ADの日記: 書く理由
日記 by
AD
読むという行為は、しばしば書くことによって完結する。
読むとは情報を理解するために取り入れることであり、取り入れられた情報は脳内に曖昧な輪郭を形成する。しかし、この段階では読む目的を完遂してはいない。読むこととは紛れもなく物事を理解するための実行手段であり、理解なくして読むことの完結は見ない。
単純に読むこと(見ること)は、コストの小さい行動だ。それに比較して話すことはコストが大きく、書くことはそれ以上にコストが大きい。
読むことに対しては意識が受動的でいられるが、書くことは意識を能動的にしなければならない。受動的な意識の情報はBGMの如く右から左へ抜ける。一方、能動的な意識の情報は刺激とともに蓄積される。
書くことによって曖昧な輪郭は個々のパーツとして姿を現し、明確な骨格を形成する。曖昧なものを書こうとすれば、それは曖昧な文章にしかならず、それは更なる体系化を促すきっかけとなる。
書くことは苦痛である。書くことは思考を伴わねばならない。しかし、そのコストの大きさ故に、書くことには読むことを完結させるだけの利点がある──のではないか。
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