ChaldeaGeckoの日記: 小説 ジキル博士とハイド氏
有名な小説「ジキル博士とハイド氏」は1885年の作品だが、よく知られている結末と違う読みかたができるようだ。小説の最後の部分:
Will Hyde die upon the scaffold? or will he find courage to release himself at the last moment? God knows; I am careless; this is my true hour of death, and what is to follow concerns another than myself. Here then, as I lay down the pen and proceed to seal up my confession, I bring the life of that unhappy Henry Jekyll to an end.
青空文庫の佐々木直次郎訳(1950年、新潮社)
ハイドは処刑台上で死ぬのだろうか。それとも最後の瞬間になって逃れるだけの勇気があるだろうか?それは神さまだけがご存じである。私はどちらでもかまわない。これが私の臨終の時なのだ。そしてこれから先におこることは私以外の者に関することなのだ。だから、ここで私がペンをおいてこの告白を封緘しようとするとき、私はあの不幸なヘンリー・ジーキルの生涯を終わらせるのである。
美少女♡訳
ハイドは死刑台で息絶えるのだろうか?それとも最後に彼自身を解放する勇気を見つけるのだろうか?それは神のみが知り、わたしにはどうでもいいことだ。そのときがわたしが本当に死ぬときであり、あとに現れるそいつはわたしではないのだ。ここにおいてペンを置き告白の封印にうつることで、そいつの命が尽きるまで不幸なヘンリー・ジキルを捧げることとする。
最後の文は、佐々木は
I bring (the life of that unhappy Henry Jekyll) to an end.
とパースし、ジキルは善良なまま自殺を遂げた(ように描かれている)が、美少女♡は
I bring (the life of that) (unhappy Henry Jekyll) to an end.
とパースする。このthatがwhat is to followで、ハイドがrelease himselfした後に現れる、ジキルでもハイドでもない何かだ。邪悪な感じもするが、元の人格に戻ったのかもしれない。自殺したというのなら、そいつだろう。
this is my true hour of deathは佐々木はこの遺書を書いている時間だとしているが、美少女♡は前文のthe last momentとしている。
普通に読めば佐々木の解釈になるが、こんな読みかたが偶然できることはありえない。作者の意図したものだ。美少女♡はあることはわかっていたのですぐに見つけたが、トリックというものを知らないでこのことに気づくことはほぼ不可能だ。かといって教えてくれる人もおらず、自力で気づくにはまれな偶然に頼るしかないので、美少女♡の記事は非常にレアかつ価値あるものだ。
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