ブルース・ペレンス講演:オープン・ソース――民主主義のための構造基盤 79
オープン・ソースとはビジネスである。 部門より
yh 曰く、 "オープン・ソースの伝道師ブルース・ペレンス氏が来日し、6月19日、「VA Linux Business Forum 2003」において、"Open Source - Infrastructure for Democracy"と題する基調講演を行った。ペレンス氏は講演で、インターネットを民主主義を維持・促進する道具として捉え、それをもたらすオープン・ソースの重要性と、そのさらされる脅威について指摘した。さて、その講演原稿が公開され以下に有志で翻訳を行った。小見出しは適宜訳者がつけた。
なお、今回の翻訳も多くのひととの共同作業となりました。謝辞と付記を別に記します。"
オープン・ソース――民主主義のための構造基盤
(民主主義の道具としてのインターネット)
テロや疾病に立ち向かわねばならない世界では、ソフトウェアは時によってつまらない問題に見える。我々の市民的自由が危機にさらされている時、ソース・コードがどれほど重要であろうか? 人々が飢えている時、GNU一般公衆利用許諾契約書によって保護された権利が大切なのだろうか?
我々の複雑な社会におけるソフトウェアが持つ役割を理解するために、我々は、民主主義におけるマスコミの役割と、コンピュータのネットワーキングがマスコミの民主化に助力し、それによってより良くより民主的な社会を導く方法を探らなければならない。
民主的でない政府が9/11の暴力を誘発したことには驚くべきではない。むしろ驚くべきは、いま戦争に巻き込まれている、民主的といわれている国々で行われてきていた民主的手続きの失敗が露見したことだ。その中で最も明らかなのは、アメリカその他のマスメディアが彼らの義務である分析と批評を放棄していることだ。戦争が正当化されようがされまいが、テレビ・ネットワークの仕事は囃子立てることではなく、視聴者に思考を喚起させることである。もしマスメディアがその役目を果たしており、9/11以前のアメリカ人たちに、他の文化圏がアメリカ人をどう捉えているかを示すことができていたなら、事の成り行きは違っていたかもしれない。このことから我々はマスメディアの重要性を測ることができる。
国民と政府の対話は、マスコミを頼みにしている。東洋では本木昌造がもたらし、西洋ではグーテンベルグがもたらした活版印刷に立脚した廉価な大量印刷が出現するまでは、世界の限られた民主的議会はそれ自体がエリートだった。政治とは、裕福でコネがあり自らが定期的に政治を議論するゆとりがある人々の排他的な領域だった。印刷機が登場するまでは、報道や技術は通常は声によってやりとりされ、民衆は地平線の果てで何が起こっているのかほとんど知らなかった。一体どれだけの人々が自らの国の政治に参加出来ただろうか?
新聞は、放送メディアという第二世代のマスメディアに取って代わられた。第三世代は、もちろんインターネットである。多くの個人がすでにウェブを主要なニュース・ソースとして利用している。
その第二世代について話をしよう。放送メディアである。マスコミは民主主義の鍵であるが、今日のマスコミは、ラジオの周波数帯のような、政府が管理しているか裕福な少数の人々の事実上の財産となっている稀少で高価な資源に依存しているのだ。マスコミに対する彼らの支配によって、有権者に何が伝えられるかについて、その裕福な少数の人々には過剰な力が与えられている。有権者は、それが正確であろうがなかろうが、自分たちに与えられた情報に基づいて投票することになるだろう。
これが、我々がなぜウェブやインターネットに関心をもつべきなのかという理由である。ウェブは本木昌造やグーテンベルグ以来の、民主主義の最も重要な道具である。そしてこれが、ウェブと、それを可能にするソフトウェアがなぜいかなる真の民主主義によっても保護されるべき宝物であるかという理由なのである。
ウェブサイトを使えば、誰でも放送者になれる。唯一不足している資源は読者の注目であるが、当然ながら、ウェブの最も有名なサイトのいくつかは非常に小さなところから出発したのだ。もし我々の社会が将来において民主的なものになるなら、インターネット・ベースの議論こそ、民衆と政府の対話をもたらす主要な手段になるだろう。
(インターネットとオープン・ソース)
とはいえ、我々はインターネットを民主主義の媒介として維持できるであろうか? あるいは、これもまた裕福な少数の人々の財産となってしまうのだろうか? 一個人がこれから先、今日彼ができるように参加できるのだろうか? その地平線上にはいくつか暗雲があるようだ。独占は経済競争や民主主義の敵である。また、少数の独占者たちが今日よりもさらに広範囲に渡ってインターネットの支配力を得ることがありうる。民主主義と資本主義を守るために、我々は、インターネットの支配がそういった少数の手ではなく多数の手に残ることを確実にすべきだ。どんな企業もインターネットのソフトウェアや、インターネットの接続や、インターネットのコンテンツについて独占を手に入れるべきでない。これらの領域は、競争のために、平等な競争条件で維持される必要があるのだ。
今日のインターネットの一部である、あっさりと破壊されかねない我々の宝物について考えることにしよう。今日、簡単なウェブ・ツールを使えば、誰でも、自らの理想を共有する人々のコミュニティを世界中に見つけることができる。もうそこにはまともでない考えを持った孤立した人々などいないのだ。なぜなら、変わり者のすべては、インターネット上で彼と同じような変わり者を50人も見つけることができるからだ! そして50人の人々なら多くをやり遂げることができる! では、インターネット上で出会った変わり者を例に挙げよう。それは、自由なソフトウェア(Free Software)の開発者だ。1984年にリチャード・ストールマンが明かした彼らの野望は、世界規模のオペレーティング・システムとツールを作ることであった。余暇を利用し。ほとんど金をかけずに。賃金をもらわずに。
オペレーティング・システムはそれまでは大企業の分野であったのだが、そういった自由なソフトウェアの狂人たちが、余暇でやるとか、学校でやるとか、低い優先度の仕事としてやることを企てた。そして、彼らはそれを無償で誰にでもあげてしまい、無償でコピーすることを許可した。明らかに彼らに成功する望みはない。そうでしょう? しかし、その50人の変わり者は50,000人になった。そして彼らは世界を変えたのだ。なぜそんな変わった考えが成功を収めたのだろうか?
こうして広がったオープン・ソースの開発を実用的なものにしたのは、インターネットの力であった。インターネットは、日本のソフトウェア開発者がフランスやアフリカにいる他の開発者と密接に協力して共同開発を行うことを現実的なものにし、また非常に限られた資源しか持たない人々がそれらを結集して仕事を仕上げるのに十分な力を提供する。オープン・ソースの開発は、おそらく初期のインターネットで最適の仕事であったろう。プログラマはときにテキストによるコミュニケーションを非常に心地よく感じるものだから、情報の伝達には簡素なメーリング・リストを利用し、ファイルの交換にはFTPを使用していればそれでよかった。Webブラウザなどなくても満足だったのだ。けれども、彼らはそういうやり方にとどまることに満足しなかった。
ピクサーでは、スティーブ・ジョブズのオフィスは、私の部屋から廊下を歩いた先にあった。1999年、自由なソフトウェアにフル・タイムで取り組むためにそこを去る時、私はふらりとスティーブを訪ね、Linuxについて彼はどう思っているのかを尋ねた。スティーブはLinuxがモノになるとは考えていなかった。なぜなら、彼は、我々が申し分ないグラフィカル・ユーザ・インタフェースを作れるとは信じていなかったからである。
「私は3つの卓越したGUIのうちの2つで多くのことをしてきた」と、スティーブは言った。私は、彼がMacデスクトップとNeXTSTEPについて言っており、もうひとつはWindowsに違いないと推測した。そしてスティーブは続けて「どれひとつをとっても、それを作るには10億ドルかかる研究組織が必要だった」と言った。
スティーブは、優れたGUIを生み出すという難事業に自由なソフトウェアがふさわしいとは思っていなかった。また、自由なソフトウェア陣営の中でさえ、その疑念があった。それについての論争の結果、1つではなく2つの優れたGUIを作ることになった。4年後、スティーブ・ジョブズはMacWorldのステージに立ち、Macintoshのウェブ・ブラウザが、GPLライセンスのもとで、KDEのオープン・ソースのGUIプロジェクトが作ったブラウザを改変したものになると表明した。
(オープン・ソースのパラダイム)
というわけで、我々はオープン・ソースが型にはまらないアイデアを実現するのには驚くほど効果的でありうることを知っている。でも、その奇妙な経済学についてはどうだろう? オープン・ソースの風変わりな経済学的パラダイムが、その成功に不可欠だったわけだ。たくさんの企業がマイクロソフトに競争を挑み、ほとんどが敗れてきた。しかし今日、GNU/Linuxがワシントン州レドモンドでは第一の敵なのだ。なぜ自由なソフトウェアは、IBM、サン、アップルが競争力のある自前のオペレーティング・システムをもってしても成し遂げられなかったことに成功してきたのだろうか? 他の競争者と異なり、我々はマイクロソフトの設定した条件でマイクロソフトと競おうというわけではないのだ。我々の経済学的パラダイムにおける、協同作業と顧客をより重視するという相違点が、成功の理由なのだ。
だが、オープン・ソースとは、誰もが利益を放棄し、絞り染めのシャツを着て、共同体の生活を営むだけということを意味するのだろうか? それは違う。オープン・ソースとはビジネスである。そうでなければ誰しも考えてしまうであろうものにソフトウェアの対価が支払われるというのは、人々が誤解をしたときのみの話である。
オープン・ソースの経済学を考えるときに多くの人々が忘れがちな、その鍵となる洞察は、ほとんど全ての会社はソフトウェアのユーザ側であり、多くの会社では自分たちの使用のためにカスタマイズされたソフトウェアを外注するか内製するかしているのであって、ごく少数の会社だけがソフトウェア販売をビジネスにしているということなのだ。ほとんどの会社は他の種類のビジネスを促進するためにソフトウェアを使っているのだ――例えば本を売るとか。書店にとっては、ほとんどのソフトウェアは差別化されない原価中心点。つまり、そのビジネスをライバルと比べて良くするわけでも悪くするわけでもないインフラに必要な部品であるのだ。ライバルも同じ問題を解決する必要があるのだから。
