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日記

ChaldeaGeckoの日記: 〇ビ小説:カサブランカ (1-5/13)

日記 by ChaldeaGecko

数日あきましたが、エロゲーやってただけです。
前のほうもちょくちょく変えているのです。
13/13まで書いたらサイズの調整のために大ナタを振るうのです。
あと、読者層を考えてないので、たとえばなろうに投稿するなら、その読者層のレベルにあわせて表現や描写を変える必要があるのです。
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(1/13)
その日の始業のベルが鳴った。一時間目の授業は物理だったはずだが、かわりに担任教師が入ってきた。
担任は
「はーい、静かに。今日は特別ホームルームです。新しいお友だちですよー」
と言った。教室がざわついた。
担任は黒板に
"小里花梨"
と書いた。「小里さんは編入試験が満点だったのよ」教室がまたざわついた。
担任は書き終わり、「はーい、静かに。小里さん入ってらっしゃい」と転校生に呼びかけた。長い黒髪をツーサイドアップにした、色白でやや小柄な女生徒が教室に入ってきた。
教室がどよめいた。ヒソヒソ声も聞こえる。花梨はたいへんな美少女だったのだ。
「し・ず・か・に。小里さんの席は……佐村河内さんの隣が空いてるわね。佐村河内さん、机を持ってきてあげて。小里さんは自己紹介して」
「小里花梨(おさとかりん)です。家族の都合でこの街に来ました。よろしくお願いします」涼しげな鈴のような声だった。
最後列の馨は教室のうしろに積んであった机の一つを運び、自分の左隣に心持ち離して置いた。
クラスメイトが見守る中、担任に連れられ花梨が馨のところまで来た。花梨からはいい匂いがした。
(なんだろ、いい匂いがする……お花の匂いかな?美少女はお花の匂いまでするというのか)
と馨は思った。
「ありがとう、佐村河内さん」花梨が礼を言った。
馨は困惑した。「えっと……言いづらいでしょ?それにその名前嫌いなんだ……馨でいいよ。みんなも馨って言ってる」
「馨さん」「馨」「馨」花梨は満足そうだった。
「わたしも花梨でいいわ」「花梨……さん」「花梨」「……花梨」花梨は満面の笑みだった。「馨、これからよろしくね」
馨はこの先が思いやられた。

休み時間になるとクラス中の女子が花梨を取り囲んだ。馨は自分の席にいたが、「用がないんならどいてよ」と言われたので、意地でもどかないことにした。
昼休みには花梨の指名で馨が構内を案内した。馨は姿勢と顔色が悪かった。美少女には似つかわしくなかった。すれ違う生徒の表情を目にしたくなかった馨は、さらにうつむき加減だった。うしろでボソボソいう声がして、内容までは聞き取れなかったが、どんな話なのかは馨にはわかっていた。
(間が持たん……)
花梨への質問を無理に考えてみたが、転入初日の女子にはプライバシーに触れそうなものばかりだった。馨はほとんどだまって歩いていたが、ときどき花梨のほうを向くたびに彼女は微笑んだ。

放課後になると花梨は職員室に行ったようだった。馨はやっと人心地がついた気がして、一人でそそくさと帰った。

(2/13)
つぎの日、馨が登校すると、花梨がさきに来ていた。「馨、おはよう」「おはよう、花梨」あいさつをすませると予鈴が鳴った。「つぎ数学だけど、教科書は大丈夫?」「ええ、なんとか」
数学の授業が始まった。教師は黒板にlimと書き、その下にx→∞と書いた。それらの右に大きめにf(x)と書き、さらに右に=aと書いた。
「これが極限だ。これは『xがどんどん大きくなるにつれ、f(x)がどんどんaに近づく』という意味だ」
「∞は数でないからf(∞)という数もない。それはいいか?しかし極限の考えかたを用いれば、おなじようなことができる」
教師はf(x)とaを消し、それぞれ1/xと?で置き換えた。
「どんな数を取ってきても1/xが0になることはない。しかし、xをどんどん大きくすれば1/xはどんどん0に近づく。だから」
と言って?を消し、0と書いた。
「極限は0だ。ここまではいいか?」
この説明は馨は何度聞いてもピンとこなかった。1を無限大で割れば0ではいけないのか?馨は教科書も出さずに暇そうな花梨に聞いた。
「なあ花梨、1を無限大で割ったら0じゃないのか?」
「だめよ。無限大は数じゃないわ。もっと不思議なものよ。計算はできないわ」
「1/0もそうよ。数と数で簡単な計算をしたいのに、不思議だけど、それはやっちゃダメって言われる」
「うーん」
「不思議」ということばが花梨の口から出て来て、馨はすこし納得できた。

