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訃報:漫画家の石井いさみ氏。「750ライダー」の作者 38
ストーリー by nagazou
お悔やみ申し上げます。 部門より
お悔やみ申し上げます。 部門より
ncube2 曰く、
「ドカベン」の水島新司氏の時よりはマスコミの取り上げが少ないが、「ドカベン」と同時期に同じ少年チャンピオンで、高校生のバイク乗りを主人公にした「750ライダー」を連載していた石井いさみ氏が亡くなったそうだ。享年80歳(秋田書店リリース、スポニチ)。
この「750ライダー」は連載当初は主人公が公道で競っている相手の自動車が崖から転落等のハードなストーリーだったが、何時の間にか青春ホノボノ路線に変わっていた。その頃は免許制度の改訂で18歳未満は限定解除の免許が取れなくなったり、当時の「三ない運動」の影響もあったのだろうか。
それにしても当時の少年チャンピオンは他にも、「ブラックジャック」 、「がきデカ」 、「マカロニほうれん荘」等、綺羅星のような連載があったなあ。ところで、「ずん喫茶」では未だ見たことはないけど、「750ライダー」で主人公が常連だった喫茶店のピットインのマスターの影響で自分も喫茶店を始めたという人は、どれ位いるんだろうか。
免許制度の事実関係が正しくない (スコア:2, 参考になる)
> その頃は免許制度の改訂で18歳未満は限定解除の免許が取れなくなったり
違うというか、キモはそこではない。
マンガ連載が始まった1975年から教習所では中型限定免許しか取れなくなった。それはまあいいのだが…
750以上に乗るためには試験場での審査を受けるしかなくなったんだが、これが「落とすための試験」で、ホントかウソか知らんが、Wikipediaにある通り、合格率が1%以下という超難関試験で、しかも試験場でしか受けられないため、都市部では一度落ちると数ヶ月先の予約しか取れない=どんなにがんばっても1年で数回しか挑戦権がないため、限定解除人口が激減したのだよ。
このたわけた免許制度がなくなるのは1996年で、実に20年以上も日本では大型バイクに乗れない暗黒時代が続いた。
Re:免許制度の事実関係が正しくない (スコア:1)
チラ裏御免
1991年ごろに限定解除しましたが、運転免許試験場に行ってそのまま受けました。予約なんてなかったですね。お金払って印紙買って書類に貼っていろいろ書き込んで提出でした。そんなにたくさんの受験者いませんでした私は二回目で合格でしたけどどちらも10人くらいしかいませんでした。
二輪の基本の走って曲がって止まってと、交通ルールの一時停止とか安全確認とか右左折の時のお作法とか基本ができてれば別に問題なかったですよ。私は四輪に乗っていたので交通ルールは特に問題なかったんですが二輪のほうはそれなりに中型よりも高度なものが求められていて、ヘボい私は一回じゃ合格できませんでした。二輪の難しいところはゆっくり安定して走ることすなわちその証明に通称一本橋を記憶では走り切るのに中型は7秒が限定解除だと10秒以上でないと減点で落ちると試験中止で終わりとか、スラロームは狙ったところでちゃんと曲がれることとか、急制動は中型が時速30kmから15m以内だったかで停止できること限定解除は時速50kmから15m以内だったかな転倒や停止線オーバーは試験中止で終わりなど本当に二輪の基本の腕前を証明するものでした。
自語りすると、私は一回目は大雨の中で急制動(一応2m伸ばしてくれるんだったかな)で転倒しそうでビビッて停止線オーバーで試験終了でした。二回目は路面がドライだったので急制動は問題なし。一本橋は苦手だったので転倒や脱輪よりも減点を選んですーっといっちゃったw減点でも70点までは合格ですから!一緒に受けたほかの人たちはバイクのハンドリングは私よりもずっとうまくてキビキビ走らせていましたが、発進時の後方確認とか直接目視とかができてないとか、一時停止が甘いとか、停止して左右を見ないとか、ウィンカーが遅いとか交通ルール系で落とされているように見えました。ほかの人の合格を見てないのでよくわかりませんでしたが、10%くらいはあったような気がします。