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日記

ChaldeaGeckoの日記: アーレントは腐女子でした

日記 by ChaldeaGecko

ハンナ・アーレントは腐女子でした。しかも現代的ですごく見覚えのあるやつ。
『人間の条件』から

According to Greek thought, the human capacity for political organization is not only different from but stands in direct opposition to that natural association (whose center is the home (oikia) and the family). 
ギリシャ思想によれば、ポール的組織を受け入れる人間の能力は、こういった家と家族を中心とする自然な結合とは違っているというのみならず、正反対である。

poleとpoliticalのダジャレ。ホモの話のはじまりです。自然な結合はもちろん異性愛です。thoughtは「恋」です。

The rise of the city-state meant that man received "besides his private life a sort of second life, his bios politikos. Now every citizen belongs to two orders of existence; and there is a sharp distinction in his life between what is his own (idion) and what is communal (koinon)."
都市国家の勃興は、人間がこのようなメッセージを受け取ったということを意味していた。「私的な生活からはなれた、第二の人生の種類、ビオスポリティコスである。今やすべての市民は二つの存在の命令に従うのだ;そして生活における、自分自身のもの(idion)と共同のもの(koinon)をはっきり区別するのだ」。

order of existenceは性欲のことです。

It was not just an opinion or theory of Aristotle but a simple historical fact that the foundation of the polis was preceded by the destruction of all organized units resting on kinship, such as the phratria and the phyle.
フラトリアやフュレーといった、親族関係が残る人びとの親密な関係はすべて、ポリスの創設に先立って破壊されたが、それは たんにアリストテレスの意見や理屈というわけではなく、単純な歴史的事実だ。

フラトリアやフュレーはポリス的だが古いのです。こちらのorganizedはお〇ん〇んではありません。

Of all the activities necessary and present in human communities, only two were deemed to be political and constitute what Aristotle called the bios politikos, namely action (praxis) and speech (lexis),
人間の共同体に必要で、かつ実際にあった活動力のうち、二つだけがポール的だと思われていた。それはアリストテレスがビオスポリティコス、つまり活動(praxis)と言論(lexis)と呼んだものである。

言論はお口で自分自身のもの(idion)です。活動はお尻で共同のもの(koinon)です。

out of which rises the realm of human affairs (ta ton anthropon pragmata as Plato used to call it) from which everything merely necessary or useful is strictly excluded.
人間の出来事の領域(ta ton anthropon pragmataとプラトンは呼んだことがある)が言論と活動からそびえ立つ。それからは必要なだけのもの、役に立つだけのものはみな徹底的に排除される。

the realm of human affairsはお〇ん〇んのことです。realmはrealとのダジャレで、affairsはラブアフェアのことです。このギリシャ語の意味はthe people thingsです。

However, while certainly only the foundation of the city-state enabled men to spend their whole lives in the political realm, in action and speech, the conviction that these two human capacities belonged together and are the highest of all seems to have preceded the polis and was already present in pre-Socratic thought. 
しかし、都市国家の創設によってのみ、人びとが全人生をポール的領域、活動と言論に費やすことができるようになったのはたしかだが、人間の二つの受け入れ能力は根はひとつであり至高であることの確信は、ポリスに先立つように思われ、ソクラテス以前の思考にはすでにあった。

「ホモこそ至高」

The stature of the Homeric Achilles can be understood only if one sees him as "the doer of great deeds and the speaker of great words."
ホメロスのアキレウスの名声は、「偉大のうちの行う者は約束を守り、偉大のうちのの話す者は慎重に話す」と、彼のことを考えてみてはじめて理解できる。

(the doer of great) deeds and (the speaker of great) words.
です。あとでindeedが出てきます。greatはホモのことです。

In distinction from modern understanding, such words were not considered to be great because they expressed great thoughts;
近代的理解とはことなり、これらのことばは、偉大な思考を表現したがゆえに偉大だ、とは思われなかった。

great thoughtsは「ホモの恋」です。

on the contrary, as we know from the last lines Antigone, it may be the capacity for "great words" (megaloi logoi) with which to reply to striking blows that will eventually teach thought in old age.
むしろ、『アンティゴネー』の最後の数行から考えると、偉大な思考は「偉大なことば」(megaloi logoi)を受け取る能力だろう。それは驕り高ぶった風への報いであり、最後に古の思考を教える。

striking blowsはblow jobフェ〇チオのことです。「それはホモのことばを受け入れる能力だろう。そのことばは激しいフェ〇チオへの返礼に用いられ、最後に古の恋を教える」。

Thought was secondary to speech, but speech and action were considered to be coeval and coequal, of the same rank and the same kind;
思考は言論から生まれたが、言論と活動は同時、同等、同格、同種だと考えられた。

フェ〇チオ(やナンパ)から恋が生まれます。恋や思考は言論や活動の上位です。さっき出てきたspeakerは「隠喩を話す人」、doerは「隠喩を理解する人」という意味もあるので、犬っちとアーレントは同等、同格だが、犬っちはユリだから異種なのです(似てるけど)。

and this originally meant not only that most political action, in so far as it remains outside the sphere of violence, is indeed transacted in words,
このことは、ことばが暴力の領分の外にあるかぎり、もっともポール的活動はことばによる約束を守って行われるというだけでなく、

indeedとin deed証書のダジャレ。

but more fundamentally that finding the right words at the right moment, quite apart from the information or communication they may convery, is action.
より本質的に、ことばが伝える情報やコミュニケーションと離れ、イケてることばをイケてるときに使うことが活動であるということを元来意味していた。

どうもwordは「イクときの声」のようです。

Only sheer violence is mute, and for this reason violence alone can never be great.
純粋な暴力はことばをともなわず、そのため暴力だけでは偉大にはなりえない。

ホモの文脈なら、violence激しさです。

Even when, relatively late in antiquity, the arts of war and speech (rhetoric) emerged as the two principal political subjects of education, the development was still inspired by the older pre-polis experience and tradition and remained subject to it.
古代の終わり近くになってさえ、戦争と言論(修辞)の技術が教育の第一のポール的主題として浮かび上がり、それまでの発展はなお、ポリス以前の古い経験と伝統の影響を受け、教育の対象となりつづけた。

古代の終わりでもやはりホモだったそうです。

(the doer of great) deeds and (the speaker of great) words

これと、ラカンの

 the accident,
  which is repeated, and the veiled meaning,
  which is the true reality and leads us towards the drive

これはまったくおなじ、隠喩のことを言っています。great=the accident, word=the veiled meaning, deed=the true realityです。speechがthoughtを生むので(actionではないが、おなじものの見方の違いです)、driveにあたります。アーレントのthoughtは恋ですが、ラカンのdriveは「いっしょにいたいという気持ち」なので、完璧に合ってます。

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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