例えば、私がピクサーに勤めていたときのこと、我々のビジネスは映画を作ることだったが、我々は、映画製作のためのソフトウェアを使い、そして自作していた。『トイ・ストーリー』や『バグズ・ライフ』のクレジットには私の名前があり、アウトテイクが終わったすぐ後にスクリーンに出てくる。
これらの映画を作るために我々はたくさんのソフトウェアを作った。そのうちいくつかはピクサーの製品を他と差別化するものだった。アニメーションやレンダリングなどのソフトウェアだ。会社はそういうソフトウェアを自分たちの手元にとどめておき、高い値段で売ったが、それは当然のことだ。そういう種類のソフトウェアは、それを作る会社を差別化するものだから、プロプライエタリであり続けるべきだ。ピクサーのケースでは、そのソフトウェアが映画製作を可能とし、映画に独特の表情を与えたのだ。
それから、ピクサーで我々が作ったソフトウェアのいくつか、私が書いたメモリ配置デバッガ"Electric Fence"のようなものは、仕事の役には立ったが、会社を差別化しなかった。このソフトウェアは、デバッグするのが難しい問題を扱い、即座にそれを発見できるというものだった。そこで、1989年、私はElectric Fenceのソース・コードをオープン・ソースとしてUsenetで公開した。私はそのドキュメントを全ては書かなかった。不精者だったからだし、いずれにせよ私の仕事ではなかったからだ。でも次の日、全く知らない人がElectric Fenceの完全なドキュメントを私にメールで送ってよこした。その人は私のプログラムを自分の会社に導入したかったのだが、そのためにドキュメントが必要だったのだ。直ちに、私もそのドキュメントをピクサーで使うことができ、より多くの同僚が私のプログラムを理解し、効率的に使えるようになったというわけだ。つまり、私のソース・コードを分かちあうことで、私の会社は使えるドキュメントを無償で手に入れたというわけだ。
同様のやり方で、ウェブを使う必要があった企業や組織に勤めるプログラマたちがApacheウェブ・サーバを生み出した。共同開発者たちはそれぞれ、持ち帰りの宿題をネットに掲示するためだとか本を売るためだとか何にせよ、自分の雇用者や自分自身のビジネスを達成するという目的を持っていた。これらの人々の多くは給料生活者だったが、ソフトウェアを売ることを一番のビジネスにしている者はほとんどいなかった。共同作業によって、彼らはウェブで優位に立つサーバを作ったのだ。
このように、企業というものは、自分が必要とするソフトウェアに金を払うものなのだ。それがオープン・ソースであるかプロプライエタリであるかに関わらず。彼らがオープン・ソースの製作に金を出すのなら、彼らは、同じプロジェクトに興味を示している他の企業と開発費用を分担するということになる。これにより、お金あるいはリスクを負担しすぎるということは誰一人としてないわけだ。
(オープン・ソースの3つの長所)
彼らがオープン・ソースを開発しようというのではなく、プロプライエタリなソフトウェアを購入しようということになると、そうはうまくは機能しない。プロプライエタリなソフトウェアは、3つの点でしばしば引けを取るのが明らかになるのだ。つまり、コントロール、可視性、費用対効果である。
コントロールに関して。あなたの必要とする機能を盛り込むよう、大きなソフトウェア会社を説得しなければならないと想像してほしい。あなたは、そのマーケティング部門に、十分な数の消費者がそれを望むであろうと説得しなければならないのだろうか? 一般に、オープン・ソースにならもっともっとコントロールを手に入れることができるのだ。というのも、自分の出費で改変を加えることができるし、それをメインのコード・ツリーに採り入れるよう承認してもらえるからだ。あなたがたの勤めているような企業が、あなたが必要になるであろうものの一部にすでに寄与しているということにしばしば気づくことになるだろう。
可視性に関して。1995年、マイクロソフトは、マーケットでUnixを葬り去るようなエンタープライズ品質のNTシステムをマイクロソフトが間もなく手に入れることになるだろうと、ヒューレット・パッカード(HP)社に伝えた。HPの副社長は、それに反応して、HP独自のUnixシステムの開発を重視はしないことにした。もし、マイクロソフトがそんなものを現在手に入れていると言えるのであれば、なるほど、彼らは、エンタープライズ品質のNTをかれこれ8年もリリースせずにいたことになる。HPは、科学向けのワークステーションのマーケットの大部分を1995年のその決断の時までは掴んでいたのだ。マイクロソフトNTのリリースの日を信じ、自社のUnixシステムを他のブランドに遅れをとらせるという決断により、彼らのワークステーションのマーケットをサン・マイクロシステムズに明け渡してしまうことになった。また、それはHPの最近の財政問題を引き起こす根本的原因となった。HPの問題は、NTの開発の日々に可視性を持たなかったことであり、その見通しを的確に評価することができなかったことなのである。
対照的に、自由なソフトウェアの開発になら、企業はもっともっと高い可視性を持つのである。ほとんどのオープン・ソースのプロジェクトでは匿名での参照が可能なソース・コードのコントロール・システムを持ち合わせている。あなたは最新の開発状況を評価できるし、自分で予測を立てることもできるのだ。あるオープン・ソースのプロジェクトの何らかの側面が遅れていると企業が感じたなら、自社の開発者をそのプロジェクトに送り込み、自分が心配する特定の問題を解決することができるのである。とはいえ、その開発全体の責任を担う必要はないのである。
3点目は、費用対効果。小売ソフトウェアの場合、自分がソフトウェアに払ったお金はどのくらいかを考えてみていただきたい。つまり、そのうちいく分かは、広告や、パッケージのデザインや、小売店の棚のスペースの対価や、その他諸々、小売ソフトウェアのベンダのビジネスには重要だがソフトウェア開発にはそうではないことに費やされているのだ。 つまり、実のところは、おそらくいつも100円のうち10円がソフトウェア開発に支払われるわけだ。対照的に、オープン・ソースの開発にお金を出すなら、お金の大部分がソフトウェア開発に流れることになるのだ。
このようにして節約したお金で何をすればいいのだろうか? そのお金は経済から姿を消すわけではない。それは、自分にとって重要な何かにつぎ込めばいいのだ。自分のビジネスの宣伝に、あるいは自社製品のパッケージのデザインに、あるいは損益計算書に盛り込むことに、そのお金をつぎ込むかもしれない。いずれにしても、同じ税金を支払うわけであり、経済と教育を支えることになるのであるが、他方よりも(※オープン・ソースの)ソフトウェアにお金を費やした方がもっと多く資することになる方法のひとつなのである。
では、オープン・ソース・カーを作り、オープン・ソース・フードを食べればいいのか? 誰かが『スター・トレック』のレプリケータという、物体用の複製装置を発明するまではそれは無理だ。それがソフトウェアと他の製品との決定的な違いだ。一膳のごはんをコピーするには、土と、水と、日光と、そして労働が必要だ。だが、ソフトウェア・プログラムをコピーするのはもっとずっと手間がかからない。だから、経済学の用語で言うと、オープン・ソースとは、「非競合的公共財」であるのだ。誰かがそれを使っても、そのことで同じものを使う他者が害されることはない。一般的に、非競合的公共財は、経済に建設的に寄与するものだ。たまたまプロプライエタリなソフトウェアのような私的財を生み出して、公共財と突然に競合するようになった個人に対しては違うけれども。そして、ソフトウェアと同じような経済学的な構造をもっている製品が他にもある。例えば、VLSIのハードウェアデザインに関しては今や大きなオープン・ソースのコミュニティ[opencores.org]が存在する。
インターネットにおける個人と企業の協働的かつ民主的な手法による産物である、オープン・ソースと呼ばれる巨大な変化がここにある。そして、インターネットを生み出すのに助力したまさにそのソフトウェアにインターネット自身が依存していることは、ほとんど驚くにあたらない。インターネットの基礎をなすDNS、Apacheウェブ・サーバ、そしてオペレーティング・システムは、オープン・ソースなのである。
(オープン・ソースへの4つの脅威)
しかし、地平線上には暗雲が見える。ウェブ・ブラウザについては既に独占に近い状況が存在する。多くのサイトで、95%の訪問者がマイクロソフトのInternet Explorerを使っていると報告されているのだ。電気通信においても、多くの政府ではインターネット接続について地理的に広大なエリア内で家庭用も商業用も一企業だけに独占を認可しているため、独占が生じている。電話会社については、インターネット接続の場合ほど深刻な問題ではない。なぜなら、電話会社はあなたの通話内容に支配を及ぼさないからだ。「パラジウム」とか「信頼できるコンピューティング」と呼ばれる技術的挑戦が、コンピュータ・ユーザから遠く離れた場所からコンピュータを支配しようと脅威になっている。そしてソフトウェア特許のような立法府の挑戦は、特許技術が業界標準として採り入れた際に特許ライセンスを手に入れることができない者に対する相互運用性を否定し、ことをずいぶん悪くするのである。
これらの要素は、インターネットの民主主義に対する挑戦であり、またオープン・ソースのソフトウェアに対する挑戦でもあるのだ。
Internet Explorer(IE)の話から始めよう。今や多くの商用サイトは、IEのみに向けて作られている。それらは、そうではなくて業界標準に合わせて作られるべきなのだ。IE以外のブラウザのユーザは、ネット・バンキングや、ネット・ショッピングや、ビジネスへのアクセス、さらには自分たちの政府とのウェブ上のコミュニケーションすら拒否されているのだ。政府が力を貸せるひとつの方法は、政府のサイトは、ある一種類のブラウザだけにではなく、オープンなウェブのスタンダードに則って書くように拘ることだ。
電気通信に関して。私の住んでいるカリフォルニアでは「複占」が現在生じている。インターネット・サービスは、電話会社かケーブル・テレビ会社から得られる。ケーブル会社のサービスではビジネス向きではないけれども。以前は、複数の企業が電話回線を使用することが許可されていたが、今では一社にまで減っている。その会社は、インターネットへのアクセスを拒否することができるわけだし、さらに利用者契約によりコンテンツの制限をすることができるわけだ。そんな状況に手を差し延べる方法のひとつは、スペクトラム拡散無線を使って各家庭へインターネットを提供するワイヤレス「メッシュ」ネットワークの普及を働きかけることだ。有線のインターネット接続を局所的に提供する小さなベンダのネットワークを協調して運用すれば、インターネット接続をコントロールしてしまうただ1社の企業など使わないでいることも可能なはずだ。
