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教育

バイリンガルな子供は「頭がいい」? 67

ストーリー by reo
海とサルディーニャ 部門より

ある Anonymous Coward 曰く、

バイリンガルな子供はそうでない子供と比べ、問題解決スキルや創造的思考が長けているそうだ (英ストラスクライド大学のニュースリリース本家 /. 記事より) 。

バイリンガルであることは子供にとって有益であると捉えられることが多いが、子供が混乱する恐れがあるとの見方も見受けられる。しかしこの研究では二つの言語を操ることは言語分野のみならず、算数や問題解決能力、更には創造的思考をも発達させることが示唆されたとのこと。また、ボキャブラリーにおいては単語の知識だけではなく、意味をより細部まで豊かに把握する力がつくという。他にもバイリンガルの子供は関係ない情報を排除し、重要な情報に集中することができる「選択的注意」と呼ばれる能力も高いことが分かったとのこと。

二つの言語を切り替えるのには「頭の回転」とも言える精神的な敏捷性が必要であり、これが訓練されることにより他の思考型の発達も促されるのではないかとのことだ。この研究はスコットランドおよびサルディーニャの 9 歳前後の子供 121 人を対象に行われ、うち 62 人がバイリンガルであった。子供達は英語もしくはイタリア語を話し、ゲール語かサルディーニャ語のバイリンガルであったとのこと。ゲール語のバイリンガルの子供の方が実験結果が良く、これはゲール語教育が確立されていることや、文学作品が豊富にあることが影響しているかもしれないとのこと。比べてサルディーニャ語は口頭言語であり、言語自体の標準形式が確立されておらず教える学校も少ないとのことだ。

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  • 自称セスキ(1.5)リンガルです。(日本語と英語、足して1.5言語分。)

    >二つの言語を切り替えるのには「頭の回転」とも言える精神的な敏捷性が必要であり
    私の場合は母語の日本語で話している時に英語が聞こえてもよく分からず、逆に英語で話していると日本語が意味不明の英語に聞こえます。頭の中に切り替えスイッチがあるような気がします。
    # 日本語が母語でアメリカ人の幼馴染とは英語で会話してました。

    友人に高校までアメリカに住んでいて家庭内では日本語、外では英語の会話で育ったバイリンガルがいるんですが、この人の場合は左右から日本語と英語で語りかけられた場合も、どちらにも遅滞なく会話ができます。(私には無理。)ですから日本語と英語の混合状態で、どちらかに切り替わるということはないように思えます。

    母語に加えて他言語をネイティブなみに習得したバイリンガルと、2言語を同等に学んでどちらが母語とも言えない状態に育ったバイリンガルは何か根本的に違うような印象があります。この分野に詳しい方はどう思われますか?
    • 英語100%で生活している日本人ですが、同じような感じです。
      英語習い始めたのが遅いからだと思います。
      むしろ日本語英語より、4歳からやってたピアノ音譜面もしくは言語の方が切り替えが早いです。あまりいい例ではありませんが。

      ただ、周りの在米日本人のお子さんたちは、日常会話の日本語英語切り替えは早くても、
      学校で習うような複雑な話(科学とか倫理とか論理とか)は、英語じゃないと判らないみたいです。用語が違うからでしょう。

      全く悪い例ですが、うちの犬はバイリンガルで、たいていのコマンドは英語でも日本語でも反応速度は変わりません。#犬馬鹿

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      英語を話している(読み書きしている)ときは英語で思考し、日本語で話しているときは日本語で思考していませんか

      思考専用の部分を作って英語・日本語をインターフェースで処理するようにすればいいんですよ。

      # 私は英語は外部インターフェースを利用してますね。

      • >英語を話している(読み書きしている)ときは英語で思考し、日本語で話しているときは日本語で思考していませんか
        確かにその通りです。英語で会話や読み書きしている時は英語で思考しています。

        >思考専用の部分を作って英語・日本語をインターフェースで処理するようにすればいいんですよ。
        同時に2言語で会話できる友人の場合は思考領域と言語インターフェースが分離していると考えれば納得できます。でも、どうすればそうなるんでしょうか。今さらできるようになるのかな?
        親コメント
        • 私の友人で、バイリンガルというわけではない(10代後半に外国語を学校で学習した)のですが、非常に語学が優秀な留学生がいて(日本語は日本人とほぼ変わらない発音で喋る。)数ヶ国語を喋っていました。(中国語は3エリアの言葉が出来ますが、香港映画は字幕鑑賞…)

