日本は「OSS界のガラパゴス諸島」か? 396
ストーリー by mhatta
せめてゾウガメはいてほしい 部門より
せめてゾウガメはいてほしい 部門より
aurora曰く、"ITmedia エンタープライズに
日本におけるOSSの幻想――OSS界のガラパゴス諸島、ニッポン
という記事が掲載されました.
日本は「OSSのガラパゴス諸島」であり,貢献に対する関心は低く,いびつな変質を遂げたユーザーコミュニティーも存在すると厳しい見方が示されています.
結論としては「肝心なのは日本で閉じることなく、グローバルに出て行くこと」ということのようですが,/.J のみなさまはどうお考えでしょうか?
日本が本家の Ruby のコミュニティの状況や,うまく行っているコミュニティ例なども期待したいと思います。"
編集者自身は同じ会場にいたものの、記事の元となった講演は聞いていなかったのであまり大したことは言えないのだが、個人的な意見を少し述べておきたい。
まず、いわゆる「日本語化」パッチなど、本当にローカライズしか考えていないソリューションの行く末(大抵人手が足りなくなって、「本家」の進展に追従できなくなる)をいくつも見てきた編集者からすると、結局日本と言う一国の内で閉じこもって開発するより、世界中を巻き込み、あるいは巻き込まれたほうが後々*ラクができる*ということはいえるように思う。
また、日本の場合どうも物事をみな所与の与件として捉え、それは自分たちでは変えられないと思ってしまう風潮が強いような気がする。「ユーザ」会(この名称は個人的にはあまり好きではないのだが)としてせっかく人が集まっても、結局メンバ同士の細かなノウハウの交換(それ自体も重要なことだが)程度に留まり、積極的に開発そのものに*直接*口を出すという雰囲気にならないのは歯がゆいことである。
お願い、エライ人! (スコア:3, すばらしい洞察)
とはいうものの、やっぱり自分自身、友人知人にTeXやMozillaやLinuxを薦める時には、「タダだからさ」と言ってしまいます。いまWindows, IEで間に合ってる(と思ってる)orいっぱいいっぱいな人達に、同級生の私が別のソフトウェアを薦める時に、「○○ってのはオープンソースでね、世界中の人達がよりよくしようと自発的に頑張ってるソフトで、君もバグを見つけたら修正したりできるし、ひきかえWindowsってのは…略」と語っても、「めんどくさそう」で終わってしまいます。
個人的には、OSSの理念や活動スタイルを、「情報処理基礎」などの授業ではっきり講義して欲しいと思います。エライ人からそういうものだと言われたら、なんとなく納得して、記憶の片隅にとどめてくれそうな気がします。
# 開発には貢献できないけど、学校でTeXやLinuxの普及活動をしているのでID。
Your 金銭的 potential. Our passion - Micro$oft
Tsukitomo(月友)
Re:お願い、エライ人! (スコア:2, 興味深い)
>
> 自分の利用には関心があるが、貢献に対する関心は低いようだ。「とりあえずタダなんだから使いたいというのは日本だけでなく、アジア圏に特有な思考なのかもしれない」と佐渡氏は話し、OSSに対する理解の重要性を説いた。
>
ここに「欧米>>>>>>>アジア」な臭いを感じたのは俺だけかな。
> 同級生の私が別のソフトウェアを薦める時に、
> 「○○ってのはオープンソースでね、世界中の人達がよりよくしようと自発的に頑張ってるソフトで、君もバグを見つけたら修正したりできるし、ひきかえWindowsってのは…略」と語っても、「めんどくさそう」で終わってしまいます。
そりゃ、アジアの人に限らず、大抵の人がそうだろ。
それは単なる宗教活動でしかないから、興味がない人には受け入れられない。
最初は「タダだから」で全然いいじゃん。
そこから、「○○なのは不便だ」で、「じゃあ、俺が直す」だとか、「俺が文句言ってやる」とか、「文句言われて悔しいから、変える」
というのがオープンソース、だと思うんだけど。
> OSSの理念や活動スタイルを、「情報処理基礎」などの授業ではっきり講義して欲しいと思います。
むしろ、こんな講義しないほうがいいと思う。
オープンソースについては、紹介だけでいい。布教活動は要らない。
思想なんてどうでもいいから、「俺はこういうソフト作りたいけど、みんなやってみない?ソースは共有するからさ」
という思いでやるほうが、上手く行きそうな気がするけど。
Re:お願い、エライ人! (スコア:1, すばらしい洞察)
ここから先をつい言ってしまうから、みんな「めんどくさそう」で止まってるんだと思うよ。ここから先にあるのはどう考えても「愚痴」しかない。愚痴られるとどんな意見でも聞く気失くすって人は少なからずいると思うし。
残念ながら (スコア:2, すばらしい洞察)
技術系MLの問題にも (スコア:2, 興味深い)
貢献するしないの前に、実現したいモノがないんじゃないだろうか。
だから「問題と解決」しか残らないのでは?
