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25477 story

アインシュタイン曰く「宗教は子どもじみた迷信にすぎない」 233

ストーリー by Acanthopanax
The God Delusion 部門より

capra 曰く、

「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である(Science without religion is lame, religion without science is blind.)」とアインシュタインは言ったそうですが、彼の宗教観が垣間見える私信がロンドンで競売に出されました(時事通信記事本家記事)。この手紙は、宗教に関する著書を彼に贈った哲学者のエリック・グートキンド氏に宛てた1954年1月3日付のもので、「宗教は子どもじみた迷信にすぎない」、「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない」など、神の存在を否定する内容となっています。また、ユダヤ教は他の宗教と何ら変わりなく、ユダヤ人は他の人たちと何ら違いはないとも述べ、ユダヤ教の選民思想に対する否定的な考えも明らかにしています(手紙の一部抜粋英訳)。

ちなみに落札価格の見積もりは160万円だそうですが、競売は現地時間15日とのことなので、ちょっと間に合わず残念(?)です。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 次の商品は (スコア:5, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2008年05月16日 21時54分 (#1345345)
    神が転がしていたサイコロです
    • それはサイコロまかせよ~どーん!

      6!

      深夜バスでエルサレム!
      親コメント
  • まず、この手紙は1945年に友人のEric Gutkindに当てて書かれたものです。確かに問題の抄訳の第一段落では神の否定、特にユダヤ教の否定が書かれています。
    ではなぜ、アインシュタインは友への手紙にこんなことを書いているのでしょう?
    それを理解するには抄訳の第二・第三段落を見なくてはなりません。

    In general I find it painful that you claim a privileged position and try to defend it by two walls of pride, an external one as a man and an internal one as a Jew. (中略)
    What separates us are only intellectual 'props' and `rationalisation' in Freud's language.
    Therefore I think that we would understand each other quite well if we talked about concrete things.

    つまり、アインシュタインは別にシニカルな言い回しを用いて有神論を喜び勇んで否定していたわけではなく、Gutkindとの宗教的確執にケリを付けようとしていたのです。
    文脈から察するに、無神論者のアインシュタインと厳格なユダヤ教徒でしかも選民思想を持ったGutkindとの間で信仰について少し議論があったと考えられます。
    おそらく、その議論を終わらせるためにアインシュタインは、第一段落で彼の無神論的考えをはっきりと述べ、第二段落でGutkindの宗教的狭量さに対する遺憾の意を表し、第三段落で抽象的問題ではなく具体的問題についてなら分かり合えるだろうと書いたのでしょう。

    この手紙から読み取れるのは、せいぜいアインシュタインは(穏やかな)無神論者であり、友人の熱心過ぎる信仰心とそれに伴う偏狭さに辟易してたことぐらいでしょうね。
    少なくとも、アインシュタインがドーキンス的な反宗教論者であったと判断するのは少しばかり無理があります。
  • by GG (21918) on 2008年05月16日 23時06分 (#1345387)
    >The word god is for me nothing more than the expression and product of human weaknesses,
    >For me the Jewish religion like all others is an incarnation of the most childish superstitions.

    んー。
    「私にとって」という言葉が入っているので、神をの存在を否定しているというより、
    「アインシュタインは神を必要としなかった。」と解釈すべきではないでしょうか?

  • 160万円か。安いな。 (スコア:2, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2008年05月16日 21時12分 (#1345320)
    私なら、16億円まで出せるぞ。
  • by Anonymous Coward on 2008年05月16日 21時58分 (#1345350)
    「宗教は子どもじみた迷信にすぎない」
    「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない」
    これらの文の前後にどんな事が書かれているのかを読んでみないとなんとも言えない。

    発言の中から特定の部分のみを切り出しての報道には辟易。
    • by Anonymous Coward on 2008年05月16日 22時15分 (#1345355)
      他のレスでも出ている「神はサイコロを振らない」発言とかを合わせて考えると、

      「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない」
      の 人間の「弱さ」は、人間の世界法則への知識が足りないことを意味するものなのかなぁとも思いますね。
      親コメント
  • by kai (5115) on 2008年05月16日 23時55分 (#1345417) ホームページ
    アインシュタインのような偉大な科学者であってさえ、宗教を否定する時には「子供じみた」とか「迷信にすぎない」とか言う非科学的な言葉を使ってしまうと言うのが人間と宗教との関わりの根深いところですね。

    いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。

    この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源はあまりにも莫大なもので、これが単に無意味な投資だったなんてことはクソありえないことです。そんなことはたとえ神その人が許してもダーウィニズムが許しはしません。特に人類のように資源を奪いあって同族殺しを積極的にやらかし、絶え間なく戦争を繰り返すような種にあってはなおさらです。あきらかに、「信仰心を持つことは、生存に有利だった」のです。そうでなくては信仰心などと言うものは歴史の初期で途絶えていたはずです。

    では、信仰心を持つことは、どのように有利だったのでしょうか?ここで、「信仰が篤いと神様が守ってくれるから!」とか言うと話が終わってしまうので、それに代わって、「信仰心を持つと、より集団の結束が強くなる」と言う仮説を提唱してみたいと思います。

    つーかこれは仮説と言うより事実のように私には思えるんですが、どうでしょうか?あきらかに、信仰心と言うものは集団を団結させ、統一された行動を取らせる効能があるように思えます。人類のような社会的な群を作って生きる動物にとって、「より結束された、より意思の統一が取れた」集団が有利になるのはほとんど自明ではないでしょうか。人類が発展する過程において、農耕をやるにも、建築をやるにも、あるいは戦争をやるにも、より結束の強い集団が有利であった、と言うことは明白に思えます。現代的な民主主義国家でも、信仰心を軸にして統一された集団は有利ですね。アメリカでも、日本でも実例があるように思います。

    以上より、信仰心と言うものは、明白な事実と妥当な仮説により無理なく説明できるものであるように思えますね。すなわち、科学的に言うと、信仰心と言うものは、人類が、より統一の取れた行動を取るために、各人が備えた、一種の欲望である。と言えます。この点で性欲や食欲とえらぶところはないと言えましょう。

    そう、信仰心を持つことは、人が人を愛し、美味しい食べ物を楽しむのと同じように、人間としてまったく自然なことなのです。はっきり言って非科学的な要素は何一つありません。アインシュタインには好きな食べ物はなかったのでしょうか?人を愛したことはなかったのでしょうか?実際、科学の名のもとに信仰を否定することに意味があるとは思えませんね。

    • by Sinraptor (22797) on 2008年05月17日 9時05分 (#1345533)
      ドーキンスが詳しく論じていますが、「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」というのは「今も有利である」という事を意味しません。

      たとえば昆虫はろうそくの炎に飛び込んでしまいます。これは炎に飛び込む事が生存に有利だったから発達したのでしょうか?
      明らかにそうではなく、これは月や太陽といった光源に対して一定の角度で飛ぶ事で進路を決められるように発達してきた性質です。しかし、ろうそくという人工的な光源があちこちに出現した事により、その性質が「誤動作」して不利に働いてしまっているのです。

      ドーキンスはこの例により、人類の祖先の段階で自然淘汰により有利とされたのは「宗教そのものではなく」別の要因であって、「宗教はその不幸な副産物」なのかもしれないと論じています。
      そしてその「別の要因」として彼は「子供が親を妄信的に信じる事」が生存に有利に働いたのではないか。宗教はそれが誤作動したものではないかという説を提唱しています。

      --
      //Sinraptor
      親コメント
    • by s02222 (20350) on 2008年05月17日 1時15分 (#1345458)
      進化論との絡みで言うなら、むしろ、サーベルタイガーの牙、みたいな位置づけじゃないでしょうか>神。 偏った方向に進化しすぎたせいで、むしろ生存の足かせになっているイメージがあります。

      私は哲学史に関してソフィーの世界 [amazon.co.jp]をざっと読んだ程度の知識しかなく、その範囲での印象ですが。この本を読む限り、紀元前までせっかく順調に哲学が発展してきていたのに、神という概念の発明によって、「神を哲学上どこに位置づければよいのか?」というどうでもいい命題に優秀な方々がハマり、その解決に膨大なリソースが吸い込まれてしまった結果、哲学から科学までの発展がぱたりと停まってしまっていた、と言うように見えました。
      親コメント
    • by albireo (7374) on 2008年05月17日 2時23分 (#1345478) 日記