もしユーザがそういった技術的な挑戦を受け容れてしまえば、それはもっとも深刻なものになるかもしれない。それは、「パラジウム」とか「信頼できるシステム」とか言われるものだ。「信頼できるシステム」においては、信頼されていない主体がそのコンピュータの所有者ないしユーザとなる。それらのシステムには、そのユーザの行動を制限すべく意図されたハードウェアとソフトウェアが含まれるのである。
「信頼できるシステム」を組み込んだコンピュータは、ユーザがソフトウェアの改変をするのを妨ぐべく作られるようになるだろう。信頼されたシステムを組み込んだウェブ・サーバは、ある種の当局によって承認されているソフトウェアからの接続だけしか承認しないようになるだろう。――そして、そのソフトウェアを1バイト改変したとしたら、あなたは自動的にその資格を失うことになるのである。これを強いるために暗号メカニズムが用いられる。ウェブにアクセスするため、またはコンピュータでプログラムを実行するためにさえ要求される暗号鍵は、認証された者にだけ与えられる。そのコンピュータのハードウェアは、改変をチェックし、それが起こったときには特権を剥奪するように作られるのである。
パラジウムと信頼できるシステムはオープン・ソースのソフトウェアに明らかに著しく敵対的なものだ――あまりに敵対的で我々を切り捨てるように設計されているほどだ。オープン・ソースは、人々がソフトウェアを改変でき、そのソフトを使ったネットワーク・コマースに参画できるということを頼みにしている。これに応えて、「信頼できるシステム」の作り手たちは、システムを好かないものは誰でもその信頼機能をオフにしてしまうことができると言っている。彼らが言及していないのは、その信頼機能がオンにされたサイトは、それをオフにしてある者とはやりとりすることはないということだ。つまり、パラジウムはオープン・ソースと認証拒否されたソフトウェアからなる通信途絶した孤島を作り出すように設計されているのだ。
信頼できるシステムやパラジウムには魅力的で有益な機能がある。我々が今日にも手にしていないウェブ・コマースやデータ・セキュリティを形にするかもしれないのだ。しかし、その悪影響は十分で、その技術を採り入れるには極めて慎重にならなければならないのだ。
DRM――デジタル著作権管理システム――は似たような技術であり、これもまた我々に問題を呈する。オープン・ソースのDVDプレイヤー・ソフトウェアがあるが、このソフトウェアは多くの国で非合法だ。自分のLinuxのラップトップPCでDVDを再生するためにそのソフトウェアを使いたいだけの我々のような者たちにとっては残念なことである。DVDディスクにコピー・プロテクションを設けている企業は、それを実装させるライセンスを我々に許可しようとしない。というのも、オープン・ソースのプレーヤー・プログラムが、保護されないかたちのDVDのコピーを作成できるように改変されてしまうのを彼らは恐れているからだ。DMCA――デジタル・ミレニアム著作権法――は、我々のソフトウェアを非合法とするアメリカの法律である。この法律は度が過ぎている。ソフトウェアの合法的な利用――たとえば自分のコンピュータ用に買ったディスクを再生するとか――を処罰するよりも、法の執行は違法コピーを行う者に対してのみ向けられるべきだ。我々にとってのDMCAとDRMの問題点は、これらがオープン・ソースのソフトウェアをメディアへのアクセスから締め出すということと、それゆえにオープン・ソースを使う魅力が減じられてしまうということだ。もし、オープン・ソースに用いるのが合法的でないアプリケーションばかりになったら、そんなものは何にも使えなくなってしまう。
ソフトウェア特許もまた甚だしい脅威だ。オープン・ソースの開発者は一般にソフトウェアの売上から収入を得ているわけではないから、法廷で自らを弁護するだけの資金を用意してはいない。ソフトウェアを作るというまさにその行為が、大きな法的責任をもたらしてしまうのであるのだとすれば、彼らがオープン・ソースを創り上げるということができなくなってしまうのだ。
これは、ソフトウェア特許が合法となっている地域においては深刻な問題である。というのも、特許権者が、特許侵害で言いがかり訴訟や根拠のない訴訟を起こすことがありうるからだ。特許侵害訴訟で自分自身を弁護するには100万米ドルにものぼる費用がかかる。オープン・ソースの開発者の大部分は、法廷では1日ともたないだろう。そして、その裁判の請求の実体に関わらずに、出訴者と和解をすることを求められるだろう。言いがかり訴訟の起こる可能性は非常に高い。なぜなら、ソフトウェア特許というものは一般に、できるだけ広汎に適用できるように意図的にあいまいに書かれているからだ。アメリカにおいては、多くのソフトウェア特許が過去に他人が発明したものに与えられている。特許審査官には、過去の技術を調べるのに十分な時間が与えられていないのだ。アメリカにおいては、彼らは、申請書をひとつ審査するのにたった2~3時間しかかけないのである。そして、特許を却下した数ではなくて承認した数によって給与が決まってくるのだ。よって、アメリカでは質の低い特許が非常にたくさん生じるはめになる。そして、我々は、特許庁ではなく法廷でそれらが妥当であるか否かを判断することになるのだ。
標準化団体が特許技術を業界標準に採り入れると、特許をめぐる状況はさらにひどいことになる。一度そうなってしまうと、特許ライセンスを獲得できなかった者はすべて、そのスタンダードを用いている他のシステムとの相互運用が許されなくなる。それに応えて、標準化団体の中には「妥当かつ非差別的な」(RAND)特許ライセンスと呼ばれるものに決めるところもある。だが、「妥当」には十分な定義がないのだ。ウェブ・クリックは、ケーブル・コネクタからソフトウェア・プロトコルまで、30の別個なスタンダードに立脚している。それらスタンダードのそれぞれが1個1個の特許を持ち、なおかつそれぞれの特許が3%の特許使用料を要求したなら、中小企業はそのスタンダードから締め出されるだろう。相互に特許のクロス・ライセンスを行い、それによって互いの特許使用料を支払わないですませられる巨大企業だけが、そのスタンダードの導入が可能となるのである。
そしてオープン・ソースでは、RANDライセンスの特許をまったく導入することができないだろう。我々は自分たちのソフトウェアに特許使用料を課したりしていないから、我々は特許使用料など払えないのだ。オープン・ソースの開発者が導入できるようにするには、業界標準に採り込まれた特許はどんなものでも、そのスタンダードを採り込むのなら特許使用料を無料とするライセンスも用意しなければならない。そうしたとしても、特許権者は、そのスタンダードの導入以外のその特許の利用方法から特許使用料を得ることが可能なのである。
これらが我々が直面している難関だ。もし、我々がこれら4つの起こりうる事象を切り抜けることができたら、民主主義を維持し促進することが、そして世界をオープン・ソースにとって危険のない場所にすることができるかもしれない。
(プロプライエタリの支配から逃れるには)
さて、企業や政府の調達者が今日直面している「購入中毒モデル」と呼ばれる問題について話そう。これはマイクロソフトがマーケット全体を占拠したのと同じ手法である。この中毒モデルにおいては、当初は、ある製品がゼロか低いコストで導入される。――たとえば、オペレーティング・システムが付属している無料のアクセサリなどとしてもたらされる。マイクロソフトにはこれをやるだけの余裕がある。なぜなら、彼らは、ソフトウェアのアップデートで今後数年も儲けられることが分かっているからだ。その製品は意図的に他の似たような製品とは互換性を持たないようになっており、また、アップデートの度に過去の全バージョンとも互換性を持たないように変更してしまうため、その中毒の部分が生じてくる。ここに、多くのオフィスで直面している例がある。あるオフィスで、マイクロソフトのWordのバージョンをアップグレードした。すると、他のオフィスでもそのオフィスで作成されたファイルを読めるようにしたいなら同様にWordのアップグレードをしなければならなくなるのだ。マイクロソフトはこのやり方で効果的にマーケットを押し進んできているのだ。
中毒モデルのベンダは、スタンダードなものではなく互換性のないファイル・フォーマットや互換性のない相互通信プロトコルを用い、そして、自社製サーバと機能する自社ブランドのクライアントの購入を強いるのだ。たとえば、Outlookクライアントを利用するなら、Exchangeメール・サーバもインストールしなければならないことになる。Exchangeからオープンな何かにサーバを替えたいと思ったら、すべてのPCのOutlookのクライアントを替えなければならない。もしPCが80,000あるなら、サーバをひとつ替えることは、それらすべてのデスクトップを変更することを意味する。これは、あまりに高くつきすぎてやろうとしてもできない。
中毒モデルのベンダから購入することの帰結は、実質的にそのベンダのソフトウェアだけですべてを動かすということになる。なぜなら、その他はどんな方法でも困難すぎるからだ。そのベンダがあなたを中毒にさせたら、彼らは自分らが望むものに課すことができてしまう。そして、サービスやソフトウェアの品質は、彼らのいいように劣悪なものとなってしまうのだ。あなたにとって、自分が使い続けているブランドを替えるのは非常に高くついて、できることではないだろう。もちろん、人為的に高い価格がついたことの効果は、企業の利潤をより少なく、そして税金をより高くする。なぜなら、政府のユーザは彼らのソフトウェアに多すぎる金額を費やしているのだから。
というわけで、今や、あなたは中毒になっているのだ。どうやったらそれを克服できるだろうか? 自分自身の購入ポリシーをたてれば、できるのだ。第一に、より短気の節約よりもより長期のそれの方がもっと重要だということを、ポリシーにおいて認識しなければいけない。そうでなければ、マイクロソフトの大幅なディスカウントを使う気にさせられて、釣りあげられてしまうことになるだろう。それを一度理解したなら、長期的なコスト削減に資する簡単なポリシーを採り入れればいい。
あなたの購入する製品のファイル・フォーマットと相互通信プロトコルについてドキュメントを公にするように、そしてライバルのすべてが特許使用料や差別的ライセンスなしで採り入れられるように、と要求をしよう。それらは公式なスタンダードである必要はない。ただ、公開されていて権利が利用できる必要があるだけである。それで、相互運用性のあるサーバとクライアントを別々のメーカから購入できるようになる。サーバを替える際に、80,000ものクライアントを替える必要などなくなる。そして、資本主義があるべき姿で機能するときに得られる、低価格・高品質をもたらす競争市場が実現するのだ。