休み時間になるとまたクラスの女子が花梨を取り囲んだ。男子は花梨を遠くから見守るだけで、話したそうなのも何人かいたが、女子の鉄壁のガードに阻まれた。花梨と話せた男子はまだいなかった。
馨は自分の席にいた。本を読みながらちらちらと花梨のほうをうかがっていたが、花梨のフランクな性格はよくわかった。目配りもでき、話す相手が偏るようなことはなかった。これでとりこにならないやつはいないな、と馨は思った。

(3/13)
転入してしばらくすると花梨はすっかりクラスになじみ、昼休みには席から離れて話をしにいっていることも多くなった。男子にも積極的に声をかけ、クラスメイト全員と話をしていた。花梨は授業の合間には席から離れず馨と話すのが常だった。
「ねえ、馨。わたし、あなたの隣にならなかったら、クラスにはなかなかなじめなかったと思うの」
「えっ?どうして?」花梨の予想外な発言に馨はうろたえた。
「うーん、ひみつ!」
馨は花梨に振り回されるのを心地よく感じはじめていたが、慣れるのはまだまだ先だと思った。

ある日の朝、花梨が
「うーん、遠いわね。机を寄せましょ」
といって自分の机を一方的に馨の机に寄せてしまった。教壇から見ると花梨の席だけ飛び出しているだろう。
馨はあっけにとられていたが、「これでよし!」と上機嫌な花梨の花の匂いで近さを実感し、赤面した。

一時間目の英語の授業はO・ヘンリーの『賢者の贈り物』が教材だった。
教師が言った。
「この小説の題名は『The Gift of the Magi』です。Magiは賢者です。東方の三博士が有名ですね。エヴァンゲリオン?そう、その元ネタです。これが『魔法』magicの語源になりました」
「『魔法』にはcharmとうことばもあります。こちらは『魅力』です。日本語でもチャーミングって言いますよね。かわいい女の子が魔法使いに見えたんですね」
どちらにしても花梨は魔法使いだ、と馨は思い、すこし可笑しくなった。
花梨が教科書を見せてもらうふりをして話しかけてきた。
「馨、パーソナルスペースって知ってる?」
「昨日までのが、ソーシャルディスタンス」
「今日からは、パーソナルディスタンス。えっへん」
得意の絶頂といった感じだった。馨は「はあ……」と言うほかはなかった。
教科書のページをめくろうとする手と手が触れた。馨は「あっ、ごめん」と言ってあわてて手を引っ込めた。花梨は「あ……」と言ったきりだったが、馨は彼女から目を背けたため、表情はわからなかった。授業時間はなんとなく会話がないまま終わった。

その日の夜の馨は寝つけなかった。ベッドの中で花梨のことを考えていた。
写真があればよかったのに、と思った。スマートフォンは持っているが、ふたりとも写真を撮るようなタイプではなかった。馨の知らないところで花梨は写真をよくたのまれていたが、いつも断っていた。馨は目をつぶり、花梨の顔を思い浮かべた。上機嫌な花梨の顔、「これでよし!」という声、花の匂い。それはたしかにはじめて会った時とおなじ匂いだった。
ため息をつき、馨は自分の手の匂いをかいでみた。変な匂いだと思った。馨はベッドから出て、手を洗い、水を飲んでベッドに戻った。

(4/13)
「馨、おはよう」「あ、ああ。おはよう」花梨はいつもの笑顔だったが、馨は反射的に顔をそむけた。
「……へんな人。なにかあったの?」馨は花梨の「へんな人」に嫌悪のニュアンスがなかったことに安心した。「あっ、なんでもないよ」
「……」花梨はしばらく首をかしげていたが、「まっ、いいわ」と前を向いた。
馨が着席すると、花梨が身を乗り出してきた。近い。また花の匂いがした。
「ねえ、馨」すこし鼻にかかった、馨がはじめて聞く「ねえ」だった。
「今日の放課後、よかったら街を案内してもらえないかしら。あたしこの街のこと、全然わからなくて」
「お安いご用だよ。どこに行きたいの?」「考えとく」「え?」
本鈴が鳴って教師が入ってきたので、ふたりは姿勢を正して前を向いた。
結局その日はふたりでケーキを食べた。馨が知っているケーキ屋は有名店しかなく、他の生徒も大勢来ていた。「おいしーい!」と花梨はご満悦だったが、馨には味がしなかった。
ケーキ屋の帰り、ふたりははじめておたがいの写真を撮った。花梨がダブルピースをした。馨もさせられた。それからふたりは毎日一緒に下校するようになった。

