ADの日記: 表音と表意、物理と論理
HTMLは、「言葉」というよりは「形式」である。しかし、日本語における「表音」と「表意」の混乱と、HTMLにおける「物理マークアップ」と「論理マークアップ」の混乱とは、非常に酷似しているように思える。
我々が言葉を用いて伝えたいのは何であろうか。ここでは一般論云々、傾向が云々言うつもりはない。少なくとも、私が伝えたいのは、意味であり、意図であり、意思である。
私が「おはよう」という時、私は「おはよう」という音を伝えたいのか。否。私は「相手に挨拶をしていること」を伝えたいのである。挨拶する相手によっては、「Good morning」かもしれないし、「早上好」かもしれない。私は「おはよう」という音を伝えたいわけではない。「おはよう」という意図を伝えたい。
HTMLの場合、日本語の混乱とは比較にならないほど低レベルなものである。HTMLが果たすべき役割──潜在的にあらゆるコンピュータで処理可能な共通言語──を考えた上で、HTMLとして妥当であるのは、論理マークアップHTMLである、という明確な答えがある。日本語の定義からはじめなくてはならない国語問題とは比較にならないレベルの低さである。
世の中にHTMLのコンセプトが望まれないのなら、HTMLなど捨て去ればよい。そして、何度もHTMLに代る発明をし続ければいい。上下方互換性も、アクセシビティーも多数派には無価値であるらしい。ならば、何度も発明し続けることだ。何度も変え続けることだ。何度も消費し続けることだ。何度も作り何度も壊せばよい。そうしているうちに、遺産は失われる。
長い目で見れば、ある仕組みの破壊は、それを使う全ての人にとって不利益である。その不利益を補って余りある仕組みを開発するのは、そうそう容易なことではない。
表音と表意、物理と論理 More ログイン