア:1, 興味深い)
「オープンソースでないならそう名乗らないでくれ」と言ってるのは誰なんでしょうか?
Re:素晴らしい非オープンソースソフトウェアの例 (スコア:2, 参考になる)
このスレッドを読んでいるのはこれまでの議論をフォローしている人ばかりとうっかり思いこんでいました。誤解を招く言い方をしてごめんなさい。もし関心があれば、このあたり [srad.jp]から一連の話を追ってみて下さい。
mhatta was here
クローズソースな無料ソフト (スコア:2, 参考になる)
プログラムをオープンソースにしてよ!
オープンソースじゃないと駄目だ!
オープンにしろケチ!!
といったメールにウンザリしています。
彼等は引き換えに何かしてくれるといった事は一切書いて来ません。
見返りを求める事は良くないのかもしれませんが、せめて
メンテナンスをしてくれるとか、マニュアルを作成してくれるとか
何か買って出て欲しいですね。
ついでに、過激なメールを送ってくる人の多くがフリーメールで
信頼できないってのもありますが。
こーいった人々が増えない為にもオープンソースとは
何なのかを広く知らしめる事は大切かとは思います。
Re:クローズソースな無料ソフト (スコア:2, 興味深い)
そんな連中に感化されて、あるいは根負けして、あるいはそのどれでもなくても構わないですが、
とにかくソースを公開したとして、
たぶんあなたは何も失いません。
#もちろん、今のところOpenSourceにしないことで何かメリットを得ているなら、話は別ですが。
OpenSource(や似非OpenSource(笑))って、つまりそういうもんだと思う。
誰が何を言おうが、それとは無関係に、出したいものは出す。それだけ。
うるさい連中がいるからって、意固地(たとえばですよ)になってコードを出さなくても、
逆にあなたは何かを得られるわけじゃないんです。
まあ、こじつけようと思えば色々こじつけられますよ。OpenSourceにする自分にとってのメリットをね。
例えば、「俺様はこんなソフトを書けるんだぜ。少なくともコード書けないDQNよりはマシであることが、
今ここにソースが存在することで、証明されたんだぜ。」と思い込む(^^;材料にするとか、さ。
なんとなく「勝った気分」を味わう、って奴です。
かたい事考える必要は、まあ、無いです。
どっちにせよ、当たり前ですがオリジナル版は、あなたのwebサイトやHDDがクラックでもされん限り
損なわれないわけなので、公開したっていいじゃんいいじゃんって感じです。
#その辺の事情に負けて(笑)、(肉筆)絵から作曲に趣味を転向した、なんてなことも有ったのでG7
#絵が売れちゃうのは「苦しい」んだけど、曲(譜面)なら売れてもCopyすれば済むものだから、痛みを覚えずに済む。
>信頼できないってのもありますが。
信頼なんて不要です。
あなたがソースを出そうが出すまいが、
不心得者(仮にそうだとして)は、どうせ世の中には以前から存在し、今後も居るんです。
それがたまたまあなたに接触(?)を図ったかどうかの差でしかないです。
バイナリ出す先も、ソース出す先も、どうせ同じ「世間」なんですよ。
ほどほどにしか信用できない相手なんです。
信用できる(できない)から出す(出さない)ってのは、あんまり意味がない考え方だと思っています。
#ただし、ソースを出すことで世間ががらっと変わってしまうほどの、とんでもないKillerなソフトであって、
#かつその世間への影響度は、バイナリしか出さない場合とでは凄く違ってしまう、というソフトならば話は別ですが、
#不幸にして俺には、そんな凄い(というか不思議な)ソフトは想像もつかないんで…
Re:クローズソースな無料ソフト (スコア:4, 参考になる)
>そうでしょうか?
