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日記

ChaldeaGeckoの日記: ジャック・アラン=ミレールを倒して世界一でござる の巻き

日記 by ChaldeaGecko

犬っちはラカンの娘婿ジャック・アラン=ミレールを倒して世界ナンバーワンのラカン読解者になりました。
--
おフランス語の原文では「ce」「il」「un」「quelques」が特殊な意味で使われています。「il」は英語のillとのダジャレです。文も詩のようなきれいな構造になっています。頻出する二つ組の言葉が主旋律と対旋律です。
> とくにバロック音楽においては、指定された和声の範囲内で自由な即興演奏を含む通奏低音パートに対して、完全に楽譜に書き込まれ、主旋律と同等の重要性をもつ省略不可の伴奏パートをオブリガートと称した。ここから、通奏低音の習慣が廃れ、全ての声部が楽譜に書かれることが当然となった古典派音楽以降の時代においては、主旋律を彩る対旋律、助奏を「オブリガート」と呼ぶようになった。(ウィキペディア)
まだこの章しか読んでいませんが全部この調子です。
この本はラカンが口頭で伝えたものの速記録が元になっており、編者のジャック・アラン=ミレールが編者説明文でこう書いています。
> もっとも厄介なことは句読点をつけることであった。とうのは、コンマ、ピリオド、ハイフン、パラグラフなど、どんな区切りも、それによって意味が決定されてしまうからである。しかし、読みやすいテクストはこうした代価によってこそ得られたものである。
残念ながら彼は「il」や「ce」などの特殊な使い方に気がつかず、またコンマの打ち方を間違えるなどして不正確なテクストになりました。つまり、信頼できる「セミネール」のテクストはこの世に存在しません。また正しく文字起こししたとしても、どのようにも構文解釈できてしまう文ばかりで読者や訳者の間違いを誘っています。仏語と構文が似ている英語訳はかなり原型をとどめていますが、日本語訳は完全に無価値です。
以下は「2 フロイトの無意識と我われの無意識」の最初の部分ですが、段落ごとに🐾原文、☠岩波、💛犬っち訳です。同じラカン用語(非常にたくさんあります)には同じ訳語を当てているためぎこちなくなっています。たとえばrapportと(ここには出てこないが)relationは厳密に使い分けられています。
🐾
Pensée sauvage.
"Il" n'y a de cause que de "ce" qui cloche.
Béance, achoppement, trouvaille, perte.
La discontinuité.
Signorelli.

野生の思考
原因はうまくいかないものにしかない
裂け目、躓き、掘り出しもの、喪失
不連続性
シニョレリ
💛
野生の思考
「il」は失敗した「ce」の唯一の原因である
裂け目、妨げ、発見、喪失
不連続性
シニョレリ
🐾
Pour commencer à l'heure,
je vais entamer
  mon propos d'aujourd'hui par la lecture d'"un" poème
    qui, à la vérité, n'a aucun rapport
    avec
      "ce" que je vous dirai

    mais qui en a "un"
    avec
      "ce" que j'ai dit l'année dernière, dans mon séminaire,
      de
        l'objet mystérieux,
        l'objet le plus caché
— ,
      "celui" de la pulsion scopique.

定刻ですから、今日の話をある詩を読むことから始めることにします。実際は、この詩は今日お話ししようと思っていることは関係ありません。むしろ、昨年、私のセミネールで神秘的な対象、もっとも隠された対象、すなわち視認欲動の対象についてお話ししたことと関係があります。
💛
時間通りに始めるため、「un」詩を読むことで本日の講義の口開けとします。その詩は本当は、これからお話しする「ce」、鏡の欲動の「celui」とは関わりはありません――しかし、昨年のセミネールでお話しした「ce」と関わる、神秘的な対象、もっとも隠された対象の「un」がそこにあります。

※「un」「ce」が出てきました。
🐾
Il s'agit
  de "ce" court poème qu'à la page 73 du Fou d'Eisa, Aragon intitule Contre-chant.
 
  Vainement ton image arrive à ma rencontre
  Et ne rn entre oh je suis qui seulement la montre
  Toi te tournant vers moi tu ne saurais trouver
  Au mur de mon regard que ton ombre rêvée

  Je suis "ce" malheureux comparable aux miroirs
  Qui peuvent réfléchir mais ne peuvent pas voir
  Comme eux mon œil est vide et comme eux habité
  De F absence de toi qui fait sa cécité
 
Je dédie
  "ce" poème à la nostalgie que certains peuvent avoir,

  de "ce" séminaire interrompu,
  de "ce" que j'y développais,

  de l'angoisse, 
  et de la fonction de l'objet petit a.

