ChaldeaGeckoの日記: 「この世界の片隅に」、映画プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な一日 3
来年春のプリキュア映画プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な一日は3/20公開で、新作じゃなくてHUGキュアとスタプリの映画だルン。来年のテレビシリーズ「ヒーリングっど♥プリキュア」は参加しないルン。
ミラクルリープはどうも、エンドレスエイトのように同じ一日を繰り返すもののように思えるルン。ヒーリングっどが参戦しないのは、テーマ的に含めることができないからだと思えるルン。未来志向のHUGキュアの映画は、先に進むための鎮魂、宇宙指向のスタプリの映画は地球への愛となると、癒し指向のヒーリングっどの映画は、癒しを支えるなにものかがテーマになるはずだルン。〇ビはそれは謝罪だと大予言するルン。そしてミラクルリープはそれを先取りし、戦争、鎮魂と、謝罪をつなぐ物語にするはずだルン。高橋哲哉の言う通り、謝罪は(相手がいいというまで)無限にしなくてはならないものだルン。韓国や中国に無限に頭を下げるのとは全然違う話だから気をつけてほしいルン。謝罪は溜飲を下げさせることとは正反対だルン。
無限に謝罪するというのは、無限に愛することと等しいルン。愛は交換の際のボーナスだから、無限に交換して無限に愛することがその道だルン。相手が「もう十分謝ってもらった・愛された」と感じれば、それでオーケー。愛を受け取った側は「愛を受け取った」と感じるが、与えた側は「与えた」という実感はないルン。というより、愛はボーナスだから、与えることはできないルン。とすると、謝罪するには相手となにかを交換する必要があり、無限に謝罪するには、無限に交換しつづける必要があるルン。謝罪される側も交換に応じなければ謝罪は成り立たないルン。
「みんなとの不思議な一日」は、時計が描かれていたりとエンドレスエイトっぽいけど、この無限の謝罪とよくマッチした題材だルン。大予言に間違いなしルン。プリキュアが犯すのでなくてもいいけど、とにかく大きな罪が犯されて、それをプリキュアが謝罪するという話だルン。謝罪されたと相手が思うまではエンドレスエイト、そういう話だルン。それを表面的には謝罪には見えない形、つまり、一見はプリキュアが愛する形でやるルン。一見は優しいプリキュアが愛してくれてるんだけど、本当はプリキュアは重い罪を背負っていた、それもエールの罪作りよりずっと重く、涙ひとつでどうにかなるようなものではない、そんな映画になると思うルン。こっちはスタプリのお遊びと違って、本当の大予言だルン。
「この世界の片隅に」のすずは終戦の日に、自分が晴美を殺したようなものだ、と歪んだ考えを持ってしまったルン。すずは(偽の)罪を背負ったルン。このあとはすずの謝罪の物語だルン。考えはつめてないけど、交換相手はたくさんいるルン。径子さんとも、刈谷さんとも、出てくる人の全員となにか交換したんじゃないかルン。刈谷さんの無念を、すずは「覚えている」といって交換したルン。どんなにつらくても、記憶の器だから忘れることはできないルン。でもそこに涙はないルン。明日に微笑みあるだけだルン。
涙はない 涙はない
明日に ほほえみあるだけ
カムヒア ダイターン3 ダイターン3
日輪のかがやきを 胸に秘め
俺の体が 俺の体が 燃えている
戦え 戦え 宇宙の果てに消えるとも
かがやく銀河を かけめぐる
ダイターン3 われとあり
はばたけ大空へ 大地をけって
完全に一致ルン。
春のプリキュア映画はダイターン3のパクリだニャン。
涙はない 涙はない
明日に ほほえみあるだけ
エールが泣かない映画だニャン。〇ビも別れといえば死別の歳 中学二年生だから金魚の話だニャンなので、正直いってプリキュアはキツいところもあるニャン。今度はキツくないやつをたのむたのむたのむたのむニャン。
誰もが知ってる ウルトラの戦士
光か はやてか 音か
今 燃える
緑の地球を 汚したやつらは
決して許しておけないと
ウルトラマン
誰もが待ってる ウルトラの戦士
嵐か つぶてか 風か
今 駆ける
この世のルールを 乱したやつらは
宇宙の果てまで運び去る
ウルトラマン
この世のルールを 乱したやつらは
宇宙の果てまで 運び去る
ウルトラマン
テーマ曲はザ☆ウルトラマンでキマリだニャン。これもまたジグソーパズルみたいにハマったニャン。殺すのはラブリーだけでいいニャン。阿久悠先生の天才ぶりにあらためて感じ入るニャン。
そういや映画の最後でララはユーマにペンをもらっていたから、最終回はこれで変身するニャン。ウルトラマンのパクリだニャン。ひかるもフワにカイザーナックルをもらうフワ。
わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律(Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir)
中曽根首相のようにカントも引用しとくニャン。道徳律は〇ビのことばでは物語の論理のことだニャン。
そういやSMAPの草彅メンバー騒動後の復帰の生放送で (スコア:0)
中居リーダーが草彅メンバーに「でも俺は一生許さないからね。…だから一生かけて返してくれよ」みたいなことを言っていたが、これはまさに謝罪は無限に交換することを表現していたのだなあ。あれは日常の論理ではなく物語の論理の言葉だったのだなあ。
Re: (スコア:0)
> これはまさに謝罪は無限に交換することを表現していたのだなあ。
そうだと思います。
物語の論理だと、目には目を的な報復になりますが、近代法は日常の論理的で、報復ではなく罪を償わせることを目的とします。
〇ビは「聲の形」はそのへんがマズいと感じています。将也は自分の罪を自殺で償おうとして失敗しました。これは物語の倫理ではなく、日常の論理の謝罪で行くということだと思います。でも最後の将也の場面はカタルシスを感じさせ、物語の論理が復活してしまいました。「この世界の片隅に」も最後はカタルシスを感じさせますが、これは死んだ
Re:そういやSMAPの草彅メンバー騒動後の復帰の生放送で (スコア:1)
物語の論理、復讐する・されることには自由意志が入る余地がなくて、だからどちらも責任もないわけです。謝罪はするかしないか、受け入れるか受け入れないかは自由意志だから、どちらにも責任がうまれます。
〇ビはもちろん前者のカタルシスも好きですが、後者もじんわりあたたかみがあって好きなのです。映画三本だけで偉そうに言うと、プリキュアは責任を描くのは苦手ですね。スーパーヒロインだから戦うのは義務だし。聲の形の植野さんはその点とても責任感のある子で描写もすばらしい。でも西宮さんと将也はおかしいのでアルェーとなります。