ChaldeaGeckoの日記: 陶酔感と暴力と恋
人間の心があんまりはたらいてないときを左、よくはたらいているときを右に書くと
- 感性:不安(陶酔)←→安心
- 感情:激情(感動)←→落ち着き
- 知性:離人感(?)←→リアリティ
となるワン。素朴な考えとは逆に、心のはたらきはつねに鎮静的、人心地に向けてはたらくワン。意識しなくともリアリティはつねに感じているが、なにかのきっかけで意識できるとキラッとした感じがするワン。
さて、戦争などの巨大な暴力や恋には陶酔感があるワン。魂を抜かれそうな陶酔感はどう考えても安心の反対だから、不安の一種だワン。心地よい不安と言った感じだワン。心地よい激情はすなわち感動だワン。離人感はつねに苦痛をもたらすとされているから、心地よい離人感…をなんというのかわからないワン。陶酔感も感動も心地よくリスクテイクしたい気持ちにさせるから、心地よい離人感もリアリティを弱めリスクテイクさせるワン。しがらみがあるとリスクテイクできないワン。リスクテイクの報酬として、一層の陶酔や感動が得られる(人心地が弱まる)という寸法だワン。
- 人心地がついている:リスクを感じていない
- 人心地がついていない:リスクを感じている
- 陶酔や感動を感じている:リスクテイクしたい
- 不安を怯えを感じている:リスクテイクしたくない
こんな感じだワン。暴力(自殺)も恋もリスクテイクだワン。恋も陶酔的になったり不安になったりするワン。さて、「心地よい離人感」をあらわすことばがなさそうなので、これは非常に自覚しづらいもののようだワン。しかし、過度なリスクを取らず、過剰にリスクにおびえないためにはリアリティが欠かせないことがわかるワン。戦時下生活でも恋でもおなじだワン。
『聲の形』では、おなじく死にたかった植野さんと西宮さんだが、植野さんは家族のリアリティがあったため、花火に魂を奪われなくてすんだワン。最後のふたりは「おたがいに理解している」というリアリティの裏付けのある恋に落ちたワン。
『君の名は。』では、東京で中学生の瀧を見つけた三葉が、翌日髪を切って恋する女の顔になったが、夢ウツツだったため、隕石に魅入られてしまったワン。エピローグでは、瀧は三葉の顔も名前も覚えているが、三葉は名前を瀧の名前を取られてしまったので、だれともわからない相手に恋していて、夢でたとえられているワン。つまり、リアリティを支えるのは名前だワン。『ウルトラセブン』の最終回でモロボシ・ダンは正体を明かし、名前不明の宇宙人として帰っていったため、アンヌの恋も三葉とおなじくリアリティを欠いてしまったワン。
『この世界の片隅に』はリスキーな戦時下生活と恋が、リアリティを得て平穏な生活と恋に移っていく話だワン。すずにリアリティをあたえたのは「リンさんの事 秘密じゃなくしてしもうた」と茶碗を奪い返したことだから、因業な女だワン。
リアリティを支えるのは、ことば、なかんずく名前のはたらきだワン。しかしこれは、ことばに先立つ名前そのものが暴力的なものであり、ヘイトを生むこともあるということだワン。マスクに人の名前を書くのは、暴力をふるっているのとなにもかわらないワン。なぜなら書かれたのは名前だけであり、リアリティを生み出す対話ではなく、圧力をかけていることが疑いようがないワン。しかも近所の人ではなく、著名なスポーツ選手だという非対称性が前提の圧力だワン。
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