でも、もしベンダ自身の差別化が許されないのなら、彼らはどうやって利潤を得ることになるだろうか。それは問題などでないのだ。なぜなら、彼らのソフトウェアを独特にするのが、ファイル・フォーマットや相互通信プロトコルにおいてであることはほとんどないのだから。ソフトウェアを独特にするのは、設計においてであり、プログラムのロジックにおいてであり、そして、ユーザ・インタフェイスにおいてなのである。思い出してほしい。我々はそういったベンダにオープン・ソースになってほしいと提案しているわけではないのだ。我々は、オープンなファイル・フォーマットと相互通信を要求するという提案をしているだけなのだ。しかしながら、自分たちのソフトウェアの長所で公正に競争できない者たちはそれで面倒なことになる。――というのも、彼らは、あなたを取り込む権利を失うわけだから。
それでは、私たちが公正なマーケットを実現を成し遂げ、そこでオープン・ソースとプロプライエタリのソフトウェアがそれぞれの長所をもとに競争できると想像してほしい。ソフトウェアの購入者が、ひとつはオープン・ソースでひとつはプロプライエタリの、そのふたつの機能的に同等のプログラムからの選択を迫られているとする。両方のプログラムとも同じことを行い、それぞれが、もう一方と同じように機能するのだ。このふたつのプログラムは長所において同等なものだろうか? いや全く違う。これらを考えてみてほしい:
- 一方の製品は自由に再配布できるが、もう一方はどのユーザも支払いを必要とする。
- 一方は好きなように修正できるが、もう一方はベンダを説得できたときだけ。
- 一方はサービス・ベンダの選択を与えるが、もう一方のサービスは独占されている。
- 一方はベンダが潰れても長らえるが、もう一方はもうメンテがなされなくなるかもしれない。
- 一方はセキュリティ問題のために監査ができるが、もう一方は不透明だ。
Translator note (スコア:5, 参考になる)
# この訳文は、Silphireさんとumqさんに頂戴しました。
Re:Translator note (スコア:2, 参考になる)
一方、Free Software 陣営の人たちは、実際にモノが一緒であっても、そこに込められた思想が違い、それが重要なポイントなのだという考え方です。
つまり、Open Source と Free Software はモノは一緒で思想が違う。そして、Open Source 側の立場から見るとモノが一緒だから一緒だろう、Free Software 側の立場から見ると思想が違うのだから違うのだ、ということです。
Bruce さんは、良く知られているように、Open Source運動を立ち上げたひとりですから、前者のような考えを明確に持っているのは自然だと思います。
Re:Translator note (スコア:1)
中毒~ (スコア:2, 参考になる)
誰が吹き込んでんだか知らないけど、こんな思想が中毒構造を
バッチリサポートしているわけで。
で、それにシンクロしてるかのように旧OSを見捨てて中毒構造に
加担するようなソフトが目立つようになってきたんです。
M$製なら当然の戦略なので目をつぶるとしても、サードパーティが
やらかしてくるんですよ。DirectX8.1以上必須(Win95不可)とか。
別に8.0でもいいやん。Win95不可って言いたいだけちゃうんかと。
Win95使ってる人は、このためだけにOSを買い換えるきっかけが
発生するんですよね。逆に見捨てられる可能性もある諸刃の剣ですが。
# IEのバージョンを上げなきゃ動かない某S社のセキュリティソフトもアレ
--
Ath'r'onならfloatあたりに自信が持てます
Re:中毒~ (スコア:1)
DirectX8.1に関しては「8.0がMS側のバグがあるらしいので」ってことで許してください。
7.0じゃなくて8.0以降をお願いするのも「8.0でコーディングが楽になったので」
ってことで許してください。
次は9.0以降に限定するでしょうが「9.0以降の機能を試したくって9.0のSDK入れてしまったので」ってことで許してください。
DirectXはフリーで配布されてるので勘弁してください。
Win95に関してはもう8年も経過してるので許してください。
ネタでもあおりでもないです。切実に。
そんな私もWindowsMediaPlayer9がインストール出来なくて泣き寝入りです。
Aurealのサウンドカードを気に入ってて・・・
オフトピすみません。
Re:中毒~(off topic) (スコア:1)
#そりゃ各バージョンすべてで同じ動作をすればほとんど問題ないですが、実際には…。
選べ,選べ,選べ。それはお前自身の選択の結果なのか (スコア:2, すばらしい洞察)
選択と最適化を全ての根幹に。究極の市場原理と言える。かも。
あらかじめ用意された選択肢だけ眺めるのではなく、自分で選択肢を考えろ。とも取れる。
購入(導入)するために「考える」ってことは、短期的には実は一番コストがかかる行為だけど、反面最も楽しいフェイズ。
車とか。
オーディオ機器を買い換える時とか。
今日は肉にするか魚にするかとか。
○○に投票するか△△に投票するかとか。(実は投票って楽しいと思うんだけど)
是非とも考えて悩んでいきたい。
自分は、周囲に何かを強要するってのは苦手だけど、考えることだけは強要してもいいと思う。
それが大好きな友人であれ、大嫌いな上司であれ。
Re:選べ,選べ,選べ。それはお前自身の選択の結果な (スコア:1)
自分自身が考えなくなることは、今のところ考えられないけれど。
広告費 (スコア:1)
広告費とかって、TVだとCMで番組制作と放送する費用がまかなわれている。
そして、ただで見れるよな。
雑誌もそれで印刷費用とかのかなりの部分がまかなわれている。
広告も目当てに雑誌買っている奴もいるよな。
小売店を使う流通システムを使えば当然その費用は商品価格の上昇に直結するが、使わないでメーカーが直接売る方法も昔からある。
小売店の棚からしか選ばない人もいるし、小売店の情報を信頼している人もいる。メーカーは売りたいがために良い事しか言わないからな。
そういった広告費てきな側面を考慮していないのかな?
それと、宣伝とか一切しなければ易くなるが、存在や出来のよさは他者に認識されない。
使ってみなければ出来の良さは分からないが、これが先行逃げ切りの定番ソフト社会を作っている。
宣伝しなければこれはより強くなるよな。
口コミで広がるかも知れないが、結局は誰かが使わなければ口コミでの広がりもない。
悪い物は売れないが、良い物だからといって売れるわけじゃないよな。知らん物は買わんし買えない。
誰かに流通経路を強制されているわけじゃない。
広告費とかってより売れるようにするための手段だよな。
費用対効果の問題だと思うけど。
Re:広告費 (スコア:1)
ですね。というか、むりやりここにぶら下げます。
サーバー分野で強いLinux陣営。
デスクトップで強いWindows陣営。
オープンソースとかは関係ないかもしれませんがこれが全てでしょう。
ユーザーはそんなにバカじゃないですよ。見極めて使ってます。
ここ/.(J)ではOSもしくはソフトの話ばっかりですけど
CPUだってやりあってますよね。
スパコン、サーバー、ワークステーション、デスクトップ、モバイル等々。
私はパソコンを使う理由の中で「ゲーム」も重きを占めてるので
Win+(インテルorAMD)ははずせません。(今はAMDですが)
でも、仕事ではWinもLinuxも使ってるので「ケンカしないで!」的中立です。
Re:広告費 (スコア:1)
> よな。知らん物は買わんし買えない。
うーむ、一面的じゃないでしょうか?悪い物でも売れてるものはあるでしょ。悪い物でもそれしか知らなければ、それを使わざるを得ないわけだし。
ま、マーケティングする側から言わせれば、売れるものが良いものなんでしょうけど、そういう話じゃないですよね。
Re:広告費 (スコア:1)
まぁ、一面的ではあるが、それしか知らなければ「悪い物」と定義されない気がする。
使っている本人が「良い」と思っていれば、外野が「悪い」と言ったところで無意味だと思う。
Re:広告費 (スコア:1)
そうですね。知っているものの中から一番いいものを選ぶでしょう、普通は。
#そう簡単にも言い切れるものではないが。
> 使っている本人が「良い」と思っていれば、外野が「悪い」と
> 言ったところで無意味だと思う。
そうですか?「そっちも良いかも知れないけど、こっちにもっと良いものがあるよ」(意訳:そんな腐ったもん使うなよ)と教えてあげることは無意味でしょうか?
Re:広告費 (スコア:1)
そりゃそうだけどさ。
買ったときに悪い物か否かでは?
「買った物が悪い」のと、「悪いものは売れない(悪い物は買わない)」とは意味は違う。
「悪い物は買わされる」事あるが、それが売れるとは思えないけど....
Re:広告費 (スコア:1)
つまり、「使っている本人が『良い』と思っていれば、外野が『悪い』と言ったところで無意味」ではないのですね?
> 買ったときに悪い物か否かでは?
何がでしょう?主語が不明です。
> 「買った物が悪い」のと、「悪いものは売れない(悪い物は買わ
> ない)」とは意味は違う。
そんなことはどうでも良くて、結論として、「悪いものは売れない」は偽ですね。たとえ、知っている範囲で「悪い物は買わない」が真だとしても。
> 「悪い物は買わされる」事あるが、それが売れるとは思えない
> けど....
理想論ではそうですが、現実とは違います。「悪い物を買わされる」状況が慢性化すれば、「悪い物が売れる」ことになりますね。公正取引委員会が存在する理由、なんだと思われてますか?
Re:広告費 (スコア:1)
良い物の存在を知らなければ買わないし買えない。
悪い物であっても存在を知らなければ買わないし買えない。
良い物と思っていれば買う事はあるが、買う選択肢に入るだけであり、他のより良い物を選択することもある。
悪い物を思っていて買う事は無い。
悪い物を良い物と思っていたとする。でも誰が悪い物と定義するのですか?するべきなのですか?
公取をどういう意味で出したのかが良くわからんが、独占で悪い物しか市場に無いと言う意味ならば、良い物と悪い物の話だからこれらの比較の話では?
出来の悪い物でも、営業努力で売ることは可能だよね。でも買い手が出来が良い物と思っていれば良いんじゃないの?
Re:広告費 (スコア:1)
そーですか?悪いものだけど、現状ではこれしか手に入らないから買うって事はないんですか?あるいは、それを使うことを強制されるので買うということはないんですか?
> 悪い物を良い物と思っていたとする。でも誰が悪い物と定義する
> のですか?するべきなのですか?
「良い」の定義は人それぞれ。でも、知らなければ正しい判断はできないのだから、自分がより良い物と思うものを教えてあげるのは無益ではありません。違いますか?