>◆ 将来、販売して利益を得ることができなくなる
オープンソースであることは、この可能性を摘みません。原著作者が著作権を有する限り、オープンソースなライセンスで公開されているソフトウェアを別の(プロプラエタリな)ライセンスで別の人/企業にライセンスすることは可能です。著作権者は自らのライセンスに縛られず、すべての権利を行使できます。
例でいえば、途中からオープンソースで公開されなくなり、プロプラエタリとなったオリジナルのSSHやSourceForge (Enterprise Edition)。但し、最後のオープンソース版から派生して、OpenSSHやGForgeの開発が有志により続けられている。だが、これは逆に、より良いモノを作るインセンティブになるし、より良いものを作れるならば、逆に購入者が集まるかもしれない。
まったく同じものをプロプラエタリでもライセンスしている例としてはQtがあります。一般的にディストリビューションについてきたりするQtはGPL/QPLなものです。但し、GPL/QPLは嫌う人/企業は開発元のTrolltechからまったく同じ物をプロプラエタリ版として購入できます。それを使ってなら、GPLじゃないソフトウェアの開発もできる。Qtの主開発はこの収入で賄われ、オープンソース版はそれで開発された機能の謝恩を受けます。プロプラエタリ版の購入者はオープンソース版の利用者によるテストとデバッグ/パッチによる(小数の商用版利用者だけでは望めないかもしれない)品質向上の謝恩を受けます。その間には、これを生活の糧としている数十人のTrolltech社員と企業として成功しているTrolltech社がいます。
別の例としては、Windows版は別途購入なMySQLやOpenOfficeからStarOfficeを作っているSunの話があります。
> ◆ ブランチしすぎて収集つかなくなり、ユーザーが離れていくリスク
現実を観察すると、元の著作者がある程度ちゃんとメンテしていて、フィードバックやパッチを無条件に無視していない限り、fork()はとっても珍しい事象です。たとえfork()しても、ブランチの数はせいぜい数個が限度です。
> ◆ 偶然似たコードになっただけなのに、とある企業から「権利侵害」で訴えられるリスク。事実無根だとしても、裁判費用はイタい。
推定無実。その会社のコードが公開でもされていない限り、そんな訴えに根拠があることを証明するのは難しい。どこからコードを入手したというのだ。むこうが有罪を証明できず、勝てば裁判費用はむこうもち。一時的な出費はたしかに痛いかもしれないが、無茶な裁判はそうなかなか起こしてはくるまい。嫌がらせでしてくるなら、ソースが公開されていようが、されていまいが関係ない。
>◆ ソースを見せるなんて、裸を見せるくらい恥ずかしいかもしれない
こればからは著作権者の気持の問題だから、あまりいえない。ただ、人がソースを見たくなるような機能をもつコードを書いたのなら、それは十分に胸が張れることだと自分は思う。それは自分が無から己の知と指を使って創造したものだ。それだけで素晴らしいではないか。そして、人に見せるで書いたコードはちゃんとする傾向があるので、あとで自分でメンテするのも楽。自分専用に書いた自分のコードほど読みにくいものはない。(経験談)
バザールモデルとの関係に注目して (スコア:2, すばらしい洞察)
オープンソースとバザールモデルの関係が強調されていました。
そこで思うのは、これらのリストに挙げられた人々の定義する
「オープンソース」は果たしてバザールモデルを成功させられるか、
またそもそも彼らはバザールモデルに期待しているのか、
という疑問です。
もしも彼らがバザールモデルに期待してこの用語を用いているのならば
それを正すのは意義があるように思います。
だから啓蒙活動という視点すれば間違っていることを指摘するだけでなく、
その定義でバザールモデルは成立するのか、
また効果的なのかを論じることが有意義と思います。
大事なのは呼び方ではなく内容 (スコア:2, すばらしい洞察)
のではなく、「オープンソースの定義」(以下OSDと訳す)自体の
理解をひろめることを目的にするように。(オープンソースという
呼び方を変えるということではない)
