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医療

筋委縮性側索硬化症の男性、生前臓器提供を希望 78

ストーリー by reo
人はどっちみち死ぬ 部門より

ある Anonymous Coward 曰く、

筋委縮性側索硬化症 (ALS) を患っている米国の男性が、自身が死亡する前に臓器を移植提供したいとの意思を表明し、議論を呼び起こしている (FOX NEWS の記事本家 /. 記事より) 。

ALS とは筋肉を動かす神経系の障害によって筋肉を動かす信号が伝わらなくなり、次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。患者の半数ほどが発症してから 5 年以内に自力呼吸が不可能になり死亡する (参考:難病情報センター、Wikipedia「筋委縮性側索硬化症」) 。

ALS と診断された米国の Gary Phebus 氏は臓器提供について調べたそうで、多くの人が提供者が現れるまで長い期間待たされていることを知り、自分の臓器が衰える前に心臓と肺、そして肝臓を提供したいと考えるようになったという。しかし米国では州法においても連邦法においても、臓器提供決定の前提として脳死を挙げており、氏はこの前提が変更されることを望んでいるとのこと。

Phebus 氏曰く、「自分はどっちみち死ぬ」ためこれは自殺ではないと考えているそうだ。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by nemui4 (20313) on 2010年08月02日 12時47分 (#1803339) 日記

    幸せに生きる自由はある(と思ってる)から、幸せに死ぬ自由というのも認めても良いんじゃないかと思うこともあるけど、それを悪用されたら恐ろしいことが起きると言うことも想像できるからなかなかそうはならないだろうけど。

    自分が苦しんで死ぬとわかりきった状況なら死を賜りたいと願うでしょうね。
    そして、そんな自分でもナニか世の役に立てることがあるのなら役に立ちたいという欲も沸くし、その状況をノンフィクションやお話として語られる美談に投影したくなる気持ちと言うのも邪推できます。

    うつで入院して白い壁とカーテンに囲まれて、隣のベッドでも向かいのベッドでも死にたい死にたいとつぶやき声が聞こえていたときはもうそんなことで頭の中がグルグルしていました。

    この方の病が臓器には影響ないという保証があるのなら、臓器移植をしなければ死を避けられない人にとってはわずかでも救いになることだろうし。

    この場合、この方の要求を通した場合誰損?って思ってしまいます。
    想像(妄想)力を羽ばたかせれば、この後こういう事例が拡大して流行ってやっぱ悪用されてしまう事件が出てきそうなのが怖いかな。

    • Re:そいれんとぐりーん (スコア:2, すばらしい洞察)

      by Dobon (7495) on 2010年08月02日 13時09分 (#1803356) 日記
      医者に『殺人』させる点については如何お考えか?

      # 安楽死でさえ、纏まらないのに……
      --
      notice : I ignore an anonymous contribution.
      親コメント
      • そこまで想像力が至ってませんでした。
        自己中ですまぬー。

        引き金は患者に引かせるような「しくみ」が必要かもね。
        ピタゴラスイッチみたいなの連想してしまいましたが、不謹慎でした。

        #ブラックジャックのDr.キリコはどうだったか思い出せない。

        親コメント
        • キリコが直接関わる場合、キリコ自身が装置のスイッチを入れていました。
          しかし自ら服薬可能な毒など様々な手段を用意していたので、自殺幇助も行っていたと思われます。

          念のためフォローしておくと、キリコは充分治癒可能な場合は本人意思に安易に従わず治療する方向です。
          あくまで(キリコ基準で)治療や生命維持が本人のためにならないと判断した場合のみの自殺幇助/殺人です。

          #一方BJは助けるのも助けないのも積極的に殺すのもかなり恣意的です。常に助けると思ったら間違い。まあ漫画の路線変更のせいなどもあるのですが。

          親コメント
      • 積極的安楽死が合法になってる国 (オランダ, スイス) に行けば良い。(そこまではやってないかな?)

        --
        the.ACount
        親コメント
  • 臓器くじ (スコア:2, 参考になる)

    by ahirose (31873) on 2010年08月02日 13時31分 (#1803373) 日記

    臓器くじ [wikipedia.org]ってのを思い出しました。
    ちょっと臓器くじで想定しているのとは異なる事情がありますが、議論の参考にはなるでしょう。

  • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 12時12分 (#1803324)

    そんなリスクのある臓器、使いたがるかなぁ

    • え?この病気って感染症かなんかなの?

