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日記

ChaldeaGeckoの日記: ゴジラは被爆者のお化けなのです

日記 by ChaldeaGecko

映画『地球防衛軍』は大東亜戦争なのです。ミステリアンが日本、地球防衛軍が連合国、電子砲が原爆なのです。
おなじ東宝の『ゴジラ(1954)』のゴジラは核の象徴というより被爆者のお化けで、オキシジェンデストロイヤーのほうが核兵器なのです。『ゴジラ(1984)』はこれを引き継いで、被爆者の霊を三原山に見立てた富士山から霊界に誘導したのです。1954では化けて出た被爆者を核兵器でもう一度殺して、1985でようやく慰霊したのです。
放射線を浴びて死んだのだからお化けが放射線を吐くのは当たり前なのです。天皇陛下を敬愛しているから敬礼して回れ右したのです。そもそも復讐で街を破壊したのではなく、一人で無邪気に遊んでいただけなのです。東京にやってきたのもにぎやかで楽しそうだから、あるいは皇居を見にきたのです。おのぼりさんなのです。1984で武田鉄矢がそう言っているのです。恐竜に憑依したから恐ろしげな姿になっただけで、本当はオバQみたいにかわいいやつなのです。実にシンプルな話なのです。54・84ゴジラのルートを見れば、品川ー田町(増上寺)ー新橋ー銀座ー皇居前ー国会議事堂-上野ー浅草のおのぼりさんの東京見物ルートだとすぐにわかるのです。
> 主要襲撃地点は小笠原諸島の大戸島(架空の島)、東京特別区。2度目の襲撃時のルートは、芝浦岸壁 - 札の辻 - 田町駅前 - 新橋 - 銀座尾張町 - 銀座4丁目(松坂屋) - 数寄屋橋 - 国会議事堂 - 平河町 - 上野 - 浅草 - 隅田川 - 勝鬨橋 - 東京湾[注釈 33](ただし、上野から浅草を経て隅田川まで達する場面は劇中にはなく、テレビの実況アナウンサーの台詞で処理されている)。
やっぱり東京見物なのですが

第二次大戦、東京大空襲[5]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。

お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。

『君の名は』パクリだったのです。ゴジラはけっこうアホ映画なのです。

リベラルは天皇を憎んでいるから、ゴジラもそうだろうと思っているのです。ゴジラが恐ろしげな姿だから、性格も凶暴だろうと決めつけているのです。だからゴジラが皇居を襲わない理由がわからないのです。〇ビっちは死者とか死体に親しみを感じているので、死んだ人はさびしいということを知っているのです。
https://news.livedoor.com/article/detail/11956564/

【戦死者の亡霊説】映画のなかで海から現れ、最後は海へと消えていくゴジラを第二次世界大戦の戦死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちの亡霊になぞらえた説。最初にこの説を唱えた評論家の川本三郎←バカは、天皇の名のもとに戦地に赴き命を落とした兵士たちは、いまだ天皇制の呪縛のなかにいるがゆえ、皇居だけは破壊できないと説明した(『今ひとたびの戦後日本映画』岩波書店)。
民俗学者の赤坂憲雄←バカもまたこの説を踏まえつつも、川本とは異なり、ゴジラが皇居を襲わないのは天皇制の呪縛力のゆえではなく、むしろ戦前に現人神とされた天皇が、敗戦後に《死せる者らの魂鎮めの霊力すら失ってただの人間にかえった》がためと説いている。つまり、《ゴジラが皇居の周囲を巡ったすえに背を向け、南の海に還ってゆくのは、そこにもはや、死者たちの魂の悶えを鎮め癒してくれる者がないことを悟ったからではないのか》というのだ(『怪獣学・入門』JICC出版局)。

【東京大空襲の再現説】小説家・怪獣蒐集家の木原浩勝←バカは、《東京大空襲が描けなければ、どんな怪物でもどんな大災害のツメあとでもリアリティがないとあの二人[監督の本多猪四郎と特殊技術担当の円谷英二――引用者注]は考えていたはずだし、何より観客たちの胸を衝く素材にそれ以上のものはなかったと思う》と「ゴジラ」と空襲の記憶の結びつきを強調、その根拠として、劇中でのゴジラの行程(芝浦から上陸し、品川・銀座を通って隅田川を抜けて再び海へと帰っていく)が1945年3月の大空襲でB29の編隊のたどったコースと重なることを示唆した(『文藝別冊 円谷英二』河出書房新社)。東京大空襲では皇居は標的とならなかったので、この説は、ゴジラが皇居を襲わない理由ともなりえる。
※注…木原浩勝氏は『文藝別冊 円谷英二』において、「初代ゴジラの描写は東京大空襲をイメージしたものだろう」と書いているが、B-29のルートと重なっているという話はしていない、だそうです。木原氏ごめんなさい。

【制作上の理由説】ゴジラが皇居を襲わないことに、深い理由はなく、単に設定や演出上の事情からたまたまそうなったにすぎないとする説。作家でミステリ・特撮研究者の野村宏平←バカは、「ゴジラは光に反応するという習性からすれば、森に覆われた皇居に関心を示すとは思えない」などいくつか理由をあげたうえで、「そもそもゴジラが皇居を襲ったところで、巨大建造物があるわけではないので、インパクトのある映像にはならない。ゴジラのパワーを見せつけるなら、国会議事堂を破壊させたほうがはるかに効果的」と断じている(『ゴジラと東京 怪獣映画でたどる昭和の都市風景』一迅社)。
野村はまた、ゴジラの被害を受けたのが空襲された地域とは必ずしも重ならないとの理由から、先の「空襲の再現説」にも異を唱える。たとえばゴジラは、もっとも空襲被害の大きかった隅田川の東側の地区にはまったく手をつけていないが、これもまた、ゴジラが襲って絵になるようなめぼしい建造物がないからだと説明される。

志水義夫←バカ『ゴジラ傳 怪獣ゴジラの文藝学』(新典社)も、《皇居北側部分の破壊が描かれないのは、すでに(中略)十分に東京の街の破壊が表現できているから》と、ゴジラが皇居を襲わなかったのは、あくまで演出上の事情からだと説く。なお、同書にはまた、《もちろんそこには皇室への配慮という作品外の要素が第一番にあるのでしょう》とも書かれている。

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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ

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