馨はベッドで花梨のことを考えていた。馨の頭の中はすでに花梨でいっぱいだった。撮ったばかりの写真を見た。「馨」「ねえ、馨」自分を呼ぶ花梨の顔と声を思い出した。花の匂いがふわっと感じられ、そのたびに心拍数が上がっていった。
(花梨……好きだ……)
思わず声を出してしまったが、それでいくらか落ち着いた。馨はもう一度トイレに行き、水を飲んでその夜は寝た。

花梨はすっかり写真を撮るのが気に入ったようだった。はっきりとは言わないが、何度も嫌な目にあって写真嫌いになっていたらしい。花梨がどういう目にあったのかはわからないが、嫌な目にあったということだけは馨にもよくわかった。
馨も写真を撮られるのは苦手だったが、花梨の写真を撮る以上(「撮りなさい!」と言われるのだが)、撮らせないわけにはいかなかった。一枚撮ったら一枚撮らせていたが、馨のスマートフォンにはすでに数百枚の花梨の写真があった。花梨のスマートフォンに自分の写真がおなじだけあるのかと思うと馨はゾッとした。

食堂で水を飲み、馨はベッドに入った。ベッドでは花梨のことを考えていた。ずいぶん前から日課になっていた。スマホの写真を一枚ずつ送りながら、馨は手をはやめていった。一段落してため息をつき、また繰り返した。最後まで行くと馨は大きなため息をついて起き上がり、また水を飲みに行った。下着が濡れていた。自分では気づかなかったが、ずいぶん汗をかいていた。

花梨は家族のことはほとんど話さなかったが、両親と兄がいることと、いまは一人で住んでいることは聞いていた。馨はいままでプライバシーに立ち入る質問は避けてきたが、ふと一人暮らしの理由をたずねてみた。花梨は嫌そうな顔をして顔をそむけ、話をはぐらかした。馨は震え上がった。花梨に嫌われることは世界の終わりに等しかった。馨はそれを悟られぬよう、話題を少し変えた。
「一人暮らしなら、ご飯はどうしてるの?」
「あたし、ご飯は自分で作ってるんだけど、どうしても余っちゃうから、次の日お弁当にしてるのよ。朝はトーストだけど」
花梨の顔に笑顔が戻っていた。
「でもそれだと汁気のあるもの困るでしょ。好きなもの食べられなくて」
「なにが好きなの?」
「カレーライス」
馨は吹き出した。
「あっ、バカにしたー!」「してないよー。かわいいなって思っただけ」花梨にかわいいと言うのははじめてての気がしたが、さりげなく言えた。「次の日はお弁当じゃなくてパンでも買ったら?」
「それだと一週間毎日カレーになっちゃうわ。それにカレーは一人で食べてもあんまりおいしくないのよ」
「そうなんだ」
「……ねえ、馨」
「いまからうちに来ていっしょにカレーライス作って食べない?」
「あっ、あなたにはあなたの都合があるか。ごめんなさい。でも考えておいて?」
「え、あ、うん」
馨はいきなりの自宅への招待に戸惑ったが、返事をする前に花梨が自己完結したのでほっとした。
ふたりで電車に乗り、「また明日ね!」と花梨が先に降りて行った。一人になった馨は徐々に夢から覚めた気分になったが、足下のふわふわした感覚だけはしばらく続いた。

馨は花梨の嫌そうな顔を思い出した。花梨が馨に見せるのはつねに笑顔で、それまでは一度もそんな表情を馨に向けたことがなかった。花梨に一人暮らしの自宅に招待された。彼女が自分に好意を抱いていることは疑いえない。だがそれは、花梨が<ずっと>自分に好意を抱いていることを保証するものではなく、馨がさっき見たのはそうでない可能性だった。
馨は急に怖くなった。それと同時に花梨の得体の知れなさに怖じ気づいた。ずっと花梨と仲良くしてきたが、彼女の肝心なことはなにも知らなかった。花梨のことで馨が知っていることはなにもかも、馨にとって都合のよすぎることばかりだった。
(花梨の思惑、気持ち、なにかそういうものがわかれば……)
そういうものさえわかればそれを信じられるのに、と馨は思った。