      --
      ◆IZUMI162i6 [mailto]
      親コメント
    • by the.ACount (31144) on 2010年08月03日 10時32分 (#1803985)

      始めから素因のある人の神経組織が壊れていく病気で、伝染などしないんだから、移植を受けた他人の神経が影響を受けるはずない。

      --
      the.ACount
      親コメント
    • by Anonymous Coward
      他のドナーを待ってたら100%死ぬと判ってる人なら試したいんじゃない?

      # 私だったら臓器移植なんて気持ち悪いことするよりおとなしく死にたいけど
    • by Anonymous Coward

      一応建前としては、誰からの提供かはわからないことになってるのでは?

    • by Anonymous Coward

      >ALS とは筋肉を動かす神経系の障害によって筋肉を動かす信号が伝わらなくなり、次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。

      日本語読めますか?

      あと、余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
      その程度のことも想像できませんかね。
      明日死ぬためには今日を生きぬかなくてはいけないんですが。

      • by firewheel (31280) on 2010年08月02日 13時09分 (#1803357)

        >次第に筋力が衰える病。筋力は衰えても知能や視力、また内臓機能は衰えることはない。
        「衰えない」とは言ってるが、「その臓器や血液経由で感染する恐れがない」とは言ってないよね。
        (リンク先Wikipediaだと「初めて報告されたのは19世紀でありながら、原因は未だに不明である。」)
        今までそういう移植が行われた前例も無さそうだし、安全性は未知数なんでは。

        >余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
        馬鹿な。

        患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、
        医師の倫理で許されるとでも?

        親コメント
        • by haratake (365) on 2010年08月02日 13時32分 (#1803377)

          病気腎移植 [wikipedia.org]など一部の例でありますよ。

          親コメント
        • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 13時26分 (#1803369)

          >>余命幾許かの人だったら、藁にもすがる思いだろうに
          >馬鹿な。
          >患者の不安につけ込んで、効果の少ない(あるいは「ない」)治療を施すことが、
          >医師の倫理で許されるとでも?

          製薬における臨床試験は、そうですよ。
          それなりの数の患者が、効果があるかないかわからない薬剤を投与され
          それと同数の患者が効果がないと分かっている偽薬を投与される。

          末期がん患者のための抗がん剤の試験なんて過酷です。
          新薬で治癒する可能性が低いのはともかく、偽薬ならそのまま死ぬに決まっている患者に
          偽薬を投与するわけですから。

          親コメント
          • by digoh (17917) on 2010年08月02日 18時37分 (#1803642) 日記

            えーと、誤解を与えるといけないので。

            臨床試験は全てにおいて偽薬を対象に置くとは限りません。
            さすがに「放置したら急激に悪化することが確実」なケースにおいて「新薬と偽薬とで対照試験を行う」ことはしません。

            そういう時は「効果があると分かっている既存薬」と「新薬」とを用いて比較し、「同等以上の効果があるか」という観点で確認します。
            あるいは、無治療リスクを軽減させるために「元の治療+治験薬(偽薬 or 新薬)」という形で行う場合もあります。

            なのでその場合の患者のリスクは「新薬が全く効かないかも」というものであって、単純に「偽薬の人は無治療」にはなりません。
            (新薬の副作用や、複合治療による相互作用のリスクが別途ありますが)

            ちょっと考えたら過酷過ぎるよ!なんて試験は、さすがにやる前に当局(国)から止められますって。

            #あと実薬と偽薬の数は同数とは限らないとか色々ありますが余談なので省略

            親コメント
            • by Anonymous Coward on 2010年08月03日 10時04分 (#1803972)

              まず、これまで、治験を最初に実行するのは米国が多いです。最近では、
              アジア諸国なども最初の治験対象として選択されます。

              認可のハードルが相対的に低いことと、認可された場合の市場が大きいことが選択理由です。
              米国で認可を得るにはFDAによって定められた全ての試験を機械的に一定サンプル数
              行うことが要求されます。また、偽薬より優れることを示すことは、すべての治験に求め
              られ、対照試験として必要なサンプル数は、他の投与ケースと同数です。

