ADの日記: Markup Languageに拘るな
先日頂いたメールに「Markup Languageに拘るな」というものがあった。
要約すると、彼曰く
大切な(価値がある)のは、Markup Languageではなく、Content(内容)である。Markup Languageは単なる道具の一つであり、Content(内容)よりもMarkup Languageを重んじるのは無意味である。
ということらしい。
私の反論は(色々言いたいが)以下の三点に絞られる。
- 私はContentを軽んじてはいない。
- HTMLそのものに価値があるなどと言っていない。
- 内容を重んじるがあまり道具を疎かにするとはどういう了見だ。
-
私はContentを軽んじていない。
-
私が仮にContentを軽んじていたとして、なぜ「HTMLはMarkup Languageであるからして、先にマーク付けされるべき内容が存在するべきである。」などと言うだろうか。中身があってこそHTML文書は成立するというのに。
私が主張するのは「内容を重んじるのであれば、それに相応しい正しい書き方をすべきだ。」ということである。
-
私はHTMLそのものに価値があるなどといっていない。
-
私はHTML自体には価値がないと思っている。(ここではHTMLという規格についての価値ではなく、HTML文書に記述されるHTMLのマーク記号をさす。)
HTMLはそれ自体に価値があるわけではなく、文書に付け加えられることによって、コンピュータ上で文書を利用する際に付加価値を発揮するものである。
ただし、「HTMLの利用上の付加価値」は、必ずしもプラスの価値であるということではない。マイナスの価値も存在することに留意しておきたい。
HTMLが持つ利便性は大きく以下の2つである
- Hyperlinkによる文書相互間での関連付け。
- マーク記号によって文書中の要素を明示。
HTMLがマイナスの付加価値を発揮するのは、主に後者に関わるものである。(前者の害も十分にあるのだが。)
HTMLはマーク記号によって文書中の要素を明示し、それに相応しい運用をされることが可能である。つまり、文書中の部品が何であるかを、利用者に分かりやすくするための情報が提供できる。
しかし、「本来引用でないもの」をHTMLを用いて引用として、「本来引用であるもの」に対しても、HTMLを用いて引用であるとする。この場合、果たしてどれが本当に引用であるかを結局明示できていないばかりか、利用者を混乱させるおそれがある。
この場合、HTMLはマイナスの付加価値を文書にもたらしているのである。
マーク記号による要素の明示は、すなわち部品の定義・意味を明示することである。これは非常に単純だが強力な情報を持っている。故に誤用された場合もまた、強力である。
故に私は、「より効果的にHTMLとしての付加価値を発揮するためにはどうしたらよいか。」という問いを己に課す。そして導き出された答えは「HTMLを効果的に用いる方法はただ一つ。HTMLを正しく記述するだけである。即ちHTMLをごく当たり前に記述することである。」と。
私は調べた知識の上での自問自答の結果、HTMLを正しく書くべきであるという結論に至った。単に私はそれを主張しているに過ぎない。
-
内容を重んじるがあまり道具を疎かにするとはどういう了見だ。
-
優れた絵描きは筆を粗末にするだろうか。優れた書道家は紙を粗末にするだろうか。優れた国語学者は言葉を粗末にするだろうか。
もちろん、Webにおいてページの中身の情報、つまりページの内容が一番価値があるものであるというのは認めよう。HTMLが一番重要なものではないというのも同意しよう。
しかし、一番重要でないからといって、疎かにしてよいというものではない。
相手に正しく伝えるための言葉。言葉の混乱は伝える内容を濁らせ、ついには意味不明なノイズに変わってしまうことさえある。 言葉とはそういうものだ。
HTMLというマークアップ言語も、一定の意味のある単語がいくつか用意された言葉の一種である。一定の意味が保たれて使われるのであれば、相互間のコミニュケーションツールとして有用である言葉だが、定義が守られないのならばそれはただのノイズになることも少なくはない。
内容を重んじるのであれば、なぜその内容を伝達する手段である言葉には重きを置かぬのか。内容を大事にして、言葉を軽んじるというのは、矛盾しているではないか。
私には理解しかねる行動だ。
Markup Languageに拘るな More ログイン