ChaldeaGeckoの日記: ハンナ・アーレント『人間の条件』もトリック作品だったワン!その1 1
犬っちの萌えキャラをお金払って作ってもらったワン!以降、萌えキャラがしゃべってると思って読むワン!
『The Human Condition人間の条件』はどえらい誤訳です。『人間の状況』が正しい。
The human condition of work is worldliness.
そこで、仕事の人間の条件は世界性(ワールドリネス)である。(p.21)
と訳してあるが、worldlinessは辞書を引けば「世俗」という意味だ。実際、この本は「世俗」「世間」が巨大化したものが全体主義だとしているので、完全な誤訳。またworldとwordのダジャレがあり、「世界」だけを指す場合はworld itselfを使っている。したがって、正しくは
人間がworkをする状況は世間/ことばである。
アーレントはlabor, work, action「労働」「仕事」「活動」が有名だが、実はそれぞれisolation, loneliness, solitudeが対応している。しかしこれは「隔絶」「孤独」「独居」(ちくま学芸文庫『人間の条件』)、「孤立」「ロウンリネス」「孤独」(みすず書房『全体主義の起源』)、「隔離」「孤立」「孤独」(大阪大学の池田光穂氏)などと、てんでバラバラである。これでは本など読めるわけがない。「労働」「仕事」「活動」も、ことわりもなく独自の訳語をあてるやつがたまにいる。要するにこいつらは学問をする気がないのだ。さらに、間をつなぐものとしてsensuality, goodness, wisdomがあり、達成されるものとしてhappiness, worldlessness, antiquityがある。
- isolation-sensuality-labor-happiness
- loneliness-goodness-work-worldlessness
- solitude-wisdom-action-antiquity,plurality
という対応になっている。
Goodness in an absolute sense, as distinguished from the “good for” or the “excellent” in Greek and Roman antiquity, became known in our civilization only with the rise of Christianity. Since then, we know of good works as one important variety of possible human action.
絶対的な意味での善(グッドネス)というのは、古代ギリシャ=ローマの「役立つ(グッド・フォー)」ものとか「卓越した(エクセレント)」ものと違って、西洋の文明で知られるようになったのは、ようやくキリスト教が勃興してからである。それ以来、私たちは、ありうる人間活動の重要な一変種として善行について知るようになった。(『人間の条件』、p.104)
goodnessとantiquityは絶対的に違う。まずこれが重要。文庫の志水訳はgood worksを「善行」としているが、これはgood+workだから、workを「勤め」、good worksを「善い勤め」といった感じで揃えて訳さないとわけがわからなくなる。good worksはhuman actionではあるが、actionとworkは違うものだから、変種だと言っている。とにかくgoodness-workの線ができて、これはantiquityやactionとは仲良しではない。
It is this worldlessness inherent in works that makes the lover of goodness an essentially religious figure and that makes goodness, like wisdom in antiquity, an essentially non-human, superhuman quality.
善を愛する人が本質的に宗教的な人間となり、古代の知と同じく、善が本質的に非人間的(ノン・ヒューマン)で超人間的な特質をもっているのは、善行に固有の無世界性のためである。(p.108)
志水訳は
that makes goodness (, like wisdom in antiquity,) an essentially non-human, superhuman quality
と解釈している。しかしgoodnessはworkと仲良しだから世俗のものだ。このthat節は
that makes goodness (, like wisdom in antiquity, an essentially non-human, superhuman quality)
とするのが正しい。antiquityとqualityで韻も踏んでいる。これはantiquityの定義になっていて、たんにギリシャ・ローマ時代というだけでない、超人間的なものだといっている。
戻ると、worldlessnessは「世俗でないこと」という意味だが、wordlessness「ことばがない」とのダジャレになっている。つまり「感動」のことだ。この文は「感動」が世俗のはずのgoodnessを愛する人を宗教的にするという倒錯を述べている。フランス革命やロシア革命、ナチズムを思えばいい。goodness-work-worldlessnessとwisdom-antiquityとは別の線だ。
この文はあきらかな読者だましだ。哲学者の手に負えるものではない。
And yet love of goodness, unlike love of wisdom, is not restricted to the experience of the few, just as loneliness, unlike solitude, is within the range of every man’s experience. In a sense, therefore, goodness and loneliness are of much greater relevance to politics than wisdom and solitude; yet only solitude can become an authentic way of life in the figure of the philosopher, whereas the much more general experience of loneliness is so contradictory to the human condition of plurality that it is simply unbearable for any length of time and needs the company of God, the only imaginable witness of good works, if it is not to annihilate human existence altogether.
しかもなお、善への愛は、知への愛と違って、少数者の経験に限定されない。ちょうど孤独が、独居と違って、すべての人の経験の範囲内にあるように。したがってある意味では、知や独居よりは、善や孤独の方が、政治に対してはるかに大きな関係をもっている。独居は、哲学者の生活様式として、真の生活様式となりうる。これにたいして、はるかに一般的な経験である孤独は、多数性という人間の条件にあまりにも矛盾しているので、長時間にわたってはとても堪えられるものではなく、それが人間存在を完全に滅ぼしてしまわないためには、善行を目撃する唯一の想像上の証人、神の同伴を必要とする。(p.108)
ここでloneliness-goodness, solitude-wisdomの対比が作られ、前者は政治と関連が深いと言っている。
that it is simply unbearable for any length of time and needs the company of God, the only imaginable witness of good works, if it is not to annihilate human existence altogether
志水訳ではitをlonelinessとしているが、これはpluralityが正しい。訳すと
多数性はどんなに時間をかけてもただ単に産まれることはない。それは神の同伴を必要とする。神は善い勤めの、考えうるただ一人の証人だ。もっとも人類を絶滅させようとしているのでなければだが。
pluralityには神の同伴が必要、つまり世俗のものではないと言っている。これは超重要。man's experienceとunbearable(子供を産めない)がダジャレになっている。ここのgood worksは出産のこと。最後のはギャグ。これも読者だましだ。
The happiness achieved in isolation from the world and enjoyed within the confines of one’s own private existence can never be anything but the famous “absence of pain,” a definition on which all variations of consistent sensualism must agree.
世界から隔絶してはじめて達成され、自己自身の私的存在の境界線内部ではじめて味わうことのできる幸福というのは、周知のように、「苦痛の欠如」以外のなにものでもありえない。この幸福の定義は、首尾一貫した快楽主義なら、どんな快楽主義であろうと、同意しなければならないものである。(p.171)
isolation-sensuality-(labor)-happinessの線ができた。これはworld世間から引きこもっている状態だと書いてある。別の箇所でisolationとlaborの話はたっぷり出てくる。laborはanimal laboransという言い回しがあり、動物的。
Action, the only activity that goes on directly between men without the intermediary of things or matter, corresponds to the human condition of plurality, to the fact that men, not Man, live on the earth and inhabit the world.
活動actionとは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人の間で行われる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間manではなく、多数の人間menであるという事実に対応している。
actionはpluralityと関係あると書いてある。
たったこれだけ読んだだけで
- 動物的:isolation-sensuality-labor-happiness
- 世俗的:loneliness-goodness-work-worldlessness
- 超人間的:solitude-wisdom-action-antiquity,plurality
ということがわかった。ここのGodはキリスト教ではなくギリシャの女神様なので、「神のもとの平等」ならぬ「女神様のもとのplurality複数性」である。これが(まともな文学者ならだれでも感じている)アーレントの思想の本質だ。
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気に入らない奴はスラドから出ていけ
が
キチガイはスラドから出ていけ
に脳内変換されちゃったせつめいはいつするの