パスワードを忘れた? アカウント作成
586659 journal

ADの日記: サポートが嫌な理由

日記 by AD

能力が並付近で、かつ、モチベーションを維持できる人間を教えるのは心地が良い。伸びる人を教えるのは心地よい、と言い換えることも出来るかもしれない。

/.jp国民投票:つきあいサポートの断り方・家族/友人編という記事を読んでいて思ったことなのだが、同じサポートでも嫌なサポートと嫌ではないサポートがある。出来る限り客観視して考えれば、嫌なサポートとは非生産的サポートだと思う。

『非生産的サポート』とは何を意図したいかといえば、それはサポートの消費であり、利己的利用だ。要するに、サポートというサービスを消費することはあっても、それから学び取るだとか、再発を防ぐとかいう生産性を持たない類のサポート。トラブルの丸投げともいえる。私はこの類のサポートは、例え親しい友人であっても嫌だと感じる。

なぜ『非生産的サポート』が嫌かといえば、それが労働力の搾取であるからだ。サポーターは道具ではない。また、『非生産的サポート』の発生源は、しばしばトラブルメーカーになる。したがって、これを受け続けることは、多くの時間と労働力を搾取されることとなる。利益が無いばかりか負債に等しい存在だ。何の道でも初心者が嫌われるのは、この負債に等しい存在である場合だろう。

無償サポートのお願いであっても、全部が全部嫌だというわけではない。少なからずサポートから学び取ってくれる相手であれば、私はあまり嫌だとは思わないだろう。そういう人は一定の自己解決能力があり、聞く前に何度も解決を試みるだろうし、サポートを依頼される回数も時間とともに少なくなっていく。こういう人へのサポートは負債とは思わず、むしろ投資のように思う。

「薀蓄や解決法なんかどうでもいいから、早く直してくれ」というのは、トラブルを抱えたユーザの率直な気持ちであるとは思う。しかし、その受動的な態度が許されるのは、サポートというサービスに対して両者合意の上で対価を支払う場合に限る。

残念なことに、手取り足取りすると『負債』になりやすいような気がする。私がモノを教える場合、ヒントは与えるけれど答えは言わない。答えを言うにしても最後に言う。それが煙たがられる事もあるだろうが、私にサポートを頼む状況に陥ったこと自体を反省してもらいたい。>某人々

知識は基礎体力で、操作は技術だ。基礎体力を蔑ろにして、技術も習得しようとしなければ、一体何ができるという?

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie

読み込み中...