ChaldeaGeckoの日記: アホのニーチェの下品なダジャレ
『ツァラトゥストラはこう語った』の「詩人について」で
Gewiss, man findet Perlen in ihnen: um so ähnlicher sind sie selber harten Schalthieren. Und statt der Seele fand ich oft bei ihnen gesalzenen Schleim.
たしかに、詩人のなかに真珠をみつけることもあろう。だからこそ彼らは堅い殻を持った生き物に似ている。そしてわたしはよく彼らのなかに、魂ではなく塩辛い粘液を見出した。(河出文庫)
女の子の大事なところの話をしています。
„Seit ich den Leib besser kenne,—sagte Zarathustra zu einem seiner Jünger—ist mir der Geist nur noch gleichsam Geist; und alles das „Unvergängliche“—das ist auch nur ein Gleichniss.“
「肉体をよく知るようになってから」--と、ツァラトゥストラは弟子のひとりに語った--「精神はいわゆる精神にすぎないのだとわかるようになった。そして『うつろい行くことのないもの』は、ただの比喩にすぎないことも」。(河出)
ゲーテ『ファウスト』の話をしています。
すべて移ろい行くものは、
永遠なるものの比喩にすぎず。
かつて満たされざりしもの、
今ここに満たさる。
名状すべからざるもの、
ここに遂げられたり。
永遠にして女性的なるもの、
われらを牽きて昇らしむ。(新潮文庫)
「うつろい行くもの」は『ファウスト』という作品のことで、それは「永遠にして女性的なるのの」の比喩です。「うつろい行くことのないもの」は『ツァラトゥストラ』という作品のことで、自著を永遠不滅だと言っており、やはり「永遠にして女性的なるもの」の比喩です。
Leib, Geist, Seeleは「身体、精神(霊)、魂」という意味です。女の子の心は幽霊で、体の中には魂のかわりに〇液があると言っています。ニーチェは魂や霊、精神に否定的ですが、女にフラれた私怨がまじっています。
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