ChaldeaGeckoの日記: 手をさしのべる、死亡フラグ、涙をこぼす
アニメの描写で手をさしのべることが無条件の信頼をあらわすことは、死亡フラグと同様、作家固有のものではなく物語の論理のもので、いろんな作家が使っているルン。受け取った側は返礼する義務があるルン。返せるものがなければ命であがなうルン。
まんが「この世界の片隅に」なら
・広島の橋で、すずが周作に…のはずがバケモノの手をとってしまった
・孤児が、すずに
があるルン。どれもこの作品でもっとも大事な場面ルン。すずは晴美とはしょっちゅう手をつないでいたルン。絵を描いて渡すのも、手をさしのべると同じだルン。
すずは広島の橋でようやく、周作のリンのことを許したルン。だからバケモノの手を取るのはおもしろいギャグなのに…
返礼はどちらのケースともすずへの愛だルン。これは無尽蔵だから返礼しても手元に残るルン。ララの返礼は、ひかるへの恋だったルン。
アニメがどれだけダメか、たったこれだけでよくわかるルン。
「けものフレンズ2」なら、第一話でカラカルがキュルルの手をとって逃げるところ。返礼は道具に代表される人間性だルン。HUGキュア映画なら、エールがミデンを抱きしめるところだルン。ミデンは当然返礼するものを持っていないので、消えるしかないルン。サカサマのパテマはお互い抱き合っているから、ピンポンしつつ大きくできるルン。これがこの映画の本当にスゴイところだルン。
死亡フラグも似たようなものだルン。
・おれ、この戦いが終わったら結婚するんだ
手をさしのべる場合は、「さしのべられる側にその資格があった」ということだルン。死亡フラグの場合はその資格がなかったルン。いかにカップルが誠実なつきあいをしていたとしても、それは物語の外部のことだルン。さしのべられた手はご褒美というか等価交換だルン。Aさんからたくさん受け取っていたBさんが、無条件の信頼の証としてAさんに手をさしのべる、等価交換じゃルン。Bさんはその手を取り、返礼する、等価交換じゃルン。2.5円じゃないルン。かようにさしのべる手そのものが高価なのじゃルン。死亡フラグは「おれ、この戦いが終わったら結婚するんだ」と言うこと自体が高価すぎたために、物語の中で返礼できなかった、と言い換えられるルン。実際、セリフも死もインパクトがあるルン。
等価交換というのは物々交換のようなものだルン。値打ちはあっても自分の欲しくないものを、ほかの人の持っているものと交換する、これが物語だルン。物語の論理にはお金も特殊景品もないルン。そしてそこに自由意志もないルン。カルヴァンの予定説とか、それをネタにしているテッド・チャンみたいなものルン。日常の論理はそれとは違い、自由意志があるルン。それは幻かもしれないけど、そう感じられるルン。
涙をこぼす話もするルン。これは自分のウソを認めたときに出るものだルン。非常な苦痛を伴うルン。ウソと、涙をこぼすことを物々交換して、ウソを償却するルン。わんわん泣いたりするのは、気持ちよくなるからダメルン。物語の世界では、人は追いつめられたり、あるいはなんの気なしにウソをつくルン。ホントとホント、ウソとウソはくっついて大きくなるけど、ホントとウソは帳消しにはならないルン。
人からほめられるとプラスのホント、傷つけられるとマイナスのホントが生まれるルン。この二つは帳消しになるルン。そして、logホント - expウソが自尊心の水準になるルン。だから、ホントをいくら集めても天井があるし、ウソが積もると急速に水準がさがるルン。
〇ビはこうやって、アニメを力学系みたいに見てるルン。小説やまんがもそんな感じだルン。〇ビの信仰は、物語の論理は人間の脳のハードウェアにビルトインされているということだルン。自由意志があるのは日常の論理だけで、物語の論理にはないと信じているルン。信仰だからケチつけないでルン。自由意志を認めないというのは、あらゆるカットに作家の意図が反映されていることを信じているということでもあるルン。〇ビが実写が嫌いなのは、アニメほどにはそうならないからだルン。
スタプリ大予言で〇ビがいちばん気に入っているのは、アニパロがジグソーパズルのようにキマったことではなく、そこから愛・勇気・信頼・ウソの物語の要素が不可避かつ完璧な形であらわれたことだルン。東映アニメーションが極めてロジカルにプリキュアを作っていることは疑いがなく、過去作品を鑑みると、今後もこの水準の作品を作り続けることができることは間違いがないルン。「チーム体制で最高水準の文学作品を生産し続ける」なんて文学の常識ではありえないルン。
〇ビが力学系のようにアニメを見るようになったのはプリキュアとまどマギのおかげだが、会社の違う両作品を見るのに違いを感じたことはまったくないから、少なくともあるていどは普遍的にアニメ鑑賞に有効だと思っているルン。
これはあくまでアニメを見るときの見立てルン。それ以外には決してあてはめてはいけないルン。みんなもやってみるルン。びっくりするほどよく切れるルン。
たとえば、スタプリ映画では、ユーマが生物か無生物かが作品解釈の分岐点ルン。
ユーマが生物だとしたら、ユーマが受け取ったものと、ひかララが受け取ったものは等価のはずルン。でも、ひかララが受け取ったものはしょせん小動物の癒しだルン。そうするとあの歌やユーマの値打ちはたいしたことないルン。そするとこのアニメもたんなる娯楽作にしかならないルン。
ユーマが無生物のブランクテープだとしたら、ユーマはなにも返す必要はないルン。そうするとプリキュアの歌の価値はほかの要因で決まるルン。それがものすごく大きいだったとすれば、歌を吹き込んだユーマの価値もものすごく大きくなって、惑星にふさわしくなるルン。たぶんプリキュアは最終回でひかるを歌ではげまして奮起させるルン。そうすると歌の価値は地球一個分になるから、ユーマの価値にふさわしいルン。大予言に追加するルン。これはアニパロや通常のドラマツルギーからは絶対に出てこないルンよ。的中したらほめるルン!
主題歌もがっつりトリックが入ってるルンよ。ララはウルトラ長寿ルン。
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