GPLと日本の法律 148
所変われば法変わる 部門より
mixca 曰く、 "昨年12月に開催された「Open Source Way 2003」で弁護士の小倉秀夫氏によって「GPLに関する法律問題~日本法とGPLの整合性~」と題された講演が行われました(linux.japan.comによるレポート)。私は公演に出席しておりませんので、その詳細な内容については判りませんが、内容を纏めたものがCNET Japanに「GPLは契約として成り立つか---日本法との整合性を検証する」として掲載されております。その内容を強引に纏めると「現状のライセンス内容ではGPLを日本国内で完全に有効と見なす事は難しい」となっており、/.的には(恐らく)看過できない結論となっております。
また小倉氏が取り上げた主な「有効と見なせない」理由として日本の著作権に付随する権利である「著作人格権(概要は「とびだせ辞典(マンガ著作権)」が判りやすい:-))」があがっておりますが、この「著作人格権」はローレンス・レッシグ氏提唱の「クリエイティブ・コモンズ」を日本の著作権法に対応させる際にも問題となった経緯がありました。クリエイティブ・コモンズ・ジャパンでは日本国内専用の独自ライセンスとして「日本版クリエイティブ・コモンズ(CCjp)」を作成、本問題に対応しました(現在ドラフト版を公開中。また、経緯はHotWired Japanの特集ページが詳しい)。
/.-jの皆様におかれましてはGPLを日本の著作権法に対応させる為の問題について、どのようにお考えでしょうか?そもそも日本国内でも完全に有効?それとも「GPLjp」なるライセンス(もしくはそれに類するGPLライクなライセンス)を新たに作成する必要がある?どちらにしてもクリエイティブコモンズの歩みは参考となる事でしょう。"
「有効と見なせない」理由? (スコア:3, 参考になる)
著作権者がGPLで公開することを許諾しているのであれば、改変も当然に許諾されているはずだし。
要するに、同一性保持権以前に公表権というのがある訳で、「GPLとして公表する事」を著作者人格権保持者(著作者)が著作財産権保持者(著作者以外の場合も有り得る)に許諾するか否かという問題でしょ?
公表権も同一性保持権も、著作者に一身専属の著作者人格権で他人に譲渡不可能な権利なので、当然に同一人が保持しているはずですから、ここでズレが出ることは考えられない。
それと、GPLjpみたいなのを作るのはマズいでしょうね。
GPLはGPLで再配布しなくてはいけない。
GPLjpはGPLjpで再配布しなくてはいけない。
という2つの制限があると、マージする事は不可能になりますから。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:4, 参考になる)
それはどうでしょうか?契約の有効性という観点から考えると、ちょっと
問題があるように思います。
GPL での配布を許諾する契約を結ぶということは、GPL の下で著作物に対し
て行われるあらゆる改変を、著作者があらかじめ許諾するということになり
ます。また、著作者は改変を妨げることもできません。しかし、改変範囲を
定めず、改変をやめさせられないのは著作人格権を行使できないことと同じ
です。著作物を取得した人が著作物に対してなんでもできてしまうのに、
著作者がそれを止めることができないわけですから。これはもちろん法的に
無効です。
つまり、日本の法律の下では著作人格権を行使する、しないを決めるのは、
あくまでも著作者の意思であり、その意思を行使する権利を完全に奪って
しまう契約は法的に問題がある、ということではないかと思います。
今更、書くまでもないことですけど、やはり従来の著作物とソフトウェア
を同じ法であつかうことに無理があるのでしょう。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1, 興味深い)
著作者人格権は譲ることができないと法律で決まっている訳ですから「放棄します」と契約書に書いたとしても有効性が疑問です。
例えば著作者人格権を基本的人権に置き換えたとして
「私はどんな侮辱を受けても訴えません」と書面で契約をしたとしても裁判の時には「あんな法律に反した契約は無効だ」と簡単に勝てそうな気がしませんか?