# と、邪推してみたり。
--
夢を語るのはそんなに恰好悪いことなのだろうか?
日本的良識が邪魔をする (スコア:2, 参考になる)
転じて普段目にする日本人エンジニアの平均的な良識を考えると、そういった行動はなかなか難しそうだから、結果として外国の流儀で寄与する割合が小さくなるんじゃないかなという気がします。日本人は、どうしても完成度の高い物や考え方ができてから提示しようとしてしまうし、そうでない物を見るとみんなで寄ってたかって欠点ばかり必要以上に叩いて潰しちゃいますよね。
モチベーションを再認識すべき (スコア:2, すばらしい洞察)
フリーソフトウェア(あえてこう言おう)の基本なわけで
上流へのコミットがどうなるかまでは
考えなくても良いのではないのかな?
そもそもライセンスさえまもれば自由なわけで
海外に目を向けるかも当然自由では?
そりゃ結果的に海外に広まればうれしいだろうけどね。
ESR以降 (スコア:2, 興味深い)
大学の授業の一部として GNU の話は教えていました。
私が教えていた10年ぐらい前はまだ「オープンソース」という言葉はまだそれほど一般的ではなかったので「オープンソース」という言葉は使っていませんでしたが、GNUというムーブメントと、それがどんなものでなぜそういったものが出てきたのかという話をしていました。
#でも、今から思ってもやっぱり理念をきちんと明確に示しているのは「フリー」の方なんじゃないかとも思う今日この頃。
そういった関係もあって、ずっと流れを見てきましたが、Eric S. Raymond の "The Cathedral and the Bazaar" 以前と以降では日本における「コードを書いて共有しよう」文化に大きな違いが出てきているように思います。(PC系シェアウェア文化を除く)
ESR は「コードを書く人」でした。「コードを書く人」が「コードを書くよりやるべきこと」を見いだして論壇(?)に乗り出したように私には見えました。
でも、ESR以降、日本で流行ったのは「コードは書かないけど、論を書く人(書き散らす人)」なのではないかと思います。
ESR は(わたし的には偏ってるように見えますが)評論家としても、コードを書き、プロジェクトを動かす人としての裏付けが深みをあたえていますが、日本の特に Linux まわりに出没している人たちは ESR の粗悪なコピー品に過ぎないんじゃないかと思えます。
「それ、ESRのマネにもなってませんから。残念!。粗悪なコピー品斬り!」みたいな。
もちろん、コードを書くだけが全てではないのですが、コードを忘れてメタな議論だけを戦わせ、論壇気分を味わっているだけでは空しいことに気づく必要があるんじゃないかと思います。
本来の「オープンなコード」を支える人たちなら、暇があったらコードを書いたりプロジェクトを回したりしてたいはずで、論ばかり書いたりしゃべったりしてるはずないんです。
逆に、地道に「オープンなコード」を書いている人たちで、注目を集めちゃった人たちはコードを書く時間がなくなることを嘆いていたりもします。
「オープンなコード」がなければオープンソースは成り立ちません。ベースを忘れた空虚な議論だけが回っているさまはまるで実態のない狂乱のバブル経済を彷彿とさせてしまいます。
バブリーな評論家に踊らされず、フリーなコード、オープンなコードを実際に増やしたり質を高めたりすることにこそリソースを割きたいものですね。
#その点では坂村健に(誤解に基づいて)くだらない喧嘩を売って時間を浪費させたようなことこそが「コード」を書いて楽しんで、また共有することで社会にフィードバックしようという人たちの敵なんじゃないかと思います。
グローバルに活躍しているOSS開発者の見解 (スコア:2, 興味深い)
以下抜粋
Re:グローバルに活躍しているOSS開発者の見解 (スコア:2, 参考になる)
まつもとさんの翌日の日記、
「改めて考えるとなにがトクなのかよくわかんないんだよね。」 に対する解答。
なぜグローバルか、私の場合 [rubyist.net]
これって (スコア:1, 興味深い)
自分はBSDコミュニティ主体で見てるんで、決してリンク先で言われるようなひどい状況ではないとは思うけど。
ディベートの技術とかはあまり鍛えられてないと思うふしは多いけど、おんぶにだっこではなく、自分もコントリビュートするんだ、という意思は感じますし、実際コントリビュートしてますよ。
「Linuxユーザはこんな状況だ」って言ってるだけじゃないのかなぁ。あるいはちゃんとしたコミュニケーション能力があって、コードのコントリビュートもできるユーザはBSDコミュニティにいてLinuxコミュニティはその残りってのが日本の状況だ、ってことだけじゃないの?
