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日記

ChaldeaGeckoの日記: 鎮魂、謝罪、トリック 5

日記 by ChaldeaGecko

〇ビ「ブラックフライデーでSurface Headphonesを買ったルン。安かったルン」
A「そうなんだ、よかったね!(〇ビちゃんよかったね!)」
B「そうなんだ、よかったね!(チッ、ゴミならいいのに)」

Aはそれで終わりだけど、Bは「届いてみてゴミかどうかがわかる」というイベントの予告になってるルン。つまり、「言っていることと思っていることが違う」のは、物語に時間を導入することにほかならないルン。ウソをつくと時間が生まれるルン。ついたウソは涙で償却して時間がすすむルン。時間が未来へすすむと、これが決めたんだルン。
「けものフレンズ」は「言っていることと思っていることが完全に一致」しているから、時間のない世界を描きだすことに成功したルン。ポストアポカリプスの世界を直接描くのではなく、時間がない、「このあと」があるはずなのにないことが、終わりのあと=ポストアポカリプスを視聴者に感じさせるルン。まあ幼児的なのは動かしがたい事実だし、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」とか、小説だけど保坂和志の「プレーンソング」が先にあったけどルン。「けものフレンズ2」は最後にサーバルが、黒くなってもうすぐ死ぬかばんに「また会おうね」とウソをつくことで、止まっていた時間がまた動き出したルン。

エール「キラッキラの思い出、いまからたっくさん作ろ」

エールはウソをついて時間を導入したわけだけど、このウソをミデンの憎しみと交換してミデンが成仏したルン。ウソはエールの涙で償却したルン。これが物語の論理における鎮魂のロジックだルン。
もし彼女が自分が忘れてしまったことがミデンを生み出したと知れば、彼女は自分の非を認めて日常の論理における謝罪をすることになるルン。こちらはなにも償却しないから、時間も未来へすすまないルン。謝罪はしたほうもされたほうもカタルシスを感じるだけだルン。無限の謝罪だってありえるルン。
こないだ亡くなった加藤典洋が「敗戦後論」で書いたのは前者だゴロン。でも彼は物語の論理をことばだけ日常の論理に移し替えてしまったので、高橋哲哉などがその日常の論理で反論したゴロン。どちらもバカではないのに話がまるで通じなかったのはそういうことだゴロン。加藤が文芸評論家で高橋が哲学者だからかもしれないでゴロン。
東映アニメーションはHUGキュアの鎮魂をスタプリで現実の戦争に結びつけた思想的にも巨人だルン。来年にHUGキュア×スタプリの映画があるけど、それがそういう結びつき、たとえばHUGキュアだから未来とかの映画だと大予言するルン。ナボコフの言うように、物語、思想、トリックと三拍子そろった偉大な作家だルン。そしてそれがチームで可能だということは、さすがのナボコフも知らなかったルン。〇ビは評論はやらなくて紹介しかしないルン。加藤典洋を見ればわかるように、創作より評論のほうが困難だルン。なぜなら、評論は読者が作品を理解していることが前提だからだルン。

HUGキュア映画はキュアエールが悪霊を払っただけだし、彼女はミデンを思って涙をこぼした、で終わってしまうルン。これは決して間違いではないルン。表面的に見るのときちんと見るので違うのは、エールの涙の値打ちだけだルン。これはエールの心の動きだけを見ていては絶対にわからなくて、物語の構造全体が決めるルン。ミデンがはなのてるてる坊主だと知り、ミデンの憎しみと恋を知り、ここが鎮魂の場面だから、エールの涙はそれと同じ重みがあると知る、こういう手順だルン。ヒントもしっかりあるルン。

エール:奪われた記憶を取り戻すために
エール:そして、ミデンが前に進むために
エール:みんな、力を貸して!

エールが「ミデンが前に進むために」と言っているから、ここが鎮魂の場面だとわかるルン。プリキュア・シャイニングメモリーのシーンは夕方だけど明るいから、エールはミデンを無事送り出せた喜びの涙を見せたようにも思えるルン。何度か書いたように、ミデンはエールが作ったテルテル坊主だけど、エールはそのことを知らないから、うれし涙であっても間違いではないルン。だからこの場面の解釈は観客の感性しだいの分岐点で、スタプリにもユーマが生物か無生物かという分岐点があるルン。けもフレ2では、かばんがもうじき死ぬのかどうかが分岐点だルンね。で、片方が作者の意図したほう、もう片方はダミーのデフォルトだルン。正解を選んだ観客には映画の真価というごほうびがあるルン。
HUGキュア映画を観てきちんと考えれば、上に書いたようなロジックから、「エールはたいへんつらい思いをしている」という、どんな人でも普通に見ているうちはまず気づかない可能性に気づくことができるルン。デフォルトだとうれし涙だったり、ちょっと悲しんでるだけだルン。エールはどこかのしらないの悪霊のためにこんなにつらい思いをしてやれる子だ、という可能性を知れば、そして目を皿にして本編からそれを裏づける描写を探し出すことができれば、観客はエールのことが大好きになるルン。これがごほうびだルン。自分の頭を使ってよく考えたのだから、ごほうびの価値はとほうもなく、エールの強烈なイメージが手にはいるルン。恋してしまうといっていいルン。抱きまくらを買えばエールが彼女になるルン。スタプリでも正しい選択をすれば、ララの強烈なイメージ、男の子だということと、彼の恋心が手に入るルン。男か女かなんてふっとぶルンよ。ハピネスチャージの最終回に映画のつむぎが映り、映画とテレビシリーズが同一の世界だとわかるが、分岐点はめぐみが妄想に襲われるところで、めぐみの妄想が心理描写にすぎないのか、精神病的なものかにわかれるルン。正解は後者でフォーエバーラブリーはめぐみの躁だルン。フリークではない精神病者を描くには、これが唯一の方法だルン(ジョン・ヴァーリイが「ブルーシャンペン」でトリックを用いて身体障害者を描いているルン)。これをリベラルに見てしまうと、差別意識があぶりだされてしまうから気をつけてねルン。

