ChaldeaGeckoの日記: 遠藤淑子『空のむこう』『スノウ』 1
解説を書いたのです。
空のむこう
スノウ
掲載誌はメロディで、花ゆめよりちょっとターゲット年齢は高めなのです。どちらもバリバリのトリック作品で、結婚と信仰がテーマなのです。けっこう難しめなのです。
『スノウ』
> 父と出会って一緒になるのを反対されたので
> 駆け落ちして出て来たそうだ
離れて
> わたしと一緒に母の故郷へ行こう!
> 無理なものか わたしの故郷は少なくとも戦はない
ヒロインのすのうさんが「少なくとも戦はない」ことを知っているのはおかしいと気づけば、「母の故郷」と「わたしの故郷」が別だとわかります。でも難しめ。
ラスト
> わたしもここで終わることにした
> 終わるって?
> お前は土に返り わたしはとけて流れる
> そうか それならばさほど変わらんな
> ああ そうだ
すのうさんが雪女だということは見ればわかるのですが、この「さほど変わらんな」が難しい。土に返ることととけて流れることが変わらんのではないのです。天の国と自分たちの新しい国が変わらんのですが、「新しい国」がテクストにないので超難しい。とはいえ犬っちほどになると「さほど変わらんな」がそのままではないことはピンとくるのです。ここは主人公の殿様は欲、すのうさんは祈りのセリフなのですが、それに気づけばこれがハッピーエンドの喜劇だと知ることができます。祈りで終わるのが(ギリシャ)喜劇、なくて終わるのが悲劇なのです。遠藤先生クリスチャンだったのね…
アーメン
> アーメン(ヘブライ語: אָמֵן(ティベリア式発音: āmēn アーメーン、現代音: amen アメン); アラビア語: آمين(āmīn アーミーン); ギリシア語: ἀμήν (古典音: amḗn アメーン、コイネーおよび現代ギリシア語: amín アミン); ラテン語: āmēn アーメーン; ロシア語: Аминь アミン)はヘブライ語で、「本当に」「まことにそうです」「然り」「そうありますように」[1][2]の意。アブラハムの宗教で使われる用語である。
『空のむこう』
> もう何百年も続いている伝統ですから
> 過去にシトゥラ(※一生閉じ込められる巫女)を送り出した事のある家系で生まれた女の子は
> シトゥラになると決められているのです
よく考えると、一瞬で子供を産む人がいなくなってしまうのです。家系が絶えないためには、「シトゥラになる前に」妊娠する必要があるのです。ちゃんと誘導もあって
> 本当の結婚とうその結婚て何だ?ダグザ
> 一緒のフトンに寝るかどうかの違いです
こういうギャグにトリックのヒントを仕込んでいたのです。
40ページの短編なのにいたるところトリックだらけですが、こちらも超難しいのがあって、ヒロインのシトゥラが無理心中を図ったことや、主人公が師である主教を見限ったことをこっそり描き、信仰を捨てることをテーマにしたところです。本当のテーマは食人でした。
> やがては神に見放される
という主教のセリフがあり、たしかに最後に神に見放された場面があるのです(しかしヒントは表紙にある)。これはもう「文学は信仰を描くもの」だと知らない人には絶対絶対無理。『スノウ』と違ってこちらは救いのない悲劇です。
あと、これはヒロインの身体で風土病の特効薬を作るという鬼畜な話です。主人公は王様なのに、力がなくそれを止めることができないのです。
どちらも遠藤淑子のイメージとは程遠い、厳しい話です。『マダムとミスター』もそうでした。『スノウ』はハッピーエンドなのでちょっとホッとしたのは事実。でも遠藤先生、絶対絶対他人にわからす気はないラビ!
犬っちにとってはおなじみの話ですが、テンプレがあるとしか思えないのです。それがあるなら脳内以外になく、ユングの集合的無意識みたいなものなのです。たんに脳の構造の話だが、ユングがオカルトにハマったせいでプンスカ
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