アメリカと違って日本では上記の例えがオーバーではないほど著作者人格権が優遇されているということです(それが良いか悪いかはまた別の話)
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
>譲渡時にしっかり契約として文書に残しておけば何の問題もない気がしますが。
著作者人格権は放棄できないというご意見が多いようです(笑
前のAC さんも書いていまし、"著作者人格権 放棄"なんかをキーにして
ググってみてもすぐにわかると思いますが、著作者人格権の包括的な
(範囲の定めのない)放棄をうたった契約は法的に無効である、というのが
日本での通説です。法理論的には、譲渡できない権利は放棄できない、
ということであり、また、実際には著作者の権利を守るために必要だった、
ということでしょう。
えっと、判例は知りません‥‥不勉強で申し訳ありません。
>#というのは素人考え?
#いえ、私も素人ですし‥‥
#なんか著作人格権なんてしょうもない間違いを_| ̄|○
#試験に落ちるわけだ。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:2, 参考になる)
別にソフトウェアだけでなくても、映画やテレビ番組なんかを製作する場合の契約でも同じく「著作者人格権を主張しない」というのが入っているのも多々ありますよ。そうじゃないと映画会社側やテレビ局側で編集ができなくなるからね。むかしはそのあたりの契約がないままに、映画会社側が編集して、裁判でもめたこともあったのだけど、今は契約時に明確にしていて無用なトラブルは避けている。放棄として契約したのに「著作者人格権は放棄できないからやっぱり有効」という訴訟をおこした例は見当たらない。「公序良俗に反する」ような場合(たとえば芸術作品映画を低俗なポルノに編集しなおすとかしない限り)でなければ私的自治の原則が通ります。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1, 興味深い)
ググってみてもすぐにわかると思いますが、著作者人格権の包括的な
(範囲の定めのない)放棄をうたった契約は法的に無効である、というのが
日本での通説です。
公序良俗に反しない限りは、契約の方が優先されると思うのですが
結局は判例が出るまではなんともいえないということなのでしょうかね・・・。
著作者人格権も譲渡できるようにするのが一番スマートな解決策でしょうか。
そもそも何で譲渡できないんでしょう・・・?
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
通説だというのは初めて聞きました。少なくとも断定形で言われるのはとても違和感があります。
確認のため、手元にある教科書の類を見てみました。作花文雄「詳解著作権法(第2版)」と三山裕三「著作権法詳説(全訂新版)」には、著作者人格権の放棄については言及がありませんでした。田村善之「著作権法概説(第2版)」P.409から、長いですが引用しておきます。
そんなわけで、私は著作者人格権の放棄は無効である、という発想そのものが、譲渡と放棄を混同しているだけでなく、法解釈としても全く著作権法の趣旨に沿っていない、と考えています。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
もっと勉強してみます。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:2)
(中略)
>公表権も同一性保持権も、著作者に一身専属の著作者人格権で他人に譲渡不可能な権利なので、当然に同一人が保持しているはずですから、ここでズレが出ることは考えられない。
著作権の譲渡をするときは、「著作者人格権の行使をしない」と付帯条項を付けて契約すると聞いたことがある。
改変は認めたが侮辱するような改変は認められないとか、原作者からの横槍をかわす為にね。
映画化とか部分的な奴でも、映画化した奴らは「良い出来だ」と思っても、原作者はぶち切れ寸前みたいになる場合がある。
例えば、新撰組の沖田は開国主義の坂本と知り合いで、知り合いであるが故の苦悩を表現した作品を、説得や主張し合うところをばっさり省き、その為に「相手の考えも分かるし、他の主義者の主張も分かるが、自分の立場などを含めた苦悩の描写」ではなく、対立する主義者同士の戦争活劇として映画化みたいな感じ。
改変を認めると、全てのいかなる改変を認めたことになるのか否かってのが微妙なんじゃないの。
GPLはいかなる改変も認める発想だが、「クラッキングツールの原作者の○○さん」とマスコミ発表されてから「俺が原作者の訳無いじゃん」と思いクレームつけたら、「そう言った表現は止めるが、ソースに著作権表示があるので氏名表示権の制約上、記事で引用する場合には表示義務が課せられるので、その点はご了承いただきたい」みたいな展開にもなりかねないのが現状なんじゃないの?
