マイクロソフトは未だに独占企業か?
slashdot.org で昨年12月26日に「マイクロソフトは未だに独占企業か?」と題するRoblimoによる書き下ろし記事が掲載された。オリジナルの長文記事に対する意見を募るという形で、内容自体にはそれほど新味はないものの、スラッシュドットには比較的珍しい試みとして注目している。というわけでその記事の日本語訳を全文掲載し、日本版の読者にも意見を問うてみたい。
マイクロソフトは今でもデスクトップを支配している。しかしほかの多くの分野、たとえばウェブサーバーやスーパーコンピューターなどの世界ではマイクロソフトは数多い競技参加者の一人にすぎず、しかも弱い参加者だ。ゲームでは、最新のxBoxが「これこそ買うべきゲーム機だ」という提灯記事をあらゆるメディアで集めているにもかかわらず、ソニーのプレイステーションが少なくとも1~2台は売上で上回っており、2006年の春にプレイステーション3が出たらその差をさらに広げるだろうと多くのアナリストは見ている。インターネットでは、MSNとMSNサーチはAOLとグーグルに大きく水をあけられており、それは全然奇妙な話ではない。そしてデスクトップでも、リナックスが成長を続ける一方、Mac OS Xがウィンドウズよりも信頼のおける安全なユーザー指向のOSとして広く受け入れられている。それでもなお、マイクロソフトが独占企業だと言い続ける?
マイクロソフトは独占的行動から(ゆっくりと)手を引きつつある
もし大口のITユーザーが、リナックスへの移行を考えているとマイクロソフトの営業担当者に告げたら、マイクロソフトはたいてい価格の引き下げを申し出てくる。この会社にはこれまでになかった行動である。マイクロソフトは今や、一部の国々では Windows Starter Edition なるものを販売している。タイではおそらく37~38米ドルで、Microsoft Office の基本的バージョンも同梱のものが入手可能である。言い換えれば、マイクロソフトは価格競争を始めたということで、独占企業には似つかわしくない行動だ。
これは、マイクロソフトが突然「みんな、愛し合おう」的態度を採用したことを意味するものではない。マイクロソフトが善意からではなく市場の圧力によって、互換性について注意を向け始めたからだと私は考える。しかし長い目で見れば、マイクロソフトが自社以外のオペレーティングシステムとファイルフォーマットを悪魔の手先の一種と見なすのをやめるかぎり、マイクロソフト製品をなるべく使いたくないという我々のような人々にとって人生はもっと生きやすいものになるだろうし、それが本当に大事なことなのだ。
マイクロソフトエクスプローラーはもはやオンライン世界を支配していない
デスクトップユーザーの大多数は今でもマイクロソフトのブラウザであるインターネットエクスプローラー(IE)を使っているのかもしれないが、もはや市場占有率は95%に達しない。2002年の書籍と昨年のオンライン記事で私は、ウェブデザイナーたちに対してIEのみで動作するサイトを作らないように警告した。(遠い)過去にネットスケープのみのサイトは作らないように、と書いたのとちょうど同じように。聞き入れてくれた人もいたし、そうでない人もいた。
Firefoxの普及は2005年に速度をゆるめたかもしれないが、止まったわけではない。Operaは、最初グーグル、次いでマイクロソフトに買収されるといううわさが出たほど、十分に力をつけてきた。いずれにしても、IEの動くコンピューターが現在、全デスクトップの90%であろうと(いくつかの調査が示すように)70%であろうと、毎月人気を落としつつある。今やマイクロソフトは、IEはもはやMacユーザーに適さないという決定を下したから市場占有率はさらに落ちる。確かに、IEの新しいバージョンが登場することにはなっているが、XPを購入したくないという何百万もの「古い」ウィンドウズのユーザーにとっては助けにならない。そういう人たちがモダンなブラウザの機能を望めば、Firefox か Opera か、その他の非マイクロソフト製品のブラウザに移行するしかないのだ。
ネットワークこそがコンピューターである