              末期がん患者用の新薬の治験であれば、放置すれば死が確実な患者が治験対象となり
              この場合、医師はランダムに選択された患者に効果のない偽薬を投与し、患者は確実に
              予想された通りの死を迎えます。遺伝子治療などでと化学薬剤との同時治験では全く
              有意性を示すことができませんので、これは避けられない試験です。もっとも、新薬を
              投与されたかといって改善する見込みが劇的にあがるわけではありませんが、、概念と
              してはかなり恐ろしいものです。

              治験対象となる方の報酬には、当然この予想される死への対価が含まれており、結果的に
              製薬治験のコストは数千億円~数兆円規模になってしまいます。

              親コメント
              • by racco (37699) on 2010年08月03日 10時25分 (#1803979)

                ジェネリック医薬品とかだと、類似薬効薬を使うときもありますね。これは、効能効果を基本に、
                化学構造、 主要な薬理作用などが類似している、既に販売されている医薬品を比較対照薬がある
                場合に限定されます。薬剤の改良版を試すのに、プラセボを使う必要はありません。

                抗がん剤などでは、抗体抗原反応を利用した薬剤などの研究が増えていますが、比較対照とすべき
                薬剤がそもそも治験を終えてない場合がほとんどなので、完全プラセボが通常です。

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 10時50分 (#1804000) 日記

                FDAが他国と比べ特に強くプラセボ対照試験を要求するのは事実ですが、「全ての試験で必ず実施しなければならない」というような書き方はさすがに誤りです。
                また後半も誤りとまでは言えませんが若干おどろおどろしい書き方がされているように思われます。

                例えば
                >遺伝子治療などでと化学薬剤との同時治験では全く有意性を示すことができませんので、これは避けられない試験です。
                こういうものは、少なくとも最初は「他の治療法では良い効果が見込めない」「現在の治療法では副作用が大きい/効果が出る可能性が高くない」患者を対象におきます。
                また「治療からイベント(治癒や死亡)までの期間」を測ることで有効性を確認する試験を立てた場合、遺伝子治療と化学療法とで比較することも可能です。

                多くの試験の中には特に過酷で悲惨な試験が存在することは事実ですが、決してそういうものばかりではありません。
                また、偽薬投与群だからといって完全無治療ではないのは前述の通り。
                さらに言えば、末期の疾患に対する治験では副作用などの問題からそもそも治療薬を投与する=患者幸福ではないケースもあります(深くは踏み込みませんが)。

                何でもかんでも機械的に偽薬を使ってるわけではなく、科学的妥当性と患者利益をなるべく両立させようとしている現場の努力を無視し、無為に批判したり恐ろしげに喧伝して欲しくないです。

                #あと「報酬には死への対価が」とありますが、少なくとも国内においては報酬に死への対価が含まれることはなく、死亡した場合の補償金として扱われるものだと思います。
                #この辺は詳しくないので間違ってたらすみません。

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 13時10分 (#1804084) 日記

                前のコメント内でも書いているように、あなたの挙げている内容自体が間違っていると言うつもりはありません。
                あなたのコメントからは、あなたの意図がどうあれ読む方に偏った印象を与えるのではないかと危惧して、補足しているのです。

                例えば
                >被験者利益を検討する場などはほとんどないと思います。
                何を称して「ほとんどない」と断じているのか分かりませんが、治験の内容を検討する機会は様々な方を相手として会社内外で幾度も設けられ、その中で被験者利益についてももちろん検討します。
                また科学的妥当性と被験者利益は一本のものさしの両端ではありません。一方をより増加させるために、もう一方が必ず犠牲になる、という主張なら誤りです。
                (私が挙げた、ベース治療の許容もその解決法の一例です)
                検討する場において事実上形骸化している、といった内部告発であればともかく、まるで一般的に被験者利益を検討する場がないかのような書き方は良くないと思います。

                >有意性の不明確な薬剤を上市したら(略)
                被験者利益を増す=有意性が不明確になる、ではありません。ある一つのパラメータについてそういう場合はあるでしょうけれど、一般的な話ではありません。仮にそういう場合であっても、程度問題です。

                どうして「製薬会社は被験者利益を常に無視している」かのような書き方をするのですか?
                実際、被験者の意思や利益を無視すればより科学的に妥当なデータが得られるだろう、という場面はいくらでもありますが、その多くは禁じられ、あるいは実施の条件がかなり限られていますよ。