ついでに、「改変して良いよ」とか、「映画化して良いよ」みたいな奴は、断りがないので無償で自由にと言う意味か、断りが無いから有償で契約の範囲でと言う意味かは分かれるよね。
仕事としてならば、有償が原則。八百屋で「大根下さい」と言えば有償でと言うことになる。
また、片方が有償と思っていて、片方が無償と思っている場合でも、誤認による契約無効に出来る。
契約が成立していたとしても、契約は一方的に解約することも出来る。
著作者人格権は譲渡不可なので、同一性保持権で改変は契約による物。
アメリカの様に「公共に譲渡された物」ではない。
この辺りで更なる微妙さを生んでいるんじゃないの?
とりあえず (スコア:1)
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
貴方の書き込みを引用する際に氏名表示権の侵害で訴えられないようにするにはAnonymous Cowardさんの著作物である旨を明記する必要がある。
他のAnonymous Cowardさんが「書くな」と言おうが、著作者のAnonymous Cowardさんが言おうが、著作物に著作権表示がある以上、それに沿って表示するしかない。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:2)
>2. あなたは自分の『プログラム』の複製物かその一部を改変して『プログラム』を基にした著作物を形成し、そのような改変点や著作物を上記第1節の定める条件の下で複製または頒布することができる。ただし、そのためには以下の条件すべてを満たしていなければならない:
>
>
>a) あなたがそれらのファイルを変更したということと変更した日時が良く 分かるよう、改変されたファイルに告示しなければならない。
>
>b) 『プログラム』またはその一部を含む著作物、あるいは『プログラム』 かその一部から派生した著作物を頒布あるいは発表する場合には、その 全体をこの契約書の条件に従って第三者へ無償で利用許諾しなけれ ばならない。
http://www.opensource.jp/gpl/gpl.ja.html
まず、2のaは改変点の告知義務規定であって、著作権表示の削除規定ではない。
原作者とは改変される前の一時著作物の著作者を指すのであって、ブラウザ用のプログラムを改変しクラッキングツールを作った場合は、ブラウザ用のプログラムを書いた方を原作者と呼ぶのが適切だと思う。
映画の原作者と言えば、小説や漫画を書いた方を指すのと一緒。
ついでに、
著作者とgnuとの間では、gnu側は改変権(同一性保持権)を譲渡されたと言う前提で、一度でも譲渡されればgnuの所有物であり、裁量権はgnuにあると言う前提でいると思う。
著作権表示に関しても、gnuの物になったのだからgnuに一切の裁量権があるという前提だと思う。
それに対し日本の著作権法では、譲渡や破棄は不可で単に契約によってgnuに利用権があるのであり、契約は一方が一方的に解約出来るので「改変不可」と宣言された以後はgnuに改変権は無い。
>そのような改変点や著作物を上記第1節の定める条件の下で複製または頒布することができる
とgnuは述べているが、改変物の複製頒布を許諾するのは宣言以後は日本では違法行為と判断されると思う(微妙だけど)。
2のbに条件はあるが、
>全体をこの契約書の条件に従って第三者へ無償で利用許諾しなけれ ばならない。
と言う契約内容になっているが、契約は一方が一方的に解約出来るので、譲渡されてgnuの物になっていない改変権については「改変不可」の宣言をされた以後は問題だろう。
並立にすればええんちゃう? (スコア:1)
相手国で決められた権利を適用することになってます。
だから、日本で作ってもとりあえず本家版のGPLを正式な
ライセンス条項とし、日本で運用する場合に限りGPLjpを
適用するという形にすればよさげ。
ローカライズの際にいくつかの条項が無効になるでしょうが、
