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日記

ChaldeaGeckoの日記: 100ワニと「ほしのこえ」

日記 by ChaldeaGecko

素人や素人同然の人が作ったということには断じて価値があるのです。少々ダメなところに目をつぶり、いいところだけ見て、成功していくさまを親心を持って見守るのです。それはたんなる譲歩ではなく、読書体験の一部でもあるのです。100ワニの出来が悪いという指摘ではなく、読者の態度の問題なのです。それゆえ事実かどうかにかかわらず、あとから電通案件だと知ることは読者体験を毀損するのは事実なのです。
新人作家にも読者は一般に評価は甘めにつけるのです。それが前提でシステムが回っているのです。読者は評価を甘めにすることでより楽しめるし、新人は育っていくしでいいところばかりなのです。ベテランまで甘やかしたら全体の質が下がりかねないのです。「ほしのこえ」はみんなのドキモを抜いたけど、稚拙なところも少なからずあったのです。でもそんなところを指摘するのはヤボだったのです。
100ワニと「ほしのこえ」の違いを考えてみましたが、それは「素朴」さのように思うのです。「ほしのこえ」を見た人は圧倒されたでしょうが、100ワニは「素朴」な共感なのです。「素朴な共感」は(たとえ事実でなくても)裏切られたときに憎しみにかわるのです。〇ビは本当に素朴だとは思っていないので「」をつけたのですが、あとで話すのです。
「ほしのこえ」は素朴さとは無縁だったのです。いくら稚拙なところがあろうが、圧倒されるのみなのです。100ワニを憎んだ人は、圧倒されなかったのです。もし圧倒されていれば、電通案件だと知っても(事実かどうかは不明)さもありなんと思ったはずなのです。圧倒されなかったのに思い入れだけは強かったのです。
ではこの差はなにかというと、自分の主体的な入れ込みなのです。「感動したい」という自分の思いで埋めているのです。人がよいものを見て受動的に感動するのはなんの不思議もないのです。圧倒的だったり、ささやかだったりするのですが。でも、主体的に「感動」しようとすると、100ワニのようなおかしなことになるのです。上に書いたように、電通案件だと知って毀損する価値は、読者の態度が作り出したものです。この読者の態度がすなわち「感動」したいという欲求から来ているのです。「感動」したいという欲求が、作品を少々甘く見る態度を生み、自分で「感動」を作り出しているのです。電通が自分で思ったように「感動」させてくれなかったから、100ワニを憎むのです。あるいは、憎い憎い電通が糸を引いている作品に感動させられてくやしかったのかもしれませんが、それも自分の問題であり、作品や電通の問題ではないのです。
とはいえ、電通(事実かどうか不明)が毀損する価値というのは程度の差はあれだれにでもあるのが事実なのです。これを補うには、やはり電通にしてもらうのが一番なのです。つまり、自分が好きな作品を他人(電通)も高く評価していることを素直に喜ぶのです。それができないというのなら、それは普段から電通を憎み、それだけでなく、電通の鑑識眼を低く見ているからにほかならないのです。
「最終回の余韻に浸る間もなくコラボの告知がでた」という指摘もあるのです。つまり、100ワニは本当にメディア的にも死んでしまって、もう二度と見られないんだ、と読者が思い込んでいたら、すぐコラボの告知があった、というのです。これもおなじなのです。100ワニに親近感をいだいていたら十分あり得ることなのです。自分が当然のものとして思っていた筋書きで「感動」に浸るつもりが、阻害されたのです。「よーし最終回を見て感動して余韻にひたるぞー」という目論見が邪魔されたのです。上の話もこちらも「思った通りに感動できない」という点でおなじなのです。

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