      アインシュタインのような偉大な科学者であってさえ、宗教を否定する時には「子供じみた」とか「迷信にすぎない」とか言う非科学的な言葉を使ってしまうと言うのが人間と宗教との関わりの根深いところですね。

      アインシュタインのような偉大な科学者なら常に科学的根拠と洞察に基づいた発言をすると期待する人がいると言うのも、また根深い科学信仰ですね。

      アインシュタインは自分の考える神のイメージはスピノザ [wikipedia.org]の考えた人格を持たない神に近いと発言しています。
      まあ神とは物理法則そのもので、その神から見れば人間も石ころも世界の構成要素として等価であり、人間が神をどう扱おうが無関心なので信仰は無意味というか、「神の存在」と「信仰」は別のものとして考えようとしていたと。
      ただしアインシュタインはあくまで「俺はそう考えてる」というだけで、他人の信仰をとやかく言うようなことは極力しなかったそうです。
      --
      うじゃうじゃ
      親コメント
    • とーとろじー (スコア:2, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward on 2008年05月17日 0時12分 (#1345426)
      > アインシュタインのような偉大な科学者であってさえ、宗教を否定する時には「子供じみた」とか「迷信にすぎない」とか言う非科学的な言葉を使ってしまうと言うのが人間と宗教との関わりの根深いところですね。

      だって、科学的に否定出来ない事は、科学的に否定出来ないんだもん。
      親コメント
    • by hokuto (16888) on 2008年05月17日 0時43分 (#1345443) ホームページ
      宗教とは影響力の桁が違うプラス要素が別に存在し、その寄与によって人類は生存、繁栄をした可能性を忘れてはいけません。
      例えば科学とか、技術とかね。(鉄器や火薬が、どれほど祖先達の生存の助けになったでしょう)

      極論すれば、宗教を麻薬や犯罪と同列に語ることもできるのです。
      「多くのリソースが投じられたから」は、論理的には全く信仰と生存の相関を示すものではありません。
      親コメント
    • by digoh (17917) on 2008年05月17日 8時51分 (#1345529) 日記
      まぁ真面目な議論は他の方に任せるとして

      >そんなことはたとえ神その人が許してもダーウィニズムが許しはしません。
      ダーウィニズムは「今残ってるものは必ず生存に有利なものだ」とは保証してくれませんよ?
      せいぜい「あっても困らなかった(かも)」くらいです。

      環境が充分”余裕”あるなら、「余計なもの」が許される。そうじゃなきゃ多様性は産まれない。
      宗教がその一つじゃないと結論付けるのは神以外には不可能ですな。

      #芸術、娯楽などもそう。
      #必要だという理屈を考えることは可能だけど、その理屈が正しいと証明することは不可能だなぁ。
      親コメント
    • by sakaki101 (30670) on 2008年05月17日 16時04分 (#1345628) 日記
      黙って見てようかとも思いましたが、これはあまりにも酷い。
      まず、kai氏の主張は、3つの点からナンセンスです。

      1.明らかにアインシュタインの抄訳すら読んでいない。さらに悪い事に、ジャーナリスティックに抜き出された一文に反射的に飛びついている点。
      2.長々と論じ立ててる割に、議論が杜撰で、論理的飛躍がある点。一つ例を上げれば、Kai氏の論法をそのまま利用して"差別"も肯定で
      事実、人類は有史以前より"差別"に熱心で、それを維持するために結構なコストを払ってきました。だからといって差別は"信仰心を持つことは、人が人を愛し、美味しい食べ物を楽しむのと同じように、人間としてまったく自然なこと"なのでしょうかね?
      3.進化論を短絡的に用いている点。

      しかし、一番の問題は、これらの議論によってアインシュタインを非難している点です。
      文脈も顧みず、アインシュタインの意図を勘違いし、お粗末な議論を重ね、アインシュタインを"科学的に非難"するというのはまったくもって慎み以前の問題ではないでしょうか?
      親コメント
  • 宗教は手段 (スコア:2, おもしろおかしい)

    by snurf-kim (10835) on 2008年05月17日 10時43分 (#1345556) 日記
    なんちゃらとハサミは使いようみたいなもんで、宗教も使い方次第。
    否定も肯定もせず、自分が得するように宗教を利用するのがよろしい。