それは法律が違うから仕方ない…と書いたところで、わざわざ
GPLjpを作るまでもないと気付いた罠。
でも、今の日本語版文書は殆ど原文の直訳で日本の法律に合って
ないことも確か。そのへんの表現を修正し、日本で適用されない
部分はその旨を明記してGPLjpとしとく必要はあるかも。
--
Ath'r'onならfloatあたりに自信が持てます
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:1)
プログラムを再利用する側の立場からは GPLやBSDのようにメジャーなオープンソースライセンスはそれを使う上での何をして よいのか、いけないのかが、はっきりしているのがメリットだと思います。またそれぞれのライセンスを受け入れた時点で著作権者に いちいち連絡をしたりせずにプログラムを修正したり公表したりできます。つまり使う側にとってはプログラムとそのライセンスを気にしていれば良いとおもっていました。
ところが著作人格権というものがある。そしてGPLはそれを考慮していない。このことでGPLが全部無効になるとはおもいませんが、GPLで得たと思っていた自由が日本の法の下では一部制限される可能性は確かにあるように思えてきました。
GPLjpはメタライセンス的なものして出来ないですかね。なんとなくですが。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:2)
昨日までは改変を許諾していたが、今日からは禁止することが可能なはず。
しかし、GPLで流れたら、そのまま突っ走ってしまう。
鉛筆を忘れた奴に鉛筆を貸した場合、貸した奴が「返して」と言えば貸与契約はそれで終わり。
改変許諾契約も、改変許諾禁止を宣言した段階で終わりだろう。
Re:「有効と見なせない」理由? (スコア:2)
>契約時の条項に無理がなく、かつその時点で明確に双方が合意していたら
>一方的に破棄されたほうが裁判起こせばまず勝てますよね?
>実質的には意味がないんでは?
契約でよくあるのは、契約の打ち切りは何ヶ月前に言えとか、個々の契約違反に対して違約金を何%支払う様な感じ。
GPLに関しては俺はあまり詳しく無いけど、組織に譲渡出来る前提で書かれていたような気がする(今は読みなおしていません)。
だから、俺は一方的に破棄されたほうが裁判起こせばまず負けると思う。
でも、これGPLだけじゃなくフリーソフト全般にも言えるな。
ふと思ったんだけど、日本の某社の有料ソフトを、ベルヌ条約非加盟、万国著作権条約非加盟で、他国の著作物に対する保護が3年間に限定している国があったとして。
その国の奴が3年経ったからと言って、がっぽりぱくって自分の開発したソフトとしてGPLで流した場合、そのソフトを日本のユーザーがダウンロード(複製)して使うと、これもかなり微妙だな。
台湾を国家として認めてない日本は、昔、台湾政府に対してコピーソフト対策を依頼したが、「中国政府に言ったら」みたいな感じだったそうだ(今は違うけど)。
>あ、今回の件では著作者人格権だけは放棄はできないから
>後から返せが有効ってことですか?
譲渡も放棄も出来ないと言う解釈が主流のようです(これが前提ね)。
複製権とかは譲渡出来るので、組織に譲渡されたと解釈できて、「返して」と言われても返すかどうかは組織側が一方的に決められる。
しかし、同一性保持権(改変権)は、国家が譲渡することも放棄することも認めていないので、契約によって著作者が組織に改変を認めたと言った扱うになる。
契約は一方が一方的に打ち切ることが出来るので(民法ではそうなっているはず)、GPLにはこう言った日本の状況の対策が盛り込まれていないと言う話。
で、GPLの子はGPLって感じの考えとは、改変禁止を宣言されると滅茶苦茶になるので、水と油の様な関係になる気がする。
パッケージソフトも疑問視されている方ですから (スコア:3, 参考になる)
