130Rの日記: 動機は私怨
水商売やホメオパシーなど、現在残っている迷信医療は毒にも薬にもならないものがほとんど。
逆に、瀉血など毒になってしまう迷信医療は淘汰される。結果が目に見えてわかりやすいから当然のことだ。
一方、開腹手術などは一歩間違えれば死ぬ危険もあるが、それでも行なわれるのは相応のリターンがある、もしくは他に方法が無いから。ちゃんと効くわけだ。毒はあっても薬になる。まさしく医薬。
迷信医療が生き残るためには、それ自身に効果が無いことが重要になる。
効果は無いが、ブラシーボ効果や、自然治癒を勘違いするなど、効果を感じる患者はいる。
そういった評判が積み重なって信者層が生まれて残っていくのだろう。
大概失敗例は無視される。効かなかったケースをちゃんと報告している迷信医療って聞いたことがない。
迷信医療もその起源を見れば、病人を救うために全力を尽して考えられたものだろう(最初から詐欺目的のものは除く)。加持祈祷なんかもその一種だし、風水も当時最前線の都市工学だ。
その善意や努力は否定しない。医学だって試行錯誤をまだまだしている。
他に方法が無ければそれでもいい。しかし、より効果的なものがあってなお、そこに留まり続けるのは何の益もない。
善意から迷信医療を他人に勧めてしまう人がいる。
さらに親がカブれた場合、子供に適切な医療を受けさせないケースがある。
自分の意思で代替医療として選ぶなら止めはしないが、他人の治療機会を奪ってしまうのはもはや暴力だろう。
善意で行動する彼らの説得はほぼ不可能だ。少くとも、私には出来なかった。結果、私の家族は崩壊している。
「神は妄想である」では人が迷信を信じるのは、生存に有利だったからではないかという話がある。
ならば今、迷信医療を信じることは生存にとってマイナスではないだろうか。
生存競争の結果、何万年後かに迷信から解き放たれた社会が実現する……といいなあ。
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