佐渡氏の周辺ではそうなのでしょう (スコア:3, すばらしい洞察)
○○ Japan というようなコミュニティを作ってその中だけで生きている人達とは別に、○○ Japan の中にも顔を出しつつグローバルなコミュニティの中で活躍しているコードコントリビュータはたくさんいます。そういう人達から見れば、佐渡氏がガラパゴス諸島と呼んでいるコミュニティはそもそもどうでもいいわけで、アクティブなコントリビュータが出て行った後のガラパゴス諸島を眺めれば、そりゃ、まさしく佐渡氏の言う通りの状況だとおもいます。
屍体メモ [windy.cx]
日本の野球はダメだ? (スコア:1)
重要なのはその人がどのコミュニティに属しているかということじゃなくて、何をしているか、ということでしょう。そもそも「○○の国のコミュニティは」とか「○○はアジア圏特有の~」とかそういうグルーピングをして語るべきではない。どのコミュニティに属していようが、極端にはアレフ信者であろうがネオナチの中の人であろうが個人として参加する自由が開かれているのがオープンソース。
だいたい、あれっとおもったのは、「○○-jpとして本流から離れてしまうことは~」のくだりで、じゃぁ sourceforge.jp とかにせずに sourceforge.net に多言語対応コードの開発を支援する機能をつければ良かったんじゃないの?スラッシュドットだって・・・てなことを思ったわけです。
屍体メモ [windy.cx]
Re:これって (スコア:2, 興味深い)
過剰反応だと分かっていながらもカチンとくる (スコア:1)
「あんたの知らんところで貢献している人はたくさんいるんじゃ。
それがオープンってこと。」
屍体メモ [windy.cx]
Re:過剰反応だと分かっていながらもカチンとくる (スコア:2, 参考になる)
言葉の壁も要因としてあるだろうけど、何かと前に出ない、
物陰に隠れている人が日本には多いってのも原因なんではないかなぁ。
プライバシーだとか何だとか気にする人も多いんだろうけど、結局、
人そのものがオープンでなくて、言葉が通じる通じない以前にまともに
コミュニケーションを取ろうとしていない。自己主張もできてない。
結果、理解されず、取り残される。
コード書くだけがオープンソースじゃないから、技術力云々は関係ないよね。
ドキュメントだったり、マーケティングだったりする訳で。なんだっていいのに。
今の世の中、オープンにした方が得だと思うんだけど、
なんでそうしないのか、個人的には不思議。
ま、物陰に隠れている人が多いおかげで、
目立つチャンスがあっていいんだけどさ。
ぱ
Re:これって (スコア:1)
例えばKDEプロジェクトだと現在コミッタの1022人のうち日本人は5,6人しかいません。
ガラパゴス諸島ってどういう例え? (スコア:1, おもしろおかしい)
全体の論調から言って、なにかけなしたいのだと思うのですが、意味がよく分かりません。
ただ、よくわからないけど、ガラパゴス諸島に失礼じゃないかなあ、というくらい。
Re:ガラパゴス諸島ってどういう例え? (スコア:2, 参考になる)
統計学の知識なんて皆無だし、有効なデータかどうかも分からない、ツッコミどころ満載だけどとりあえず。
調査方法
1. SourceForge.netのTopicごとのプロジェクト数 [sourceforge.net]とSourceForge.jpのTopicごとのプロジェクト数 [osdn.jp]を収集。
2. SF.net、SF.jpそれぞれ別々に、
(Topicごとのプロジェクト数)/(全てのTopicのプロジェクト数合計)*100
で、Topicごとのプロジェクト数の割合を算出。
3. 各トピックごとに
(SF.jpでのプロジェクト数の割合)/(SF.netでのプロジェクト数の割合)*100
で、SF.netとSF.jpのトピックごとの偏りを算出
これによって日本が他の国と違う方より方をしているかを調べようという無茶な試みです。
ここで、SF.netで開発してる日本のプロジェクト(またはその逆)やSourceForge以外のOSSプロジェクト、
どれだけのプロジェクトがちゃんと活動しているのか…などの要素は完全に無視されています。
参考にすらならんが、と思ってみてください。
Communications 149.54%
Database 84.87%
Desktop Environment 156.92%
Education 48.64%
Games/Entertainment 66.87%
Internet 110.13%
Multimedia 78.89%
Office/Business 76.74%
Other/Nonlisted Topic 129.45%
Printing 275.07%
Religion 0%
Scientific/Engineering 63.24%
Security 43.3%
Sociology 66.49%
Software Development 120.71%
System 75.84%
Terminals 83.64%
Text Editors 262.88%
1を聞いて0を知れ!