そんなソフト業界を否定するような法律は改正するのが、法律家の仕事かと。
「海外でもまれに見る厳しい法律」と言われる法律の改正に関して
「制限の厳しい法律は外国からは喜ばれても、外圧で改正を迫られることはない」と回答され、分かっているなら、なおさら。
今後のご活躍に期待したいところです。
Re:パッケージソフトも疑問視されている方ですから (スコア:1)
一般の国民にそれほどの権限ないから、一部の権力団体に好き勝手なことやられてるわけで。
国民は政治家に動かされてる存在だよもん。
# ACなのでAC
私的自治の原則は? (スコア:2, 興味深い)
Re:私的自治の原則は? (スコア:1)
「私的自治の原則」は原則であって、例外も多いのです。
多くの法律には「強行規定」(強行法規とも)といわれる規定があります。
例えば、私企業と私人との間でお金の貸し借りがあった場合、私的自治の原則に従えば22%とかでも問題なさそうですが、年20%を超える利息の合意は無効となる規定があります(利息制限法1条)。
※上の例は重要な例外が無視されています。
興味のある方は、「貸金業の規制等に関する法律」を
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi
で参照してみてください。
Re:私的自治の原則は? (スコア:1)
今回は、「GPLがそれを含んでない」って話だと思う。
英/米の著作権法には著作者人格権が法で認められてないんでしょ、確か。
で、"GPLjp"作って"著作者人格権を放棄すること"を条文化すべき、と言いたいんではなかろうかとか。
あるいは配布者が"著作人格権は放棄してます"ということを別個に宣言すれば済む、の、だ、ろう、か。
#法律素人につき突っ込みその他所望
gy0
Re:私的自治の原則は? (スコア:1)
おおっと。
せいぜい"権利を行使しないことをお約束"出来るだけでしたっけね。
gy0
単純に言葉足らず (スコア:2, 興味深い)
GPLには「GPLedソフトの複製・配布・変更をした場合はGPLに同意したものとみなす」
と明確に書かれていますが、
「GPLedソフトを使用した場合」についてはそのように書かれていません。
すなわち、GPLに同意しなくても使用には制限なしというライセンスです。
そのため、「ソフトを使用」に限って言えば
同意してもしなくても使用は可能です。
http://www.gnu.org/licenses/gpl.html
> We protect your rights with two steps: (1) copyright the software, and
> (2) offer you this license which gives you legal permission to copy,
> distribute and/or modify the software.
この中の
"legal permission to copy, distribute and/or modify the software"
に「使用」を含めていないため
結果としてGPLは「複製配布変更許諾書」となり「使用許諾書」になっていません。
ところが、GPLには使用に対して免責事項が書かれています。
無料で配っているのだから何かダメージがあっても責任は持たないよという
使用者に対する宣言です。
しかし、使用者はGPLに同意しなくても使用できているため、
その免責事項は宙に浮いた状態になります。
このGPLそのものが持つ問題は
日本の法律であってもどこの国の法律であっても
同じように問題を持つと思います。
Re:単純に言葉足らず (スコア:1)
それ以前に複製せずに GPLed なソフトを使用する方法はあるのですか?
ローカルのディスクへコピー、メモリへコピー……色々なコピーがありますが。
Re:単純に言葉足らず (スコア:1)
ホームページを見るときの巻 [tobidase.com]みたいなもんですかね?
