Slashdotはニュースサイトであると同時に議論の場だ。読者の数が増えるにつれ、コメントも増え続けている。それにともない、「コメントの質が下がった」という意見を聞くようになった。しかし、コメントの総数が増えてる以上、議論が平行線をたどったり、挙げ足取り的なコメントも増えるのはひとつの必然だ。それでも、フレームウォーが延々と続いたストーリーを振り返って、各コメントと一緒に記録されているIPID (投稿元のIPを非可逆にハッシュ化したもの、自己モデレーションの検出等に使われている)を調べてみたところ、ひとつの驚くべき事実が判明した。執拗に粘着して叩いているAnonymous Coward (AC)の総数はいずれも数人ずつだけなのだ。その数人が、他にすることないのか、というぐらいに30も40もひとつのストーリにコメントしまくる。しかも、自作自演なんてかわいいものではなく、少数が多数を演じ、まるで少数派意見が多数派であるかのうように見せかける、世論操作とも言える悪質なものだ。まさしく匿名の卑怯者だ。
ほとんどの読者がストーリー本文しか読まず、コメントを読むだけの人も発言する人の数十倍いることを考えると、コメントを読んだ人が意見分布を誤解するケースが少なくないだろう。なかには「スラッシュッドットでの議論によると、XXな意見はYY人いるようです」なんて数えて資料にしているケースもある、と聞いた。実際にはほんの数人なのに。数えるほうも数えるほうだが、これは問題だ。
そこでAnonymous Cowardの発言に制限を課すことにした。ACコメントの匿名性を損なうことなく、ACという群体を隠れ蓑にした議論の妨げになる行為に対抗する、副作用の少ない方法をスラッシュチームでいろいろ検討した結果、「ひとつのストーリーへの一人のAnonymous Cowardの発言は30分に一個まで」に決定し、数日のうちに実施する。この制限はログインしていないユーザによるコメントとログインしているユーザの匿名コメントの両方に課せられる(そもそもシステム的に両者の区別はない)が、ログインしているユーザの記名コメントには適用されない。
もし、この措置によって不当に制限されると感じるならば、その発言が本当に不特定多数のAnonymous Cowardの群体に隠れて行わなければいけないものなのか、それともID付きで他の自分のコメントと同じ人物によるものと識別可能でも構わないか、考えて欲しい。