Re:ガラパゴス諸島ってどういう例え? (スコア:1)
#googleで「進化から取り残された」+「ガラパゴス」で検索すると
#それなりに見つかることは見つかるし。
そもそもガラパゴス諸島にいる生物が進化していないわけではなく、
むしろ厳しい環境に適応して様々に進化しているがためダーウィンが研究の対象にしたのだから、
「進化から取り残された」と言う意味で使うのは若干違っているんじゃないかと。
冒頭に書いたとおり、使っている人はいる訳なので、どこかの常識で考えれば、普通なのかもしれませんね。
これも環境に適応した進化というやつか。
Re:ガラパゴス諸島ってどういう例え? (スコア:3, すばらしい洞察)
私は、「外の世界では生きられない狭い世界のみでのみしか通用しない方向へ進化?している」と読みました。そもそも、この「ガラパゴス発言」自体が、大きなツリなんじゃないかと思う。皆、威勢良く食いついているし。
ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:1)
和ジラ [mozilla.gr.jp]とか見てるとそんな風に思ってしまいます。。。
かといって、日本人が国際化とか考えずに作り出したプログラムは、多くの場合あんまり国際的には注目されなかったりするし。。。
# ああ、こういう考え方はよくない、よくないなぁとは理解できない訳ではないんだけど、どうしてもネガティブになってしまうよ、こういう話題わ (;_;)/ 。
むらちより/あい/をこめて。
追記 (スコア:3, すばらしい洞察)
そもそもこの /.-j のシステムは本家に対してどうよ、とか思わなくも無かったりするわけですが。。。FoF とか、盛り込まれるんでしたっけ?
むらちより/あい/をこめて。
Re:追記 (スコア:1)
それを禁句と言ってしまう時点で既にオープンとはいえない状況なわけですが。。。なんて、開発に参加もしていないおいらが言えた義理でもないのですが。。。
# 仕事しよ (~ ̄- ̄)~
むらちより/あい/をこめて。
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:2, 興味深い)
OSSに限らず。
でも、商用ソフトウェアでは早期に日本語対応してくるケースが多い。
言語的距離が遠いってだけだったら、中文版やハングル版が結構あることなどが納得できないし、むしろそういった国々の方が需要はあるはず。現に、いわゆる私製日本語版は多いわけですし。
成果を本家にフィードバックしないというのは、やっぱり、日本人の性格とかソフトウェア界の雰囲気みたいなものが大きいんですかね。
# いや、訳は出来ても英語のコミュニケーションが出来ないから…という説も。
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:2, おもしろおかしい)
英語が読み書きできてもコミュニケーションができていない事例 [hatena.ne.jp]
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:1)
和ジラに関しては、ローカライズが目的ではないプロジェクトの代表例として例示したつもりです。和ジラの目指しているのは、基本的には Bugzilla-jp [mozilla.gr.jp] で報告されている独自のバグに対するパッチの、本家洋ジラへの吸収であったかと思うのですが、実績に乏しい辺り、まさに今回の話題にぴったりの例であると言えるんではないかと思い、例示させていただいた限りであります。
# 物凄い勘違いをしているかもしれません。。。指摘していただいた方がむしろ嬉しかったり。
むらちより/あい/をこめて。
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:2, 参考になる)
ちなみに日本人がローカライズ以外の部分で貢献した事例を一つ挙げると、Sodipodi [sodipodi.com]というベクターベースのドローエディタがあるのですが、もともとGNOME 1.xベースだったのをGtk+2ベースに移行する作業は岡充氏によるものです。
Re:「和ジラ」失敗の理由 (スコア:2, 興味深い)
ありがとうございます。仰る通りです。
本来であれば、本家 Bugzilla へ直接 commit してゆくべきなのでしょうが、英語でやり取りを行う自信のないおいらのような人間にとって、Bugzilla-jp のような受け皿の存在は非常にありがたいものです。
ただ、そうは思いながらも、いつのまにやら、Bugzilla-jp に書き込む前に、わざわざ本家 Bugzilla で類似する bug が見つかっていないか、確認しに行ってしまう自分がいたりして、効率悪いよなぁなんて思ってしまうこともしばしばあって。。。過去に、いくつか bug 報告したこともあったのですが、正直あんまりお役に立てていないよなぁと言う負い目もあって、このような発言になってしまった部分もあります。