ブラウザで見るのはいいけどプリントアウトはちょっと待てって内容なんですが
正直 こんなの知らんかったです
公式日本語訳 (スコア:2, 興味深い)
日本国内でGPLライセンスの内容を巡る裁判を起こすことを想定した場合、FSFが公式に認めた日本語訳の存在がない現状ではその翻訳した内容を巡る係争などが考えられ、裁判の維持が非常に難しいことになると思うんですが。
英語版と日本語版とで内容の整合性が取れない事態などを恐れて、FSFが公式日本語訳をこれまで認めてこなかったという事情は理解してますが、そろそろそういうことを言ってられない時期に差し掛かっているのではないかと。
Re:公式日本語訳 (スコア:1)
#そりゃ今のご時勢ですから、外国語の契約書を巡る裁判なんてそこら中で行われてるのは当たり前の話ですし。
もちろん日本語版が存在しても、裁判所の解釈とFSFの意図するところが一致しない可能性は十分に考えられますが、少なくとも公式日本語訳を整備することで、翻訳を巡る争いは最低限防げるのではないかと考えたんですが。
その日本語訳にGPLjpなどといった名前がついて、結果的に本家GPLからforkする形になるかどうかはまた別の話ですが、公式日本語訳を作る段階で日本の国内法との整合性を考慮しないわけには行かないでしょうし、結果的にはforkせざるを得ないような気が個人的にはしてます。
日本法に限らず (スコア:2, 参考になる)
似たような議論がありました。
GPL May not work in German Legal System [slashdot.org]
Europe Discusses Free Software Licenses [slashdot.org](続編)
おもしろいところだと、ドイツ法では
たとえ免責の契約しても、製造物責任の放棄は、公益を害するので
ダメみたいな見解とかあった気が。
そもそも、この議論は、米国のcopyrightの概念を
「著作権」と訳して、そのまま日本で米国と同じ
法律の枠組みを使えると思い込んでる点で
終わってると思うのだが。
極論すれば、
copyrightはコピーし利用するための権利の規定、
一方、著作権は、著作者を守るための規定、
GPLなんてものは米国法の考え方でなければ出てこない代物、
と私は決め付けています。
考え方的におかしいのは米国法のほうで、
そんな国でRMSやコンピュータ産業が育ったのが悲劇だと思うな。
Copyrightと著作権 (スコア:1)
GPLjpなんか作ることを考えるより先に (スコア:1, すばらしい洞察)
オープンソースとかいう言葉が好きな国会議員もいるんだし
国ごとに新しいライセンス作ってたら国際的なプロジェクトなんてできないでしょ。
Re:GPLjpなんか作ることを考えるより先に (スコア:1, すばらしい洞察)
アメリカの著作権法はいろんな意味で「古臭い」上に「過剰」な部分があるので、日本の著作権法をアメリカの著作権法に合わせるのは、むしろ後退。
オタどもがどれだけ騒ごうと国家は存在するのだし、法律は法律。それに従った契約を結ばなければ、当該国内では無効と言われても仕方ないだろう。GPLそのものを金科玉条のごとくありがたがるのではなく、OSDのような「準拠」ということを考えて、GPLの精神を失わない各国向けのライセンスを作るのが、現実的。
Re:GPLjpなんか作ることを考えるより先に (スコア:1)
GPL が Version 2 になって今年で 13年。
当時とは周囲の状況が随分変わってるとも思うので
そろそろ見直す事を考えてもいいんちゃうかと。
別ツリーで GPL が著作者人格権を考慮してないみたいな
話が出てた様ですが,そういったものも含めた改定を行えば
ある程度の問題はクリア出来ませんかねぇ?
・・・って GPL 自体が謳ってるんだし。
誤記 (スコア:1)
○:「著作者人格権」
ですね。
著作権法 第二款 [e-gov.go.jp]参照。
Nullius addictus iurare in verba magistri
日本国内だけのソフトウェアならいいけどね (スコア:1, 興味深い)
GPLによる改変は二次的著作物化ってことではだめなの? (スコア:1)
氏名表示権は自分の著作物を他人の物だと言われないための権利。
A が作成したソフトウェア a に対し、「このソフトの作者は B です」と騙られるのを防ぐために氏名表示権がある。
一方、同一性保持権は自分のでない物を自分の著作物だと言われないための権利。
A が作成したソフトウェア a に対して、Bが改変したソフト a' がある時、
A が、作った覚えのないソフト a' の作者になってしまうことを防ぐために、
同一性保持権がある。
このとき、「a' は A が作ったa を B が改変して作った a とは別の著作物である」と言ってしまえば、著作者人格権は問題にならない。
その場合、B は a' の著作者として著作権を持つが、
a' は a の二次的著作物であり、A も「二次的著作物の利用に関する原著作者の権利」としてBと同じの権利を持つことになる。
(Aが認めたこと範囲でしか、B は a' について著作権を行使できない)
GPLはリンクで感染するか? (スコア:1)
Re:GPLはリンクで感染するか? (スコア:1, 参考になる)
GPLと矛盾するライセンスなコードをGPLの下で配布する事は出来ないので、GPLなコードとGPLと矛盾するライセンスなコードをリンクした成果物を配布する事はGPL違反であり不可能であるという事になるのです。
という訳で成果物を配布せずに墓まで持っていく気ならば、GPLなコードとGPLと矛盾するライセンスなコードをリンクして使用する事も一応可能なのです。
#「GPLと矛盾するライセンス」の内容次第では不可能な場合もあります。
Re:GPLはリンクで感染するか? (スコア:1)
出す構成のソフトがあるとき、GPLなライブラリはGPLに従っ
て配布される必要があるとは思いますが、そのライブラリを同梱し
なければGPLで無いアプリはGPLに従った配布をする必要は無
いのではないでしょうか。
要はライブラリとアプリを別のルートで配布し、ユーザが任意に両
者を集めて使用する、という形態になれば、上記のGPLで無いア
プリの配布も可能なのでは?
