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日記

ChaldeaGeckoの日記: ハンナ・アーレント『人間の条件』もトリック作品だったワン!その2 3

日記 by ChaldeaGecko

犬っちの萌えキャラは超かわいいワン!

しかし、都市国家の創設によってのみ、人間は、その世界全体を政治的領域である活動と言論のなかで送ることができることはもちろんだが、この二つの人間的能力(※活動action(praxis)と言論speech(lexis))が同じものに属し、すべての能力のうちで最高の能力であるという確信は、すでにソクラテス以前の思想に現われていた。たとえば、ホメロスのアキレウスの大きさは、彼を「大きな行為の成就者、大きな言葉の発話者」として眺めるときにのみ理解することができる。近代の理解と違って、彼の言葉が大きいと考えられたのは、それが大きな思考を表明しているからではなかった。むしろ、『アンティゴネ』の最後の詩句から知られるように、「大きな言葉」(megaloi logoi)の資格とは、手痛い打撃に反撃し、老年の終わりになって思慮を教えることにあるからである。思考は言論よりも下位にあったが、言論と活動は同時的なもの、同等のもの、同格のもの、同種のものと考えられていたのである。これは、もともと、ほとんどの政治活動は、暴力の範囲外に留まっているのであるから、実際に、言葉によって行われるということを意味したばかりではない。もっと根本的にいうと、言葉が運ぶ情報や伝達とはまったく別に、正しい瞬間に正しい言葉を見つけるということが活動であるということをも意味をしていた。ただむきだしの暴力だけが言葉を発せず、この理由のゆえに、暴力だけは偉大ではありえないのである。古代も比較的末期になって、戦争と言論の術(rhetoric)が、教育の二つの基本的な政治課題として現われたときも、その現われかたは、やはり、この過去のポリス以前の経験と伝統に支えられ、それに従っていた。(『人間の条件』、p.46)

アキレウスのくだりは原文では

The stature of the Homeric Achilles can be understood only if one sees him as "the doer of great deeds and the speaker of great words."

志水訳はdeedsとwordsを名詞としているが、ここはgreatを名詞、deedとwordを動詞とし

(the doer of great) deeds and (the speaker of great) words

として、一人のgreatのdoerとspeakerの側面としなければ

この二つの人間的能がが同じものに属し

にはならない。また、『アンティゴネー』についての原注(訳にはない)に、デモステネスの

"I hear the voice of somebody who was injured and who suffered."

という発言があるが、これもwho was injuredとwho sufferedは、おなじsomeoneの二つの側面である。これはあきらかに読者だましである。

Thought was secondary to speech,
思考は言論よりも下位にあったが

というのが本文にあるが、これは誤訳で

考えは話すことから派生し

が正しい。これも読者だまし。

on the contrary, as we know from the last lines of Antigone, it may be the capacity for "great words" (megaloi logoi) with which to reply to striking blows that will eventually teach thought in old age.
むしろ、『アンティゴネ』の最後の詩句から知られるように、「大きな言葉」(megaloi logoi)の資格とは、手痛い打撃に反撃し、老年の終わりになって思慮を教えることにあるからである。

「大きな言葉」が老年の終わりになって思慮を教えるなら、そのときにはアキレウスもジジイになってしまう。striking blowsとあるからギャラクティカマグナムをイメージしてしまうが、これはテーバイ王オーンのふるまい「人を恐怖させる風」だ。読者だましである。注には

The literal translation of the last lines of Antigone (1350-54) is as follows: “But great words, counteracting [or paying back] the great blows of the overproud, teach understanding in old age.” The content of these lines is so puzzling to modem understanding that one rarely finds a translator who dares to give the bare sense. An exception is Holderlin’s translation: “Grosse Blicke aber, / Grosse Streiche der hohen Schultern / Vergeltend, / Sie haben im Alter Gelehrt, zu denken."
『アンティゴネー』の最後の数行(1350-54)の直訳はこんな感じだ:「しかし、大いなることばは、驕り高ぶった風への報いだが、老いてはじめて意味を教える」。最後の数行は近代的理解には意味不明すぎて、あるがままに訳そうとした勇気のある翻訳者を見つけるのは難しい。例外はヘルダーリンの訳だ:「だが、大いなる睨み、/高い肩からの大いなる悪ふざけへの/その報いで、/お前は老いて、考えることに気づいた」。(犬っち訳)

「大いなることば」や「大いなる睨み」の意味に、老いてはじめて気がつく。greatとは隠喩のことで、隠喩のことばは難しいから理解に何十年とかかるのだ。アキレウスはそれをすぐ理解するので偉大だった。近代的理解は隠喩がわからない。岩波文庫は

広言は、手ひどい打撃を蒙って、
償うてのち、
老いに至って、思慮を教える定め。

ぜんぜん違う。

注の最後にこんな文がある。

A last remnant of this ancient connection of speech and thought, from which our notion of expressing thought through words is absent, may be found in the current Ciceronian phrase of ratio et oratio.
こういった、話と考えの古のつながりにもとづいて、ことばを通じて考えを表現するというやりかたはもうなくなったが、つながりの最後の残滓は、まだ生きているキケロ的なフレーズ「ratio et oratio」に見出せるかもしれない。

ことばの分節ratioのはたらきで、oratio祈りが生まれる。本当は神様は存在しないのだから、祈りは自分にウソをつくことであり、隠喩的だ。ratioとoratioのつづりが似ているのもまた不思議であり、隠喩的だ。

Only sheer violence is mute, and for this reason violence alone can never be great.
ただむきだしの暴力だけが言葉を発せず、この理由のゆえに、暴力だけは偉大ではありえないのである。

violence aloneが誤訳で、だまって暴力をふるうと隠喩もへったくれもないという話。

結局この部分はすべて隠喩の話だった。古代の人は話すことが考えを生み出していたから、話が隠喩的だと考えも隠喩的・祈り的、活動(praxis)と話すこと(lexis)はおなじ人の二つの側面だから、話が隠喩的だと活動も隠喩的になうる。つまり古代の人は公的領域においてはすべて隠喩的にふるまった。これだけの読者だましで隠したのだから、犬っちが正しい解釈なのは間違いがない。

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  • by Anonymous Coward on 2020年10月09日 18時49分 (#3903932)

    deed も word も動詞なら他動詞。
    "___"でわざわざ括っていることも考えないと。
    考えが浅いぞ。もっとちゃんと勉強しろ。

    see A as B についてももっとちゃんと考えろ。

  • by Anonymous Coward on 2020年10月09日 4時15分 (#3903437)

    二分割する意味がわかんねぇな

    💩

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Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級

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