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日記

ChaldeaGeckoの日記: 精神分析おさらい 1

日記 by ChaldeaGecko

精神分析(プリキュア派)は一般的な推論のはたらきがベースになっているワン。

  • 同定
  • 演繹
  • 帰納

同定はあるものがおなじかどうか判定するはたらきだワン。コンピュータだとビット列の比較だが、人間の脳だとあいまいなマッチングができるワン。このはたらきはデータ構造ではアトムを扱うワン。I/Oに対応するアトムがあり、感覚を受けたときや、運動をするときに脳内にあらわれるワン。
演繹は「前提条件Pのもとで、AならB」という論理式を扱うワン。P: A→Bと書くことにするワン。未知数をXとしてパターンマッチすると、P: A→XからXを得る演繹や、P: X→BからXを得るアブダクションができるワン。コンピュータなら「AならB」をプログラムの逐次実行と見立てることができるワン。またこの論理式自体を(A, B)という対とみなせば、コンスを扱うワン。

犬っちのことば観は、ほとんどの人とは根本的にことなっており、シニフィアンとシニフィエからなる記号のシステムがことばの定義だワン。
帰納は前提条件、つまり文脈をあつかうワン。すでに知っているP: A→BのPをQに入れ替えてQ: A→Bをつくるワン。「妥当」かつ「役に立つ」Qをつくることができれば、つまりあらたな演繹を開始できれば帰納は成功だワン。Qのかわりに未知の文脈Xをもちいて、X: A→Bが妥当かつ役に立つような文脈Xをパターンマッチで求めることもできるワン。
アトムとコンスがあるから、任意のデータ構造を作れるワン。コンピュータよりパターンマッチがはるかに強力だワン。人間の脳はマルチスレッドでデータ構造をトラバースしながらI/Oをしているようだワン。うまくいかなくなったら帰納して処理をつづけるワン。
アトムとコンスは比較的明確にイメージすることができるが、文脈はそうはいかないワン。つまり文脈はメタデータであり、データ構造ではないワン。
ここまでは脳の固有の話ではなく情報処理一般の話だワン。推論一般ではこの三つがあれば任意の推論ができるワン。犬っちも、人間が気づかない情報処理の存在は認めない立場だワン。

動物にも帰納のはたらきがあるはずだが、進化論的には同定、演繹、帰納の順で生まれたワン。演繹は物理法則の認識、道具やことばの使用に非常に適しているため、ことばが生まれたのはこの段階だワン。演繹とその対象になる概念の、脳内における表象の存在は、カエルにもあるみたいなことが書いてあったので、犬っちが念頭にあるのはこの段階だワン。だから「カエルにはことばがある」とよそでいってもつうじないが、人間にいたるまで連続しているんだからしょうがないワン。同定のメカニズムは遡及的にことばを扱うようになったワン。帰納は他者との協調のために有用だワン。演繹だけだとノーブレーキで凶暴になりがちだワン。動物がかわいく思えるのも帰納のはたらきだワン。

人間の脳は推論が成功したときにリアリティを感じるワン。つまりリアリティには三種類あるワン。同定で得られるのは、非常に親しんでいるものを見つけたときの感覚だワン。いわゆる安心感だワン。演繹で得られるのは、予想した通りのものを見つけたときの感覚だワン。いわゆる感動だワン。帰納で得られるのは、予想していなかったものを見つけたときの感覚だワン。いわゆる狭義のリアリティだワン。ことばのはたらきでは順に換喩的、物語的、隠喩的だワン。物語的には自己同一化のはたらきが不可避だワン。ハリウッド映画で感動するのも、知らず知らず主人公に自己同一化するからだワン。したがって、物語(因果)は修辞技法の一種とみなすのが自然で、しかもそう思えるワン。
感情のはたらきは進化論的には有用だが、現代社会では他人と密になりすぎて暴走しているワン。三つのリアリティのうち感動だけが容易に無制限に手に入るので、麻薬化しているワン。感情のはたらきは省エネをモットーとしており、自己同一化の快不快、つまり自己愛で動き、燃費のいい共感と憎悪で動くワン。みんな仲間になり差異がなくなると、そのときは快感だが、感情はさらなる快感を求めて小さな差異を求めだし、ついには仲間を敵とみなすワン。
演繹は因果をあつかうのに対し、帰納は相関をあつかうワン。一般的に前者は後者の特殊ケースであり、演繹に最適化された脳は効率がいいワン。それで演繹が成功しているあいだはこちらを優先し、帰納を抑制するワン。しかし、非効率だからといって使わないわけにはいかないから、なんらかの報酬が必要で、それがリアリティだワン。理屈の上からは、リアリティは感動より大きな報酬になるが、それがそのまま意識にのぼる差になるかはまったく未知だワン。