オープンソース開発の場合、国際的な枠で見ようとするからか、英語を始めとする外国語でのコミュニケーションに不安を抱いているという意見が多数見受けられますが、おいらの場合はそれ以前の問題で、ネット上での、相手の顔が見えないという限定された条件でのコミュニケーションに、既に不安を感じてしまっていると言う部分があります。具体的に (そして感覚的に) 言えば、古くからコミュニティーに関わっている人が、会社で言うところの課長・部長クラスのようにエラい人に見えちゃって、それで萎縮してしまうような、そんな感じです。
# 本気度は半分ぐらいです。これを全力で同意してしまう人は、きっとプログラマーの職に着くのは無理とは言わないまでも、かなり難しいんじゃないかと思います。それでも、普段から同じ職場で顔をつき合わせて仕事している人のほうが、コミュニケーションとりやすいのは当然のことかと思います。
それでも Mozilla に関して言えば、日本人が比較的積極的に関わっていると言えるプロジェクトの一つであることは確かだとは思います。それこそ世の中には、例えば KDE のように本流側から日本語への対応が打ち切られそうになってしまったものもあるし、それでなくたってそもそも日本人からは見向きもされないプロジェクトだって星の数ほどあるわけで。
ただ、そんな現状を指差して、日本はオープンソースのガラパゴス諸島だなんて言ってしまうのも、そりゃああんまりだと思うのですよ。もちろん、積極的にオープンソースに commit している人たちからして見れば、言葉の壁がなんだ! っていう元気な気持ちも理解できないわけではありません。でもその理解は、例えばシューティングゲームができる人の気持ちを理解する、の理解と、ほぼ同じ意味合いになるでしょう。そこで弾を避ければいいじゃない、なんていわれたって、無理なモンは無理なんだし。
# だからこそ、長い時間をかけて習得し、馴染んでゆかなければならないことなのではありますが。
逆に、例え日本で閉じていたとしても、あるいはライセンスだってオープンソースとは程遠いようなものであっても、いいプログラムを書ける人は日本にだってたくさんいらっしゃる。オープンソースと言うやり方は、数ある開発手法の一形態に過ぎないわけで、もしかしたら日本人にしてみれば、オープンソースと言うやり方よりももっと相応しいやり方、馴染みやすいやり方と言うものがあるのかもしれない、という考え方もできると思うんです。例えば、Blog というコミュニケーションの形態が広まっていったように (少なくとも日本では BBS というやり方よりも Blog というやり方の方が広く親しまれているように思います)、個々人が開発したプログラムを、誰かが書き換えては自分で公開して、ということが繰り返されてゆくうちに、物凄く多用な亜流のプログラムが出来上がっていって、その中のいくつかがだんだん定番化してゆく、という流れは、たとえば Wiki 系のプログラムなんか見ていても結構見受けられるなぁとか思ったりするわけです。
オープンソースと言うやり方が定着することはなくとも、プログラムを作ると言うこと自体は、決して日本だって引けを取らないんじゃないかな、とおいらは思っています。最初からやり方を一つに絞っちゃって、そのやり方が浸透しないからって、日本だけ遅れてるみたいな言い方をしちゃうのはあまりにも暗いし、悲しいことだと思います。それならばむしろ、日本だからこそ浸透してゆくようなやり方を模索していった方が、建設的で健康的なのではないでしょうか。
# 無駄に情緒的な上にまとまりのない長文になってしまってごめんなちゃいなのです。。。
むらちより/あい/をこめて。
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:2, すばらしい洞察)
たぶんなんとかなります。
まともなものを提供していればムチャクチャな英語でも
理解しようとしてくれますよ。
そうやって英語力はついていくもんです。
Re:ローカライズ以外に何をせよというのか。 (スコア:2, すばらしい洞察)
とにかく英語で書いて伝えてみることが重要。
先のコメントにもあるが、相手が英語圏の人でなければ、たいてい理解しようとしてくれる。英語圏の人であっても、書かれた文章がつたないものであれば、ある程度はレベルを合わせてくれるもんです。
私もあまり英語は得意ではないが、何度と無くそういったことをやってきた。少なくとも全く意思疎通ができなくてあきらめたということはほとんど無い。
masamic
Re:せめてゾウガメはいてほしい (スコア:1)
思っていたのですがまさかそんな悪い印象があったなんて・・・・
ガラパゴスの中の人に悪いと思わんのかね?
実は、単に業界には
「多様化をよしとする人種」と「統一を目指す人種」
がいて、せめぎあっているだけなんでしょうかね?
ローカライズパッチを送るときの問題なんて
単なる個人の資質の問題じゃないかと思うんですが
それを「日本のメンタリティ」に広げてしまっているのも偏った見方です。
タレコミリンク先は言語の壁だけではないというご意見の
ようですが、周りに英語圏のマナーを指摘してくれる人材が
少ないだけでしょう。
というか英語読むだけで大変なんです!!!分かってください!!