この命題は、もし「ネットワーク」という語で我々が語っているのが、よく整備されたLANではなくインターネット経由で届けられるアプリケーションのことだとすれば、今日通用する事実だとは思わない。去る10月に、インターネット経由のアプリケーションはまだまだ「すぐそこ」にあるとはいえない理由を説明した。最近では、Salesforce.com のサイトが停止して(公称)35万の購読者を怒らせた。さらに悪いことに、ZDNet のブロガーであるフィル・ウェインライトが指摘したように、Salesforce.com が利用者とのコミュニケーションをおろそかにしたことで問題を複雑化させ、おそらくインターネット経由のアプリケーションに対する「99.9%の信頼性」という主張に対する利用者の疑いを増幅させた。
近ごろ喧伝されているWeb 2.0(そしてWeb 3.0まである)のもののほとんどは、OSに依存しない。Google Maps は、標準に準拠したものであればどんなブラウザを使っても動く。リナックスでも、Mac OS でも、Unixでも、ウィンドウズでさえも。
マイクロソフトさえ、Web 2.0 のゲームに参加しようとしている。マイクロソフトの広報担当者から、こういう文を含むプレスリリースを受け取った。「もしご近所のクリスマスの電飾を見て回るのがお好きなら、http://msnsearch101.com/searchmap を訪れてすばらしい Windows Live Local の開発製品をお試しください」
このオンラインユーティリティの振る舞いは、Google Maps やその派生物を基準とすればその足元にも及ばないくらい奇妙で原始的だと思えた。だから私は「ああ、たぶんリナックスでMozillaを使ってやろうとしていたからだな」と思ったのだ。そこでウィンドウズXPが入っているコンピューターに換えて、FirefoxとIEの両方でサイトを試してみた。どういう理由でか、地図の背景はウィンドウズ上のFirefoxではまったくロードしなかったし、ウィンドウズ上のIEでも、リナックス上のMozillaと同じくらい激重だった。
もしこれが Windows Live Local にできることの見本だとすれば、マイクロソフトはオンラインの地図事業でいかなる種類の独占(市場占有率さえ)にも向かっていないと思う。それだけでなく、Microsoft(R) Office Live がどれだけよいものになるかという同社の約束に対しても懐疑的にならざるを得ない。グーグルとサンがウェブ上で動く OpenOffice.org のバージョンを協同して開発するといううわさの4分の1でも実現するなら、マイクロソフトは(避けられない)インターネット経由のオフィスソフトウェア事業においても、大きく引き離された着外になるだろうと思う。
何十万もの競争相手
「グーグルはマイクロソフトよりクールだぜ」ゲームをするのは楽しいし、最上位のプログラマーにとって世界に痕跡を残したいなら働くのに最も熱い場所はマイクロソフトでなくグーグルになったということを語るのも楽しい。でもグーグルにしたところで、世界中の有能なソフトウェア開発者のほんの一部しか雇用することはできない。(スラッシュドットを所有しているのと同一企業が運営している)SourceForge.net には10万を超えるオープンソースのプロジェクトがあり、SourceForge.net もオープンソースとフリーソフトウェアをホストする数あるサービスの1つに過ぎない。文字どおり何百万ものプログラマーがオープンソースとフリーソフトウェアに取り組んでおり、個人の商用ソフトウェアを開発している人たちも星の数ほどいる。
「タイプライターをでたらめに叩くサルの数が十分なら、いつかはシェイクスピアの作品を作り出す」という古い言い回しはだれでも聞いたことがあるし、たぶん言われ過ぎているくらいだ。これは本当かもしれないし本当でないかもしれないが、確実なのは、何百万ものプログラマーを何百万ものコンピューターの前に座らせて何でも好きなことをやらせれば、成果のいくつかは世界を変えるようなすばらしいものになるだろう。たとえこの推定プログラマー1000人のうち999人までが既製のプロジェクトに取り組んだり自分が始めたものを完成できなかったとしても、何千もの世界を変える可能性のあるプロジェクトが残り、それらのほとんどはグーグル(あるいはマイクロソフト)の従業員が開発に携わってないプロジェクトになるのである。