ベッドで考えをめぐらせたが、出るのはため息ばかりだった。気がつくと午前二時を過ぎていた。水を飲みに行く途中、馨は洗面所の鏡で自分の顔を見た。ひどい顔だった。(花梨には見せたくないな……)と思い、そう思った自分に苦笑した。いくぶんリラックスした馨はようやく眠りについた。

「馨、おはよ……えっ!?」翌朝登校してきた馨を見た花梨が驚いた。「どうしたのその顔?」ただえさえ顔色の悪い馨だったが、それに加えて大きなクマができていた。
「……寝不足」馨はひとことだけ言って自分の席についた。
「ならいいけど……」花梨は納得のいかない顔だったが、馨がだまってしまったのでそれ以上は聞かなかった。
その日は一日中、馨の口数がすくなかった。花梨がなにを聞いても「うん…」や「ああ…」と、ぼんやりした答えしか返さなかった。たまに馨が話しかけると花梨の顔がパッとはなやいだが、すぐにうかない顔に元に戻るの繰り返しだった。下校時もその調子だった。歩きみち、いつもより花梨が距離を詰めているように思えた。花の匂いを感じるたび、馨の胸が締めつけられた。
昨日までの馨は花梨とのおしゃべりがやむことはなかった。こんなに気の合う相手は生まれて初めてだった。今日の馨はなにか口にしようとするたびに足がすくんだ。自分が花梨を悲しませていることがつらかった。自分が話しかければ花梨は喜び、だまってしまうと花梨は悲しむ、それはわかっていた。
(地上に足をつけているつもりでいたら、実は塔のてっぺんにいることを知ったということか……)
馨は大工が高さを意識した途端に足がすくむ話を聞いたことがあった。大工が塔にのぼるなら命綱があればよかったが、馨にはそれになりそうなものが思いつかなかった。失いうるものはあまりにも貴重で、あまりにも得体が知れなかった。花梨の笑顔ですら、命綱にはならなった。

夜になっても馨はずっと花梨のことを考えていた。生まれて初めて覚えた、胸を締めつけられる感覚。馨は自分の胸に手をやった。痛んでいるのはたしかにこの下だ。すこし動かしてみた。体にも疼きが走った。しばらく手をやる場所をずらしたり、動かしたりしてみたが、胸の痛みが和らぐことはなく、体の疼きがひどくなる一方だった。
いつの間にか喉がカラカラになっていた。馨は水を飲みに食堂に行った。鍋に入った夕食の残りの匂いに馨は吐き気を覚えた。いつもよりたくさん水を飲んでベッドに戻った。
馨は花梨の写真を見ながらため息をついた。それから、胸に手をやり、花梨を思い出した。笑顔と笑い声と花の匂いはセットだった。彼女を思い出すたびに馨の胸の痛みが大きくなった。何度も何度も大きなため息をついた。
馨は外がうっすら明るくなっているのに気がついた。(またこの顔を花梨に見せるのか……)と憂鬱になったが、急に眠くなり、そのまま寝入ってしまった。

馨は教室にいる夢を見た。馨以外にいたのは背を向けた女の子が一人だけだった。(うちの高校の制服だ……)と感じたが、夏の日差しが教室に入り込んでいるような、奇妙なコントラストの高さだった。
(信じて……)
女の子が背を向けたまま言った。
(信じて……)
(信じるって、なにを?)
馨が女の子にたずねた。
(信じることを、信じて)
と女の子が言い、馨に向き直った。女の子は花梨だった。表情は見えなかった。
馨は飛び起きた。下着がぐっしょり濡れて、体は汗で冷え切っているのに、鼓動は心配になるほど激しくなっていた。まるで冷たさで動くエンジンだ、と馨は思った。
時計を見るとまだ午前五時過ぎだったが、馨はそのまま朝まで起きて学校に行った。

