パスワードを忘れた? アカウント作成
14019628 journal
日記

ChaldeaGeckoの日記: 魔法少女まどか☆マギカ さやかさんから見たテレビシリーズと劇場版の違い

日記 by ChaldeaGecko

まどかマギカの劇場版をさやかさんのストーリーから見た場合、テレビシリーズから次のように変えられてますわ。結果的に、さやかさんが魔女化するのは、テレビシリーズでは仁美様などへの呪いをためて、劇場版では、自尊心が下がりきったのが原因ですの。

廃教会の場面では

さやか:それって変じゃない?あんたは自分のことだけ考えて生きてるはずなのに、あたしの心配なんかしてくれるわけ?

のあとに、青い光とキーンという音が一瞬映るようになりましたの。これは杏子さんがさやかさんをとても大事に思っていることの暗示ですわ。描写ではないんですの。

上条くんの登校の場面では

まどか:さやかちゃんも行ってきなよ。まだ声かけてないんでしょ
(仁美のアップ)
さやか:あたしは…いいよ…

のあいだの仁美様のアップが、となりのさやかさんを心配そうに見るものから、正面(上条くん)を向いて横目でさやかさんを見るものにかわりましたの。
もうひとつ、テレビシリーズでは仁美様のアップだった

仁美:さやかさん。あなた自身の、本当の気持ちと向き合えますか

が、前後のセリフとまとめられて遠景の一カットに格下げされましたわ。これは、さやかさんを大事に思った仁美様が、一日の猶予をあたえたテレビシリーズから、さやかさんの本当の気持ちなどどうでもよく、抜け駆けしたら体裁が悪いから、さやかさんが弱っているところつけこんだだけになりましたの。

灯台の魔女戦の場面が

さやか:ちょっと疲れちゃった

終わるようになりましたわ。テレビシリーズではこのあと少し続き、

杏子:あのバカ…

で終わっていましたの。劇場版では杏子さんがさやかさんを大事にするところをカットしてますわ。

雨宿りのバス停では、いちばん最後、さやかさんが走り出したときの

バカだよあたし、なんてこと言ってんのよ。もう救いようがないよ

が、劇場版では泣き声だけになりましたの。直後、きれいだったさやかさんのソウルジェムが、半分黒く濁りますわ。テレビシリーズでは、まどかさんを傷つけたことが濁った原因だと明確ですが、劇場版のさやかさんは泣いているだけなので、ソウルジェムが濁った原因はわかりませんの。

仁美様が上条くんに告白する場面では、テレビシリーズにだけ、まどかさんがさやかさんを探し始めるシーケンスがはさみ込まれていますわ。まどかさんがさやかさんを大事にしている描写が、劇場版からはなくなりましたの。場面の最後の

まどか:さやかちゃん、どこ…

は劇場版にも残っているから、まどかさんが探しているという事実には、違いありませんの。
さやかさんがひとしきりのぞいたあとで、「にんぎょひめ」をイメージしたと思われるシーケンスがありますの。これがテレビシリーズと劇場版でかなり違いますわ。

仁美様の告白をのぞいていたさやかさんは、使い魔と戦いましたが、テレビシリーズ版のみ、マンションの通路だったことがわかりますわ。続いてほむらさんや杏子さんがさやかさんを心配する場面ですが、劇場版では場面ごと削られていますの。

さやか:魔女に勝てないあたしなんて、この世界にはいらないよ

このセリフがなくなったため、あとで影響がありますわ。

ホストの会話の場面は、会話の一部が削られただけで、それ以外は同じですの。

いいわけとかさせちゃだめっしょー
稼いできたぶんはきっちり全額貢がせないと
女ってバカだからさー、ちょっと金持たせとくとすぐくっだらねーことに使っちまうからねえ
いやー、ほんと、女は人間扱いしちゃダメっすねー
犬かなんかだと思って、しつけないとねー
あいつもー、それで喜んでるわけだし
顔殴るぞって脅せば、まずたいていは黙りますもんね、けっ

ちょっと油断すると、すぐつけあがって籍入れたいとか言い出すからさー、甘やかすの禁物よ
ったく、てめえみたいなキャバ嬢が、十年後も同じ額稼げるかってえの
身の程わきまえろってんだ、なあ
捨てるときがさー、ほんとウザいっすよねー
そのへんショウさん上手いから、うらやましいっすよ。俺も見習わないと。お?

