ADの日記: Firefoxを批判するのは良いが 2
批判の根拠をIEの実装に求める過ぎるのは良くない。
私は、基本的にFirefoxに好意をもっているけれども、Firefoxが完璧であると思わないし、Webブラウザたるものは潜在的に脆弱性を抱え込んでいるものだと思っている。だから、Firefoxの問題点を批判する人がいても抵抗感がないし、むしろその人物のことを好意的に思うかもしれない。
上に挙げた記事は、Firefoxの問題点をいくつか指摘している記事であるが、内容に難点が多いように思う。
サイトをFirefoxに対応させようとすると
標準化とは、そもそも「○○に対応させよう」というようなコストを回避する手段ではないだろうか。「標準化されたFoo仕様で記述すれば、Fooアプリケーションプログラムでは妥当に扱われる」というようなことが標準化の利点だと私は思う。──現状では、そうなっていないことが不幸なことではあるが、いつまでもそんな世界に住んでいたくはあるまい。
詰まるところ、コード側で「○○に対応させよう」という創意工夫をしなければならないこと自体、標準化が不完全な状態であり、標準化という観点からすれば異常な状態であろう。ただ、同記事が指摘しているように、FirefoxとてHTMLに『準拠』しているのであって、未だ完全に対応したアプリケーションではない、ということは意識しておいても良いと思う。
この記事全般にいえることだが、「IEでできることはFirefoxでもでなきなければおかしい」と考えているような感想を受ける。もしもそう考えているのであれば、その考えは間違っている。
そうかもしれないが、それではなんだか、従来の列車には幅の狭すぎる線路を敷いて、その線路に車両を対応させろとメーカーを脅す会社のファンみたいだ。そもそも線路が本来の幅であれば、全体のコストはかなり安くなるのに。
この文句がまかり通るのかは定かではない。このような文句を言うのであれば、ブラウザベンダがHTML 2.0を無視しまくったことこそが、「従来の列車には広すぎるの幅の線路を敷いて、その線路に車両を対応させ」ることを事実上強要した行為であったといえよう。
そもそも、『本来の幅』というのは誰が決めたものか? 同記事が意図する『本来の幅』とは、おそらくIEの実装のことであると見受ける。しかし、MozillaなりIEなりが『独自に作り上げた道幅』が『本来の幅』であるのか。
言い換えよう。全体のコストが高くなるのに、わざわざ独自の道幅を作り続けてきたのは誰であったか。
本質的に、Firefox(やOperaやSafari)がインターネットにアクセスする人の95%が使っているブラウザの機能を実装しないというのは、世界中の何十万ものWebサイトに対して、自分たちに合わせてサイトをカスタマイズしろと要求するのと同じだ。
いや、まったく異なる。仕様に従った文書は正しく解釈するという、User Agentとして当たり前のスタンスを取っているに過ぎない。なぜFirefoxというブラウザが、『IE仕様』を忠実に再現する必要があるのか。特殊な記述を強要してきたのは、IEや旧来のMozillaのほうだ。
あなたがどうかは知らないが、ブラウザ固有の特殊な機能を押し通そうとするのは、私の趣味ではない。
まったくだ。で、なぜIEに固執するの?
その上、この抵抗運動は、Web標準がブラウザの非互換性問題の万能薬であるかのような誤った認識に基づいているようだ。
どうやら、現状ではアプリケーション側もリソース側も標準化が不完全であるという発想が、何らかの理由で彼から抜け落ちてしまったらしい。
また、HTMLの担うWeb標準とCSSが担うWeb標準は別のものである。HTML的には標準的な解釈が可能でも、CSSを解釈できない場合はある。IEとFirefoxでの見栄えの違いというのは、主にこの部分だ。見栄えと文書を一緒くたに考えたいのなら、軽いPDFのようなモノを開発してWeb標準にでもすれば良いじゃないか。
この記事の著者は、環境の変化に対応するためのリソース修正のコストを問題視している。しかし、それは『IE仕様』に合わせていたからだ。IE仕様で作ってあるのだから、IE以外で動作させようとするならコストが掛かるのは当たり前だ。このあたりが、この記事の一番癪に障る部分だ。
「ずさんな」コードに、適切な表示を要求する権利はない。
IEの訂正機構自体、「適切な表示を要求する権利」はないリソースをそれなりに扱ってしまい、結果的に、「適切な表示を要求する権利」のないリソースが蔓延る温床となってきた事実をどう説明するのか興味があるところ。一部の適切な記述をするぺージ製作者の例だけ出されても困る。
これを読んでくれている人の多くは、IEが、不完全か、不適切に書かれたHTMLから適切な振る舞いを推論するのがうまいことを認めるだろう。この点は便利だし、Firefoxも見習うべきだろう。
XMLベースのXHTMLとは相容れない考え方の模様。まぁ、私も非XHTML支持の立場であるから、HTMLの「好い加減」なところは多少は好きだ。しかし、HTML文書としては、仕様に準拠してない文書は再生される保証などないと認識すべき。
Webサイトが新興のブラウザに合わせるべき(逆ではなく)だという主張は嫌いだ。
まったくだ。Webページ側はブラウザに合わせるのではなく、仕様に合わせるべきだ。ブラウザの新旧問わず、HTML文書はブラウザに合わせるべきではない。もちろん、ブラウザへの配慮を否定するわけではない。
どうして、何時までも古いリソースがWeb上で生きつづけると思うのだろうか。ライトユーザ層のレベルでいえば、それはまったくの幻想だ。大抵のゴミリソースは5年もすれば死に絶える。精々、死んだリソースの亡霊を、かすかにInternet Archiveで見れる程度の存在になるだろう。今をもってゴミが多いのは、新しく生み出され続けているからだ。
HTMLに詳しい人は何度か思ったことがあるかもしれない。どうして古い因習をずるずると引きずらねばならないんだろうと。この記事の著者は、IEの機能の利便性に魅入られすぎているか、リソース修正のコストを余程避けたいのだと思うが、世の中にはIEの因習を捨てたい人間も少なからずいる。
あと、ライトユーザは、「安全に見れりゃブラウザなんぞ何でもいい」と思っている方も少なくない。現状で、わざわざIEからFirefoxへの乗り換えを検討させたくなるほどIEが危険なのが、そもそもの問題だ。
Insightful! (スコア:1)
英訳して原著者につきつけてみたいものです。
まぁ、英語人で同じようなクレームをつけている人も既にいるかもしれませんが
/.configure;oddmake;oddmake install
Re:Insightful! (スコア:1)
お褒め頂いたところ大変恐縮なのですが、若干、後から誤字脱字修正と加筆を行っております。ご容赦ください orz
おそらく、あの記事の著者は、意識的か無意識的かは知らないけれど、標準化の利点を理解していて、標準をIEの実装に求めているというのは、ほとんどの人が判るところだと思います。IEの実装マンセーというのがそもそも間違いですが。過去のブラウザ戦争について多少知っている人であれば、みんな似たような感想をもつでしょうね。
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--