ほんとに見てるかはともかくwヘルメットかぶって顔を左右に向けるという動作をして安全確認してますよーという態度を見せるってのが重要だったと当時思いました。ほかの人たちは四速まで上げたりしてましたけど、私は二速までで全部乗り切りましたwww別にスピード出さなくちゃいけないのは急制動の前だけで、ほかはふらつかなければゆっくり走っても時間かかっても良かったはずなんですが、みんなシャキシャキ走って多分交通ルール系の何かの動作がないとか少ないとかで減点が限界を超えて中止食らってました。一時停止なんかゆっくり止まって、よっこらしょと右足ついていったんニュートラルにして左右を見たふりをしたら、またよっこらしょと一速に入れてまた左右を確認して発進とかね。そんなんでよかったのよねー
個人的にはオートバイは排気量免許でなくて、馬力免許のほうがよかったんじゃないかと思ってます。たとえば50馬力免許、100馬力免許、限定解除みたいな感じ。あのパワーを振り回す能力ってことで排気量が大きくてもパワーがなければ別に下のほうの免許でいいんじゃないかとね。そうすればオートバイメーカーも自主規制なんぞせずに思う存分ハイパワーエンジンを開発できたと思うのです。当時熱かった2スト250ccはノーマルで45馬力ちょっといじって80馬力くらいでて、ワークスとかだと90馬力以上もしかすると100馬力以上出ていたかも。もし馬力免許なら小さくてハイパワーなとんがったバイクも市販できたんじゃないかとか思います。4スト600ccのバイク(400ccくらいの大きさで750ccに近いパワーが出る)が欲しかったけど、金がなくてついぞ乗るチャンスがなかったです。今はそんな元気ないので、ガソリンじゃなくて体脂肪を燃やせるように自転車漕いでますw
Re: (スコア:0)
まあ大型バイクは実用性が皆無、それこそアメリカン大排気量乗用車見たいな物。
其れは良いんだが(乗れない人間の僻み)、マラソン・競歩・駅伝で、この大型白バイ(しかも二台)で先導して選手に排ガス大量排気を浴びせて喜んでる各警察って反社じゃないだろうか?
誤:750以上に乗るためには ⇒ 正:400超に乗るためには
つまりヨーロピアンバイクに多かった500cc級も限定解除が必要だったのです。
令和元年12月までは「20kw超の電動バイクの区分(大型二輪の区分)」は存在せず、電動バイクなら普通二輪免許(=中免)でなんでも乗れてしまう状況だったそうで、排気量が定義されないヘリコプター用ガスタービンでも同じ(フリータービン式なら変速機不要=自動変速限定免許OK)だったのでしょう。
https://bike-sup.com/ev-bike-lisence/ [bike-sup.com]
Re: (スコア:0)
まぁ外圧があったおかげで気軽に大型バイクの免許を採れるようになったし、大型バイクの種類も増えたんだよね
Re: (スコア:0)
外圧と言うより、単に日本の国内バイク市場がシュリンクした結果、
国産メーカーですら国内向けとしてのバイクを作って売るのが難しくなり
海外向けを国内に少量売る路線に転換していった中で副次的に海外メーカーのバイクも
ゆるくせざるを得なかったという。
Re: (スコア:0)
当時は外国メーカーが作ってるバイクはほとんどが大型で、日本で売るには免許制度が邪魔してるってクレームが入ったとニュースになってました。
それまでは国産バイクは小中型のバリエーションが異様に多かったな
Re: (スコア:0)
有名な話ですよね。とはいえ伝聞で聞いただけだったから、ちょっと調べてみた。
アメリカ政府から日本政府への要望書 [wikipedia.org]の1996年のやつに自動二輪免許規制を撤廃せよと書いてある。
下の方はリンク切れだが、archiveのほう [archive.org]にあって、
Re: (スコア:0)
1996年のは高速二人乗りの話だな……
1995年のは、やるって言ったとおり1996/10までに教習所で取れるようにしろよって話なので、
教習所で大型二輪が取れるようになった元ネタはわからなくなったな……
Re: (スコア:0)
免許って採るの?
Re:免許制度の事実関係が正しくない (スコア:1)
> 免許って採るの?