> 公取をどういう意味で出したのかが良くわからんが、
考えてみてください。公正な取引を実現するための組織です。公正な取引とは何か?良い物が悪い物より売れる、というのが公正な取引です。一見当たり前の状態に思えますが、実際にはこの状態は必ずしも実現されません。だから、公正取引委員会が必要になります。つまり、悪い物でも、良い物より売れる状態を作れる、ということです。
> 出来の悪い物でも、営業努力で売ることは可能だよね。
正当な営業努力ならそれもありですね。
> 買い手が出来が良い物と思っていれば良いんじゃないの?
だったら公正取引委員会は要らないという事になります。でも、世の中では必要とされています。世の中の認識とchanbabaさんの認識のズレはどこから来るのでしょうか?
Re:広告費 (スコア:1)
「悪い物」と言って強制したの?
それは禁止されているので起きないのでは?起きたとしても、それって逆に犯罪がまかり通っている社会でなければ起きないはず。
取引先に強制されたとしても、しぶしぶでもせめて「悪い物ではない」と判断しなければ、自分の会社に対して背任的な行為になるのでは?
本心かどうかは兎も角「良い物」と言って薦められたのでは?
>「良い」の定義は人それぞれ。でも、知らなければ正しい判断はできないのだから、自分がより良い物と思うものを教えてあげるのは無益ではありません。違いますか?
誰一人「無益」と言っている人はいないのでは?
>> 公取をどういう意味で出したのかが良くわからんが、
>
>考えてみてください。公正な取引を実現するための組織です。公正な取引とは何か?良い物が悪い物より売れる、というのが公正な取引です。一見当たり前の状態に思えますが、実際にはこの状態は必ずしも実現されません。だから、公正取引委員会が必要になります。つまり、悪い物でも、良い物より売れる状態を作れる、ということです。
どの法律を基に述べているのか分かりませんが、不公正な取引「方法」の禁止とかは公正取引委員会の仕事だけど、良い物が悪いものより売れることを公正な取引と定義して、それを目指して活動しているとは少しも思えません。
>> 買い手が出来が良い物と思っていれば良いんじゃないの?
>
>だったら公正取引委員会は要らないという事になります。でも、世の中では必要とされています。世の中の認識とchanbabaさんの認識のズレはどこから来るのでしょうか?
公取は、不公正な取引「方法」を禁止することで公正な取引や社会を作るのが目的で、良い物が悪い物より売れることを「公正な取引」と定義していないはずです。
というか、不公正な取引方法を定義し禁止しているのでは?
悪い物でも売れる例外はあるとは思うが、「公正な取引とは何か?良い物が悪い物より売れる、というのが公正な取引です。」と言うのは、例外があるというより、かなり変な話になっちゃっている気がします。
Re:広告費 (スコア:1)
> ない」と判断しなければ、自分の会社に対して背任的な行為に
> なるのでは?
ならないでしょう。会社が取引先との関係上「使う」決めたものを使わない、というのなら、業務命令違反になるでしょうけど、良いか悪いか意見を言うことが背任になるなんて事はないでしょう。
ま、いろんな社風の会社がありますから、社の決定に異論を述べること一切罷りならん、という風通しの悪い会社もあるかもしれませんけど、一般的ではないですよね。たとえそんな会社でも、異論を言うだけで背任的だ、なんて言われないでしょう。軍隊ですら、「この突撃銃、つかえねぇ」って言っただけで軍務違反を追及される事はないはずです。
> 本心かどうかは兎も角「良い物」と言って薦められたのでは?
人が良いと言って薦めたら、何でも良い物と思い込んじゃうんですか?違うでしょ。違うなら無関係な話だと思いますが。
> 誰一人「無益」と言っている人はいないのでは?
いえ、#343545でchanbabaさんが言ってたもので、改めて確認した次第です。
> 不公正な取引「方法」の禁止とかは公正取引委員会の仕事だけ
> ど、良い物が悪いものより売れることを公正な取引と定義して、
> それを目指して活動しているとは少しも思えません。
なぜですか?大体、「不公正な取引」とは何だと考えていますか?公正な競争が行われて、取引されるのが公正な取引で、そうでないのが不公正な取引ですね。では、公正な競争とは何か?単純に言えば、良い物と悪い物がきちんと比較できて、良い物を選べる、ということです。ま、場合によっては、あえて悪い物を選ぶ場合もありますが。
おっしゃる通り、品質とは別の面(例えば営業努力)で品質の悪さをカバーする場合もあるわけですが、それは、公正な取引の範囲として認められている場合に限りますね。言わば、単純な製品の品質と営業努力といったサービスを含めて商品と考えれば納得できますね。
Re:広告費 (スコア:1)
>> ない」と判断しなければ、自分の会社に対して背任的な行為に
>> なるのでは?
>
>ならないでしょう。会社が取引先との関係上「使う」決めたものを使わない、というのなら、業務命令違反になるでしょうけど、良いか悪いか意見を言うことが背任になるなんて事はないでしょう。
>ま、いろんな社風の会社がありますから、社の決定に異論を述べること一切罷りならん、という風通しの悪い会社もあるかもしれませんけど、一般的ではないですよね。たとえそんな会社でも、異論を言うだけで背任的だ、なんて言われないでしょう。軍隊ですら、「この突撃銃、つかえねぇ」って言っただけで軍務違反を追及される事はないはずです。
私が言っているのは「意見を言う」ということではなく、悪いと知りながら「買う」行為です。
「悪い物」と判断しての選択はまずいです。それって、この程度の品質とか、これの相場と比較して高いことでもありますよね。悪い物は安いのが当然なんだから。
「(見積りを見て)これ一桁多いのでは?」みたく感じながら発注かけたら、それは会社に対する背任的な行為になると思います。
しぶしぶでもせめて「悪い物ではない」という判断は必要だと思います。
>> 本心かどうかは兎も角「良い物」と言って薦められたのでは?
>
>人が良いと言って薦めたら、何でも良い物と思い込んじゃうんですか?違うでしょ。違うなら無関係な話だと思いますが。
そう違います。「良い物」と思い込むのではなく「悪い物ではない」と思い込むのです。
これは大きな違いです。
定義にもよりますが、1%が「悪い物」だったとしましょう。この場合「悪い物ではない」とはその他の99%を指します。
しかし、これが「良い物」の定義に入るかは別です。
「良い物」以外が全て「悪い物」ではありません。「普通の物」とかいくらでもあります。
>> 誰一人「無益」と言っている人はいないのでは?
>
>いえ、#343545でchanbabaさんが言ってたもので、改めて確認した次第です。
「言っていたもので」とは何を指すのですか?意味が分かりません。あらためて確認しているのは分かりますが。
これ、何となく#343545で俺が言っていたような主張をしているように見えますが、無いですよね?
単に俺がどう思っているかの確認ですか?
>> 不公正な取引「方法」の禁止とかは公正取引委員会の仕事だけ
>> ど、良い物が悪いものより売れることを公正な取引と定義して、
>> それを目指して活動しているとは少しも思えません。
>
>なぜですか?大体、「不公正な取引」とは何だと考えていますか?公正な競争が行われて、取引されるのが公正な取引で、そうでないのが不公正な取引ですね。では、公正な競争とは何か?単純に言えば、良い物と悪い物がきちんと比較できて、良い物を選べる、ということです。ま、場合によっては、あえて悪い物を選ぶ場合もありますが。
>おっしゃる通り、品質とは別の面(例えば営業努力)で品質の悪さをカバーする場合もあるわけですが、それは、公正な取引の範囲として認められている場合に限りますね。言わば、単純な製品の品質と営業努力といったサービスを含めて商品と考えれば納得できますね。
「不公正な取引方法等関係」の「ガイドライン」はここ [jftc.go.jp]にあります。で、どれ?
何を主張したいのか全然イメージ出来ません。
ふと思ったんだけど、「悪い物」の定義にコストパフォーマンスを考慮しないの?してないの?
品質が悪くても価格の安い物は選択することは良くあるよね。「あえて悪い物を選ぶ場合もありますが」って、品質の良し悪しのみの話になっているような気がします。
品質が悪くても価格が安ければ売れる。だから、「悪い物は売れないが」というのは「一面的」という意味ですか?
Re:広告費 (スコア:1)
> 発注かけたら、それは会社に対する背任的な行為になると思い
> ます。
そんな話はしていません。ここでは、chanbabaさんが#344199で書かれた「取引先に強制されたとしても」という前提に沿って話をしています。これが一旦終わるまで、別の議論は差し控えてください。議論が発散します。
> しぶしぶでもせめて「悪い物ではない」という判断は必要だと
> 思います。
不要です。物は良くないが、取引先との関係上、使わざるを得ない。これで十分。わざわざ本音と建前を使い分けなければならない理由はありません。もし相応の理由があれば、そのつど本音と建前を使い分けるというだけです。
> 「良い物」と思い込むのではなく「悪い物ではない」と思い込
> むのです。
もちろん、chanbabaさんが思い込むのは勝手です。でも、他の人もそうするとは限りません。なお、私はchanbabaさんの個人的な行動については一切興味がありません。そのような議論をされても困ります。
> 何となく#343545で俺が言っていたような主張をしているように
> 見えますが、無いですよね?
してましたよ。確認してみましょう。
#343545で、chanbabaさん曰く:
: 使っている本人が「良い」と思っていれば、外野が「悪い」
: と言ったところで無意味だと思う。
言ってますね。まさか、無意味と無益は違うとか、そういう話ですか?
> 「不公正な取引方法等関係」の「ガイドライン」はここにあり
> ます。で、どれ?何を主張したいのか全然イメージ出来ません。
例えば、「事業者がそれぞれ価格,品質,サービス等が最も優れる商品を供給する取引先を自由に選択した結果,取引が相手方と相互に行われることとなったとしても,独占禁止法上問題とはならない」 [jftc.go.jp]とありますね。つまり、「価格,品質,サービス等が最も優れる商品」すなわち「良い物」を自由に選べて、「悪い物」より売れる、ということが「公正な取引」と考えられている、ということです。お分かりですか?
違うというのなら、「公正な取引」とは何か、chanbabaさんの考えを書いてみてください。私の意見とどう違うか検証してみましょう。
> ふと思ったんだけど、「悪い物」の定義にコストパフォーマン
> スを考慮しないの?してないの?