                #FDAに関しては良くも悪くも形式化が進んでいてそれに対する反論・提言があることは事実で、それはそれで議論の価値があるところですが。

                もう一度述べますが、あなたが書かれている内容それぞれについて大きな嘘や誤解はあるとは思いません。
                しかしあなたの語り口が極端なので、あなたが「そういうものもある」というつもりでも、「そういうものばかりだ」という主張に見えているのです。

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 15時37分 (#1804153) 日記

                >ある統計的事実を実証するために、被験者利益を損ねないのならば、そもそも被験者利益を考慮する必要はないでしょう。

                あなたの言葉における「被験者利益を損ねないのならば」という部分。そこには判断があるわけですよね。
                あなたの元のコメントでは、そもそも頭っからそういう判断が行われないまま、科学的妥当性や規制だけを元に計画が組まれているかのような印象を受けました。

                通常、治験の計画を立てる際には、純粋な科学的妥当性や規制当局による各種規定の他、倫理面や被験者利益をも考慮して妥当性を図る検討会が実施されます。
                社内ではもちろんのこと、医療機関においてはIRB、また当局への事前相談、あるいは治験の申し込みにあたる「治験届」の提出時にもその妥当性が判断されます。
                私が言うのはそういう意味です。

                統計担当者が治験の素案からデザインを設計する段階では被験者利益を特別に考慮することはありませんが、
                それを元に現実の試験の計画を立てる場合、そこには現実的な実施可能性や企業倫理、社会倫理、被験者利益が考慮された上で最終化されます。

                >制度、コスト上許容されているか否かを判断するだけです。いちいち倫理に立ち返って議論していたら研究開発はできません。

                これは一旦データを入手した後の、統計解析部門の行動だとすれば誤りでは有りませんが、「治験計画を立てる際」の企業活動の認識としては誤りです。

                あなたがどうお考えでしょうとも、仮に形骸化していようとも、少なくとも形式上は毎回「倫理に立ち返って議論」しているんですよ。
                #「倫理面を考慮しないとひいてはコストに跳ね返ってくるから」という理屈は言えるでしょうけれども。
                法的規制上は問題ないが倫理面の問題を元に医療機関/規制当局から試験の実施が拒絶される、という事態だって充分ありうるんです。

                腐っても「測定不能なものをいちいち評価するわけがありません」とは言いません。評価してるんです。

                #そうじゃなきゃいちいち患者から取る血液量の多寡・取得回数のようなコスト的には大きくない問題について議論を繰り返したりなどしませんよ。

                親コメント
              • by racco (37699) on 2010年08月03日 16時34分 (#1804175)

                >腐っても「測定不能なものをいちいち評価するわけがありません」とは言いません。評価してるんです。
                >#そうじゃなきゃいちいち患者から取る血液量の多寡・取得回数のようなコスト的には大きくない問題について議論を繰り返したりなどしませんよ。

                いや、患者から取る血液量の多寡・取得回数は測定可能な量だろう。

                親コメント
              • by crivado (39061) on 2010年08月03日 16時44分 (#1804178) 日記

                >しかしあなたの語り口が極端なので、あなたが「そういうものもある」というつもりでも、「そういうものばかりだ」という主張に見えているのです。

                そうだろうか、、「そういうものもある」とはっきり言っているのに「そういうものばかりだ」
                と勝手に言い替えているみたいに見える。

                最初から先入観を持つからそういう事になる。
                http://ja.wikipedia.org/wiki/DHMO [wikipedia.org]

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 17時24分 (#1804191) 日記

                >で、あなたは、どうやって科学的妥当性を犠牲にして、被験者利益を選択することがあると結論するつもりなんだい?

                「科学的妥当性を犠牲にして、被験者利益を選択するなどということはあり得ません」に対する反論ですから、反証が一つあればいいんですよね。

                例えば、「治験においては併用薬・併用療法を禁止した方が治験薬の有効性をはかる観点で科学的妥当性が高い」(相互作用等を排除するのが難しい)ですが、
                実際は被験者利益を考慮し完全に禁止することはありません。
                どこまで制限・禁止するかは科学的妥当性のみの判断ではなく、倫理性による判断も必要となります。

                痛みを伴う疾患に対して鎮痛剤の治験を行う際、薬効の評価のためには他の痛み止めを完全に禁止することが望ましいですが、必ずしもそういった試験計画は認められません。

                >科学的妥当性の無い治験など、捏造と変わらないですよ。そんなものは制度上も認められちゃいないし、

                ゼロにするわけじゃありません。なぜ「必ずどっちか一方しか選べない」のですか。
                ある程度の被験者利益を守るために、ある程度の科学的妥当性が犠牲になることもある、という主張です。