そうだよ。
早春の水辺、ヒキガエルの卵の近くで採れる。
最近の若い人は知らないんだなあ。
Re: (スコア:0)
軽トラの後下部分にバイクの前をくっつければ、ヘルメット不要で普通自動車免許で運転可能なトライク=オート三輪が出来るのだが、出てこない以上警察の圧力があったと考えるべきか。
Re: (スコア:0)
自動車で有名なところでは速度超過時に鳴るキンコン(正式名称知らん)が撤廃されたヤツですね
あれのおかげで外車が輸入できないのはけしからんって
Re: (スコア:0)
そういうトライクに似たのは見かけるし、日本でもトゥクトゥクが増えてるよ。
Re: (スコア:0)
たぶん落とすための試験というのは事実なんだろうけど、
受けた人たちの話を聞いてると何の試験なのかわかってない人が多かった。
採点基準とかの存在すら知らん人がけっこういたよ。
ようするに試験対策しないで資格試験を受けにいってるので、落ちやすい。
教習所は試験対策を教えてくれる予備校だね。採点基準はいちいち教えないかもしれないけど。
道路の曲がり角や右左折は徐行だからバンクさせたら減点だよとか、
バイクを支えないレベルの足付きは-10点だから試験中止じゃないとか。
(都道府県によって異なるかも)
Re: (スコア:0)
減点理由を教えてくれないのは今も同じですね
Re: (スコア:0)
えっ? 採点基準は公表されてるって。
たぶん自分の点も検定員に聞けば教えてくれるよ。
まあ、基準に照らせば自分でわかるでしょと言いたいが、そういうのダメな人がいるからなあ。
Re: (スコア:0)
上野のバイク街が滅びたのはその辺が原因だったのだろうか。
主人公とその連れはずう~っと高校2年生だったな (スコア:1)
連載中は、春になると3年生を送り出し、新入生を迎えていた。
立ち読みしてぷるぷる震えながら笑った (スコア:0)
いえ、マカロニほうれん荘のことですが。
子供心にもナナハンライダーはなんかバイク漫画と言うより爽やか日常マンガだなと思ってたり。
当時はサンデーは絵が汚い、キングは絵がチープ、ジャンプは絵が派手すぎ。チャンピオンは中道というか
一番安心して見ていられた印象。マカロニでそのピーク、以降はらんぽうなどのへなへな絵が主役になって
読まなくなった感じ。マカロニも後期は見ててつらかったですけどね。絵も中身も。
マンガって大変なんだなと感じた次第。そういやナナハンはド安定組でした。安定しすぎてよく覚えていない。
ストローを氷に通す (スコア:0)
マシン製のキューブ氷は凹みがありますけど、
主人公がレイコー飲んでるときに、ストローを氷に通していたので
喫茶店に行ったとき真似してみたいなと思っていたのですがなかなか貫通しないもんです。
# てなことぐらいしか覚えていない
Re: (スコア:0)
横道にそれまくりですが、氷の凹みにストローをおいて、息を吹きかけていくと貫通しますよ。
連載当初 (スコア:0)
確かに絵面がシリアスだ。
https://www.akitashoten.co.jp/comics/4253033121 [akitashoten.co.jp]
自分の中ではこっちの記憶しかない。
https://www.akitashoten.co.jp/comics/4253033806 [akitashoten.co.jp]
Re: (スコア:0)
印象は逆だったな
劇画調の頃しか読んでなくて、青春漫画のおぼえはあるけど、
下のギャグ漫画調の頃は読んでなかった
Re: (スコア:0)
自分もシリアス系の漫画という印象だったなあ…
Re: (スコア:0)
最初の頃は殴り込みに来た相手を取り外したバーハンドルで殴ったりしてたなあ。
ほのぼの路線になる頃、少年サンデーのダメおやじもほのぼの路線になってた気がする。
安保闘争だとかそういう時期に殺伐とした劇画調のものが流行り、それらが終わってほのぼの路線に移っていったのは
フォークソングとかと同じ流れだろうか。
でも、石井いさみのデビューからの数作は子供向けのほのぼの路線だったので、こちらが作家としての本質だったんじゃないかなと妄想してる。