すべての人にある言葉を特定の意味で使わせることは、事実上
不可能ですし、ここでの最近の議論をみても、そういう努力は
正直、徒労という感じが否定できません。
とりあえず、不特定多数相手にオープンソースという言葉を使う
ときは必ず、OSDについての説明もするようにしましょう。
上のほうでOSDがよく理解できない、といった人がいましたが
OSDについてのわかりやすい解説文書もほしいですね。
くりかえしますが大事なのは呼び方ではなく内容です。
カタカナの限界 (スコア:2, 興味深い)
僕はオープンでも、会社のプロプラでも両方で開発して、それぞれよさがあると思うし。バクトラッカ、CVS、その他のバザール型とかは大好きなんだけどね。
で、ちょっと思うのは、日本語のカタカナで「オープンソース」って書いたのにとやかく言うのは限界があるんじゃないかなって事。
元の Open Source は大文字の Open と Source で固有名詞であるわけで、だからこそ定義ってのをすることができるわけだけど、一般的な言葉であるオープンとソースってカタカナだと、誤解が生まれて当然って気もする。
open source って小文字で書けば、公開されたソースコードっていう意味で、Linux、Free Software、Apache とか Mozilla とかのムーブメント全般を指したりして、曖昧に普通に英語圏で使われてるし。
slashdot を open source community の溜まり場みたいに表現したりして。そういう用法の場合は、OSI の定義 [opensource.org]みたいな厳密な話じゃぜんぜんないわけで、大文字で Open Source と固有名詞化して、「あのオープンソース」ってなるわけで。
俺たちがやってるのはこういう「オープンソース」で、そこに税金突っ込んでくれないと意味無いんだよって啓蒙は結構なんだけど、曖昧に輸入された概念にいまさら定義でツッコミを入れまくるのはどうかなって思います。
言葉うんぬんよりも、こういうライセンスがありますよ、とかバクトラッカ使いましょうとか、CVS使ってますか?とか他にもオープン陣営は啓蒙することがあるんじゃないかな。ソースだけ開いても、ソフトウェアを育む土壌がなければ、何も育たないわけで。
まずは形からってのはいかにも日本的で、また面白いわけですが。とりあえず、流行で終わらないで欲しいですね。
Perensの考えた「オープンソース」とOSIの考えた「オ (スコア:2, 興味深い)
Perens(「オープンソースの定義」を定義した人)
と
OSI(「オープンソースの定義」に合致しているかどうか決める人(々))
ですら解釈が違っ [neweb.ne.jp] た [neweb.ne.jp]わけだし。
突き詰めると「既に認定済みのもの以外はオープンソースと呼ぶな」ということになりませんか?
すばらしい。 (スコア:1, 興味深い)
過去のストーリーなどでは、"我らの敵を殲滅すべし"みたいな雰囲気で、理屈以前の段階で引いてしまう人も結構居るように思いますが
この文章ならば、正しく理解しようという気になるのではないでしょうか
楽しそうだけど... (スコア:1, すばらしい洞察)
定義を理解している連中がふざけて変なライセンス文を書き、
「私の考えたオープンソースです」とか言い出しそうだなぁ。
これからネタへ走ろうとしているオープンソース開発者へ。
ライセンス文中のネタは、ネタと分かるように書きましょう。
Re:楽しそうだけど... (スコア:2, 参考になる)
「個々人が好き勝手に考え、曲解して創りだした」と言いたいのを、
ぐっとこらえて皮肉っぽく表現しているのだと思いますが。
実際に行って、最初の方の
> オープンソースの定義に合致しないにもかかわらず「オープンソース」であると自称/解説しているものが世にあふれかえっているようです。
>そのような「オープンソースの定義には合致しないのにオープンソースを自称しているソフトウェア」や「オープンソースに対する間違った解説」の実例を収集して研究してみましょう。
のあたりを見れば、
「みんなの考えたオープンソース」を肯定しているのでないことは明らかです。
オーブンソース!? (スコア:1)