(5/13)
「馨、おはよう……って、また寝不足なの?」「おはよう、花梨。なんか眠れなくて」いつもの笑顔の挨拶だった。馨はいくらか元気になっていた。しかし、今日は花梨が真面目な顔になった。
「馨、今日の放課後つきあってもらえる?話があるの」
「え、もちろん。なんの話?」
「うん、ありがとう。そのとき話すわ」
「でね、昨日小夜子がね……」
雑談に変わり花梨は笑顔に戻った。馨に一瞬不安がよぎったが、ほっと安心して話につき合った。放課後になるまでは馨は不安を感じたことも忘れていた。
「馨、これからつき合ってもらえるかしら」花梨はまた真面目な顔で言った。
「うん、どこに?」
「えーっと、駅前の喫茶店はどう?わたしが案内するわ」
花梨が案内したのは裏通りの馨の知らない店だった。窓には濃い色が入り、白熱灯の照明とあいまって薄暗い店内にはテーブルが十数脚あったが、先客は一組だけだった。
花梨はいちばん端のテーブルを選んだ。「ここでいいかしら?」「うん」
ふたりは着席したが、花梨はウェイトレスを待っていた。声をかけづらかったので、馨もだまっていた。しばらくしてウェイトレスが注文を取りに来たが、花梨は「決まったらこちらからお呼びします」と言い、彼女を帰した。
花梨は真剣な表情で、だまったまま馨のほうをじっと見た。馨は思わず目をそらしそうになったが、なんとか踏みとどまった。
三十秒ほどして花梨が口を開いた。「わたしね、今日あなたに言わなければならないことがあるの」
「な、なに?」馨は明るく返答しようとしたが、声がうわずってしまった。
一分ほどの沈黙のあと、花梨が一瞬顔を落とし、すぐに戻して言った。
「わたし、魔法使いなの」
「信じる?」
それだけ言って花梨はまただまった。
(魔法使い……って言ったよな……)馨にははっきりそう聞こえた。花梨はそのことばの意味を説明しなかった。その必要はないと思っているのだ。
馨は途方にくれた。花梨が「魔法使い」と言うからには魔法使いだ。どんなものかは知らないが、本物の魔法を使う女の子。妄想、ということばが頭がよぎった。
(信じるといっても……)馨は花梨を信じたかったが、「信じたかった」は「信じない」でしかなかった。鼓動がはやまった。馨は花梨が自分と親しくしてくれる理由がわからず不安になったことを思い出した。(結局自分は花梨を信じ切れないということか)
花梨にウソをつく気はなかった。馨は深呼吸した。(信じない、信じない、信じない。これでよし)
花梨の声が聞こえた気がした。馨は花梨に向かって言った。「信じる」

「ふぅーっ」馨は一安堵といった感じで大きな息をついた。
花梨は驚きで声が出ない様子だったが、すぐ笑顔になり「ありがとう、馨」と言った。
「どうして信じてくれたの?」
「あのね、ほんと言うと最初は信じられなかったんだ。でもそれは花梨のことを知らないからだって気づいたんだよ。なら花梨のことを知ればいい、そうできると信じればいいと思ったんだ」
「そうなんだ……本当にありがとう」花梨は声を詰まらせながら言った。
「あたし、どうなるかと思っちゃった。やっぱり心臓に悪いわね」
「ねえ、話していいかな?」
「もちろん」
「でも、驚かないでね?」
魔法使いの話に驚くなと言われても、と馨は思ったが、すぐにそういう意味ではないことに気がついた。
「あ、そうだ。飲み物頼みましょ。すみませーん!」花梨がウェイトレスを呼んだ。花梨はミルクティー、馨はアメリカンを頼んだ。飲み物がくるまですこし雑談をした。

花梨は運ばれてきたミルクティーに口もつけずに話を始めた。話の内容はこうだった:
われわれの生きているこの世界は決定論的である。つまり、宇宙の始まりから終わりまでのすべての出来事があらかじめ決まっている。人間が自分でものごとを決めたつもりでも、それもすでに決まっていたことだ。すなわち、人間には自由意志がない。普通の人が自分に自由意志があるように感じているのは、未来の出来事に関する情報不足による錯覚にすぎない。
魔法使いは自分に自由意志がないことを信じている。自らの選択がつねに最善の「結果」をもたらすことはないが、つねに最善の「選択」をすることはできる。いかなる場合においても自分が最善だと信じる選択をするのなら、もしおなじ人生を繰り返したとしても、まったくおなじ選択をするはずだ。それなら自由意志があるとはいえない。そう信じた人が魔法使いになり、この世界が決定論的であることを知る。
魔法使いは予知ができる。世界は決定論的なのだから、悪い予知をしてもそれを避けようとせず、パラドックスは起きない。そのかわり、予知をいかして未来をよりよいものにすべく行動する。大事故を予知したなら、一人でも多くの人を避難させる。魔法使いの予知は受動的で、自ら予知することはできない。