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 17時27分 (#1804192) 日記

                >いや、患者から取る血液量の多寡・取得回数は測定可能な量だろう。

                この場合の「測定不能なもの」は倫理性、妥当性です。
                6回は多いか?5回では不十分か?といった話です。
                量や回数は測れますが、それが被験者にとって妥当かどうか、は基本的には測定できるものではありません。
                (個々に話を聞けば統計的な量として変換できますし、結果を集積すれば妥当性の定量化はある程度できるでしょうが)

                親コメント
              • by digoh (17917) on 2010年08月03日 20時18分 (#1804261) 日記

                >そうです、「被験者利益を選択して、科学的に妥当でない結論を得る試行をする」例をひとつだけでも上げてくれればそれで十分です。でもそんなことはあり得ないのです。命題をこうやって書き下せば、それがいかに被験者を冒涜する行為なのか分かるでしょ?あなたの言っている言葉には論理性が欠如しているんですよ。

                違う違う、言葉の定義範囲の問題です。目的としているところは同じなのに、互いの使っている言葉の定義範囲が異なっているのでかみ合わないのです。
                おそらく私が区別している「科学的妥当性」と「被験者利益」はあなたにとって「科学的妥当性」に含まれている、ということ、
                あなたが「科学的妥当性」という言葉について、私と比較して非常に広義に捉えているということです。
                また、私は常に「一つの治験のプロトコル」について話しているのですが、あなたはどうやら「最初から最後までの複数の試験の総合」について話しているようです。
                (ところで、あなたはなぜIRBについて言及しないのでしょうか)

                あと、何度も似たようなことを書いているのですが、100:0じゃないんですからなんで被験者利益を増そうとすると科学的妥当性がゼロになっちゃうんですか。

                >「治験においては併用薬・併用療法を禁止した方が治験薬の有効性をはかる観点で科学的妥当性が高い」とは限らないでしょう。化学構造、 主要な薬理作用などが類似している、既に販売されている医薬品を比較対照薬がある場合ならば、既知の薬剤との比較対照試験は合理性を持ちます。

                既存薬との比較が合理性を持つことが、引用部分の反証にはなりませんよ。私はジェネリックの話はしておりませんし。
                下で出てくる疲労云々をここで出してくるのが妥当です。
                とはいえ、一つの理想状態として、他薬の存在は無いほうが目的薬の有効性評価がしやすい、という持論を曲げるつもりはありませんが。(安全性は別ですよ)
                (ここは被験者利益とは無関係に、科学的妥当性の話ですね)

                >痛みによって患者を疲労させてしまっては、疾患の影響と痛みの影響を区別することが困難になります。

                誤解があります。そんなことを話したわけではありません。他の方のため、極端に模式化した例を挙げましょう。
                1~5の痛みを持つ人が10人いて、既存薬で2、新薬で3減らすことが期待できるとしましょう(既存薬と新薬は相互作用なく、別のメカニズムで効くとします)。
                偽薬では1,2,3,4,5、既存薬の方は0,0,1,2,3、新薬の方は0,0,0,1,2、既存薬+新薬で0,0,0,0,0となります。
                偽薬vs新薬であれば差は明白です。一方「ベース治療を認める」とすると、既存薬vs既存薬+新薬となり、差が小さくなることが分かります。
                科学的により望ましいのは前者ですが、被験者利益を考えれば後者が望ましいわけです。
                どちらが現実に選択されるかは、(最初に排除した条件の他)それぞれの強度でも変わってくるのが分かると思います。(既存薬と新薬の差が大きいなら後者で問題ない)

                そして、メカニズムがかぶるのであれば、言うまでも無くその薬剤は併用禁止にしなければ評価のしようがありません。
                (ここも被験者利益とは無関係、科学的妥当性の話ですね)

                >当然、痛み止めのある場合と、痛み止めの無い場合は両方試行します。これは痛み止めとの複合作用があるからです。したがって、完全に禁止したら、科学的妥当性は担保できなくなります。

                市販後試験とそれ以外をいっぺんに話していませんか?

