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33346 story

山田耕嗣氏、死去 23

ストーリー by soara

あるAnonymous Coward 曰く、

やじうまWatchやリンク先の「ラジオNIKKEI」のブログの記事によると、あのBCLの世界ではおなじみの山田耕嗣氏が8月19日夜、癌のため死去したとのことだ。享年67歳。かつてのBCLブームの間違いない立役者として記憶にとどめている人も多いことだろう。「ラジオの製作」の氏の記事を読みながら、親に買ってもらった安い短波ラジオにしがみついていたあの頃を懐かしみつつ、謹んで哀悼の意を表す次第だ。

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  • by Technical Type (3408) on 2008年08月23日 13時25分 (#1408423)
    哀悼の意を表します。私は安いBCLラジオも買ってもらえずバイト代で買いましたが、時代は流れ短波はSSBに移行するという話は…お流れになりそうですが、今度はDRMという方式もあるようですね。

    今やネットで海外の映像も見れるようになりましたが、イラク人質事件のように非常事態になると海外在留邦人にはラジオジャパンが命綱になる事もあるようですが、ラジオと電池さえあれば海外のニュースが聞けるというのは工事を請け負っている現場などでは役立ちそう。

    それにしても無線離れで高周波技術者は減りハムフェアも縮小されノウハウが継承されなくなっているようで残念。
    • by Anonymous Coward
      必ずしも、スラドユーザのようなインターネット向きな人では無かったけど、BCLの世界ではなくてはならなかった人です。ご冥福をお祈りします。

      無線(≠LAN)関係のノウハウも、インターネットに載って入るのですが、ますます重要度が低くなっていってますね。無線じゃなくても、インターネットでも実現できる、と考えている人が多いですから。(実際、同一ではないけど、ほぼ同じ目的は達成できます・・・)
  • by saratoga (23467) on 2008年08月23日 13時55分 (#1408436) 日記
    当時は、やはり外国は本当に本当に遠くにあって、そこから電離層をなんどもバウンドしながら、
    フェージングまみれになりながらも日本にとどく短波放送にロマンが感じられました。

    ラジオオーストラリアはよく聴いてので、ワルチング・マチルダとかワライカワセミの鳴き声を
    聴くと、いまでも思い出します。
    共産圏のジャミングとか、OTHレーダのウッドペッカーとかも思い出してきたけど、
    今、短波ってどんな感じなんだろ?

    アフガニスタンの日本語放送もあったんですね。この記事見て、いろいろ調べていて、見つけてびっくり。
    • Re:BCL (スコア:1, 参考になる)

      by Anonymous Coward on 2008年08月24日 0時56分 (#1408743)
      当時中坊だったオレも、山田氏の名前は雑誌などで目にしていたと思うのだが、
      もう記憶がアレで思い出せない。けどとりあえず合掌...

      ラジオオーストラリアでは、リクエストで日本の曲も頻繁に流してくれてたので
      フェージングまみれで「パタパタママ」(唄: のこいのこ)を聞いたのがなぜか
      異様に強く印象に残っているなぁ。
      韓国と北朝鮮の局がたがいに相手を罵ってる放送を聞いて、なんか事情通になっ
      たような気分を味わったり :-)

      最近BCLな話題がごく一部で復活してきた(?)というのに、この悲報はタイミング
      悪すぎ...
      http://journal.mycom.co.jp/column/bcl/index.html [mycom.co.jp]
      親コメント
      • by Anonymous Coward
        1996年以降頃、記事や本を読んだんだと思うけど、同じく、記憶がとんでいる。

        当時だと、ロックやポップなども、
        ヨーロッパやオーストラリアからの放送で流れているのが、
        なかなか日本には入ってこなかったりするものもあった記憶が
        (記憶にあるとこだと、AC/DC、Donna Summer、ABBAなど)。
        国によっても、かかる曲が結構違っていた。
        • by Anonymous Coward
          訂正です(20年ほどずらしてしまった)。

          ^ 1996年以降頃^ 1975年以降頃

          そういえば、QueenのBohemian Rhapsodyだったかも、 出たばっかりだったのか、ラジオ・オーストラリアの ヒットチャートだったかで、よくかかってた。
    • by Anonymous Coward
      > 今、短波ってどんな感じなんだろ?

      PLL不要なら1,850円 [amazon.co.jp]で気軽に楽しめる感じらしいですよ

      当時のナショナル・クーガーの値段に比べれば何十分の一だろね
  • by Anonymous Coward on 2008年08月23日 15時26分 (#1408491)
    山田耕嗣OM サイレントキー 心からご冥福をお祈りします。

    中・高学生のころ、BCLで国際政治と情勢の何たるかを肌身で感じさせてもらいました。
    東西の冷戦、中近東への侵攻、極東アジアのせめぎ合いなどなど枚挙にいとまがありませんでした。
    ジャミングに邪魔されながらも、短波ラジオのダイヤルを合わせこみながら、
    某国にとっては「聴かせたくないんだ、この放送は」と実感したものでした。
    もちろん、某国とは、その時代ごと、その地域ごとに異なりました。

