ユビキタスコンピューティングは手作りの権利を奪うものなのか?
先月のことだが、ZDNet Japanの記事によると去る11月19日に開催されたネット家電ショー2002で、TRONの開祖たる坂村教授が以下のような主旨の講演を行った。
- ユビキタスコンピューティングの本質はコンピュータやネットワークが人間の生活空間を認識すること
- それを具体化すると、例えば全てのものにミューチップなどが埋め込まれ、IDを持つことになる
その上で、坂村教授はユビキタスコンピューティングについて以下のような応用例を挙げている。
- 自分のカバンをどこかに置き忘れた場合、カバン自身がその居所を持ち主に教えてくれる
- 食料品を冷蔵庫に入れるとすぐに記録され、消費期限などの管理が簡単になる(日経2002/12/19付朝刊27面)
一見すると全てがいいことのように見えるのだが、とある疑問が私の頭を過ぎった。「たとえ、自分が手作りしたモノであっても、IDを与えなければ世の中からはモノとして認めてもらえないのではないだろうか?」
例えばこんな問題である。私事で恐縮ながら、私はよくケーキやゼリーなどを手作りする。全てのものにミューチップが埋まった世界では、おそらくチップは小麦粉やジュースの容れ物につくのであろう。ということは、でき上がったケーキやゼリーはチップを持たず、ゆえにIDも持たないものになる。そんなものを冷蔵庫に入れたら、冷蔵庫が異物と判断して警報を鳴らしてしまうなどということにはならないだろうか。
似たような事例としては、出版業界が進めている「書籍にチップとIDを」という運動がある。もともと、万引き防止のために書籍の管理を簡単にできるようにしようというのが目的。しかし、もしあらゆる商業系の書籍にチップが埋まってしまうと、「チップが入っていなければ本ではない」などと見なされてしまう恐れがある。チップを本に埋めるには(チップ自体はタダ同然になっても、IDを管理するために)それなりのコストが必要になるであろう。となると、例えば同人誌などはチップを持てなくなる恐れがある。すると「本のように見えるが本ではない」モノができ上がり、不合理に怪しまれてしまうことにはならないのか。
個人の情報が全てデータベースに蓄積されており、それが何物かによって抹消されたために自分の存在を社会に認めてもらえない...という映画のストーリーがあったが、モノの場合は人間が低コストで作り出すことが十分に可能である。手作りしたモノにデータベースが追随できないがゆえに、正体不明のモノが世の中に溢れるなどという事態には果たしてならないのだろうか? あるいは、それを防ぐために、ID取得の対価が払えないならばモノを手作りする権利はないなどというルールができてしまうのだろうか?