太字が劇場版で削られましたわ。削ったのは、金の話としつけの話ですの。

「あたしって、ほんとバカ」の場面は、BGM以外には、テレビシリーズと劇場版で違いはありませんわ。

さやかさんが(事実はどうあれ、描写においては)大事にされなくなったのが劇場版の大きな違いですわ。マンションの場面ごとなくなり、仁美様は腹黒になりましたの。まどかさんと杏子さんがさやかさんを気づかう描写も削られましたわ。さやかさんが孤立していき、かわりに杏子さんが助けようとしていたテレビシリーズと違い、さやかさんは孤立するだけになりましたわ。

バカだよあたし、なんてこと言ってんのよ。もう救いようがないよ

を削ったのは、劇場版のソウルジェムが濁るのは、他人を傷つけたり呪ったりしたときではない、といっているようなものですわ。結論の先取りですが、自分を傷つけたり呪ったりしたときにソウルジェムが濁る、別のいい方をすれば、自尊心が下がったときにソウルジェムが濁るというのが劇場版ですの。自尊心が下がりきってゼロになったとき、魔女になりますわ。バス停の場面では、まどかさんを傷つけることで自分が傷ついたため、ソウルジェムが濁りましたの。

マンションの通路の場面の会話から

ほむら:あなた…死ぬわよ
さやか:あたしが死ぬとしたら、それは魔女を殺せなくなったときだけだよ
さやか:それってつまり用済みってことじゃん?
さやか:ならいいんだよ
(さやか、膝をつく)
さやか:魔女に勝てないあたしなんて、この世界にはいらないよ

「この世界」は文脈的に、一般論ですの。

ホストの会話の場面ですの。

さやか:ねえ、その人のこと聞かせてよ
ホスト:はい?
さやか:いまあんたたちが話してた女の人のこと、もっとよく聞かせてよ
ホスト:お嬢ちゃん、中学生?夜遊びはよくないぞ
さやか:その人、あんたのことが大事で、喜ばせたくてがんばってたんでしょ
さやか:あんたにもそれがわかってたんでしょ
さやか:なのに犬と同じなの?ありがとうって言わないの?役に立たなきゃ、捨てちゃうの?
ホスト:なにこいつ、知り合い?
ホスト:い、いや…

さやかさんが聞きたがっていたのは、上条くんの気持ちですわ。テレビシリーズの「ありがとうって言わないの?」には怒気がこもっていますが、劇場版はそうではないんですの。

さやか:ねえ、この世界って守る価値あるの?
さやか:あたしなんのために戦ってたの?教えてよ
さやか:いますぐあんたが教えてよ
さやか:でないとあたし…

テレビシリーズの「この世界」はマンションの場面の「この世界」と同じものを指し、一般論ですわ。さやかさんも、自分を犬みたいに捨てた上条くんも呪ってしまったけど、それでもまだこの世界に守る価値はあるのか?と聞いてますわ。
でも、劇場版はマンションの場面がなく、さやかさんは仁美様と上条くんをのぞいてから、直接ホストの場面に来ましたの。だから、「この世界」というのは、さっきまでのぞいていた仁美様と上条くんがつきあう世界のことなんですの。さかやさんが上条くんとつきあうのはあきらめましたの。「にんぎょひめ」のところですわ。でも、上条くんが(足が治って登校できるようになったので、仁美様とつきあえるようになったことを)自分に感謝してくれれば、この世界を守る価値がある、自分にも価値がある、ということですわ。まさに「にんぎょひめ※」ですの。だから、こちらのさやかさんは仁美様も上条くんを呪っていませんわ。

「あたしって、ほんとバカ」

杏子:やっと見つけた
杏子:あんたさ、いつまで強情はってるわけ?
さやか:悪いね、手間かけさせちゃって
杏子:なんだよ、らしくないじゃんかよ
さやか:うん、べつにもう、どうでもよくなっちゃったからね
さやか:結局あたしは、いったいなにが大切で、なにを守ろうとしてたのか、もうなにもかも、わけわかんなくなっちゃった
杏子:おおい