                薬剤間の相互作用を見る(安全性試験)ことと、薬剤の有効性を判断する(有効性試験)は、必ずしも一つの試験で全てをはかる必要はありませんよね?
                有効性をみるため、併用制限・禁止薬を厳しめに設定する治験中期と、様々な既存薬との相互作用をも考慮する治験終期とではプロトコルの内容も変わっていきます。

                私は何もある治験薬についてⅠ相から市販後まで全てにおいて他薬を禁止しろと言っているわけではありません。(そんなのは相互作用で重大な副作用がある場合のみです)
                有効性を見る場合、効果が重なる薬剤は制限なり禁止なりする方が妥当な場合がある、と言っているんです。
                (ここは若干被験者利益が関わってきます。早期の治験で併用禁止・制限を厳しくとるのは被験者の安全性の確保のためです)

                >ある選択肢を禁止したほうが科学的妥当性が担保できるなどということはあり得ません。

                ある目的において、条件を絞り込んだ方が結果の評価が容易になる、ということはよくあることだと思うのですが。

                >考えられるできるだけ多くの組合せを試行したほうが正しい推定に近付くというのは科学の常識です。

                そのため、Ⅰ相とⅡ相とⅢ相と市販後ではそれぞれ異なった条件で試験を行います。より前の相では制限は厳しくなるのが一般的です。

                >そして、科学的妥当性を犠牲にして被験者利益を優先するなどということはありません。

                ここです。何かおかしい。「犠牲にする」って「ゼロにする」じゃないといけないんですか?
                また、ヘルシンキ宣言をなんだと思ってるんですか?(厳しい科学的妥当性やプラセボを要求しているのもヘルシンキ宣言ですけどね)
                まだ「被験者利益というのは被験者を登録するための方便で、結局は治験を成立させるためのコストの一つにすぎない」と言われたのであれば納得します。

                私は別に「科学的妥当性が皆無になるほど被験者に有利な条件に変えることがある」と言っているのではありません。
                例えば、有効性評価として服薬量と効果の直線関係を調べる試験があります。
                このとき、その治験薬の効果は15mgで出始め、35mgあたりで頭打ちになるとします(ただし未だ確認されておりません)。
                副作用は20mgから出始め、40mgでは生命の危険が予想されるとしましょう(こちらは以前の安全性試験からの推定です)。
                副作用がなければ、0,20,40(あるいはもっと上)といった用量で試験を行うことが望ましい。
                ですが40mgは被験者にとって危険があることがわかっています。そこで、「この試験では」0,15,30あたりを設定用量として行ったりするわけです。

                これを、「被験者に危険があるということは科学的事実。よってそれを考慮するのは科学的に妥当だ」と言うのがあなたの主張なのでしょう。
                私はそこを「科学的妥当性を犠牲にして被験者利益を考慮する」と呼んでいるんです。
                このケースにおいて、「絶対40mgでこの試験を行わなければFDAは許可しない」というのであれば、それは現状をあまりに無視した主張です。

                ある化合物のヒトの致死量を知る最も科学的に確実な手段は「ヒトに死ぬまで投与する」ですが、それは(少なくとも治験としては)「倫理的に」許されませんよね。
                #類似する光景が末期疾患への治験/治療で見られることは否定しませんが、決してイコールではありません。

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              • by digoh (17917) on 2010年08月04日 11時58分 (#1804570) 日記

                補足、というか訂正です。

                齟齬があるのは定義範囲じゃなくて定義そのものですね。

                「科学的妥当性を犠牲にして」というのを、合格点が60/100点の設定で「59点以下にする」と捉えるのか、「100点を狙うわけではない」と捉えるのか、ですれ違っていたのかと。
                その意味であれば、「科学的妥当性を犠牲にして被験者利益を考慮する」というケースはあり得ないということに同意します。

                #ただし「治験において被験者利益を考慮することがほとんどない」という元々の話に同意はしませんが。
                #あらゆる臨床試験は、治験審査委員会(IRB)にて(試験の実施可能性や医学的妥当性の他に)被験者の人権や倫理性、安全性に問題がないか審議することが要求されています。
                #ここでは被験者のことは無視し、コストと規制のみと科学的妥当性のみを判断基準とする、などということはありません。(「IRBは規制要件の内の一つだ」と言われるのかな)

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          • by firewheel (31280) on 2010年08月03日 0時22分 (#1803840)

