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日記

ChaldeaGeckoの日記: アホのゲーテ『ファウスト』はキリスト教の超アンチなのです

日記 by ChaldeaGecko

エッカーマン『ゲーテとの対話』の1831年6月6日は

気高き一員は、
霊の世界の悪しき者より救われた。
絶え間なく努めるものを、
われらは救い、
空よりはさらに
愛が助力し、
すでに救われた子の群れが
彼を心から歓び迎える。

「この句に、」と彼(=ゲーテ)は言った。「ファウスト救済の鍵がある。ファウスト自身には、ますます高くますます清らかならんとする死に至るまでの活動、空からは彼を救わんとする永遠の愛。これは自力のみならずまたそれを救う神の恵みによって浄化されるというわれわれの宗教観と全く一致している。
「君(=エッカーマン)も認めてくれるだろうが、救われた霊魂が上に導かれてゆくこの結末はまとめにくかった。もし私がキリスト教会がはっきり描いてくれている姿や観念を用いて、自分の詩の構想に制限的な形式と規定とを与えなかったら、ああいう想像もつかない超感覚的なもののつかみ所がなかっただろう。」

ゲーテが大ヒントをくれてました。

Wer immer strebend sich bemüht,
Den können wir erlösen.
絶え間なく努めるものを、
われらは救い、

これはゲーテのダマしなのです。streben(英語のstrive)が「努力する」という意味で使われている箇所もあるのだが、ここでは「抗う」という意味なのです。つまりここは

絶え間なく抗うものを、
われらは救い、

が正しい。悪魔に抗うものは神様が救うことができるという意味です。

プロローグで神様とメフィストフェレスが賭けをするが

So lang’ er auf der Erde lebt,
So lange sey dir’s nicht verboten.
Es irrt der Mensch so lang er strebt.
あれ(=ファウスト)がこの地上に生きている間は、
お前が何をしようと差し支えない。
人間は精を出している限りは迷うものなのだ。

この最後のstrebenも「努力する」ではなく「抗う」で、「人間(=メフィストフェレス)が神様に対抗して小細工しても失敗するのがオチ」という意味です。悪魔を人間呼ばわりしてバカにしているわけ。

プロローグの最後に

メフィスト―フェレス(ひとりになって)
時々あの爺さんに会うのもわるくないな。
だから喧嘩別れしないように気をつけているのさ。
あんな風に気さく(menschlich=人間的)に悪魔とさえも話をするとは、
偉い爺さんの身分としては、感心なことだ。

という部分があるので、あきらかにダマしだとわかります。

プロローグの神様:

しかし最後は畏れ入ってこういうことだろう、
善い人間(=悪魔)は、暗い衝動に駆られても、
正道を忘れるということはないものだ、と。

天使に焼かれるメフィストフェレス:

これが愛の元素というやつか。
からだ中がかっかと燃えているから、
頭のところが焼けるのも感じないくらいだ--

しかし自分の本領を見定め、自信を持ち
自分の一族を信頼してみれば、これでも勝ったというものだろう。

神様の予言通りでした。悪魔の暗い衝動とは恋のラブのことだとわかります。

ファウストは救済されて

Das Ewig-Weibliche
Zieht uns hinan.
永遠にして女性的なるもの、
われらを牽きて昇らしむ。

メフィストフェレスは

Ich liebte mir dafür das Ewig-Leere.
それよりおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。

神様は悪魔メフィストフェレスを人間呼ばわりしていますが、人間すなわち悪魔だともいえます。そうすると

  • 人間の暗い衝動とは「」のことで、「永遠の虚無」を手に入れる
  • ゲーテと犬っちは人間に反抗し、「永遠の女」を手に入れる

しかも

もし私がキリスト教会がはっきり描いてくれている姿や観念を用いて、自分の詩の構想に制限的な形式と規定とを与えなかったら、ああいう想像もつかない超感覚的なもののつかみ所がなかっただろう。

トリック野郎特有のもってまわった口ぶりですが、つまり永遠の女のマリア様は処女でママで女王様のコスプレ女なのです。ちゃあんと

こよなく美しき意味にて純潔なる処女よ。
ありがたきおん母よ、
われらの女王よ、
神々と肩を並べ給う女人よ。

処女、ママ、女王様を念押ししています。救済は神の愛ではなく恋のラブだし、「神々」とか言っているから、どう考えてもキリスト教のものではありません。ゲーテのマリア様はプリキュアみたいなものです。

一言でいえばゲーテはアホです。ここで槍玉にあげられている「人間」は、キリスト教や近代的な人間像のことです。こいつらが恋と無縁なことはラカンやアーレント、ロラン・バルトも言っています。

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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人

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