あと、あだち充の師匠というかあだち充がアシスタントをしていた時期もあり、キャラの描き分けが出来ないとか言われたりするあだち充ですが、
メインキャラの描画も任せられる程石井いさみの絵柄で描くことも出来たとか。
Re: (スコア:0)
生活指導の先生にバイク通学がばれて、何故かバイクにあこがれていたその先生に貸す話があった。
「なんであんなやつに貸したんだよ」と聞かれて、ニヤッと笑いながら掌のボルトを見せて、「これがないと確実に事故る」。
自分のバイクを犠牲にして気に食わない先生を暗殺するという話。
もしかして連載第1回だったかも。
チキンレースで先行していて (スコア:0)
勝負の相手がブレーキランプを見てて、いつまでも掛けないのでついにあきらめて自分はブレーキ掛けた、なんてシーンがあり、実は主人公はブレーキランプを外してた、なんてタネがあったが、そんなのあり得るかと思った記憶がある。ランプなど点かなくても相手がどんどん近づいてくるんだからわかるだろうに。なんかでたらめなマンガだったし面白くなかった
シャッターに書かれた絵 (スコア:0)
チャンピオン自体、たまにしか読んでいなかったせいで、知らない漫画家さんでした。
(がきデカ、マカロニほうれん荘、エコエコアザラクは単行本で読んでいました)
その後蒲田に住むようになって、シャッターに 750ライダーの絵が描かれているシャッターを見るようになって、
この人の漫画を知るようになりましたね。
R.I.P.
Re: (スコア:0)
少年キングのサイクル野郎とか、雑誌の後ろの方で地味に続いてる漫画とか当時は読み飛ばしてたけど、
あとから読んで、これを読み飛ばしていたとはなんともったいないと思うようになったのはやっぱ歳をとったからかな。
Re: (スコア:0)
すずらん通り沿いの街灯には長いこと垂れ幕があった記憶があるけど、気がついたら消えているような
明かされない話 (スコア:0)
真偽のほど教えて
・後期はアシスタントのあだち充がほとんどを描いていた
・某新興宗教に入信し商業漫画誌に描くのをやめ、布教用の漫画やイラストを描いていた
Re: (スコア:0)
某新興宗教云々は、創価学会の池田大作の「人間革命」の漫画版のことかな?
でも、本人は学会員ではないという話も聞いた記憶があるようなないような。
#本人が学会員であることを明言していた本宮ひろ志ではないのは、あまりにも多忙で「無理~」だったから?
Re: (スコア:0)
自分も、近所の知り合いから頼まれた仕事で、本人は入信してないとどっかで読んだか聞いたかした記憶
ふと、水木一郎氏と堀江美都子氏が某新興宗教の歌を歌っていたのを思い出した
Re: (スコア:0)
あだち充が石井プロから独立したのは1972年連載スタートの「青い鳥の伝説」の第1回を終えてから。
「750ライダー」の連載は1975年からなのでありえない話。「750ライダー」は1985年まで10年連載された作品なので、
その後期っていったら、あだち充は「みゆき」「タッチ」で小学館の看板マンガ家だった時代ですよ。
Re: (スコア:0)
キャリアの後期や「750ライダー」の後期ではなく、「くたばれ!!涙くん」の後期らしいね
Wikipediaだけど
隙自語 (スコア:0)
まずはお悔やみ申し上げる
1985年まで連載していたのか
当時2輪より4輪に興味があったお子様だったのでバイク漫画はあまり印象に残らなかったんだろうな
そして2輪に興味が出た頃にはレジェンドマンガになってた
自分の中のチャンピオンで印象深かったのはがきデカ、らんぽう、あんどろトリオ、ドッ硬連、魔界都市ハンター、本気!
あまりさわやかじゃない漫画誌だと思った
Re: (スコア:0)
チャンピオンで、しかも人気作家でもない漫画家の作品とか単行本化されないことも多いし。
累計発行部数2000万部の大ヒット作 [xn--nckg3o...2bhg0c.com]
2,000万部も売れた本は人気作なのでは?
世代によって知ってる、知らないはあるとは思いますが。