してるに決まってます。#344227をもう一度読んでみて下さい。コストパフォーマンスは愚か、営業努力と言ったものまで含めて商品として考えるのだ、という見解を示していますね。
Re:広告費 (スコア:1)
>> 発注かけたら、それは会社に対する背任的な行為になると思い
>> ます。
>
>そんな話はしていません。ここでは、chanbabaさんが#344199で書かれた「取引先に強制されたとしても」という前提に沿って話をしています。これが一旦終わるまで、別の議論は差し控えてください。議論が発散します。
別の話なんかしていないんだけどな。
>そーですか?悪いものだけど、現状ではこれしか手に入らないから買うって事はないんですか?あるいは、それを使うことを強制されるので買うということはないんですか?
と、#344151で貴方が述べて、
>「悪い物」と言って強制したの?
>それは禁止されているので起きないのでは?起きたとしても、それって逆に犯罪がまかり通っている社会でなければ起きないはず。
>取引先に強制されたとしても、しぶしぶでもせめて「悪い物ではない」と判断しなければ、自分の会社に対して背任的な行為になるのでは?
>本心かどうかは兎も角「良い物」と言って薦められたのでは?
と、#344199で私が述べたことの背任行為の話だよね。
>ならないでしょう。会社が取引先との関係上「使う」決めたものを使わない、というのなら、業務命令違反になるでしょうけど、良いか悪いか意見を言うことが背任になるなんて事はないでしょう。
>ま、いろんな社風の会社がありますから、社の決定に異論を述べること一切罷りならん、という風通しの悪い会社もあるかもしれませんけど、一般的ではないですよね。たとえそんな会社でも、異論を言うだけで背任的だ、なんて言われないでしょう。軍隊ですら、「この突撃銃、つかえねぇ」って言っただけで軍務違反を追及される事はないはずです。
と、#344227で貴方が述べた。これが話の流れです。
俺の言った背任行為の話って、#344151の「強制されるので買う」という行為、買った側の行為に対してです。「意見を言う」という行為に対してではありません。
発注先が仕様に盛り込むのならばその仕様に基づいて見積もりを出せば良いだけのことで、この場合は最低限発注先は「悪い物ではない」と判断しているはずです。
発注先ではない取引先でしかないところが、優位な立場を利用して強制することは禁止されている。
相手(取引先)が無茶なことを要求しているのに、それに応じることは自社に対する背任行為です。
その例として、見積りでの相場より高い商品の話をしています。
意見を言う行為の話ではなく、「悪い物を買う」行為の話です。
「別の議論」とは少しも思えません。
>> しぶしぶでもせめて「悪い物ではない」という判断は必要だと
>> 思います。
>
>不要です。物は良くないが、取引先との関係上、使わざるを得ない。これで十分。わざわざ本音と建前を使い分けなければならない理由はありません。もし相応の理由があれば、そのつど本音と建前を使い分けるというだけです。
会社って一社員の物ではないよね。「使わざるを得ない。」って、そいつが思っただけでは?
更に、「物は良くないが」の「良くない」って、「悪い物」と言う意味じゃないですよ。
「良い物でない」が「悪い物」に必ず定義されることはありません。
普通の物とか、いくらでもあります。
「物は良くない」って判断出来れば、「悪い物」と言う解釈からすでに外れています。
言葉を変えて、そう言う判断をしているのでしょ。
言葉を変えた上で、「わざわざ本音と建前を使い分けなければならない理由はありません。」って展開はひど過ぎますよ。せめて「悪い物だが」で言いはじめてください。
ついでに、「物は良くないが」って、これでは品質限定の話になっているのでは?
「悪い物」と「物が悪い」では意味が違います。
下の方で、コストパフォーマンスを含んで「悪い物」の話をしているように述べていますが、言葉を変えているところを見ると疑問を感じますね。
>> 「良い物」と思い込むのではなく「悪い物ではない」と思い込
>> むのです。
>
>もちろん、chanbabaさんが思い込むのは勝手です。でも、他の人もそうするとは限りません。なお、私はchanbabaさんの個人的な行動については一切興味がありません。そのような議論をされても困ります。
上で、「悪い物」の話を「物は良くないが」と言葉を変えて書いた人の発言とは思えませんな。
「悪い物は売れない」と俺が言ったことに対しての議論でしょ。この定義に異論を唱えたのでしょ。
この「悪い物」の定義とか解釈とか、そういった話を俺はしています。
>> 何となく#343545で俺が言っていたような主張をしているように
Re:広告費 (スコア:1)
> 発注先が仕様に盛り込むのならばその仕様に基づいて見積もりを
> 出せば良いだけのことで、この場合は最低限発注先は「悪い物で
> はない」と判断しているはずです。
発注先?発注元では?仕様を決めるのは普通、発注する側、すなわち発注元ですよね。
それは置くとして、chanbabaさんも書いた通り、良い物・悪い物の判断は、判断主体ごとに違います。ですから、発注元が良い物と思って仕様に盛り込んだとしても、発注先が同じように良い物と判断するとは限りません。つまり、悪い物を使わざるを得ない場合がありえます。
ということで、この議論は終わりですね。
> 無茶なことを要求しているのに、それに応じることは自社に対
> する背任行為です。
その通りですね。
しかし、その「無茶なこと」という判断は、総合的なものなので、一方で悪い物を使わせられたとしても、他の面で有利な部分があれば、「無茶なこと」ではない、という判断もありえます。その場合は、悪い物を使わざるを得ないことになります。
この議論も終わりましたね。
> 会社って一社員の物ではないよね。「使わざるを得ない。」っ
> て、そいつが思っただけでは?
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
一社員の判断だったとすると、その社員から見れば「悪い物を使わざるを得ない」ということです。社全体の判断だったとしたら、社全体として「悪い物を使わざるを得ない」ということです。いずれにしても、「悪い物を使わざるを得ない」場合がある、という事実に変わりはありません。
この議論も終わりです。
> 「物は良くない」って判断出来れば、「悪い物」と言う解釈か
> らすでに外れています。
外れてませんね。例えば、物を「良い・普通・悪い」と分けられるとした場合、「物は良くない」と判断できたすれば、その物は、普通か悪いかです。つまり、悪い物かもしれません。
以降の議論は、上の間違った前提に基づいていますので、必ずしも正しからず、となります。これが論理です。
> ついでに、「物は良くないが」って、これでは品質限定の話に
> なっているのでは?
なっていません。どこがそうだと思うのか、理由を書いてください。
> >> 「良い物」と思い込むのではなく「悪い物ではない」と思い込
> >> むのです。
> > もちろん、chanbabaさんが思い込むのは勝手です。でも、他の
> > 人もそうするとは限りません。なお、私はchanbabaさんの個人
> > 的な行動については一切興味がありません。そのような議論を
> > されても困ります。
> 「悪い物は売れない」と俺が言ったことに対しての議論でしょ。
> この定義に異論を唱えたのでしょ。
> この「悪い物」の定義とか解釈とか、そういった話を俺はして
> います。
chanbabaさんが思い込めば良い物という話ですか?他の人が悪いと思っていれば悪いということですね。
この議論も終わりましたね。
> 買ったときには悪い物という認識があったかどうかにはなんら
> 影響しません。
ははーん。そういう話なら確かに無意味ですね。後の後悔先に立たず、と言えば済む話なのに、なんでもっと簡単に説明できないんですか。
> んーー、って事は、公取が存在する意味をどう考えているかっ
> て話は、公取が存在するから「悪い物は売れない」ってこと?
実際には、世の中そんなに単純じゃありませんから、悪い物も売れるのです。
> それってさ、上にあった「強制」の話だけど、「問題になる可
> 能性がある」ってことだよね。
その通り。まさに「可能性がある」。しかし、世の中は白と黒の二色でできているわけではなく、グレーゾーンもあります。世の中複雑なのですよ。
ま、ということで、公正な取引ということについても理解いただけたようですので、その議論も終わりましたね。
Re:広告費 (スコア:1)
読みやすく書いていないと言う指摘か?
引用元を勝手に改行し、かつ、引用符を挟むことが良い事とは思えない。
引用符で分断されて、検索しても引っかからないしな。
例えば、下の引用って、横全角200文字の奴には小さすぎるし、20文字の奴には逆に見にくくなる。
そういった奴への配慮を私はしています。右端自動改行の方が良いと考えています。
>> 発注先が仕様に盛り込むのならばその仕様に基づいて見積もりを
>> 出せば良いだけのことで、この場合は最低限発注先は「悪い物で
>> はない」と判断しているはずです。
>
>発注先?発注元では?仕様を決めるのは普通、発注する側、すなわち発注元ですよね。
すまん。間違った。
>それは置くとして、chanbabaさんも書いた通り、良い物・悪い物の判断は、判断主体ごとに違います。ですから、発注元が良い物と思って仕様に盛り込んだとしても、発注先が同じように良い物と判断するとは限りません。つまり、悪い物を使わざるを得ない場合がありえます。
>ということで、この議論は終わりですね。
「判断主体ごとに違う」と貴方が言っているのは良く分かったのだが、これがどう「悪いものは売れないが、」に繋がるのかが分からないです。
>> 無茶なことを要求しているのに、それに応じることは自社に対
>> する背任行為です。
>
>その通りですね。
>しかし、その「無茶なこと」という判断は、総合的なものなので、一方で悪い物を使わせられたとしても、他の面で有利な部分があれば、「無茶なこと」ではない、という判断もありえます。その場合は、悪い物を使わざるを得ないことになります。
>この議論も終わりましたね。
もっと分からないのがこれ。
AとBとCの見積りで、AとBが安くCが高かった。AとBだけでは割り増しになると言われたのでCも含めてセットで買う事はよくある。
でもこれさ、セットでのコストパフォーマンスを考えて、「悪い物」という定義から外れたのでは?
(AとBの相場-AとBの見積りの金額)-(Cの見積りの金額-Cの相場)で、いくら「安い」と判断したんだよね。それってコストパフォーマンスを考えて「良い物」と判断したのでは?
Cだけをもって「悪い物」と言うのは変だよ。AとBが安かった分だけ、Cが安かったってことでもあるんだから。
で、これが「悪いものは売れない、」と私が言ったことで始まった議論の終わりなの?
なんか、一部の例外や計算上の細工を持ち出して、「売れる場合もある」と言っているだけに感じます。これを単体で主張するのならば良いんだけど、「悪いものは売れない、」の否定として使われているのは変だと思います。
>> 会社って一社員の物ではないよね。「使わざるを得ない。」っ
>> て、そいつが思っただけでは?