          彼が、複数言語を使える友人と喋っているのを横から聞いていると、ころころ言語が変わることがあるんです。で、意識してやっているのかと聞くと、実は自分が何語で喋っているのかほぼ意識がなくて、「え?そうやった」ってなるんです。どうも、切り替えスイッチ自体が存在しないようでした。

          ちなみに彼の奥さんはオーストラリア人(留学生)で「家で何語?」って聞くと「日本語、特に喧嘩の時のルール」っていってました。さすがにネイティブよりは英語は苦手と思っているみたい。

          親コメント
          • by Anonymous Coward

            実は自分が何語で喋っているのかほぼ意識がなくて、「え?そうやった」ってなるんです。

            スイッチがあってもそうなるけどね。方言レベルならまだしも、語彙体系が全く異なる外国語だと、単語の置き換えレベルでは対応できないから、脳内の単語同士のネットワークも言語ごとに異なる。相手から受けた言葉や自分が発した言葉から次に発する言葉が出てくるので、会話の中では何語を話しているかという意識はない。後で何語で言ったか分からないということも時々ある。

            でも、誰かが割り込んできたりして、突如状況が変わった場合、相手は言葉を発していない段階では、相手を見て話す言語を決定しないといけない。この時に何語で話すかを意識する。相手が予想した言語と違う言語で話してきた場合には、それに合わせてしまうことも多い。

        • 現在英語学習中ですが、英語でしゃべる時は若干そうなってる感じがします。
          ただ、思考イメージに繋がる英単語が出てこないと日本語にフォールバックしてますがw
          個人的な体験からですが、後付けでも程度はともかく、思考と言語の分離は可能なんじゃないかと。

          個人的な印象としては、プログラム/スクリプト言語の扱いに近いんですよね。
          新しいプログラム言語を扱う時でも、私は抽象的なフローを構築して、その後に各言語に応じたコードを書き上げるようにしています。

          デザイナーなどの他職種の人がスクリプト言語などを学ぶ時は、外形的な構造や書式から入っている節があって、
          別のスクリプト言語への応用が利かないようで、四苦八苦しているのをよく見ます。

          親コメント
          • by Anonymous Coward

            個人的な体験からですが、後付けでも程度はともかく、思考と言語の分離は可能なんじゃないかと。

            可能だと思います。
            うちの嫁が中国人なんですが、20歳頃から日本語の学習を始めて、日本語と中国語で同時に会話ができています。
            特に意識はしていないそうなので、切り替えスイッチが存在しないタイプですね。

            日本語もかなり流暢で、初対面の人は外国人であることに全く気付かないことが多いです。
            寝言も日本語、中国語のどちらもありますが、
            足の指をぶつけた時などは中国語になるので、やっぱり母国語は母国語なんですかね。

  • by NOBAX (21937) on 2012年08月07日 11時10分 (#2207697)
    中国語(北京語と広東語を解すので2か国語かも)、英語、日本語のトリリンガルの人と
    日本語で話したことがありますが、日本語で話すときは、周りの机や椅子も、
    つくえ、いすと認識されるそうです。
    英語の時は、DESK、CHAIRと認識されるそうですが、私が周りのモノはどう見えるのかと
    質問するまでは全然意識しなかったそうです。
    したがって、

    >二つの言語を切り替えるのには「頭の回転」とも言える精神的な敏捷性が必要であり

    精神的な敏捷性などではなく、自然に切り替わるのではないでしょうか。
    自転車に乗れば、自転車用に筋肉が動き、クロールで泳げば、それようの筋肉が動くといった
    類でしょう。
    • by Anonymous Coward

      私も北京語・広東語・英語・日本語喋れますが
      さすがにそれは言語の単語に対する慣れの問題じゃないですかね?

      小さい頃からバイリンガルかそれ以上を目指して学ばないと
      母語ではない言語で喋るとき、文法や単語などは「母語を通し翻訳してから喋る」習慣が出っちゃってますからね

      #よく日本語でおkって言われてますよ、ええ。

      • by Anonymous Coward

        #よく日本語でおkって言われてますよ、ええ。

        あなたの場合、英語で書いても、「英語でおk」と言われそうな印象を受けます。

    • by Anonymous Coward

      私が帰省して地元の奴と話すと勝手に津軽弁になるようなものかな?

