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日記

ChaldeaGeckoの日記: 「ことば」の定義など 2

日記 by ChaldeaGecko
  • 感性:同定:アトム:文脈に感覚のタグづけをして優先順位をつけ情報処理を効率化する
  • 感情:演繹:コンス:因果や道具、ことばと予測と感情のはたらき。予測が外れると強い不快を感じる
  • 知性:帰納:文脈:前ことばとことばの橋渡しをする。文脈は前ことば的なものであり、「思いもよらなかった(文脈にない)」ことを効率よく発見する

帰納のはたらきにより自分のからだを認識して記号システムの解釈者とし、ことばをブートする。

犬っちのことば(言語)観はほとんどの人と根本的にことなり、シニフィアンとシニフィエを持つ記号のシステムがことばだワン。しかしそれらをどう表象するか、脳の信号パターンやビット列であらわすかは自由なので、結局のところ脳でもコンピュータでも、情報システムがすなわちことばだということになるワン。さすがにこれではナンセンスだから、表象からシニフィアンやシニフィエに変換する人、解釈者を考え、記号のシステム+解釈者=ことばだワン。人間の言語の場合は、記号のシステムが生み出した心が、記号の解釈をあたえる仕組みだワン。ことばの定義に解釈者が含まれる以上、客観的な定義ではなく、間主観的な定義だワン。しかしこれは再帰的な構造になっており、その不動点がより世間的な「ことば」らしくなるワン。
ことばをこう定義すると、金魚から人間まで連続して考えられるワン。不連続なものより連続なものを考えるほうがずっとラクだし、不連続さが幻ならなおさらだワン。もっといえば、ことばは情報処理が生み出した幻にすぎず、情報処理そのものを考えたほうがいいワン。

本能を考える必要もないワン。動物学者は本能とそれ以外をわけたがるが、便宜的なものではなく、どうやら本質的な違いがあると考えているワン。しかし情報処理の観点から見ればハードコードされた割合の違いでしかなく、境界線は引けないワン。動物のある行動が本能によるものか、学習によるものかは人間がモノサシになるしかないから、人間のものの見方が入り込んでしまうワン。個別的、便宜的にならそれでもいいが、本能や学習一般にありもしない本質を見て取ると本末転倒ワン。

メタ認知能力も考えなくていいワン。メタ認知とは自分の記憶や感情などを指ししめすシニフィアンを獲得する能力のことだが、それ以外のもの、たとえばりんごを指すシニフィアンとくらべ、情報処理の視点からは違いはないワン。おそらく自分の記憶は(とらえにくいから)情報処理的に指しづらく、りんごは指しやすいといった理由だワン。犬っちの考えでは、メタ認知能力のない動物は、効率のため自分の記憶とりんごはアドレス空間が別になっていたが、ある動物は単一アドレス空間だワン。裏づけはなにもない話だが、情報処理の視点からはこれが自然な考えだワン。なんにせよ、再帰性はそれだけで不思議なものだが、自己認識を介在させると話がいっきに神秘性をおびるワン。

脳は情報処理的に最適にはたらくと考えれば、意味記憶エピソード記憶は文脈の拡大や記憶の圧縮といった最適化の程度の違いでしかないといえそうだワン。脳は不断の最適化をしているワン。

研究者によっては、エピソード記憶は常に意味記憶に洗練(精製)されていると考えている。その場合、特定のイベントについてのエピソード的情報は一般化され、イベント的詳細は失われる。この考え方の派生として、繰り返し思い出されるエピソード記憶は一種のモノローグとして記憶されるという見方がある。例えば、あなたがある出来事について繰り返し話をした場合、それは既にあなたにとっては「イベント」ではなくなり、あたかも物語を語っているように感じていることに気づくだろう。

逆に、エピソード記憶は常にエピソード記憶として思い出されるとする見方もある。もちろん、エピソード記憶は意味記憶に影響を与え、意味記憶の上に成り立っている。エピソード記憶が最終的に意味記憶へと変化するとは考えない点が上述の考え方とは異なる。

重要なエピソード記憶は最適化され効率よく精製されるだろうし、どうでもいいエピソード記憶は最適化されずそのままあやふやになると考えれば矛盾はないワン。

自閉症の神経学的特徴の1つとして、意味記憶には問題がなく、エピソード記憶形成に問題がある点が挙げられる(Ben Shalom, 1993)。

自閉症は帰納に強いが演繹に弱く、演繹はものごとを因果的に認識するから、上のモノローグ化の話と矛盾しないワン。

演繹があつかうのは本当は文脈PをふくむP:A→Bの三つ組だが、Pはいわゆる自由変数だワン。AとかBはデータ構造でありアトムとは限らないワン。またアトムといってもコンピュータとことなり、意味はある程度の幅に広がったもの、連想性があるものだワン。AとBの冗長性は最適化して自由変数のPに押しつけてしまいたいワン。これが概念の形成だワン。連想性はアトムにだけあればコンスはAとB両方の連想性で問題ないワン。文脈はメタデータで、なにか計算が入っていると効率はいいだろうが、セマンティックスはとりあえず考えなくてもいいブラックボックスでいいワン。まとめると