私はインドに行ったことがあるが、現地で出会ったプログラマーのうち最も頭脳明晰な人たちは外注を請け負う企業ではなく、自立して働いていた。自営のプログラマーは中国にもブラジルにもケニアにも数多く、この星のほとんどすべての場所にいるし、間違いなくここアメリカ合衆国にも数多い。そして、世界中で何百万ものプログラマーが、昼間の雇われ仕事をこなして食い扶持を稼ぎつつ、夜は自宅で「本当の仕事」をしているのだ。
あなたも私も、グーグルの経営陣もマイクロソフトの経営陣も、コンピューターサイエンスの学位を持ちながら親戚以外の男性と自宅外の職場で席を同じうして働くことを国法によって禁じられているサウジアラビアの優秀な女性の心の中を、今この時に何が去来しているのかはわからない。あなたが記事を読んでいるこの時にも、北京のインターネットカフェで貧しい身なりの若い男性が、現今のOSすべてを時代遅れにしてしまうようなコードを猛然と書いているかもしれない。そしてその存在は中国製の100ドルノートパソコンに搭載されて現れるまで知ることはないのかもしれない。
ビル・ゲイツが友人とマイクロソフトを創業した時、コンピューターソフトウェアだけを販売する数少ない企業の一つであったが、ほかの同業者は規模が小さくて、マイクロソフトが競合他社のほとんどを買収するのを許すか、最良の製品をライセンスするか最良のプログラマーを引き抜いてしまえるくらいだった。その当時、プログラマーはコンピューターと同様、希少で高価な存在だった。今ではプログラマーもコンピューターも全世界にあり、インターネットで結ばれている。インターネットは国境を越えたプログラマーの協同作業を可能にしたばかりでなく、成果物を物の形で出荷することなく流通させることも可能にした。
ソフトウェアの企業が今日でも従業員にはオフィスで働いてもらわなければならない唯一の理由は、管理である。予定と取り組む対象の両面において。自分で動機を見出せる天才にはオフィスを持つ必要もないし、決まった時間通りに出勤するよう要請されたりすると憤慨さえするかもしれない。ということは、世界中の最優秀のプログラマーたちの多くは、グーグルでもマイクロソフトでもほかの会社どこであれ勤務はしないということだ。その代わりに彼らは自分自身の会社を立ち上げるか、多くの例ではオープンソースに基づいたコンサルタント業を始める。
だからマイクロソフトは1980年代のように数十社との競合に直面するのではなく、何十万社との競争になるわけだ。しかもこれらの競争相手は全世界に広がっている。この種の競争は、ネットスケープのような単一の企業との競争どころかIBM、サン、オラクルやその同業といった企業群との競争に比べても、適応したり買収したりかわしたりするのがはるかに難しい。
競争がマイクロソフトに製品の品質向上を余儀なくさせてきた
マイクロソフトはもはや、欲しい最上級のプログラマーすべてを雇うことはできないが、現在の6万以上の従業員で必要十分な才能を確保しており、彼らが近年すばらしい仕事を達成してきた。ウィンドウズXPはウィンドウズMEやウィンドウズ98に比べると計り知れないほど安定している。次世代のIEは、Firefox や Opera を使う我々のような人たちがなじんできたモダンなブラウザの特徴の多くを備えたものになるだろう。Microsoft Office は確かに、OpenOffice.org のユーザーが当然と思っている機能のいくつかは備えていないかもしれない。たとえば付属のグラフィックスユーティリティ、大企業の手が入っていないMySQLのようなフリーのデータベースのフロントエンドとして使える能力、作業結果を30種類以上のオープンな、あるいはPDFをはじめとする商用のフォーマットで保存できる能力など。しかし現在の Microsoft Office は10年前に比べるとはるかに改善されており、次の版では、OpenOffice.org が採用している OASIS Open Document Format ほどオープンでもないし標準への準拠度も低いとはいえ、一種のフリーなXMLファイルフォーマットさえ採用し、以前のマイクロソフトのファイルフォーマットに比べると閉鎖度も専有の度合も低い。
