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日記

ChaldeaGeckoの日記: フローとフロイト

日記 by ChaldeaGecko

フロー(ゾーンとも呼ばれるはリンク先の通りのものだが

フロー(英: flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。

スポーツ選手が「ゾーンに入った」とかいうやつだワン。

フローの構成要素
ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている[2]。

専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
自己認識感覚の低下
活動と意識の融合
状況や活動を自分で制御している感覚。
時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
さらに心理学作家のケンドラチェリーは、チクセントミハイがフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]

直接的で即座のフィードバック[3](活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
経験に夢中になり、他のニーズが無視できるようになる
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。

これを見る限り

  • 自己認識感覚の低下
  • 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更

このへんはあきらかに「自意識をたもつはたらき」が低下しているワン。

  • 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
  • 直接的で即座のフィードバック[3](活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
  • 成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)

このへんはほどほどに興奮しているが、超自我の抑制が効いているワン。

  • 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
  • 状況や活動を自分で制御している感覚。

このへんは「リアリティをたもつはたらき」がよく効いているワン。
どうも人間が作業をするときは自意識がジャマになるみたいだワン。これがただちに感性の低下とは言えないが、犬っちはそのとおりだとにらんでいるワン。やることにいちいち感動していたら、作業にならないワン。
そうするとなぜ人間には自意識があるかだが、やはり自殺の抑制と、コミュニケーションには自意識レベルが低すぎてもうまくいかないワン。集中してゲームやってる人に話しかけてもロクな応答がないワン。

ウツの人は躁うつ病の人にくらべてかなり死なないから、やっぱりデストルドーを抑える力は感情を安定させる超自我が強いワン。

以下、『死の欲動―臨床人間学ノート』112〜114項から、フロイトにおける「死の欲動」の要約を抜き出す。

自我が抵抗しがたい衝動である。
衝動の存在に通常自我は気付きにくく、無言の内に支配される。快楽原則に従わず反復そのものを目的とし、エネルギーが尽きるまで繰り返される。それは強大なエネルギーで日常的なものではなく、自我はその前に無力である[4]。
最も蒼古的(原初的)な欲動である。
死の欲動は個体発生上、最も古い欲動とされた。退行の究極点であり生命発生以前の原初への回帰を目的とする。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。欲動はこの地点から巨大な破壊エネルギーを手に入れる。
「悪魔的」な生命の破壊衝動である。
自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す[5]。また「生の欲動」に先立つ。フロイトは死の欲動をエロスによって容易に懐柔されることはないと考えた。憎しみのような攻撃的衝動はエロスの一属性としても理解し得るが、愛と憎しみを超えたところに破壊衝動を想定した。

デストルドーは自殺以外にも破滅的行為に向かうが、脳は感性、感情、知性の順で発達したから、フロイトの「最も蒼古的(原初的)な欲動である」という主張を受け入れれば、感情が未発達な動物にはデストルドーがないということだワン。まあそういう動物でいちばん高等そうなのはカエルだから、それでよさそうだワン。

精神分析の臨床では死の欲動を確認する術は少ないとフロイト自身言っている。事実この概念を想定するのはマゾヒズムやサディズムの発生機序や、陰性治癒反応、それに外傷神経症という夢の願望充足の例外を捉えるためである。しかしこの概念は超自我の破壊性を説明するものとして考えられており(エディプスコンプレックスを通して父親からの去勢不安や父親自身への子供の怒りが超自我という分裂した自我に引き継がれて、死の欲動は子供の中心的な自我から分裂して存在するという理論[6])、それ故にフロイトにおいては重要なものとして後年まで考えられた。

犬っちの精神分析では超自我vsデストルドーだけど、臨床ではたぶん区別できないワン。しかし(超自我+デストルドー)のある極をとればフロイトになり、別の極をとれば犬っちになると思うワン。

ポール・フェダーンは最重度のメランコリーに「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。

そりゃそうだろとしか言いようがないが、躁うつ病は精神分析なんかに来ないわな。

それに対して自我心理学では死の欲動を広範囲の攻撃性として捉えている。これはハインツ・ハルトマンやエルンスト・クリスによって主張されたもので、そもそもフロイトにおいて死の欲動に相当する攻撃性が適切に把握されていなかったので(年代において言うことが異なる[7])、それを自我との関連で統合的に捉えた結果、死の欲動はそれ自体は確認されず、むしろ自我の攻撃性や支配性向などとして活用されるとしている。また「死の欲動」を攻撃性と捉えると、「攻撃的な」という概念は何にでも当てはまるので(例えば友達との競争や何かに勝ちたいという気持ち、それに所有する欲求など)、そもそもの概念に疑問符が付されたりもした。

犬っち、どう考えても定型の攻撃性は正常圏だし、自殺するやつは違うと思うワン。犬っちも攻撃性一般の源泉を感情に求めてはいるが、躁うつ病の自殺念慮は攻撃性ともウツとも関係ないワン。別回路だワン。
デストルドーの本来の役目は「他人を守って死ぬ」ことにあると思うワン。「自殺」と「しあわせ」を両立するためには、どうしてもデストルドーが必要だワン。親がおとりになって子を守る行動ならトリやウサギにもあるワン。落ち着いたやさしい気持ちで自殺するのだから、デストルドーを高めて超自我をはねのけるワン。人間、理性だけでは死ねないワンよ。

「『勇気』とは『怖さ』を知ることッ! 『恐怖』を我が物とすることじゃあッ! ――ウィル・Α・ツェペリ

勇気とは制御されたデストルドーだったワン。勇気はたしかに感情のはたらきだが、それ自身は認識できず、非常に持続するところが他の感情と違うワン。別のサブシステムにするのが合理的だワン。

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