    ジャミング情報というのもあって、わざわざジャミングを聴いたこともありました。
    でも、AMだから、ジャムしたい放送の内容がビーンとかブーンとかいったノイズの向こう側で
    かすかに "this is xxx radio, today..." などと聴こえていました。

    いまでも、細々と実施しているところもありますが、国内向けには有効なんでしょうね。

    該当地域の領海外に神出鬼没で登場する、海賊放送というのもありましたね。
    (CCITTの規約では、放送の主権は国際海域には適用されず、つまり、
    誰が放送してもよかったと記憶しています。今はどうなのだろう。ITU-Tだけど)

    いまや、インターネットによって世界中の出来事が瞬時に報じられますが、
    検索エンジンのヒット規制よりも、当時は露骨な政治力がいろいろと働いていました。

    そんなことを思いながら、ハガキホルダーにストックしていた数十年前のべリカードを
    本棚から取り出して眺めてみました。
    合掌
    • by Anonymous Coward on 2008年08月23日 17時01分 (#1408523)
      >ITU-T

      ITU-Rでした。訂正します。
      (Radiocommunications Sector)
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      私事になりますが、私がSWを聞き始めたのは、NHKのガボン中継局が開設されニュースになっていた前後からです。冷戦の真っ只中で、VOAやモスクワ放送もありましたが「なにかあったらBBC、有事の時のBBC」と言われていたこともありました。
      数年前の巨大掲示板で「大阪在住ですが朝になるとニッポン放送が聞けなくなります。こんな症状の方はいらっしゃいますか。ラジオが壊れてしまったのでしょうか。」という投稿を見た時には、BCLや中波DXの衰退と時代の隔たりを感じずにはいられませんでした。

      ラ製読者でしたが、国内中波DXの日曜深夜の静寂が「この
  • by Anonymous Coward on 2008年08月24日 14時46分 (#1408976)
    山田先生は「BCLは世界が友達」と言っていました(あえて先生と呼んでみる)。

    BCLという行為は技術的面の一方で、離れた場所に住んでいる人を理解することにも繋がっています。
    そして、理解をすることで友達になることができます。
    もちろん、送り手によるフィルターは存在します。しかしリスナーはそれを越えて、向こう側にいる人達を知り、親しみを感じることができます。

    現在はインターネットによって、BCLが流行した当時とは比べ物にならない程の詳細な情報が手に入りますが、残念ながら、受け手の攻撃心理を刺激する歪められた雑音も膨大な量になっています。
    私達が世界を見る時には、その雑音に惑わされないよう注意しなくてはいけませんね。

    会った事の無い人に対しても、理解と親しみから接することができるように教えてくれた山田先生に合掌。
  • SonyからICF-2001が発売され「かっこいいなぁ、欲しいなぁ」と思いつつ、
    BCLブックをバイブルに、父親お下がりのTrio 9R-59Dと格闘しながらBCL
    をやっていました。

    ティーンエイジャーになる前にBCLと出会った事は、ものすごく刺激的で
    エキサイティングなことで、「外国」をものすごく意識するようになりま
    した。今は日本を離れて15年以上経ちますが、そのきっかけはやはりBCL
    にあると思います。あの経験が無ければ、間違いなく今の私はありません。

    インターネットはとても便利で、外国との距離も一気に縮まった感じがあ
    りますが、でもBCL時代に味わった、異国文化と接したときの興奮と比べる
    と、薄っぺらいものに感じますね。

    謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
  • 30年前、親の都合で北欧にいた僕にとって、親父が日本から送ってくれたSONYのICF-7600というラジオで週に一度たった一時間だけ聴くことができる日本語放送がとても貴重だった。ドイツからの短波放送だったと思います。

    まるで日本など存在しないかのように母国語の全く聞こえてこない世界に生活していると、思い出は全て夢だったのかとさえ思えて、ひどい孤独感にさいなまれます。とにかく日本語に飢えていて、ラジオにかじりついて自分をつなぎ止めていたような気がします。
    テレビはチャンネル一つだけ、午前中は放送がない、たしか当時の北欧はそんなでした。

    山田耕嗣氏のことは存じ上げなかったのですが、BCLという単語に反応してすっかり忘れていたことを思い出しました。
  • by Anonymous Coward on 2008年08月23日 13時09分 (#1408412)
    なんてことだ。まだお若いのに。
    ラ製愛読者としては寂しい限りです。
  • by Anonymous Coward on 2008年08月23日 20時52分 (#1408630)
    二つのガジェットの名を挙げて、哀悼の意を表します。
    ソニー スカイセンサー
    ナショナル クーガ
    • by tensu (34456) on 2008年08月24日 20時45分 (#1409141)
      30年ぶりくらいに氏の名を思い出しました。
      もっと年配の方だと思っていましたが、意外と若かったんですね。
      合掌。
      (ドレイク SSR-1 つうの欲しかったな。)
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      > ソニー スカイセンサー
      > ナショナル クーガ

      欲しかったけど、家が貧乏で買ってもらえなかったので (というか、とても買ってくれとは言い出せなかった)、AM ラジオで北京放送とかモスクワ放送とかラジオ韓国ばかり聴いてたなぁ。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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