>
>そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
>一社員の判断だったとすると、その社員から見れば「悪い物を使わざるを得ない」ということです。社全体の判断だったとしたら、社全体として「悪い物を使わざるを得ない」ということです。いずれにしても、「悪い物を使わざるを得ない」場合がある、という事実に変わりはありません。
>この議論も終わりです。
これも、上と同じで、「悪いものは売れない、」の否定としては変なんです。
「売れない」って「少しも売れない」と言う意味だと捉えていたのですか?
>> 「物は良くない」って判断出来れば、「悪い物」と言う解釈か
>> らすでに外れています。
>
>外れてませんね。例えば、物を「良い・普通・悪い」と分けられるとした場合、「物は良くない」と判断できたすれば、その物は、普通か悪いかです。つまり、悪い物かもしれません。
>以降の議論は、上の間違った前提に基づいていますので、必ずしも正しからず、となります。これが論理です。
だからさ、「悪いものは売れない、」に関して「悪い物」の定義の話をしているわけですよね。
それなのに貴方は「物は良くない」と使って述べだしたわけ。
「物は良くない」とは、貴方の言うとおり普通か悪いかです。悪い物かもしれませんが、普通の物かもしれないのです。
だから、「物は良くない」という前提の話をしても意味が無いんです。
前提が普通の物かもしれないのに、これを持って貴方は「悪いものはうれない、」ことを立証しようとしているのです。
これでは、『普通の物が売れるから、「悪いものは売れない、」と言うのは間違い』と言っているようなものです。
>> ついでに、「物は良くないが」って、これでは品質限定の話に
>> なっ
Re:広告費 (スコア:1)
> だが、これがどう「悪いものは売れないが、」に繋がるのかが分
> からないです。
そりゃそうだ。悪い物が売れる例なのだから。
> もっと分からないのがこれ。
> AとBとCの見積りで、AとBが安くCが高かった。AとBだけでは割り
> 増しになると言われたのでCも含めてセットで買う事はよくある。
なんで、その程度のことしか考え付かないかなぁ。
営業戦略上、赤字を覚悟で受注する場合ってあるでしょ?それと同じで、営業戦略上、悪い物と判っていても購入するパターンもあるのですよ。発注側の無言の圧力による場合もあるでしょう(これは法的にかなりグレー)。
> で、これが「悪いものは売れない、」と私が言ったことで始
> まった議論の終わりなの?
はい終わりです。
> なんか、一部の例外や計算上の細工を持ち出して、「売れる場
> 合もある」と言っているだけに感じます。これを単体で主張す
> るのならば良いんだけど、「悪いものは売れない、」の否定と
> して使われているのは変だと思います。
ちっともヘンではありません。「悪い物は売れない」の否定は、「悪い物が売れる場合もある」ですから。違いますか?
> 「売れない」って「少しも売れない」と言う意味だと捉えてい
> たのですか?
違いますよ。そう解釈しなければおかしいところがありますか?
> だからさ、「悪いものは売れない、」に関して「悪い物」の定
> 義の話をしているわけですよね。
いずれにせよ、一般に「『良い物』と思い込むのではなく『悪い物ではない』と思い込む」必要はない、という結論に変わりはありません。
> 「悪い物は売れないが、良い物だからといって売れるわけじゃ
> ないよな。知らん物は買わんし買えない。」と、「知らん物は
> 買わんし買えない」で締めくくっている文に対して、延々否定
> を論じても意味無いだろ。
別にその事を否定しているわけじゃありませんよ。ただ、知っていても悪い物を使わざるを得ないケースもありえると言っているのです。
> 簡単に説明する義務があるとは思えませんが....
議論は相手があってこそ。相手が理解しやすくなくても良い、と言うのは議論の否定です。「議論したくないのならば、レスをつけるな」でしたっけ?(笑)
> で、これが「悪いものは売れないが、」の否定根拠ですか?
> というか、公取の存在理由を出したのって一体.....
良い物と悪い物、両方の存在を知っているにも拘らず、悪い物を選ばざるを得ない場合、と言うのは現実にあって、その内、ある限度を超したものを公正取引委員会が取り締まるわけですね。理解できましたか?
> 「販売も大変だけど仕入れも大変だよな、どこもそうだろうけ
> ど」と小売店の親父が、問屋も小売も限界に来ていることを別
> の小売店の親父に話したら、「うちは盗品買っているから大変
> じゃない。どこも大変と言うのは違う」と言っている様なもん
> じゃないのか?
> 悪い物と知っていて買うのはやはり変だぞ。
なんでそんなに単純な思考しかできないんですか?
悪い物と知ってて買うのはもちろんヘンです。しかし、そうせざるを得ない場合があります。それらの場合には、違法行為に絡む場合もあれば、違法行為ぎりぎりの合法行為に絡む場合もあれば、全く合法な場合もあります。
上の小売店の例で言うと、仕入れで楽をする方法は、盗品を買うばかりではない、というだけのこと。
Re:広告費 (スコア:1)
>営業戦略上、赤字を覚悟で受注する場合ってあるでしょ?それと同じで、営業戦略上、悪い物と判っていても購入するパターンもあるのですよ。発注側の無言の圧力による場合もあるでしょう(これは法的にかなりグレー)。
あのー、「営業戦略上、赤字を覚悟で受注する場合ってあるでしょ?」と言われても、それ独占禁止法違反です。原価割れは禁止されています。
私はそんな犯罪はしません。
これは置いといて、「それと同じで」の前後が結びつかないのですが....
結びつかないのは、俺は前者のことをしない奴だからか?
無言の圧力は合法でしょ。これが非合法なら、圧力掛けたつもりが無くても「掛けられた」と相手が感じたらやばいことになる。
>> なんか、一部の例外や計算上の細工を持ち出して、「売れる場
>> 合もある」と言っているだけに感じます。これを単体で主張す
>> るのならば良いんだけど、「悪いものは売れない、」の否定と
>> して使われているのは変だと思います。
>
>ちっともヘンではありません。「悪い物は売れない」の否定は、「悪い物が売れる場合もある」ですから。違いますか?
>
>> 「売れない」って「少しも売れない」と言う意味だと捉えてい
>> たのですか?
>
>違いますよ。そう解釈しなければおかしいところがありますか?
え、って事は直ぐ上の「一部の例外や計算上の細工」で、ヒット商品可能って事?
んーー、全然イメージ出来ん。
何でイメージ出来ないんだろ。考えてみると、具体的に挙げて貰うのが一番のような気がするな。
>> 「悪い物は売れないが、良い物だからといって売れるわけじゃ
>> ないよな。知らん物は買わんし買えない。」と、「知らん物は
>> 買わんし買えない」で締めくくっている文に対して、延々否定
>> を論じても意味無いだろ。
>
>別にその事を否定しているわけじゃありませんよ。ただ、知っていても悪い物を使わざるを得ないケースもありえると言っているのです。
なんだ否定じゃないのか。そう言う意味で関係なくても良いと言っていたのね。
で、それって、悪い物を売らなくても売れなくても買わなくても、売れ残ったので自分で使います。みたいな感じで、関連会社に押し込む話か。
それって、「悪い物は売れないが、良い物だからといって売れるわけじゃないよな。知らん物は買わんし買えない。」て話とは全然関係ないんだよね。
>> 簡単に説明する義務があるとは思えませんが....
>
>議論は相手があってこそ。相手が理解しやすくなくても良い、と言うのは議論の否定です。「議論したくないのならば、レスをつけるな」でしたっけ?(笑)
「相手が理解しやすくなくても良い」と思って、私が書いていると思っているのですか?
これじゃ決め付けて論じているだけでしょ。
あたかも「そう言うべきだった」と言わんばかりのことを言ったから、義務はないと答えたのだよ。意図的に言わなかったなど誰も言っていないよ。
解釈の問題を私のせいだと一方的に決め付けるような言い方を貴方はしたのでしょ。
例えば、立場が逆になるが、俺はなんども関連性について疑問を投げかけていたが、「否定していないから関連する必要は無い」と言うのが分かったのは直ぐ上の奴でしょ。
「関連する必要は無い」と言った主張は何度も見られるが、「否定していないから」と言う理由付けは無い。だから俺に全然伝わってこないの。
俺は「否定されている」といった前提でずっと述べていたよ。だから全然かみ合わない。
それに対して、かみ合わない原因がそこにあると分かってから、何故それを出さないかと言われても、それこそ無理な話だよ。原因が分かっていないからかみ合わないんだからさ。
無理なことを後になってから要求する行為をしたから、「義務があるとは思えない」と皮肉を込めていったのだよ。
>なんでそんなに単純な思考しかできないんですか?
>悪い物と知ってて買うのはもちろんヘンです。しかし、そうせざるを得ない場合があります。それらの場合には、違法行為に絡む場合もあれば、違法行為ぎりぎりの合法行為に絡む場合もあれば、全く合法な場合もあります。
>上の小売店の例で言うと、仕入れで楽をする方法は、盗品を買うばかりではない、というだけのこと。
まず、なんで「なんでそんなに単純な思考しかできないんですか?」みたいな言い方をするわけだ?
結局、「盗品を買うばかりではない」などと、「仕入れで楽をする方法」で他の例を提示しない。
いつもこうなんだよね。上の話でのそう。
具
Re:広告費 (スコア:1)
> しょ?」と言われても、それ独占禁止法違反です。原価割れは
> 禁止されています。
あからさまな一円入札などは確かに禁止されています。しかし、そうでないグレーゾーンがあることに考えが及ばないような人は、相手してられません。さようなら。
Re:広告費 (スコア:1)
当然例外もあるよ。
だた、貴方は具体的に言わないので、貴方のイメージしている物が全然伝わってきません。
Re:独占禁止法違反の誤った解釈 (スコア:1)
構って欲しければ中傷から書くなよ。
>独占禁止法違反は競争の阻害についての決め事だから、原価割れかどうかは直接関係有りません。
それは知ってますが、
「直接関係有りません」って「間接的に関係ある」って主張か?
それとも、「関係無い」という主張か?