日本のコミュニティに日本語で参加してくれる英語圏の人がどれだけいますか?
あと日本には伝統的に「外圧に弱い人種」が沢山いるようです。
外圧で変わることは悪いことではないと思いますが、弱いのは
いかがなものかと・・・・
# 何もITMediaの記事に出てくる方のことを指しているわけではないですが
Re:せめてゾウガメはいてほしい (スコア:1)
あーた自分でカラパゴスと書いといて...
# わらったのでID
Re:英語力の問題 (スコア:1)
と考えると、開始時期を早くしても効果なんかまーったくないと思う。
そもそも英語に関する興味や自信を潰してるのが...って話もあるし。
Re:英語力の問題 (スコア:1)
#早期教育した場合は色々違ってくるのかなぁ。
英語の能力よりも、意思(下手でも何でも意見表明しようとするクソ度胸)と努力(相手が分かるまで身振り手振りイラスト、アニメーション総動員でがんばる)の方が大切だと思うのですが如何でしょう?>国際的な場
誰と話し、何を読むか? (スコア:4, すばらしい洞察)
例えば・・・
という人たちは周りに大勢居るはずです。
英語をたっぷり教え込んだとしても、「日本人としか話さないor日本語の本しか読まない、から英語は忘れました。」という人が量産されるだけでしょう。
#外国語の本を読むよりも、母国語に翻訳された本を読むほうが間違いなく簡単だし抵抗も無い。
#2ヵ月後に翻訳されるというなら、大半の人は待つのではないか?
Re:誰と話し、何を読むか? (スコア:3, すばらしい洞察)
義務教育でこれらのことを教えるのは、「どの子にも野口英世になる可能性や、樋口一葉になる可能性を与えておく」という趣旨です。
「自分はアインシュタインになったので、歴史の学習は無駄だった」という結論にはなりません。
そもそも学校で英語の種をまいておかないと、「二ヶ月後に出る日本語版」を作ってくれる人が増えないんじゃないかしら。 で、この仕事は別に学校じゃなきゃできない仕事でもないと思います。
なんというか、学校の責任にしても何か得られる気がしないんですね。
また、日常生活で英語に触れる機会がないのは問題点ですけど、機会を増やす方法なんて望めないんじゃないかな。
日本の生活は日本語で営まれて当然だし、そうであるべきだと思います。
英語に限らず、たいていのことは必然性が出てきたら嫌でも身に付きます。
そのとき英語の種を持ってないよりは、持っている方がいいでしょう。
重要なのは、学校を出たあとであっても、本人が必要だと思った時に、より生に近い英語を学べる環境があるかどうかじゃないかと。
[わかってもらうことは難しい。わかってあげることは、もっと難しい。]
Re:誰と話し、何を読むか? (スコア:2, 参考になる)
多くの英語の文献が日本語に翻訳されており、日本人はほとんど英語を読む必要に迫られることがなく、
ある意味恵まれているということです。
他の(アジアの)国では専門知識を得ようと思ったら英語を読み、使うことは避けられないので、
嫌でも英語を話せるようになってしまうそうです。
ちなみに彼の英語はかなり流暢で、海外で生活していたのかと訊くと、そんなことはなく英語は全て独学で、
外国に来るのも日本が始めてだそうでした。
英語を習得できるかは、自分が将来どうありたいかというモティベーション次第とのことでした。
Be generous with your life.
Re:英語力の問題 (スコア:3, すばらしい洞察)
たとえ修得できたにしても,使わなければすぐに忘れます. たとえば数学で言うと,三角関数にしろ,微積分にしろ,学校を出て数年も使わなければ忘れてしまうでしょう.それと同じ.
英語の早期教育を主張する人は,子供の英語力を保つだけのためでも, 日常から家庭内では英語を使うくらいの努力が必要なはずですが, そんなこという連中に限ってそんなことやりもしない.
英語での交渉能力は,それこそ必要になれば身に付きます. それよりも,日本語でいいから,論理的に説明する能力と, 冷静に議論する能力をつけて欲しいものです. ディベート訓練とかね. どうせ日本人は,日本語で言える以上に複雑なことを 外国語で言えるわけはないのだから.
