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Brujoの日記:

日記 by Brujo

犬と同じではない。

冗談ではない。犬と同じような忠実さを期待して裏切られたために
彼らを呪うのは間違っているし、見た目の愛くるしさや暢気さに
気を取られて賛美するのもまた間違っている。それが猫の望むところ
かどうかはともかくとして、まんまと術にはまったわけだ。

そう。猫たちは優れた天性をもつ狩人だ。そして、人間と対等な
関係を築くのに相応しい存在だ。

猫たちが甘えた声を出すのは、慣れた人間に相対するときだけだ。
幼い猫をのぞいて、日ごろはああいう声は決して出さない。
彼らには、愚鈍な人間にはわからない秘密の生活が存在する。

彼らは人間の間で生きる。そして、誰にも知られない秘められた
信仰を抱いている。その対象が何かを我々が知ることは決して容易
ではない。彼らの生が尽きるときにはじめてそれが明らかになる。
決して彼らは人間に飼いならされはしない。しかし、人間にとって
は最も重要な友人なのだ。飼いならされる存在ではないがゆえに、
自らを境遇になげうって、時には人間に媚びるそぶりを見せる。
おろかな人間は、それにまんまとだまされるわけだ。あるいは、
近寄ってほしいと思ってない人間を欺き、遠ざける。
したたかに、自らを愚かさの中に置いても、猫は決して狩りの対象
以外のものを欺きはしない。そして、彼らが何を信頼し、何に
神聖を感じているのかは、その死に立ち会うことのできる選ばれた
人間にしかわからないのだ。

もし、仮におまえに神聖を感じた猫が居れば、彼は狩りの最中で
敵に傷つけられ、腸がえぐられるほどの重症を負ったとしても、
必ずおまえのところに戻ってくるだろう。肉体の力が尽きても、
強靭な精神力をもって、おまえの夢枕にさえ立とうとする。
そして、自分の生命をかけて、最後の友情を示すのだ。
あるいは死してなおも、友人のために戦おうとする気高い戦士も
猫の中には居る。おまえの国では特に有名ではないか?
その真摯さは生前に我々に見せた姿とは全く異なる次元に属する
気高い精神性の所以だ。だまされてはならない。愛くるしさや
狡猾な手管めいた行動にあらわされる捕らえがたい性質の奥底の
偉大な精神性にこそ人間は感銘すべきだ。

猫は己が信じたもののためだけに生きる。己が信じたものの
為であれば、それ以外の日常の欺瞞などどうでもいいことなのだ。
己の信念を全うするためであれば、嫌いな人間にすら媚を売る
ことも彼らはいとわないのだ。
そういった振る舞いは彼らにとって、明らかに自身で管理しうる
もの。優れた狩人に必要な「管理された愚かさ」を自分のものとして
十分に発揮できるのが彼らだ。そうして、彼らは人間の生活のすぐ
そばに「忍び寄って」くるのだ。

彼らは自分こそがすべてだ。そして、自分の価値観を至上のもの
であると、誰に向かっても宣言できるがゆえに、一見して愚かな
振る舞いで我々の目の前で遊ぶことができるのだ。

おまえは彼らほど巧みに、そして気高くおまえは生きられるか。
自らの信念を決して曲げずに、しかし現実にはしたたかに生きる
ことが出来るか。おまえは彼らの友人たる資格をもつ存在か。

猫を愛撫し、あるいは嫌悪するだけでは彼らを理解することは
決して出来ないのだ。

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物事のやり方は一つではない -- Perlな人

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