            >製薬における臨床試験は、そうですよ。
            そりゃ全然違うと思う。
            これは一人の患者に、無視できない悪影響があるかもしれない臓器を移植するんだから。

            臨床試験だって、その前にマウスによる動物実験くらいやってる。
            その上で悪影響が少なく、効果があると思しき薬剤についてのみ、健康な人に微量投与から
            始めるわけで、いきなり死ぬかも知れない毒物を致死量飲ませるような実験はやらんはず。

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            • by Anonymous Coward on 2010年08月03日 8時48分 (#1803948)

              (いきなり)死ぬかも知れない毒物

              ALSの患者の臓器はいつからそうなったのでしょうか? あなたの主張は「(いきなり)死ぬ毒物かも知れない」だったように思いますが。 (「いきなり」は死ぬにかかっているのか飲ませるにかかっているか分からなかったので一応引用しています。)

              合併症のないALSの臓器にはそれなりに調べてもわかる異常はない事が既に知られており、「(いきなり)死ぬかもしれない」とか「ALSに発症するかもしれない」等は「外を歩いていたら隕石が頭にぶつかるかもしれない」レベルの心配のように思います。 移植しか治療手段がない患者においては、ALSの患者からの臓器移植は、当座を凌げるだけでも十分に意義があると考えます。

              臨床試験だって、その前にマウスによる動物実験くらいやってる。 その上で悪影響が少なく、効果があると思しき薬剤についてのみ、健康な人に微量投与から始める

              健康な人が飲む必要もない薬剤で発生する副作用と、いつ可能になるかも分からない臓器移植が必要な患者で発生するかも知れない、臓器移植が受けられる事に付随する副作用が同じレベルでしか許容されないとは思いません。

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            • by pmjames (29210) on 2010年08月03日 22時48分 (#1804352) 日記

              ALSの臓器どころか、いつかは必ず移植臓器がダメになるのが分かっているドミノ肝移植なんてのもありましたけど。

              もちろん施設の倫理委員会を通してやっているはずです。

              # ところで、「委縮」などという字を見ると萎えるので、「萎縮」にしてくれないかなあ。

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  • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 12時36分 (#1803332)
    >Phebus 氏曰く、「自分はどっちみち死ぬ」ためこれは自殺ではないと考えているそうだ。

    それを言ったら、人間はみんな死ぬんだから、健康な個体からも臓器移植OKになるだろ・・・
  • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 12時37分 (#1803333)
    >Phebus 氏曰く、「自分はどっちみち死ぬ」ためこれは自殺ではないと考えているそうだ。

    普通は他殺扱いです
  • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 12時41分 (#1803335)
    認められるべきではないですか。
    私は個人的には臓器移植そのものに批判的なので臓器の提供も受け取りもしないつもりでいるけど、
    臓器を提供したい人がいて、提供を受けたい人がいて、それを実現できる技術があるのなら
    それを邪魔しようとは思わないんですが、どうなんでしょう?
    • 理念では邪魔することはできないけど、
      臓器提供すれば死ぬ以上、命を絶つのは自分がやるべきでしょ。
      それができない(宗教?)なら他人にもできるわけがない。

      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 13時19分 (#1803361)
      技術があっても、意識がある人間を殺して心臓を取り出すのは、だれもやりたがらないと思う。
      たとえ合法化してもやってるのは殺人と変わらないし、それを平然とこなせる医者がいるとは思えない。
      倫理をクリアできても心理をクリアするのは難しい。
      親コメント
    • by Anonymous Coward

      二者間の合意だけで魔法のように移植が成立するなら、それでも良いでしょう。
      しかし実際はそれを仲介(しなければならない)人がいるわけで。
      「実現できる技術」をふるう人というのがね。

      場合によっては、人の命を人の手で絶つ必要があるわけですよ。

  • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 12時44分 (#1803337)
    >5年以内に自力呼吸が不可能になり死亡する ALS患者の内、自力呼吸が不可能になる前に器官切開し人工呼吸器を装着するケースが多いそうです(神経内科の医師のお話)
    • by Anonymous Coward on 2010年08月02日 17時11分 (#1803557)
      本人の意思確認が出来るうちに気管切開&人工呼吸の同意書が作られ署名させられます。 うちの親の場合、そこまで進行が進むのに2年かかりませんでした。 本人も家族も悩む暇を与えてくれません。 ALSは、つい2年後の未来を残してくれない病気なのだと感じました。
      親コメント
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