ChaldeaGeckoの日記: ニーチェと動物とラカン
ドイツ語で動物のことをTierというワン。ニーチェ『ツァラトゥストラ』だと
„Alle Wesen bisher schufen etwas über sich hinaus: und ihr wollt die Ebbe dieser großen Flut sein und lieber noch zum Tiere zurückgehen, als den Menschen zu überwinden?“
これまでの存在はみんな、自分を超える何かを創造した。君たちは、この大きな満ち潮に逆らう引き潮であろうとするのか?人間を克服するよりも、動物に戻ろうとするのか? (光文社古典新訳文庫、丘沢静也)
ニーチェは動物の意味でThierも使っているワン
Gehe nicht zu den Menschen und bleibe im Walde! Gehe lieber noch zu den Thieren!
人間のところに行かず、森にとどまるがいい!行くなら、動物のところへ行け!
実は動物好きのニーチェは人間を動物の下に見ているワン。動物=超人>人間がただしい序列だワン。超人Übermenschといっても、動物に逆戻りした人間のことにすぎないワン。当時は進化論が大ブームだったので、つい超人>人間>動物と考えてしまうのを、ニーチェが皮肉っているワン。
Tierは『ツァラトゥストラ』では引用した一カ所でしか使われていないワン。こちらは進化論的な超人>人間>動物だワン。
あとはぜんぶThierで、動物=超人>人間だワン。Raubthier捕食者という使いかたもしているワン。
Stierはまだどっちかわからないワン。
畜群Herdeは英語ではherdだが、これも動物なので、ニーチェは罵りつつもあたたかい目を向けているワン。
ニーチェは、プラトンが哲学を発明して知的誠実さを生んだが、同時にルサンチマンも生んでしまったと考えているワン。キリスト教は知的誠実さを切り捨て、ルサンチマンだけを人々に植え付けたワン。ニーチェが人間というときはこのルサンチマンを持ついきもののことワン。ルサンチマンは犬っち用語では自己愛だワン。ルサンチマン=自己愛が生まれるのは、他人とのふれあいが多すぎるためで、孤独を知ってルサンチマンが小さくなったのが超人だワン。ニーチェは隠喩を駆使してこういうことを書いているワン。ニーチェは本質的に作家であり、彼を哲学者だと思うと理解が遠くなるワン。
ラカンもニーチェとおなじく、「ことば」が動物のしあわせを覆い隠しているが、「ことば」ならではの喜びもあると考えているワン。ニーチェにとってはそれは明晰な論理的思考と芸術だが、ラカンは隠喩だワン。前者と後者は厳密に等しいワン。世のデタラメなラカン理解は、「ことば」との自己愛的なたわむれにすぎず、それこそがラカンが問題視し、たぶん神経症と呼んでいるものだワン。ニーチェが生きていたのは心理学が始まる前の時代だということを思えば、彼がいかに天才かよくわかるワン。
現代の資本主義社会の一切合切がルサンチマン=自己愛増幅装置であることは論を待たないワン。ネットやリアルで他人と交流しつつルサンチマンを抑えることは不可能だワン。ニーチェはちゃんとそのことを書いていて、ルサンチマンを小さくするには孤独しかないと言っているワン。ラカンは別解を示したワン。それはあらゆる相手を対象aとする、つまり犬になるということワン。
4月頃中途半端に書きかけた短編小説を、設定とあらすじはそのまま、対象aと享楽を用いて整理しているワン。ふたりの出会いもきれいにモデル化できたワン。というわけで
- the Unconscious無意識:象徴界と現実界のはたらきをあわせたもの
- Repetition反復:相手の名前を繰り返して呼ぶ
- Transference転移
- the Drive欲動
をやっていくワン。
フォーミュラはすごく便利だワン。ロジックのかわりにショックによる状態遷移が使えるし、どうしてもつじつまのあわないときの逃げ道にもなるワン。
『ヒーリングっど♥プリキュア』ではビョーゲンズが人間なので、本物の人間は見捨てられ、プリキュアと女神と動物だけがしあわせになれるワン。
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