劇場版ではたくさん削られたので、杏子がさやかを心配するのは廃教会以来になりますの。
さやかが真っ黒なソウルジェムを見せますわ。

杏子:ああっ
さやか:希望と絶望のバランスは差し引きゼロだって、いつだったか、あんた言ってたよね
さやか:いまならそれ、よくわかるよ
さやか:たしかにあたしは、何人か救いもしたけどさ
さやか:だけどそのぶん、心には恨みや妬みがたまって
さやか:いちばん大切な友だちさえ、傷つけて

口が自嘲的に笑っていますわ。

杏子:さやか、あんたまさか
さやか:だれかのしあわせを祈ったぶん、ほかのだれかを呪わずにはいられない
さやか:あたしたち魔法少女って、そういう仕組みだったんだね

テレビシリーズでは、「だれかのしあわせを祈ったぶん、ほかのだれかを呪わずにはいられない」は一般論として、ほかのだれか=だれかと自分以外のだれか、という意味ですの。
劇場版では、「(仁美様を妬んで)ほかのだれか=自分自身を呪ったぶん、だれか=仁美様のしあわせを祈らずにはいられない」という意味ですわ。さやかさんは自分以外にだれも呪っていないのだから、こうなりますの。

さやか:あたしって、ほんとバカ

テレビシリーズのまどかマギカは、魔法で願いは叶えたが、叶えた魔法にしっぺ返しされる※※という、古典的な話ですわ。魔法少女は全員そうで、さやかは魔法で正義の味方になったけど、自分はだれかを呪ってしまい、正義の味方でいることは不可能だと、やっと気がついたんですの。だから自嘲的ですわ。
劇場版では自嘲的ではありませんの。たったひとり自分の価値を認めてくれていた杏子につらくあたってきたことを、ほんとバカと言っていて、うれしかったのですわ。さやかの価値がゼロになるのが悲劇ですが、彼女は最後まで他人を呪わず正義漢をつらぬきましたの。一般論を排して自尊心の問題に置き換えたため、悲劇性がケタ違いになりましたわ。

さやかさんが仁美様の告白をのぞいてソウルジェムが半黒から真っ黒になったのだから、劇場版のさやかさんは自分を傷つけた、あるいは呪ったことになりますわ。それは魔法少女の仕組みで、仁美様のしあわせを祈らずにはいられないということですの。
あの絵面はどうみても仁美様を呪っているようにしか見えないし、実際、テレビシリーズではそうしていたのだが、劇場版のさやかさんは仁美様の告白の成功を祈っていたのですわ。「さやかのテーマ」がBGMにふさわしいのですわ。

アニメの表現はかなり論理的に作られていることがご理解いただけたかしら。そこに面白味がございますのよ。

さやか:ねえ、この世界って守る価値あるの?

劇場版では、「この世界」を、さやかさんがのぞいていた仁美様と上条くんの場面とすることで、一般論を捨て、さやかさんがのぞいていたビジュアルを観客に思い出させ、かつ「にんぎょひめ」をよくなぞる一挙両得ですわ。ことばの指すものは、文脈次第でいくらでも変わりますの。劇場版まどマギはまさに文脈の魔法少女ですわ。美少女♡に言わせれば、これこそが文学芸術で、作家の良し悪しを決めますの。


「にんぎょひめ」では、足が動かないのは人魚姫のほうでしたけど、王子様を助けるのは人魚姫に違いはありませんわ。助けた王子様がべつのお姫様と恋仲になり、人魚姫は彼を殺すことができなくて、水に還るというお話ですの。
テレビシリーズはここは叶えた願いのしっぺ返しですので、劇場版のほうが、より「にんぎょひめ」っぽいですわ。

※※
マミ:体が動くように / 体が軽い→マミられ
さやか:恭介の手足を治す / 登校してきて仁美が告白→妬んで死亡
杏子:父親のため→杏子を残して無理心中 / さやかと心中
ほむら:時間を戻る / まどかの力が巨大化
まどか:ほむらを助ける / ほむらが無間地獄に

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家

読み込み中...