ユーザの利便性はともかく。
はずしてます?
Re:GPL自体 (スコア:2, 興味深い)
ソフトウェアの生態系を考えた場合、GPLはESS(進化的に安定な戦略)なんじゃないかと思っている。BSDライセンスはフリーライダーを許すため、ESSではない(だれか、きちんと論証してくれるとうれしい)。
Re:GPL自体 (スコア:2, 興味深い)
> BSDライセンスのようなものの方が良い。
そりゃあんたにはそうかもしれないが
GPL はソフトウェアを自由であり続けさせるための代償だから、、、
ソフトウェアに人格があるとすれば、
複製、頒布、改変をして基本的人権みたいなもんだろう。
我が子(ソフトウェア)を世に送り出す際、
好きに生きろ!ただし俺に迷惑かけんじゃねーぞ!と野生に放つのがBSD。
基本的人権くらいは守ってもらえ。と手形を持たせて送り出すのがGPL。
# プロプラは用心棒付きか?
たくましく育ってもらうには BSD も捨て難いが
子の親としては GPL も悪くない。
uxi
Re:GPL自体 (スコア:1, すばらしい洞察)
あなたにはGPLなソフトを「使わない」という
自由がありますよ。;-)
Re:GPL自体 (スコア:1, すばらしい洞察)
そのライセンス配布されているソフトウェアを
使用する権利が私にはあると主張するのは
自由の範囲を逸脱してますもんね
世界中のフリーウェア作家は我侭なユーザーの奴隷じゃありませんもの
Re:GPL自体 (スコア:1)
保障されない自由は、自由じゃない。
日本でも、その他の国でも自由が保障されているから自由なんだ。
だから日本法で有効かどうかは非常に重要だと思う。
ぱ
Re:GPL自体 (スコア:1)
具体的は、どのような強制力でしょう?
ところで、BSDライセンスと言っているのは修正BSDライセンス [freebsd.org]相当の
ものと考えていいんですかね?
#確かに、古いBSDライセンスは宣伝条項のせいで強制力があるはずですが、
#既に修正済のものが使われているのに、以前のものを引っ張り出しては
#来ないですよね?
---- redbrick
Re:GPL自体 (スコア:1)
>元コメントにもある通り、no warrantyとかじゃないの?
消費者が、原著作者に対して、被害を受けた場合などの責任追求を行う、
という権利を行使しない、という契約のことですね。
契約という形で使用許諾を出す上で、制限というか強制は必ずかかるので、
確かに「なんでも出来る自由」というわけではないと思いますし、
わたし自身は、これは比較的自由な(あくまでトレードオフありの)
ライセンスであると認識していますが・・・、
原著作者に制限をかける(著作物によって引き起こされる被害の保証を義務づける)
自由を制限する、ということが強制的に伝染する、ということをお考えですか?
・・というより、論点がずれてないですか?
契約の強制力は、使用許諾という形式上必要なので、それを否定することは、
原著作物を公開する際の、最初の使用許諾契約という形式がいけない、
ということを主張されているのと同じですので、それは除外して考えて
いましたが、そういうことを主張されているのですか?