    我々が現在直面している最も大きな問題は児童ポルノ規制だ。
    三次元に関しては明確に被害者が存在する案件に限り規制もやむなしだが、二次元への規制が始まった場合多くの愛好者が(欲求の)行き場を失ってしまう。

    そこでいい事(?)を考えた。
    日本ではありがたーい事に「信教の自由」が認められている。
    それも相当に手厚く。これを利用しない手はない。

    二次元の少女を神として崇める「ゆりえ教」を作るんだ。
    至高神はもちろん一橋ゆりえ [google.com]様。その配下に12人の妹、幼馴染のツンデレ娘など八百万の神々が名を連ねる。

    教義ではろりろりな彫像(フィギュア)を神像として、ろりろりな図画や動画、書籍らを経典として最高の敬意を払い敬う。
    それは「ろりこん」という原罪を背負った哀れなお兄ちゃん達を現世で救済するために絶対不可欠であり、神聖にして不可侵、何人たりとも奪うことは許されない。
    それらを崇めることで、哀れなお兄ちゃん達は自らを自らの手で救済する。

    こんなブツ(閲覧注意) [google.com]を堂々と神像にして日の下に晒す宗教だってあるのだ。
    宗教活動として、ろりろりな図画を人目を避けて崇めるぐらいどうって事はない。

    宗教は容易に弾圧できない。
    某学会の存在、某新興宗教が名を変え今も存続し続けていることがそれを証明している。
    だからみんな、「ゆりえ教」ができた暁には公明党に投票しよう。

  • by Anonymous Coward on 2008年05月16日 21時42分 (#1345334)
    その人が宗教に傾倒しているのを戒めているのか、それともその人に
    同調しているのか分からない。

    もう少し背景を理解してからその内容を吟味したいものです。

  • 本来の文章はおそらく、

    わたしにとって『

    神』という言葉
    は人間の弱
    さの産物と
    いう以上の何物も意味しない。聖書は原始的な言い伝えで、非常に
    子どもっぽい

    ・・・無理でしたorz
  • by imugi (35882) on 2008年05月16日 23時09分 (#1345389)

    神がどんな姿をしていようとかまわないが、神が創った世界がどんなものかは興味がある。神の意志は自然から読み取れる。関心があるのは創造の法則であって、神が長い白いひげを生やしているかどうかなどということではない。
    『アインシュタイン、神を語る』より

    結局のところ彼にとって「神」は不必要で、興味ないし、どうでもいいんだと思います。
    • by Anonymous Coward on 2008年05月16日 23時20分 (#1345394)
      でも量子力学にケチつけるときは必要だった、と。
      親コメント
      • 彼にとって、神という言葉には2つ意味があったんだと思ってます。

        今回のはまさしく正しい意味での「God」。精神世界の神。
        さいころを振らないのは物質世界の神で、つまりは物理法則。

        例えば地球の軌道がちょっと外でも中でも、ここまで生命は発展しなかったでしょうし、Gが今よりも大きくても小さくても、同じように発展は無い。
        「あたかも」神が設計したように世の中ができている・・・とかって言葉、聞いたとか読んだ事無いですかね?
        親コメント
  • by mamoru (617) on 2008年05月17日 0時11分 (#1345425)
    パスカルの賭け [google.co.jp]

    期待値を出した。
  • 実際に超自然的な現象を巻き起こすことなど無く、直接触れる事も見ることも出来ず、けして語りかけてくる事も無いが、ずっとそこにいてただ見守ってくれる。
    我々が間違った行いをすれば眉をひそめ、良い行いをすれば微笑み、不幸なことが起これば共に悲しみ、幸せなことがあれば一緒に喜んでくれる。
    そんな架空の存在を「神」と呼び、それがいると信じる事で、少しは身を正せたり、少しは心が安らいだりする場合がある。

    「神」を信じるのは、ままならない人生を乗り切るライフハックの一つにすぎませんが、十分有意です。

    そういう意味で宗教は「子供じみ」てなどないし、便利なライフハックを提供してくれる有意義な商売です。
    極端な出費を求めるような、そもそも金集めや人集めが目的の詐欺団体は別です。

    #ええ、もちろん「神」などいませんよ。あなたがいると思わなければね;-)
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs

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