検索してるんだろうなぁ、と思った俺は
“オーブンソース”でググ [google.co.jp]ってみた。
かな~り、あるね。こうばしそうなオーブンソースが。
やなぎ
字面じゃなく論旨を読もう。モデレートはそれからだ
Re:オーブンソース!? (スコア:1)
オーブンソースなら、オープンソースではないのだから、オープンソースの定義にとらわれることなく、勝手な制限をつけくわえる自由がありましょう。てなことまで考えて、意図的にオーブンソースで公開されているソフトウェアがあったら、それはそれでイヤかも。
メリットを考えろというコトか。 (スコア:1)
というか、件のページの目的は、「これからはなるべくオープンソースって言葉を使わないようにしよう」と思わせることに有るようにしか思えない。
それぞれにそれぞれのポリシーが有って、OSIの定義から外れたオープンソースもどきを作っているワケで、それをオープンソースの定義に合わせて変更しようと思うほうがおかしい。
期待されているのは、オープンソースもどきが「オープンソース」を名乗らないということだ。
「オープンソース」ブランドは魅力的だ。
少しは流行ったから、自分好みに改造してやろうとか、なにかサンプルはないか といった人間を比較的簡単に誘導できる。
でも、ブランドへの加入条件は厳しい。
ソースを利用する人間にもライセンス条項を理解し吟味することを要求させる。
コミュニティによるチェック機構もあるわけだ。
自分の5000行も無いようなコードを「オープンソース」にするには負担が重過ぎる。
コミュニティと喧嘩する気もない。
だから、
これからはオープンソースという言葉を使わないようにしよう。
# osdev-jはとりあえず「オープンソースもどきに修正して晒されるのを回避
よくわからない (スコア:2, すばらしい洞察)
ソースを公開していることを示すには「ソースを公開しています」と書くのが一番だと思うのですが、なぜわざわざ「オープンソースとします」なんて書きたくなるのでしょう?
ライセンス条項を理解し吟味したくないのでライセンスは使わないという一方で、オープンソースという言葉の内容については何も考えず使えるのはなぜなんでしょう?
>ソースを利用する人間にもライセンス条項を理解し吟味することを要求させる。
「オープンソースとします」だけ書いてあとは曖昧になっている場合、ソースの利用者に利用条件を確認するために作者に連絡を取ることを要求することになるのですが、どちらが大変ですか?
>自分の5000行も無いようなコードを「オープンソース」にするには負担が重過ぎる。
>コミュニティと喧嘩する気もない。
どんな負担がありますか?
なぜコミュニティと喧嘩する必要があるんですか?
Re:メリットを考えろというコトか。 (スコア:2)
(ライセンスに関する話は既に行われていますよね。
G7さんの「あなたは何も失わない」というのが
一つの答えだと思います)
某所に提出した申請文に書いた通りの事をやっている
と思うのですが、その osdev-j というのは何か反する
様な事をしていましたっけ?
まずいことをしていないのであれば、そもそも隠れよう
とする理由がわかりません。
指摘に対する対応や議論は可能だと思いますよ。
まずいことをしているのであれば、「もどき」を付け
れば回避できるというものではありません。
良い機会かと思いますので、ご検討を願います:)
#申請文書いた人より
Re:「オープンソース」に似ている物 (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:「オープンソース」に似ている物 (スコア:1, すばらしい洞察)
いや私もいいかげんな性格ですよ。
> 正と準かなんかに分けて、
> 厳密に満たした物を「正」、いくつかは当てはまらない所もある
> が大体満たしていれば「準オープンソース」って位でいいと思う
> んですが、
そう、だから、その「正」と「準」を切り分けようぜ、って目的で
登場したのが「オープンソース」定義なわけですよ。
あなたの言っている「正」は「オープンソース」。
あなたの言っている「順」は「(例えば)無料でダウンロードできますがオープンソースではないもの」, etc.
