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ADの日記: 分離すべきだが、歩み寄るべき

日記 by AD

IEは窓から投げ捨てるべきか経由

W3Cには従うべきであり、新しいブラウザで見れる物は積極的にサイトに 使うべきです。(WEB発展の為にも、自分の為にも)

見れないのはユーザー側が古いブラウザを使い続けるからであって、サイト管理 者には全く問題ない

何故見れないのかをコメントで明記しておく事でユーザー側に気付かせる様にする。

以下、私見。

アプローチの一つの形としては、「IEは全ての窓から出てけ」のような内容も、アリだと思う。しかし、あまり良いものだとも思わない。

「IEは全ての窓から出てけ」を見て、特に私の思うことは、大きく分けて下記の3点である。

  1. 新しい技術を積極的に用いるべきか
  2. 情報の提供者は、利用者に配慮しなくてよいのか
  3. HTML4.01を廃止する必要はあるのか
  1. 『新しい技術を積極的に用いるべきか』

    私は、新しい技術を積極的に使うべきだとは思わない。ある特別な機能が必要な場合、それに応じて然るべき技術を用いるべきである。古い技術にせよ、新しい技術にせよ、必然性のないところで用いるのは、無思慮であり迂闊である。

    意図的に誤読し、かつ極論して言えば、「新しい技術を積極的に用いるべき」というのは、「Flashという技術があるから、Webページの内容は、できる限りFlashで作ったほうが良い。」というようなことになる。──もちろん、『IEは全ての窓から出てけ』の中の人は、そういう意図ではないだろうが。

    第一、新しい技術を使わなければ、ある情報が伝えられないという状況は存外に少ない。ならば、新しい技術を用いたものに加え、旧来の技術で作成したものを付加しても良いではないか。

    この手の話は、フレーム(Frame)を思い出す。一時期(今も?)フレームを用いたウェブサイト作成法が数多く見られた。しかし、それらのサイトの多くが、フレームが再現されない場合の対処として定められた、noframes要素の中身が『空』であった。私はそれを残念に思っていた。

    新しい技術を使うことは、悪いことではない。ただし、代替メディアなどで下方互換性を考えていないものは、その限りではない。

    新しい技術の導入における問題の本質は、本来の性能を発揮する場合のユーザビリティーと、本来の性能を発揮しない場合のユーザビリティーとのバランス調整にある。人によって、または目的、用途によっても差があるが、私としては概ね後者に重きを置くべきであると考える。私は、本来の性能を発揮する環境のみを考える製作法に、旧来の物理マークアップに似た閉鎖性を感じざるを得ない。

  2. 『情報の提供者は、利用者に配慮しなくてよいのか』

    「私は標準を使っているから、利用できないのはあなたが悪い」というのは正論だが、このWebという世界では「標準」というものが如何に曖昧であるか。これまで、情報資源の基幹となるべき文書フォーマットが混乱してきたことを考えれば、「標準だから従う」「標準だから従え」というだけでは不十分ではないか。

    リーダー(影響者)は、フォロアー(被影響者)によって成立する。リーダーがフォロアーを蔑ろにすれば、リーダーシップ(効果的な影響)は発揮されないのである。その逆も同様である。情報の提供者と利用者は、リーダーとフォロアーのそれに近いように思 う。「Webのため」を言うならば、製作者は利用者に配慮すべきである。それがデファクトになるのが一番望ましいことなのだから。

    ある形式を用いるということは、解釈の仕方を限定し、あまり多くを配慮しなくても良いということである。ただし、Webにおいては、かなり不完全なものであると言わざるを得ない。なぜなら、標準とされる形式を用いても、利用者が利用できない場合があるからである。

    いくら標準を語ろうとも、「Viewable With Any Browser」の精神が感じられないものに共感することはできない。一昔前は非標準なコードがやってきた「非Viewable With Any Browser」な行為を、今度は標準を名乗るものが行っているだけではないか。それでは意味がない。標準を素晴らしいものだとするならば、標準を満たしつつ、(ユーザビリティー的にも)下方互換性を確保する考え方を求めたい。

  3. 『HTML4.01を廃止する必要はあるのか』

    W3CがHTML4.01を非推奨化して、Mozilla/OperaのHTMLのサポート打ち切りが早く行われて欲しいです。

    手元に古いバージョンのMS Word形式の文書と、新しいバージョンのMS Word形式の文書があるとする。新しいバージョンのWordでは、古いバージョンのWordファイルが開けたほうが便利だろうか? 開けないほうが便利だろうか?──古いWordファイルも開けたほうが便利に決まっている。

    XML支持者のよくわからないところは、「XMLがHTMLの役目を完全に担うべきである」、と考えているように感じられるところである。既存の資源をすべて塗り替えることなど不可能。だから、ブラウザには新しいものも、古いものも読めるような機能が求められるのは当然のことである。

    3年以内に、HTMLのサポートを打ち切るというWebブラウザを名乗るUAが存在するなら、正気だとは思えない。

水は低きに流れる。

基本的に、WebブラウザとWeb文書のフォーマットは分離されるべきである。それは、情報資源たるWeb文書が、多種多様な環境で、長い期間(できれば半永続的に)利用されるための合理的な考え方である。

この考え方が少なからず支持されるようになったのは、ブラウザの独自拡張によって、多くのユーザが不便な思いをしてきたからである。「他者に利用しやすい文書を作成する」という点において、標準に従うべきと私は考える。「標準だから従うべき」なのではない。「利用されるために、標準に従うべき」なのである。

標準を盾にブラウザを排撃するような姿勢は、常に過渡期であり続けてきたWebにおいては、少々不誠実な対応に思える。結局、過去と同じようなことをしているだけではないか。

私は、「情報は利用されてこそ価値のあるもの」と考える。標準でも利用できないものは、あえて言おうカスであると(何)。 多くのユーザにとって、カスでない情報を提供する技術というのが、人に優しい技術であり、人に役に立つ技術なのではないかと私は思う。

文書体系に革命は必要ない。革命とは混乱を伴うものだ。必要があるとすれば、それは緩やかな変化であるべきだ。やがて土壌が整えば、新しい技術は華を咲かせる。それまでを如何に有意義に過ごすかが問題なのだ。もちろん、自分が有意義に過ごすという観点ではWebには馴染まない。自他共に如何に有意義に過ごすかということを考えなければならない。

フォーマットはブラウザと分離すべきだが、情報の提供者と情報の利用者はお互いに歩み寄るべきなのである。

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ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家

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