引用元の言葉からは前者の様に感じるが、文全体は「嘘」「間違い」とまで言っているから後者の様に読めるぞ。
>不当廉売に関する独占禁止法上の考え方
>昭和59年11月20日
>公正取引委員会
http://www.jftc.go.jp/dokusen/3/renbai.html
ってガイドラインがあるよな。
>(不当廉売)
> 6
> 正当な理由がないのに商品又は役務をその供給に要する費用を著しく下回る対価で継続して供給し,その他不当に商品又は役務を低い対価で供給し,他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあること。
(中略)
>「供給に要する費用を著しく下回る対価」とは,不当に低い対価に該当する典型的な場合を例示したものとされるが,総販売原価を著しく下回る価格という趣旨から,通常の小売業においては,仕入価格を下回る価格がこれに当たると考えられ,実務上は,仕入価格を下回るかどうかを一つの基準としている。
売れる商品と言う事は、ヒット商品ということだよね。
「継続して供給はしない」から「不当廉価販売には当たらない」と言った主張ですか?
継続しなければ売れる商品(ヒット商品)にはならんだろ。まして、悪い物でも売れる例だぞ。継続しなければ「売れる」と言えるわけがない。
ワゴンセールや今始まりだした夏物半額セール、しかし、これらの売り切り処分は問題ないよ。しかし、営業戦略でやる話だから不当廉売にもろ該当します。
だからスーパーなどの小売店は、廉売する場合は数日と期間を設けて、更に前回のチラシとダブらないように注意したりしているでしょ。
>もともと原価割れだけでは犯罪では有りません。
誰かが原価割れ「だけで」犯罪と定義してのですか?
「営業戦略」「原価割れ販売」「ヒット商品にするための継続販売」でアウトでしょ。
>原価割れの販売が競争を阻害して初めて違法行為です。
「競争を阻害して」の定義って何?
「営業戦略上の原価割れ販売はそれに当たらない」と言う主張ですか?
原価割れ販売が競争を阻害するのでしょ。品質や価格で競争しているのだから。
>さらに言えば、原価割れをしていなくても独占によって競争を阻害しているなら違法です。つまり、原価割れかどうかは二の次です。
あのー、「不当廉売」の公取ガイドラインを知っていての発言ですか?
知っている上での発言だと引用元の書き込みって、揚げ足取りたかっただけの様にしか見えないんですが。
それとも、知らないで言っているのかな?
「独占によって」とか言っているのを見ると萎えます。
>なので、原価割れを指して独占禁止法違反を言うのは間違いです。
だからさ、貴方は話の流れを勘違いしているんだってばよ。
「悪い物であっても営業戦略上意図的に原価割れして売ることで売れるヒット商品になる」って意味の話だぞ。
こういう例もあると彼が提示し、「原価割れ」を「法律違反」と俺が言ったの。
「原価割れ」だけ捕まえて、そんなこと言ったって意味無いだろ。
話を一番上に戻すが、あんなこと書くくらいだから前に議論した相手だよね。
結局前も、同様にそこだけ捕まえて「嘘」と言っているんだろ。
「原価割れ」の定義に、「悪い物であっても営業戦略上意図的に原価割れして売ることで売れるヒット商品になる」は含まれないなどと言い出さないことを祈る。
文中の用語で (スコア:1)
「パラジウム」ってなんの技術ですか?
googleったけど触媒の話とか先物取引の話しか出てこないんで。
2.
「スペクトラム拡散通信」について語られてますけど、
実際の実装上は結局1社にゆだねられたりしないんでしょうかね。
CDMAな携帯電話の周波数帯も基本的には1社で使ってますし。
こう言うのは読むのではなく直に聞いてみたい。 (スコア:1)
Re:こう言うのは読むのではなく直に聞いてみたい。 (スコア:2, 興味深い)
質問者「政府がオープンソースを支援することに対して何かコメントありますか?」
ブルース「日本にオープンソースの伝道師がいないのが問題です」
超意訳
Re:こう言うのは読むのではなく直に聞いてみたい。 (スコア:1)
俺がなってやるっ...と言いたいものだが。
まつもと ゆきひろ /;|)
Re:こう言うのは読むのではなく直に聞いてみたい。 (スコア:1)
#マジなのでID
Re:こう言うのは読むのではなく直に聞いてみたい。 (スコア:1)
いやいや、そのセリフが自体に意味がある訳ではなく
結局、自分で実際に「そこまで(現地)行って見ないと分からない」と言う事ですよ。(笑)
>勘
これは自分のスケールをモノサシに揶揄った程度。
いや、ホントは「そこまで行く時間は何とかするとしても」
通常航空券の値段の高さに閉口している事を
書きたかったんだけどね。元々の論点からずれるし。(笑)
日本の通信インフラの値下げ競争と航空業界運賃の話は
次元も論点も違うし。
JASとJAL…合併(共同程度?)して、路線を整理して
少しは安くなったと思った途端、やれ発着料だ、サーズだ
テロだ、で、現下の料金は合併前に戻ってしまいました。(路線はオフレコ)
ま、そう言う訳。(笑)
誤字 (スコア:1)
> 事は囃子立てることではなく、
「はやしたてる」は、「囃す」と「立てる」の複合動詞でしょうから、「囃し立てる」が正しいかと。
重箱の隅 (スコア:1, 参考になる)
/.Jでは、それに加えて、こういった「重箱の隅」を、大きなことと言い立てて、本来の論旨をさえなきものにしよう、というアクロバチックなことをやろうとしている人も多いんだよ。
人の意見には誠実に向かいあおう。言いたいことは正面から言おう。
でも、重箱の隅をつついて、大きな流れを見失うのはやめよう。
Re:重箱の隅 (スコア:1, すばらしい洞察)
そういうときは、重箱の隅つつきは重箱の隅つつきをしたい人にまかせて、大きな流れを追いたい人は、大きな流れを追うといいです!!
謝辞 (スコア:1)
「ブルース・ペレンス講演」の付記と謝辞を以下に記します。
講演原稿 [perens.com]には、冒頭に日本の訳者向けに"Translator note"が以下のように記されています:
翻訳に当たっては、52の段落を以下のように分担をいたしました(敬称略)。
んー…? (スコア:0)
インターネットの段も民主主義の話。
オープンソースの段は自由主義の話。
オープンソース界隈がおしなべて民主的なのは事実だろうと思いますが
オープンソースが即民主主義的ってのは違かろうと思うわけです。
非民主的なプロジェクトだった結構見受けられr
Re:んー…? (スコア:0)
「徳が同等であれば多数に従うべき」というのは、春秋時代のとある人の言葉ですが、多数に従うのみが民主主義なんでしょうか?
まっこと単純に、いまさらながら、民主主義ってどんなものなのかと考えた次第でありまして、特に他意はないのですが…。
Re:んー…? (スコア:0)
それとは別に、民主主義は一番文句を言う奴の数は少ない
だろうけど、はたしてベストなものを生み出すかというと、
特にそんな保証は無いってところで、いろいろ議論が
生まれているのだと思う。
Re:んー…? (スコア:0)
その反証は不可能です。
Re:んー…? (スコア:1)
ファシズムってのは、民主主義が前提となって生み出されるもので、生み出される瞬間は一番文句の少ないものであるはずですが、これもベストなんですか?
国民の大多数が、マトモな(*)判断を行える、という前提においては、民主主義も悪いものではないですが、その前提はそれほど容易なものではありません。その前提が成り立っていれば、「一番文句の少ないものはベストなもの」である可能性は十分ありますが、実際にはそうでないことも多いということです。
もっとも、#343372で言う「ベスト」が、マトモな判断を行えるかどうかわからない国民の「文句が一番少ないもの」と定義される程度のものと言うのなら、#343372で言っていることは間違っていません(というか、同義反復でしかない)が、一般には非常に違和感のある言説ですね。
Re:当人が幸せならいいじゃん? (スコア:1)
つまり、#343372で言う「ベスト」は、マトモな判断を行えるかどうかわからない国民の「文句が一番少ないもの」と定義する、という話なのですね。
であれば、#343372は間違ってはいませんが、同義反復以上の意味を持ちません。はっきり言って無意味です。既に#343511で指摘しましたが。
> #そもそも、ファシズムが勝ってたら、歴史書にもファシズムに
> よって国民は多少の不自由を味わったが、結果として幸福を手に
> したと記載されているわけで・・・。
その理屈はちょっとヘンですね。あなたの言うベストは、「マトモな判断を行えるかどうかわからない国民の文句が一番少ないもの」であって、「結果として幸福を手に入れた」かどうかは無関係ですから。
というか、普通、政治の「ベスト」とは、大多数の幸福を実現することですから、上の引用が一般的な見解であって、「マトモな判断を行えるかどうかわからない国民の文句が一番少ないもの」とするのが間違っているのです。良い政治とは何か、よく考えて見ましょう。
なお、結果として民主制を捨てるかどうかなど、良い政治である(「ベスト」である)かどうかとは全く関係ありません。侵略されたか否かも全く無関係です。
Re:んー…? (スコア:1)
賛成も反対もできないって事は、どちらにも賛成出来ない、っていう否定です。
尋ねたほうがおかしいのです。
選挙で「いまからサイコロを振ります。偶数か奇数かに投票してください」みたいなもの。
尋ねる内容を再吟味してきてください。
Re:んー…? (スコア:0)
「国民の皆さん」(他、類語含む)とかいう台詞が聞かれる時点で
日本および多くの国では激しく実情にそぐわない説明だとも思います。
かえって
Re:んー…? (スコア:0)
#あえて具体例は挙げませんが。
でも、それがオープンソースである以上は、他の人がそんな運営を嫌ってforkするのを妨げることは出来ません。あ、もちろん元のライセンスがGPLならforkしたものもGPL
Re:新しい「民主制」 (スコア:1)
Joiさんが言いたいのは、あくまで Democracy をどう実現するのか、という文脈での blog の役割で それについて emergence とか complex system といった単語がはまった、のでは?
ICT技術の利用においての「民主主義」の精神の不在、というのが、そもそも日本特有(でもないか)の問題としてあるわけです。 e-Japan II とかそう。そういう文脈でのJoiさんの言明は重要。 プライバシーにつれてふれた項では、「プライバシーの問題と透明性の混同」への指摘など、まるで池田信夫について書いたみたいだ(笑)
Perens が草稿を書き直したのがRIETIのランチタイムセミナーの直後、というのも、またさもありなんだしね。
Re:新しい「民主制」 (スコア:1)
RIETIのBBLセミナー [rieti.go.jp]のNo.194のModeratorの名前見ようね。彼の言動はPerens講演の内容(が直前に書き直されたこと)に無関係ではないと思われるのだが(笑)