  • アトム:AとかB。コンピュータと違って等価性だけでなく連想性がある
  • コンス:P:A→B。AとBはコンピュータとおなじでただのデータ構造の組。Pは自由変数の参照(多くの場合は文脈を指す)。三項あるからソシュールよりパース的かも知れないが、パースは文脈もデータ構造に分解する
  • 文脈:javaのObjectみたいなブラックボックス。それゆえセマンティックスは分析家が好きに定義できるが、本質ではない。情報処理的には無論データ構造とその操作で表現できるが、効率が悪そうだから本当にそうなっているかは怪しい。

犬っちは哲学者ではなく情報科学犬だから効率も重視し、概念的にできるからといってなんでもかんでも単一の表現には還元しないワン。アトムとコンスのデータ構造と、文脈の内部表現は別物と考えているワン。帰納のはたらきは演繹でエミュレートできるのはコンピュータを見れば自明だから、アクセラレータにすぎないワン。ということはアクセラレータらしい特徴があるはずで、犬っちは内部表現の違いをそこに見ているワン。

鏡像の認識は帰納アクセラレータあってゆえだワン。なぜなら帰納アクセラレータは内部表現が「ことば」とは違うから、ことばに先行することができ、なおかつことばもあつかえるワン。犬っちの考えでは、ことばとことばでないものの両方をあつかうはたらきを脳が二重に持つのは効率面からありえないから、鏡に映った自分の姿という狭義の鏡像にかぎらなければ、帰納できる動物は鏡像認識できるワン。
ラカンの考えでは、幼児が鏡像を自分だと認識することで、the otherとegoの想像的同一性を支える象徴界のはたらき、つまりことばがフル起動するワン。この時点ではことばが起動していないのだから、the otherもegoも前(非)ことば的なものにならざるを得ず、帰納以外には扱えないものだワン。感性は原始的すぎてブートストラップできないワン。逆にいうと、帰納は実はことばでないものもあつかえるということで、これこそが動物の考えがなんとなくわかる、あるいは<相手>の享楽の理由だワン。ホニュウ類やトリなら帰納できるからワンね。

帰納のはたらきは文脈をまたいだ発見、思いもよらなかった発見だから、動物の体性感覚から想像されるものと、体を鏡や一部を直接見たりした視覚から想像されるものが、おなじ「自分のからだ」であることの発見は、まさに帰納的だといえるワン。体性感覚と他の感覚から帰納するのが重要であり、動物学者は体性感覚を無視し鏡にこだわるが、そこは幻の境界だワン!まあ動物の体性感覚は測りようがないワンが。<相手>の享楽もおなじで、体性感覚と他の感覚でありエスパーではないワン。
文脈一般もこれ、体性感覚に似た、感性と直結した感覚がタグになっているワン。感性-感情-知性は連合したはたらきになっていて、感性が感覚のタグをふって、感情と知性が推論の情報処理をするワン。つまり、文脈にはつねに感覚がともない、経験的にそれはただしいワン。たとえばブラウザの画面を、字形という文脈で見るか、文字という文脈で見るかでは、ことなった感覚が付随するワン。字形としてはかっこいいが、文章はすごくダサいとか。
なぜ文脈には感覚のタグがつくのか?たぶんそれも効率化のためだワン。コンピュータでいえばプロセスの優先度やアフィニティみたいなものだワン。より一般に、感性は情報処理の優先順位をつけ効率化するための仕組みだといえるワン。イヤな仕事ほど重要なのは文明社会の転倒だワン。

文脈の内部データ構造はどうなっているのか?文脈はことばと前ことばの橋渡しをするものだワン。鏡像段階を見れば前ことばにおいても文脈は存在することと、情報処理の観点からことばだけでは非効率だから文脈が存在することが理由だワン。前ことばの最大の特徴は分節されていない(不十分な)ことで、細かく分節されたことばより効率がよさそうだワン。分節されていないのだからシニフィアンもシニフィエも存在しない、つまりデータ構造をつくることができないが、ハッシュのような、データ構造のサマリーになっているワン。

情報処理の観点からまとめると、最初のとおりになるワン。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by Anonymous Coward on 2020年09月21日 1時36分 (#3892752)

    >ほとんどの人と根本的にことなり

  • by Anonymous Coward on 2020年09月25日 20時53分 (#3895228)

    記号のシステム+解釈者=ことばだワン。人間の言語の場合は、記号のシステムが生み出した心が、記号の解釈をあたえる仕組みだワン。ことばの定義に解釈者が含まれる以上、客観的な定義ではなく、間主観的な定義だワン。しかしこれは再帰的な構造になっており、その不動点がより世間的な「ことば」らしくなるワン。

    「ことば」再帰的定義。シッポを追いかけぐるぐる🌀回っている犬のごとし。まさに自閉的世界観。
    #大衆の「ことば」はあなたには伝わらないだろうけど。そんな定義して逃げてはいけないよ。安易な再帰的定義すると自己矛盾や発散してしまいます。
    偽を前提条件にすると何でも真になってしまうよ。

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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