  • by s02222 (20350) on 2012年08月07日 11時12分 (#2207699)
    バイリンガル化で鍛えられるのは、文章と、文章の本来の意味、を分けてちゃんと物を考える能力じゃないかと思う。

    物を考えるというのは、文章の本来の意味の方、概念の上でやるべきで、その概念を翻訳したのが言葉。 だから考えがしっくりくる文章にならない(=良い翻訳が思いつかない)ということも起こる。 逆に文章を読むときも、概念へと翻訳する必要がある。

    漠然と1つの言語を習得しただけの段階だと、そういう翻訳作業がちゃんとされてなくて、文章そのもののまま切ったり貼ったりして考えてるつもりになってしまう。

    変な例えだけど、プログラミングだと、適当にコピペしてちょっとした修正を加えてるような感じ。 「ホームページで○○したかったら、onmouseoverのところにhogehogeと書いたらとにかく出来るようです」みたいな頭の痛くなる解説を駆使してインタラクティブなHTMLをおっかなびっくり作ってるみたいな。あちこちからのコピペで意図するようなページはそれなりに作れるんだけど、「変数とは何か?」とかは把握してないので、複数の機能を盛り込もうと、複数の「○○のやり方」をコピペしてきて、変数名がたまたま被ってたりすると正常に動かなくなって、自力では解決出来ない、みたいな。

    それが、文法をちゃんと知って、計算機のモデルというか内部構造というかが把握できたら一気に出来ることが増える。

    日本語とかでも、普通に使ってるだけだと、なかなか、概念として捉えて考える、という訓練が出来ない。 本人がその気になってやれば出来るんだろうけど、それが難しい。 「とにかく英語が出来るようになれ」とすると、その最短距離に、文章を概念へ置き換えて考える作業が含まれるから、割と自然に鍛えられ、物をちゃんと考えるための素地も出来る。

    と言うようなのが、義務教育が外国語教育を含んでる意図だと勝手に思ってる。
  • by NOBAX (21937) on 2012年08月07日 11時31分 (#2207719)
    ヘブライ語、英語、フランス語、スペイン語を話すイスラエル人に
    「日本人は外国語を習得するのが苦手なんだよね」
    と話したら、マルチリンガル人曰く
    「日本は国がなくなる心配がないからね」
    と返されました。
    なんとなくですが、政情が落ち着かない国の人々はバイリンガルの人が
    多い感じがします。

    参考までに、司馬遼太郎の街道を行くに、こんなエピソードが載っていました。
    インガソル駐日大使(当時)のところに、アフリカ諸国の大使が集まって、茶会を
    催していました。
    アフリカの大使A「大使聞いて下さいよ。日本の政治家はバカで困ります。フランス語が通じないんですよ」
    同大使B「フランス語どころか英語も通じないんですよ。全く困ったものだ」
    インガソル「みなさんは日本国憲法が日本語で書かれているの知っていますか?」
    一同「・・・・」
    • >なんとなくですが、政情が落ち着かない国の人々はバイリンガルの人が多い感じがします。
      それだけじゃないですね。多言語国家では共通語を覚える必要があるので、ある程度以上教養のある人は複数言語をネイティブなみに話します。(フィリピン人とかインド人。)

      あと、オランダに留学した時に授業が英語なので不思議に思って聞いたら「資源の乏しいオランダでは海外で働くとかいった選択肢を生徒に与える必要がある。だいいちエンジニアの世界共通語は英語じゃないか。」と言われました。(私の師事した教授は英語、ドイツ語、フランス語を流暢に話し、後にスイスの大学に転身なさいました。)そういう観点から教育の一環として複数言語をネイティブなみに扱えるように教える制度がある国は他にもあると思います。
      親コメント
    • >なんとなくですが、政情が落ち着かない国の人々はバイリンガルの人が多い感じがします。

      でもその理屈だと、米国とカナダも政情不安に含まれることになりませんか。

      国内に複数の言語を使う異なる民族が入り交じっていたら、そりゃあ不安定にもなるでしょう。
      政情不安な国にバイリンガルが多いのではなく、複数の民族が入り交じることが、
      バイリンガルと政情不安の共通の要因になってるだけでは。
      #バイリンガルと政情不安に相関関係はあっても因果関係はない。

      親コメント
      • by Anonymous Coward

        > でもその理屈だと、米国とカナダも政情不安に含まれることになりませんか。

        もしかして、米国人の多くが英語ともう一ヶ国語を話せると思っています?