> きっとめちゃくちゃ反対されるんだろうなぁ…
主張の趣旨はわかりますが、残念、一段階勘違い。
Re:sourceforge(jp)のホスティング基準 (スコア:2, 参考になる)
商用ニュースサイトで利用禁止ってのが不味かったようです。
Re:なぜ今になって…… (スコア:2, 参考になる)
それはそれとして、もし仮にあなたの言うように「さまざまな意味で用いられている」用語としてオープンソースを認めたとすると、今「厳密な定義のオープンソース」に立脚しているすべての活動、すべての議論に深刻なダメージになるのですが、それはどうでもよいことなのですね。そんなことよりも自分勝手な定義を文句言われず使うことの方が大事なのですね。
オープンソースという言葉を(イメージだけ)利用しようとしている人たちは、結局自分の首を絞めているのだということを知るべきです。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:なぜ今になって…… (スコア:1, 参考になる)
とそのスジのコミュニティで訴えたら、「ビジネスのじゃますんな」
「空気読めよ」と露骨に嫌な顔されましたね。
しかし、いわばRubyを人質にとっている形で権力ないしは発言力を
保持することが可能なMatzさんなら、そのあたりを突破できるかも
しれません。
もっとも、オープンソースバブルはとうに弾けたから、突破すべき
残存兵力自体、すでに存在しないかもしれませんが。
Re:なぜ今になって…… (スコア:1)
では、どのような誤解なら容認すべきなんですか。
OSDの示唆する自由を保証することなしにいわゆる「オープンソース」の成功はありえないと思うのですが。厳密には不可能ではないが、非常に難しい、という意味で。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:なぜ今になって…… (スコア:1, 興味深い)
今回の件で経済省に「オープンソースを誤解してるから支援は受けん」と言っている人たちは、私からすれば「なんでそんなもったいないことを。。。」です。せっかく支援してくれるといっているのに。
誤解されることと、OSDの示唆する自由が保障されなくなることが、全てイコールではない、ということに気付くべきです。
Re:なぜ今になって…… (スコア:4, すばらしい洞察)
「オープンソースを誤解して、オープンソースでないものに支援をして オープンソースを支援している」と思ってほしくないとは思います。 それで産業がうまくいくのならまだ救いがありますが、それがオープンソース的に うまくまわすことができず、それをオープンソースのせいにされてはたまりません。 正しく理解してしかるべき支援が正しくおこなわれることを期待しています。
Re:なぜ今になって…… (スコア:1)
誤解しているなら誤解を解けばよいことだと思うのですが。
またあのリストに載っている文章を書いた人の多くは誤解していないんじゃないかと考えています。ただ、言葉の定義に必要以上に寛容だっただけなんじゃないかと。指摘するのはあれらの文章を読んだ人が誤解して欲しくないからです。
なお、私は経済省からの支援を受ける気満々です。
向こうが支援してくれるって言うなら。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:なぜ今になって…… (スコア:1)
オープンソースソフトウェアの代わりにオープンソフトウェアというような謎の単語を導入することはあるけど、それだってオープンソースでないものをオープンソースと呼ばないための苦肉の策のような気がするなあ。
ハッカーの代わりのスーパークリエータにはまた別の意図があったようだけど。
誤解、誤用が激しいのは官僚じゃなくてビジネス界の人たちだと思う。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:なぜ今になって…… (スコア:1)
我々(?)が望ましいと思う方向に世の中がついてきて欲しい、とは「期待」はするんだけど、
実際どうなるのかは、油断なく見(張っ)ていないとならない…んでしょうねきっと。
元々「OpenSource」という命名の一般語流用っぷりからして、
RMS的FreeSoftwareよりもやや「軟派」な路線を狙ってたんだと思うんだけど、