で、このごほうび、映画の真価は、けっして物語として描けるものではなく、自分で考えてこそのものだルン。そしてそれを可能にする技法がトリックだルン。だからナボコフの言うように、恋をしたときのように女の子がキラキラして見える、トリックの生み出す魔法は文学芸術のそのものだルン。アルコールでブーストもできるルン。読者かつぎがおもしろいことは間違いないけど、こっちがメインディッシュだルン。アニメだとかわいい女の子のビジュアルもボイスもあって、それがキラキラして見えるから、小説にくらべてはるかに効果が高いルン。で、プリキュアはごほうびが女の子の魅力一本槍なのだルン。まどマギはそれ以外にも、(人間と違って)他人の不幸を願わない魔法少女という美しい存在があるルン。けもフレ2のごほうびは女の子以外にも世界像や、サーバルのウソが時間を与えることによって、死んだ世界の前作を生き返らせることがあるルン。他のアニメはあんまり見てないのだが、だまさないからトリックとは言えないが似たような効果のある手法が、昨日のニア・アンダーセブンなどのようにごくあたり前に使われているルン。
トリックのことを口にする人がいないのにはこういう事情があると思うルン。どれだけの人が理解しているのかはわからないが、〇ビみたいなのは聞いたことがないルン。翻訳者がトリックを理解していないと訳がゴミになるのは必然だから、実害もあるルン。〇ビがいろいろ書いてもネタバレにはならないルン。なぜなら答えだけ知っても自分でよく考えなければ女の子がキラキラしないからだルン。

というわけで、至高の芸術はアニメ、至高のアニメはプリキュアですルン!
実写はキラキラしにくいし、せっかくキラキラしても女優がバラエティに出て一気に幻滅だルン。雑誌「映画芸術」はなんとかアニメを貶めたいようだが、内心負けを認めているか、すくなくとも自分たちにはアニメはわからないと認めているようなので、映画秘宝やキネ旬よりよほど手ごわいルン。

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  • これまで日記を読んでようやく、日記主のこれまでの主張が分かりかけてきた。
    なぜ自分の頭で考えることが重要で価値を生むのか。なぜトリックが重要なのか。なぜ日記主は論評をせず、やもすればネタバレとも言えるほどの考察がネタバレにあたらないのか。
    しかしまだ分かりかけたに過ぎない。これ以上はおそらく、私が私の頭で考えて得るべきコトなのだろう。

    • by Anonymous Coward

      ありがとルン!
      〇ビがやっているのはナボコフにならってinvestigationだととらえているルン。映画の意図をつきとめるまでルン。「深読みも考察もやりません」という看板をかがげているルン。エールが「体感的にどれくらい」つらい思いをしたのか?ということは、テレビシリーズを見て彼女の普段の性格を見てないとわからないし、そういうのは個人のとらえ方だルン。でもそれをやらないと考察にはならないルン。

      • by Anonymous Coward

        29日時点より加筆されて、さらに内容に磨きがかかりましたね。
        ここ数日の日記は、なにか日記主の集大成を見ているような心持ちがする。
        これでもし大予言が成就したら日記主を大好きになってしまうかも…(恋してしまうと言ってもいいですよ。しかし、いいえ、抱き枕は買いません!悪しからず)
        私はトリックが至高という信仰は持っていないが、自分で得たものには途方もない価値が生まれるという点には強く同意する。
        文学に限らず、何かの作品について「この作品は『ごほうび』をどのように読者/視聴者/受け手/プレイヤーに与えているか」、自分で得る構造のごほうびであれば、「どのように『自分で得』させる工夫/技法/デザインが行われているか」というような分析は有効かもしれない。今後は種々の作品に触れる際に、その辺りを意識したいと思わされた。

        • ありがとルン!
          一回書いたことをあとになってだまって反対のことに書き直したりしてるルンから、鵜呑みにしないでルン!
          大予言はパロディの既知の元ネタをつないだだけだから予言でも何でもないルン。ぴったりはまったからたぶんあってるルン。それより作劇上の重要箇所を前もって知っておくことが狙いだルン。

          自分の文章から〇ビの嫌いな文系インテリの腐臭がしてきたのでルンとかつけてごまかしてるルン。〇ビの書いてることは小説やアニメ以外には役に立たないルンよ。
          エロゲーとかRPGはバックログが好きなところに飛べないから、メッセージがその場限りのものになりすぎて、表現形式も内容も特殊なものにならざるをえないルン。なぜなら物語を理解するには、あっちいったりこっちいったり読むのが重要だからだルン。現実世界では前へ進むだけの時間が、物語ではうしろに戻ったり先をつまみ食いしたりできる、これが文学の意義だルン。エロゲーは娯楽としてだけ見るのでも、制約はきつすぎるルン。それ以外のものは物語がないから最初から対象外だルン。

          これは仮説だけど、アニメの女の子のキラキラはたぶん、(表面的には描かれていないから)だれも知らない物語の女の子の苦しみを、物語的に自分が引き受けたときの交換品だルン。最終的にそれがキラキラに見える理由はわからないルンが、物語以外にキラキラを手に入れる方法は、アルコールとかドラッグしかないと思うルン。

          親コメント
          • by Anonymous Coward

            >一回書いたことをあとになってだまって反対のことに書き直したりしてるルンから、鵜呑みにしないでルン!
            そこは気がついているので大丈夫です。(なので日を置いて読み返したりしています。)

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