        • 米国は二ヶ国語使いこなせる人の割合はとても低いでしょう。
          カナダでも、英語とフランス語両方通用するのはケベックだけだし、
          そのケベックはまあ、やや政情不安ですよね。

          しかし、何カ国語も使えるといっても、スペイン語とポルトガル語とか、
          沖縄弁と津軽弁よりも近い感じです。

          >ヘブライ語、英語、フランス語、スペイン語を話すイスラエル人

          でも、フランス語とスペイン語はかなり近いですし、日本語が母語だと、
          なかなか難しいとは思います。

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        • by Anonymous Coward

          結構いるんじゃない?

        • by Anonymous Coward

          カルフォルニアの南の方だとバイリンガルが多いですよ。

          …スペイン語ですが。

    • by Anonymous Coward

      アジアの学生を集めて話させたときに、「日本の大学では日本語で授業が行われている」と言ったら一斉に羨ましがられたという話もありますね。
      # しかし当の日本人はむしろ恥だと思っていそうな勢いなんだからもうね

      • 日本語は、高等教育に十分な語彙と論理性を持っているから、大学の授業を日本語で行うことができる。
        世の中には、そうでない言語もある。それらの言語を母語としている人々は、英語で授業をせざるを得ない。
        そう言う事実を日本人はあまり知らないんだね。

        親コメント
        • by Anonymous Coward

          外来語をカタカナ表記という必殺技がどの程度功を奏しているのかいないのか

        • by Anonymous Coward

          言語の持つ論理性というのは、あまり聞いたことがないですね。

          教科書が英語だから仕方がない(需要が小さすぎて、訳書を作る商売が成り立たない)というのが大きいようです。

          語彙についてもそうかもしれませんね。いろんな概念の日本語訳を作ってくれた先人に感謝です(西周とか福沢諭吉とか)。
          でも最近はなんでもカタカナで済ませてしまう傾向にありますが。
          外来語を表す専用のカタカナというのを持っているのは(現代)日本語の特徴ですが、それがどれだけアドバンテージに
          なっているかは分からないと思います。

          • 教科書が英語だから仕方がない(需要が小さすぎて、訳書を作る商売が成り立たない)というのが大きいようです。

            日本だって英文の教科書を使う授業・ゼミがありますけど、授業・ゼミ自体は日本語だったりしますね(英語でやることもあるけど)。結局教科書の問題じゃないんですよ。
            概念・論理を母国語でどう表現するかを磨かなければならないわけですが、どの言語もそれをやってるわけでもないし、できるわけでもない。そう言うことでしょう。

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          • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 15時42分 (#2207901)

            マレー・インドネシア語では高等教育は難しいと思います。語彙が足りないし、言語構造としてもシンプルすぎる。

            親コメント
  • サンプルが少ないなぁ (スコア:4, すばらしい洞察)

    by Technical Type (3408) on 2012年08月07日 20時39分 (#2208037)
    これでは「スコットランド在住でわざわざ子供をゲール語も学ぶ学校に通わせている親は知的で教育熱心だから」という説明も成り立ちそうですね。サルディーニャ語のバイリンガルとの子と差がある事も、バイリンガルだからというよりはむしろバイリンガル教育を行う制度の差の影響と考えたほうが理解しやすいかと。

    結局、この研究って「日本人で親が子供をインターナショナルスクールに通わせてバイリンガルに育った子120人を、公立学校に通っている英語が話せない子を比較したら、バイリンガルの子の方が問題解決スキルが高かった、これはバイリンガルの恩恵だ」と結論づけるような物でしょう。一般論で語るにはサンプルが少なすぎるし、バイリンガル以外のファクターを無視している。
  • by shirocyara (34706) on 2012年08月07日 11時58分 (#2207745)
    日本語と方言の両方を自在に駆使できるようになったら、それはバイリンガルと言うのかしら?
    • by NOBAX (21937) on 2012年08月07日 14時58分 (#2207872)
      高嶺譲吉の話。

      彼は加賀藩の漢方医の息子に生まれ、幼少のころから神童の呼び声高く
      藩から長崎遊学を許可されました。
      数年後、藩の重臣たちが譲吉の勉強ぶりや如何にと視察に訪れたところ、
      彼は重臣たちをオランダ人神父引き合わせました。
      譲吉は重臣たちの質問を流暢に翻訳してみせたので、重臣たちは大いに驚き、
      「譲吉は麒麟児なり」
      「譲吉こそ藩の宝」
      と大いに誉めそやしたのですが、神父は長崎在住十数年で日本語はペラペラ、
      当日の会見ももちろん日本語で行われたのですが、
      彼の話す長崎弁が、重臣たちには日本の言葉には聞こえなかったのでした。
      親コメント
    • by SteppingWind (2654) on 2012年08月07日 12時43分 (#2207792)

      例えば八丈語 [wikipedia.org]と標準日本語を使えれば, 国際標準的にはバイリンガルになります.

