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609228 journal

ADの日記: 不寛容の精神

日記 by AD

HTMLの識者がHTML文法に厳密であるのは、本来いけないことではない。しかし、常にHTML的正しさがWebドキュメントの正しさとは限らない。あまり認めたくはないが、Webドキュメントの「正しさ」を決めるのは、第一に製作者の価値観だ。(もっとも、製作者の価値観のみに依存したモノも、閲覧者からすれば「正しくない」ものである可能性があるが。)

Webドキュメントを「蓄積される資源」と捉えるならば、それはHTML的な正しさも心がけるべきだろう。しかし、悲しいかな多くの個人サイトは「消耗品」である。これは当人たちが無意識下にしていることだが、ある一時期、ある特定の人間層に閲覧されるだけで、彼らの目的は達成される。だから、彼らのサイトは「消耗品」なのだ。(ある意味すべてのサイトは消耗品だが)

HTMLの不幸は(Webの不幸と言い換えても良いが)、HTMLの特性と使用する人間の意図の間に温度差があることだ。殆どの人間は、自分の環境から利用できれば、それだけで満足する。結果的に、個人が有している興味深い情報が、「蓄積される資源」としてWebに存在するのではなく、「消耗品」として散在することが往々にしてある。

HTMLの正しさは、より公共的、「汎用的正しさ」だ。対して、サイト製作者の価値観は「個人的正しさ」だ。この2つの正しさは、多くの場合、知識不足によって対立関係になる。結果として優先されているのは「個人的正しさ」だ。それはHTMLの正しさという観点では若干の不幸だが、どんな形であれ情報が提供されることは、幸福なことである。

HTMLの識者は不寛容の精神ではならない。HTMLという理想解を押し付ける専門馬鹿になってはならない。HTMLをなぜ正しく用いるべきかを説けない識者は、ただの専門馬鹿として煙たがられるだけである。

HTMLの識者は見誤ってはならない。HTMLの正しさは理想的解の一つであり、それは強要する類のものではない。よりよいメディアを人に勧める気持ちは分からなくもないが、価値観が異なることを重く見るべきだ。理想と寛容の精神は対立するものではない。

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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家

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