教育無償化を考える 1
タレコミ by pongchang
pongchang 曰く、
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教育無償化を「四象限」で考える。左右は貧富である。「教育費を家計で賄えるか否か。」
これは安倍政権の訴える「大きな政府」あるいは左翼の「大きな政府」でも対応可能である。
核廃棄物の処分地として候補に挙がった東洋町で町長選に出た澤山保太郎さんの考証も参考になる
一方で、「『学校』が教育の場としてあてになるか?」という命題には、「教育無償化」は答えを与えない
まず、認知の歪み、自身の成功体験の欠如によって学校を否定し拒否する、または排除を容認する、親や保護者の姿勢。という課題がある。そういう人は比率で言えば、社会階層が低く、情報発信能力の無い、ひとたちに多い。
沖縄「チビチリガマ荒らし事件」とは何だったのか?-建築業の現在から見えてくること-の「はい、こんな壊すのはやったことないですね。人の物を盗むとか、バイクとか盗むのとか、お金を盗んだりとかはしてたけど、昔は自分のためになることしかやらないから」という言葉が象徴的だが、NEET[Not in Education, Employment or Training]の雇用 Employmentで網がかかっていれば逸脱しなかったかもしえない。と、いうのは示唆的である。
「彼は小学校の頃からほとんど通学してないが、おじーやおばーからやっていいことと悪いことの分別などの大切なことを教わったという。」
「現在30歳前後の島袋らの世代は、学校に行かない者も多かったが、戦争体験世代に直に記憶を継承されている世代である。」
ということから、汲み取ることは多い。
公教育の充実は大切だが、格差の拡大、貧困の再生産は、バウチャーや無償化だけでは防ぎえない。
教育を得るべき層の行動変容は「無償化」だけで誘導し得るか判らない。
「もりかけ」と「ウィンツ」から汲み取るべきなのは、質の低い教育が、費用対効果が薄いとして、市場から排除されるはずなのに、生き残ってしまうことだ。
無償化故に、消費選好性や市場原理から、排除が遅れ、政治家や官僚との距離で温存される可能性が残り、一般大衆が間違って割り当てられる可能性があると思われる。
全てが官立で公務員に「困った人が集積し」行政が阻害された過去は過去として、バウチャー制度で、私立を助成しても、「別の課題」は避けて通れないし、「公教育を全面否認」する底辺層の底上げには「無償化」は「無力」では無かろうか?
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フリースクールはドコドコいくの (スコア:2)
フリースクールだけど受験も要らないような学校にどれくらい「無償化」が及ぶか?
文科省が財務省と折衝しようにも、一条校が必須だろうし
開成 [nikkei.com]とか駒場東邦 [nikkei.com]のようなガチホモな等質性の高い集団は逆に馴染めない排除が生じるし(藁