      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 13時52分 (#2207836)

        ユネスコのお墨付きはありませんが、金田一春彦先生は、多くの日本人は共通語と方言の
        一種のバイリンガルだと言っておられましたね。

        親コメント
    • by Anonymous Coward

      逐語訳できてしまう類似度だと、少なくともトピックで言うバイリンガルには当たらないと思う。

  • by gonzo (38147) on 2012年08月07日 10時50分 (#2207683)

    頭が良いからこそ、バイリンガルになりえるような気もしちゃう。

    # 頭が悪く、外国語が苦手なID

    • by Anonymous Coward

      アウトプットする人間は、その考えを外部の評価に晒す。
      アウトプットしない人間は、良し悪しに関わらず評価を受けない。

      アウトプットを迫られる人間は、アウトプットせずにやり過す人間よりも、育つ。
      アウトプットせずにやり過す人間は、バイリンガルに成り得る環境でもバイリンガルにならない。

      • by firewheel (31280) on 2012年08月07日 11時49分 (#2207736)

        この理屈は眉唾だと思う。

        いわゆるアウトプットをしなくても、パズルや数学や理論物理学のように内面だけで簡潔する「頭の良い」作業が存在するから。
        #プログラミングもそれに近い希ガス。

        親コメント
  • by Mizuki (4740) on 2012年08月07日 11時04分 (#2207694)

    自分がそうでないので想像で書くのだけど、複数の言語を常用していると、同じことに対する表現の違いというのに行き当るよね。単に言い回しが違うというのでなく、物事のカテゴライズが違ったり。
    そうすると、それらの意味するところや構造、表現していることの本質を掴む訓練になっているんじゃないかとか思う。

    「問題解決スキルや創造的思考」というのは、頭の回転とかよりもそういう能力によるものという気がするし。
    #余談だけど、頭の回転の速さというのは最近、ちょっと過大に重要視されているとも思う。

    ちなみに、上記の推測は、複数のプログラミング言語に触れてみてのもの。

  • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 10時58分 (#2207687)

    頭がよくない人間は、どちらの言葉も中途半端なセミリンガル(ダブル・リミテッド)となる。

  • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 11時13分 (#2207701)
    どれほどの習熟度の子供を”バイリンガルな子供”としているのかがわからないと、何も議論できませんね。

    「ボキャブラリーにおいては単語の知識だけではなく、意味をより細部まで豊かに把握する力がつく」とは言え、多言語環境で育ちさえすれば特段の教育無しでもその力が付くのか、それともその程度のスキルに達している子供のことを”バイリンガルな子供”と称しているのかで、全然違う結論に至ると思うんだ。

    「サルディーニャ語は口頭言語であり、言語自体の標準形式が確立されておらず教える学校も少ない」とも書かれていますが、そういった言語について、一体どのようにして「意味をより細部まで豊かに把握」していることを検証したのかも気になります。
    • 二つの言語間の距離を考慮しているのかもわからないし。 英語-ゲール語とイタリア語-サルジニア語では後者のほうがだいぶ近いと思われる。 東京弁と大阪弁であっても、文法だけでなく、アクセントの体系、母音の無声化等まで完全に正しく切り替えてどちらもナチュラルに話すことができるなら、それが相当な脳の訓練になっているとしても不思議ではない。
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 11時18分 (#2207704)

    日本語すらろくにできないオイラは・・・

  • by Anonymous Coward on 2012年08月07日 14時47分 (#2207862)

    バイリンガルに育つ環境を用意できてるって時点で、そもそも親の性能が違うんじゃないのかな?
    鳶が鷹を生む事もたまにはあるかもしれませんが、大体のところ蛙の子は蛙なわけで。
    オタマジャクシの性能の違いが戦力の決定的差かどうかは知りませんが、教養と経済力の無い親に生まれた子は、飛車角落ちみたいなもんでしょ。

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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