#しかし、一方が、相手の自由を、制限する自由を、制限する、というのは
#なんだか循環めいていますね・・・。
>BSDedなソフトウェアをある会社が商用ライセンスでバイナリ配布した場合
>消費者には元のBSDedなソフトウェアの免責条項にcommitしてないよな。
バイナリ配布の時にも修正BSDライセンスの文面を同梱するよう指定されて
いますし、それに同意しない限り、使用することは許諾できない
(と、明確にライセンスに書いてある)と思いますが、そういう話では
ないのですか?
しかも、その場合でも、商用パッケージになったとは言え、改変されて
いない部分は原著作者の著作物であり、その使用許諾にのっとっている
だけで、伝染とかそういう話ではありませんし。
例えば、商用パッケージにまとめる際に、改変した部分だけをパッチとして、
修正BSDライセンスと矛盾しない別ライセンスで配布するのは可能ですよ。
でも、それに対して元の著作物のライセンスの縛りは、双方が矛盾しない、
という制約以外にないと思うけど、違ってます?
#商用パッケージになったら、必ずGPLedやBSDedの著作物は、完全に
#別の派生物になる、とか思っていませんか?
#それは重大な勘違いでしょう。
>商用ライセンスがその会社の免責をうたっていたとしても、
>元のBSDedソフトの作者の免責まではうたわないことも十分ありうる。
それは、その著作物を商用ライセンスで販売した会社の、単なる使用許諾違反。
再配布する際に免責条項が入っているライセンス文面を同梱していない、
免責のあるライセンスであることを明確に示していない、ってことでは?
改変しない部分は、バイナリになっても著作物なので、原著作者のもの
ですから、当然のことですよね。
もしかして勘違いされているのかもしれませんが、修正BSDライセンスは
著作権の譲渡や放棄は一切していませんので、他者が改変した部分以外は
原著作者の著作物のままですから。
>つまりGPLは派生物のライセンスを束縛するからこういう問題はおこらないが
>BSDが派生物のライセンスに言及しないために起こる問題もある。
派生物のライセンスはそのライセンスを選択した派生物の著作者の問題で、
元の修正BSDライセンスの問題じゃないですし。
#修正BSDライセンスは、派生物のライセンスの制限がないため、著作者が
#ライセンスを選択できる自由がある、って事ですよね?
それを修正BSDライセンスの免責に絡めて述べる理由がよく分からないのですが、
一体どういったことを主張されたいのでしょう?
>こういう問題を避けるためには、BSDライセンスにno warrantyの
>強制的伝染性を認めるしかない。
修正BSDライセンスは著作権を放棄していないので、公開時点の原著作物から
改変されていない部分は原著作者の著作物で、著作物のライセンスを
変える等の著作者の権利の譲渡や放棄はしていません。
また、原著作物のライセンスの話なので、伝染する先はありません。
派生物のライセンスに対しての縛りは(ライセンスの整合性以外は)ありません。
#改変していない部分を一体として配布する際に矛盾しないライセンスとして、
#同じライセンスを選択する、という場合はあると思いますけど、
#それは別の選択肢がある
#(改変部分のみを別ライセンスで別の実体、パッチなどとして配布する)
#ので、強制ではありえませんし。
---- redbrick
Re:GPL自体 (スコア:1, すばらしい洞察)
「GPLに従うかまたはGPL Codeを使用停止するか」ならそうですね。
ソースの要求(「公開要求」ではなく)をすることは、
バイナリを受け取った人なら誰でもできます。
これは重要だと思うぜ (スコア:1)
「ライセンス」= 権利者が権利使用者に一方的に押し付ける許可
「契約」= 義務の交換。(同意して初めて成立する)
両者は違うとのこと。日本の法律ではこの辺、どうなのかしら?
Moglen 教授の説明を読むと、 (スコア:1)
運転免許は、道路の権利者が、運転者にある一定の条件で道路の使用を許諾するライセンス。(私道だったらいくらでも無免で走れる)
GPL は、ソフトの権利者が、使用者にある一定の条件でソフトの使用を許諾するライセンス。
これってやっぱ、狭義には契約とは呼べないんではないかなあ。