真の独占企業なら、製品をこういうふうに改善する必要がない。売りたいものを好きな価格で提供するだろう。廉価版を発売したり、開発途上国では廉価で販売を行ったりしないだろう。そうした開発途上国の多くは、急激に「ソフトウェア開発途上」の国になりつつあることに気づくかもしれない。
リナックスと、BSDベースのMac OS Xへのアップルの移行がなければ、マイクロソフトがウィンドウズの開発にこれほど注力することはなかっただろう。確かに、ネットスケープを押し潰してからFirefoxが飛躍を遂げるまでの期間に、IEにはさほど注力していなかったし。
米国のマイクロソフトを相手取った反トラスト裁判では、同社が独占企業であることが問題になっていたわけではなく(裁判所は当時そう認定したのだが)、独占による力を違法に行使したことを問題にしたものだった。この訴訟ではマイクロソフトを本質的には無傷のまま放置する形で決着したが、裁判官の1人が同社の行動を5年間監視することになっており、その期間が間もなく終わる。
ソフトウェア独占の時代は終わった
IBMはビジネス向けデスクトップコンピューター事業で独占的地位を築こうとしたが、数十、数百、後には数千の競合他社が現れてよりよく速く安いPCを製造するようになったので、市場をリードする地位を保つのに失敗した。今日でも、デルが世界一のパーソナルコンピューターの業者ではあるが、この C|Net の記事にある大規模なPC製造業者の市場占有率を全部足し上げても、全売上の(100%ではなく)約60%にしかならず、小規模業者が残りを占めているわけだ。(それでこの小規模業者のいくつかは、私のセーリング仲間のジーンが自宅用のPCを買った1人で全部やっているフロリダ州ブラドントンのショップのように、本当に小さい。)
パーソナルコンピューターのハードウェア製造事業は完全に脱独占化、脱中心化、民主化、国際化を遂げている。部品を正確に組み立てられるくらい機械を扱う能力に長けていれば(そして作ったものを人に売ることができる能力があれば)、極めて少額の投資でこの事業に参入することができる。ちょうどマイケル・デルが大学の寮でコンピューターの部品やシステムを組み立てて小売する商売を始めたのと同じように。
ソフトウェア商売を始めるには、さらに少額の投資ですむ。有能なプログラマーなら、あるいは有能なプログラマーの友人がいるか、マーケティングのやり手であるなら、始めるために必要なものはすべてそろっていると言える。商用ソフトウェアを作って売ってもいいし、企業向けにフリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアをカスタマイズして(多くの場合さらにインストールしてメインテナンスして)もいい。最重要の流通経路がインターネットであれば、シリコンバレーやボストンのようなITビジネスの集積地に住んで働く必要はない。たとえば、JBoss はジョージア州アトランタにあるし、Asterisk を販売している Digium はアラバマ州ハンツビルに本拠を置いている。
ソフトウェア事業はあらゆる場所で沸き起こっている。ほとんどの会社は小さくて、ガートナーやIDCといったアナリスト企業が市場占有率の記録をとるほど(というか存在に気づくほど)大きくなるものはめったにない。しかし、非常に数が多いので、全体として見れば、市場ではマイクロソフトであろうと単一のソフトウェア企業を凌駕する存在感を持つようになってきている。
このことは、マイクロソフトが来年には10万社の新興企業に取って代わられることを意味するものではない。同社はまだ存在し続けるだろうし、数多くの報道もされ続けるだろう。それにオープンスタンダードの成果を取り込む(拡張したり消滅させようとしたりすることはないだろう)ことを考えると、ソフトウェアの世界で依然として強大であり続けるだろう。
しかしマイクロソフトが何をしようと、ソフトウェアの独占を再び得ることはないだろう。ほかのどんな企業も。ソフトウェア事業への参入障壁は、そんな事態が起きるには低くなり過ぎたし、独立して働けばソフトウェア大企業に雇われて働くのと少なくとも同じくらいの稼ぎが得られることに気づいているソフトウェア開発者の数も増えている。
『スモール・イズ・ビューティフル』は1973年刊行のすばらしい本の表題である。このタイトルは今日のソフトウェア産業についてうまく言い当てている。