ここまで、進化論、リアリティとことばの話をしたワン。

おおざっぱに同定は感性、演繹は感情、帰納は知性のはたらきと言えるが、人間は感性や知性のはたらきを自覚しづらいので、意識するのは感情が大半だワン。フロイトもラカンも、推論の三つのタイプを考慮しておらず、対象にしているのはほぼ感情だワン。
ラカンの現実界・象徴界・想像界について言えば、現実界はI/O、象徴界は脳のデータ処理、人間で言えば無意識ワン。想像界は意識の世界で、象徴界のはたらきが生み出した幻でありカテゴリー違いだワン。象徴界は記号のはたらき、ことばのはたらきだワン(ことばといっても人間だけではないワン)。ことばのはたらきが意識を生むのだから、意識がなにかに影響を及ぼすことはできないワン。三界あるがたまたまでしかなく、三つの推論とは無関係ワン。およそ報酬の脳内での強さと意識にのぼる強さの関係にはなんの根拠もないから、情報処理と意識は分離して考える必要があるワン。

ラカンの小文字の他者the otherは、名前で分節された(相手の脳内にいる)自分であり、自分が感じている自分egoとは本来は無関係なものだワン。しかしこの二つがおなじものだと想像的に信じられるのは、象徴界が生み出す間主観性のためだワン。この間主観性は帰納が生み出す狭義のリアリティであり、日常生活でもマイクロなリアリティを感じ続けているはずだが、自覚できるようなものは文学作品の高度な隠喩を理解したときくらいのものだから、世の中のほとんどの人が存在を知らないワン。ラカンは隠喩野郎だからよく知っているワン。作品読解におけるこの間主観性はキラッっとしたイメージで語られ、それがリアリティであることは直観して疑いえないものだワン。
演繹による自己同一化は他者性をなくしてしまうが、帰納による間主観性は他者性を維持したまま、ことばが通じるという強い感覚をもたらすワン。他者中の他者である女の子のなにかを知ってしまったとき、男子は恋に落ちるワン。ラカンはveilという比喩を使っているワン。どういうわけか人間はそういうチラ見せに、最も強いリアリティを感じるが、おそらく進化論的な説明もつくワン。

ラカンは享楽というものを考えて

  • ファルス的享楽
  • 剰余的享楽
  • <相手>の享楽

ファルス的快楽は現実界と象徴界だけに関係し、想像界は関係しないものワン。だから妄想せずに見るAVとかだワン。剰余的享楽は象徴界と想像界だけに関係し、現実界には関係しないものワン。だから薄い本を見て妄想するような楽しみだワン。<相手>の享楽は想像界と現実界だけに関係し、想像界は関係しないものワン。想像界は意識だから、意識しないけど心地いい、動物といっしょにいるような楽しみだワン。ラカンはこれを女性的享楽だと言っているらしいが、これは「女性の感じる享楽」ではなく「女性が感じさせる享楽」に相違ないワン。ヒト科の動物としての女の子の魅力のことだワン。隠喩野郎のやりそうなことだワン。
ラカンは三界が重なったところに対象aというのを置いているワン。これは自分を1、相手をaとたとえ、自分のまなざしは相手だけに向けて1/a、相手はふたりにまなざしを向けてa/(1+a)とたとえ、両者が等しいとして1/a=a/(1+a)、これを方程式とみなして解けばaは黄金数1.618...となるワン。ラカンはこれを人間が生涯追い求める対象だと主張しているワン。ま、たとえ話でしかないが、便利ではあるワン。自分は自分を見ず相手だけを見るのだから、非対称な関係であり、子供とおかあさん、あるいは犬と飼い主のような関係だワン。自分を見ないのだから自己愛は低いワン。ニーチェの「超人」を言い換えれば対象aを持つ人になるワン。三つの推論で考えると、超人は感情は抑えて感性と知性を高める、というかバランスの崩れた現代社会からもとに戻しただけなのだが、当然のようにニーチェもラカンも隠喩について隠喩を駆使して書いているワン。

間主観性に戻るワン。間主観性を生み出すのは象徴界のはたらきだが、細かく言えば、帰納のはたらきだワン。なぜなら間主観性は感情が生み出すリアリティつまり自己同一化とはまったく違う体験であり、感性にはそんな複雑なはたらきはないワン。具体的になにを帰納するとthe otherとegoが等しいというリアリティを感じるのかというと、the otherとegoが等しいという帰納することだワン。経験的にthe otherとegoが等しいと知っているから、目の前の相手でもそうだろうと帰納し、それがリアリティを生み、本当にthe otherとegoが等しいと思えるワン。そして、生まれて最初にthe otherとegoが等しいと帰納したのが「鏡像段階」だワン。鏡に映った自分の姿を見て、それが本当に自分だと思うわけだワン。鏡に映った自分の認識はことばに先行する必要があり、ミラーテストをクリアしたやつになんと魚がいるので、脳内に専用の鏡像認識回路があるはずだワン。あのかしこいヨウムですらミラーテストに失敗しているワン。

臨床ができない犬っちは、アニメ、とくにプリキュア、まどマギ、聲の形を対象に考えているのだが、ノイズがなくてかえっていいかもワン。基本的な情報処理の考えから出発して、(わかっている範囲では)ラカンを後追いし、いくらかの詳細化・強化になったワン。

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typodupeerror

吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人

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