軟派なぶんだけ、FreeSoftwareより更に激しい曲解を招き易い構造的(?)弱点を抱えてるんじゃないかなあ。
悪貨が良貨を再帰的に駆逐する、という嫌な予感が、いつも心の隅から離れてくれないです。
何れにせよ、社会的に少数派というか弱体派になってしまえば、役所も(企業も)目を向けてはくれなくなるでしょうから。
重要なのはライセンスが明示されていること (スコア:2, すばらしい洞察)
#私個人は、自由な再配布を信じる陣営は「オープンソース」という「マーケティング用語」を既に失いつつあるのではないか、と思っています。
Re:なぜ今になって…… (スコア:1)
Re:私には (スコア:1)
自分も、オープンソースというのはソースコードを公開し、改変の自由を認めることだと(勝手に)思っていたし、例えば、SourceForgeも、そう言うソフトの開発を支援する場で、人々にきっちり定義づけられた「オープンソース」を強要する所だとは思ってなかった。
しかし、人を晒し者にするのは、物事を伝える上では効果的な手段で、その辺を考えてやっていることでしょうね。
で、オープンソースジャーナリズム [216.239.57.100]ってのは当然OSIに認定された「オープンソース」なジャーナリズムと。
(あまり、この話題を出すのは適当じゃないかもしれないけど)モルフィーのとよぞう氏が様々な資料に「GPL」と書きたくったのは、自らのプロジェクトを「オープンソース」なプロジェクトにするためだったのではないか。
「オープンソース」には限られた選択肢しかないのだから。
少なくとも自分は、 オープンソースにする というのを、コード(や文書)をライセンスやしがらみから自由にすることだと誤解していたらしい。
なぜ OSS でないものを OSS とみなすとまずいか (スコア:2, 参考になる)
改変者・二次配布者にあると考えています。なかでも一番
重要なのは、「原作者に連絡をとって意向を伺う必要がない」
というところにあると考えます。
何度も言及されていますが、ディストリビュータである
Debian project の DFSG から OSS が派生してきたのが、
このへんの背景にあるのだと認識しています。
# 自分も翻訳文書の公開にあたって原作者への連絡を
# 大量にしたことがあるので、このメリットが切実に
# 理解できます。
ですから、OSS ではないものが OSS に混ざっちゃってる
状態は、配布者がそれを選別しなければならない、という
点に置いて余分なコストを産んでしまうと考えます。
従って、広い心で「ソースが公開されている=オープン
ソース」を受け入れることは、ソフトウェアの自由な流通を
促進するという OSSの目的にとっては害であると思うのです。
…ということを踏まえて、自分のソフトウェアを OSS に
するかどうかは、もちろん原作者の意向次第です。蛇足ですが。
Re:なぜ OSS でないものを OSS とみなすとまずいか (スコア:2, すばらしい洞察)
言葉でなければ普及しなかったと思います。その点で、マーケティング
としての失敗と切り捨てるのは酷ではないかと私は思います。
「オープンソース」という言葉に positive な響きが出てくるように
なったので、理念を理解しないまま「自分のはオープンソースだ」と
言う人が増えてきた、それでは先に述べたように当初の目的に反する、
と言うのが現状だと自分は認識しています。
このへんで誤解のないラベリングを、というのも、最終的な妥協案と
しては止むを得ないのかな、とも思います。でも「オープンソース」
にせっかく良い意味がついてきたのに、それを放棄するのは戦略的に
もったいない。本来の意味を広報する努力を取ることの方が、スジは
良いと思います。うまくいくかはやってみないとわかりませんけど。
それはそれとして。本来の定義と異なる意味で「オープンソース」を
用いている人たちは、単純に調べてないだけなら言葉の誤用として
問題がある (「的を得る」とかと同レベル) と私は考えますし、もし
知っていて利用しているのなら、それは「捻じ曲げ・ただ乗り」で
あって、道徳的に非難されてもしょうがないんじゃないでしょうか。
個人的には「心が狭い」という意見には、逆ギレに近いみっともなさ
を感じます。
Re:やりかたについて (スコア:2)
「知る」行為の負担を下げる、というアイデア自体を
否定される必要はないと思います。