「紅茶にミルクを入れるでしょ」花梨はぬるくなった紅茶にミルクをゆっくりと入れた。紅茶とすこし混じりながら、ミルクが沈み、底にたまった。
「で、かき混ぜる」花梨がスプーンでゆっくり紅茶をかき混ぜた。スプーンのつくる乱れが紅茶とミルクを混ぜていき、最後には均一になった。
「これをほうっておいたら、たまたま分子の動きがそろって、また紅茶とミルクに分かれる」
「そんな偶然はとても起きそうには思えないわね。熱力学の第二法則はわかる?」
「ものごとは乱雑になる方向にしかいかないってやつだっけ」
「そう。熱力学の第二法則にしたがえば、そんなことは決して起きないんだけど、それは事実上起きないことを決して起きないと言い換えているだけ。『絶対に起きない』わけではないわ」
「わたしたちの世界の出来事はすべてあらかじめ決まってる。もし、わたしたちの世界では紅茶とミルクがまた分かれることがすでに決まっていたらどうかしら。どんなにありえそうになくても、紅茶とミルクがどんどん分かれていくところが『かならず』見られるはずよ」
「それが魔法なの。魔法を使うと偶然の奇跡が起こる『ように見える』。でも魔法はポーズにすぎなくて、本当は現象とはなんにも関係はないの。予知もおなじ。たまたま見た幻覚とおなじ出来事がたまたま起こるだけ」
「そうなんだ……ねえ、やって見せてよ」
「いまは無理。けっこう大変なのよ。話だけでごめんね」
「……がっかり」
「機会があったら見せてあげるわ。それか、あなた自身が魔法使いになるか」
「え、どうやって?」
「言ったでしょう。自分に自由意志がないって信じたらもう魔法使いになってるわよ」
「花梨にも自由意志がないの!?」
「もう、なに聞いてたのよ。あたしに自由意志なんてないの!いらないの!」
「自信家なんだ……」
「違うわよ。ぜんぜん自信なんてないし」
馨はどう違うのかわからなかったが、聞き返すのは花梨の機嫌を損ねるだけだと感じた。
「あのね……」
花梨は言いづらそうにしていたが、意を決した風で言った。
「あたし、今日のことを予知したの」
「でもあなたの答えまではわからなかったの」
「だからあたし、うれしくて……」
と言ってうつむいた。
予知、と言われて馨はどう反応すればいいのかわからなかったが、すぐに、大事なことはそこではないと気がついた。
「うん、花梨だから信じたいって思ったんだ」
「だから話を聞けてうれしいよ」
「ありがとう」と言って花梨は顔を上げた。
「こちらこそ」と馨が言い、ふたりは微笑みあった。

しばらく雑談していたが、花梨が冷めた紅茶を飲みながら鼻歌を歌い出した。
「それなんて歌?聞いたことあるような気がする」
「さっきかかってた曲よ。『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』」
「ふーん」
「あ、お行儀悪かったらごめんね。あたしこの歌好きなの」
「英語の歌だよね?」
「そう。『時が経っても』くらいの意味。日本だと『時の過ぎゆくままに』という名前で有名だわ。『カサブランカ』って映画で使われたの」
「あ、それは名前だけ知ってる。古い映画だよね」
「ええ、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンのラブロマンスで……」
花梨があらすじを話しだした。馨は俳優の名前は二人とも聞いたことがなかった。

「そろそろ帰りましょうか」と花梨が立ち上がったので、馨はあわてて伝票を取った。
「なによ、自分のぶんは払うわ」
「予知できたかなと思って」
「ぷっ……負けたわ。つぎはあたしが払うからね」
馨が会計をしてふたりで店を出た。
「今日は本当にありがとう。うれしかったわ」
「びっくりしたけどね。話を聞けてよかったよ」
花梨がだまって体を寄せてきた。裏通りとはいえ人通りはあり、馨は恥ずかしかった。いつもならときどき漂う花の匂いが、今日はまとわりついていてきた。花梨の右手が馨の左腕と体のあいだに差し込むようにすっと入り、左手をつないだ。馨はなんとなく予想をしていたので、あわてず軽く握り返した。
ふたりで電車にのり、花梨が先に降りたが、花の匂いはいつまでも残っている気がした。

馨はベッドで今日の出来事を振り返った。魔法は見ることはできなかったが、馨は花梨の話を疑わなかった。理解できたとはいいがたかったが、受け入れた。途方もない話ではあったが、花梨が秘密を打ち明けてくれたという事実が馨を安心させた。馨は花梨の心変わりの可能性を考えた。それは絶対にあえりえないとはいえないが、カップの紅茶とミルクが分離する程度にはありえないように感じられた。安堵してため息をつき、その日はそのまま眠った。

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typodupeerror

計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである

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