英文の種別 (スコア:3, 興味深い)
そうとは言い切れない。
私見としてだが、英文には2種類ある。ネイティブ向けの英文と非ネイティブ向けの英文である。
前者は、語彙が多めで、かつ、鍵となる単語(動詞が多い)や熟語を「柱」としてそこから取れる意味に付いては記述を省略した文章。
後者は、少な目の語彙(専門用語は除く)で、細かな記述を積み重ねるようにして記述した文章。
前者では、柱となる表現さえ認識できれば残りを流しても文意が理解できるので、文章としての密度が高く、ネイティブには有用な表現である。反面、「柱となる部分の単語を知らない」等の事象に逢うと、文全体が意味不明となる。新聞記事などは概ねこちらに属する。また、文芸作品も語感の関係でこちらに属する物になる。
逆に後者は、文の冗長度が高めで、くどい表現になりがちだが、未知の単語を読み飛ばしてもある程度文意が理解でき、そこから、未知の単語の意味を類推することすら可能な文章で、規格書の文等はこちらに属する。(但し、法関連の文章は例外的に非常に難解)
平均的英語力の人間にとっては、前者は「読み難い」英文で、後者は「読みやすい」英文に感じる筈。内容的には、前者が平易で後者は難解な事が多いんだけど。
ここから先は、完全な想像だが、後者の英文が書ける人間は、英語圏の人間の中でも少数派なのではないだろうか?
そして、国際的な活動を行うには、後者の英文を記述する能力が要求される。その点では、実質的ハンディは殆ど無い。寧ろ、非ネイティブの方が、英語以外の言語で思考できるという点で、別の利益を受けている気がする。
//例えば、usb.orgにある仕様書って、凄く読み易いんだよね。個人的嗜好に合ってるだけかもしれないけど。
-- Buy It When You Found It --
Re:英語圏の人はいいなぁ (スコア:1)
# なんか世界共通言語表みたいなのってあったような気がする。
Re:英語圏の人はいいなぁ (スコア:1)
(Wikipediaによれば、普段話されている言語別人口順位で堂々の9位! [wikipedia.org])
#日本語しか話せないので、日本語推進中(^^
Re:英語圏の人はいいなぁ (スコア:2, 興味深い)
「ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 」の一部の巻が現在絶版中だ。たのみコム [tanomi.com]で、復刊交渉中だが、このような良書が絶版になるということは、情けないことだ。
masamic
Re:英語圏の人はいいなぁ (スコア:1)
>人達が居るのに、何故に今更新しい言語を作る必要があるのか?
エスペラント語は、表音言語です。
基本的にヨーロッパ文化圏の言語を基に作られていますので
公平かどうかは微妙です。
# 表意言語にしろというわけではないです
# OSI標準があっても、TCP/IPが事実上標準なのと同じなんだと思ってます・・・
Re:OSSマンセーも同類 (スコア:2, すばらしい洞察)
MLやBBS、newsgroupの英語に日本語で返事したらあかんか? 日本語のMLに英語で書いてきたときだけ嫌がらずに返事が英語で、英語のMLには英語でってのもなんか嫌ですね。
とりあえず元のコミュニティならその中で日本語ML作ったり、Webをいろんな語で管理したり、言語を限定しないMLがあって、読める人だけ読めばいいと思うんですが。Project Looking Glass な人も、そういう考えに近かったように思います。
言語別になってしまうのは、英語できるひとはできない人にも英語つかえとか無理言って、間に入ってくれる人が少ないからかと。
Re:OSSマンセーも同類 ←? (スコア:2)
なんていうか元記事でも出ている「ローカル化パッチ」なんですが、
問題解決に対する姿勢のあり方の違いなんじゃないですか。
現場主義と言うのか結果オーライ主義と言うのか良くわかりませんが、
魚を守るのに、ネコを払うかそれとも良い場所を探して魚をしまうか?
世界の各地で現地のネコに対応出来るプロを探すより、
世界のどこでも使える多魚対応魚プロテクターを作った方が
後々楽だと思いません?
何よりネコ払いのプロも人ですから飽きたりどっか行っちゃったりします。
そうならないように知識を共有して誰でも対応出来る体勢を作る方が素敵ですよね。
前者が l10n、後者が i18n の例えですが、何故「ローカライズした方が重要」
とする結論に辿り着いたのか、私には理解できません。
物事には複数の解決法があり、それを選択する自由も OSS の考え方
ですから貴殿の考え方を否定したりは決してしませんが、
異なる技術者同士で利害を離れて意見を交換し、よりよい物、環境が
出来る OSS のメリットも私は大好きですし、何よりも優先して実践したいと
考えています。
その前提で、ソフトウェアの国際化に関して考えた時
「出来る事なら l10n より i18n」の優先順位の取り方は
間違っていない、むしろ自然な物だと思うのですが、何故
「切り捨てだ、OSS が解ってない」と氏を批判、否定します?
OSS の基本は強制でも排除でも無くなによりも相互補助の考え方ではないですか
何故「ローカル充実の方がユーザの為」だと考えるのか、
その考え方を共有して頂けませんか?何か見えてくるかもしれませんよ。
「本家/本流」っていう表現はどうかと思った (スコア:2)
1.まずネコ払いの上手なプロに各地でネコを払ってもらう
2.各地で集まりネコ払い職人の技を学び、共有する(ローカルの充実)
→ローカルでの知識DBが充実する、
3.地元の知識を異文化交流に慣れている人が開発元へ還元する
(大本ツリーへのコード提供)
の順番であるべき、って事でしょうか。
ローカル至上論を唱えている方たちは、現状段階2ですら
満足に出来ていないのに、3を考えるなんて時期尚早だと、
グローバル優先論を唱えている人は、あくまで最終目的に
向けて急ぐべきで1,2、を早くしろと焦りすぎていると。
または2,3を同時にこなせる人材の育成を急ぐべきだと。
であれば思いも目標も非常に近い、利害の一致する関係なのに、
否定し合う人も居るのはなんだか勿体無い話ですね。
そして:
>本流がローカルを考えていないがために、
そんなの嘘です。考えていないんじゃありません。
その為の知識と経験を積んでいないんだから現実出来ないんです。
だから細かいブランチで必要とされる経験や知識を持った人が、
早く本流の一部に加われるようになれば良いと。
一度取り込まれれば引き算の理論で無く、人数が力に変わる
足し算の理論で動き始めるのが、適切に運営されたチーム、団体ワークです。
それが元記事の「肝心なのは日本で閉じることなく、グローバルに出て行くこと」(佐渡氏)なんじゃないでしょうか。
>ユーザはローカルなんですよ。本流に関与しているしないに関わらず。
考えさせられた一言ですが、ローカルの努力が本流が解決できなかった
問題、源流近くでは発生しない問題の解決がメインだと考えた場合でも、
源流に近いエンドユーザの方が源流より遠いエンドユーザより苦労が
少なくて済んでいる、という事ですよね。
であれば近くまで、2バイト文字の流域近くまで源流を引き込んで
ある方がエンドユーザにもメリットは大きくなると思いますがいかがでしょう。
グローバルに出て行く、というよりグローバルを引き込め、
というちょっと逆の視点ですが追うべき道は同じだと思います。
これもまたただの絵空事、ですか?自分にはそうは思えません。
Re:反日ってなに? (スコア:3, すばらしい洞察)
もともとは満州など中韓の関わりで出てきた言葉だけど、あっちの場合は特に史実や証言の不自然な点から目を背けて、相手の言い分を全面的に肯定しているわけだし。
今回の場合も本来なら日本国内のコミュニティの活動だけでなく、海外のコミュニティで活躍する日本人についても言及する必要があるはずなのに、そちらについては有名どころしか触れられていない。
コミュニケーション能力の欠如の例で上がった事柄についても、海外のコミュニティに「十分な説明もなしにパッチを送りつけ、却下されると怒る」人間が居ないという根拠が存在していない。
独裁やら一枚岩は好きじゃないが、欠点ばかり突き回っていたんじゃ意味がない。そこから何が原因で、どのように改善すれば良いのかを考えるべきなんじゃないのか? OSSを推進する側の人間が、真のOSSについて布教する事を怠っていたという可能性はないのか?
そもそもダウンロード・トラフィックが1位であるアメリカも、開発に参加している人間はその一部であり、残りは良くても要望を上げるだけのユーザなのではないのか?
……という視点で物を見る事も出来るんだけどね。他の可能性や改善方法を考えずに、ただ批判するだけじゃ無意味だと思うんだけど。一番の問題は、日本側にしっかりしたOSSの旗手が居ない事なのかもしれない。
#とりあえず、日本国内の要望をどこかでとりまとめて提出する仕組みでもあれば少しは変わるのではないのかな?
--- どちらなりとご自由に --- --
Re:反日ってなに? (スコア:1, すばらしい洞察)
日本が嫌いってだけでしょ。
Re:順番が違わないだろうか? (スコア:2, すばらしい洞察)
問題が存在することと、このパッチがそれに対する
適確な解であることを説得する仕事の方が重要で、かつ難しい。
「ローカルなコミュニティへの貢献」というのは、
問題自体やパッチの価値を説明しなくてもわかってもらえる
人達の間でだけ共有するということであって、
その方が「言語や文化の違いを理解したり、
理解してもらったり、そういうややこしい事は一切考えなくても良い」
世界でしょう。
ローカルコミュニティーが「コードを書く人が楽になる」
ことだけで楽してしまってはつまらない、ということですかね。
結論というか努力目標は同じになるのですが。
ローカルなコミュニティの貢献が、
関係するコミュニテイ(あえて上流とは云わない)に
伝わり易くなる仕組みを作ること、それこそが、
グローバル化ということだと思います。