それはアラゴンの『エルザの狂人』の73頁にある「対旋律」と題された短い詩です。

  お前の面影(イマージュ)は空しく私に会いにやってきて
  私の中に入ろうとするが、私はただお前の面影(イマージュ)を映し出しているだけ
  お前は私の方に向き直るが、そのときお前が私の眼差しの壁の上に見つけるのは
  私が夢見ているお前の影、ただそれだけ

  私はまるで鏡のような不幸者
  映し返すことはできても、見ることはできない
  私の目は空っぽで、鏡のように
  お前の不在に取り憑かれ、何も見えない

この詩を、あの中断されてしまった私のセミネールを、そして、不安と小文字の対象aの機能について私が話していたことを思い出している人々の郷愁に捧げます。
💛
「il」は「ce」アラゴンの『エルザの狂人』の73頁にある「対旋律」というタイトルの短い詩に感じられます。
(略)
私は「ce」確実に誰かのうちにあるだろう郷愁的な詩を、「ce」中断されたセミネールに、私がここで育てようとしている「ce」に、不安に、そして対象aのは働きに捧げます。
🐾
"Ils" saisiront,
  je pense, "ceux-là",

je m'excuse
  d'être aussi allusif

"ils" saisiront
  la saveur du fait
    qu'Aragon

      dans
        "cette" œuvre admirable où je suis fier de trouver l'écho des goûts de notre génération,
        "celle" qui fait que je suis forcé de me reporter à mes camarades du même âge que moi,
      pour pouvoir encore m'entendre sur "ce" poème
— ,
    Aragon fait suivre
      son poème de "cette" ligne énigmatique

Ainsi dit "une" fois An-Nadjt,
  comme on l'avait invité pour une circoncision.

それらの人々は、いやそれらの人々こそ――思わせぶりな言い方ですみません――アラゴンが、アラゴンのこの素晴らしい本が我われの世代の好みを響かせていることを誇りに思いますし、この詩を今も十分に味わおうとすると私は同年代の仲間たちのことを思い出さずにはおれません――この詩の後に次の謎めいた一行を付け加えていることの味わいを感じ取ってくれることでしょう。「かつて、割礼へと導かれたとき、アン・ナディはそう言った」。
💛
「ils」は私が「ceux-là」を考えると把握するでしょう、――私は引喩的にすぎると謝ります――「ils」はアラゴン――私が自分たちの世代の好みの残響を見つけて誇らしくなる素晴らしい「cette」作品のうちの、私を同世代の仲間に言及させる「celle」力のうちの、「ce」詩に耽る私をいまだ知る――、アラゴンが彼の詩に「cette」謎めいた一行を続けたと把握するでしょう――「そしてアン・ナディは『une』時間を、それゆえ人は『une』割礼に誘われる、と喩えた」

※割礼は「去勢」のことでしょう。
🐾
Point où
  "ceux" qui ont entendu mon séminaire de l'année dernière retrouveront la correspondance
    des formes diverses de l'objet a 
    avec la fonction centrale et symbolique du moins-phi [(— φ)]

ici évoqué par
  la référence singulière,
  et certainement pas de hasard,

    que Aragon confère à
      la connotation historique,
      si je puis dire,

    de rémission par
      son personnage,
      le poète fou,
    de "ce" contre-chant.


昨年のセミネールをお聞きの人たちは、ここで対象aのさまざまな形と「モワン・フィー(-φ)」の中心的・象徴的機能との対応関係がお解りになるでしょう。ここではその「-φ」は奇妙な言及、とはいえ決して偶然ではない言及によって語られています。つまり、アラゴンは作中人物である狂気の詩人の言葉を借りて、この「対旋律」の歴史的な含みに言及しているのです。
💛
「地点」、そこで去年の私のセミネールを聴講した「ceux」が対象aの様々な形式と「モワン・フィー(-φ)」の中心的、象徴的な働きの対応を見つけることになるのですが、ここで特異的な参照により、アラゴンが歴史的なコノテーションを与えた(私に言わせればですが)幸運には確実に頼らず、彼の性質、狂気の詩人の寛解と「ce」対旋律を引き起こしました。

※アラゴンは自分を治療したと言っています。
🐾
"Il" y en a ici quelques-"uns", je le sais, qui s'introduisent à mon enseignement. 
 
"Ils" s'y introduisent par des écrits qui sont déjà datés.
 
Je voudrais qu'"ils" sachent
  qu'"une" des coordonnées indispensables pour apprécier le sens de "ce" premier enseignement
    doit être trouvée
      dans "ceci" qu'"ils" ne peuvent,
      d'où "ils" sont,
      imaginer à quel degré de mépris, ou simplement de méconnaissance, pour leur instrument, peuvent arriver les praticiens.
 
Qu'"ils" sachent 
  que, pendant quelques années, tout mon effort a été nécessaire
    pour
      revaloriser
        aux yeux de "ceux-ci" 
        "cet" instrument, la parole

    pour
      lui redonner 
        sa dignité,
      et faire
        quelle ne soit pas toujours pour eux
        "ces" mots
          d'avance dévalorisés,
            qui les forçaient à fixer leurs regards ailleurs,
    pour
      en trouver 
        le répondant.

ここには私の講義に初めて参加される人たちがいらっしゃることを私は知っています。その人たちはもう古くなった私の論文を読んでここにいらっしゃったのでしょう。その人たちに気づいていただきたいことは、これら初期の教育の意味を正確につかむために必要不可欠な座標軸の一つは次の点にこそ見出されるべきだ、ということです。つまり、みなさんは、みなさんのいるところからでは、実践家たちが自分たちの道具についてどれほどの軽蔑、あるいはたんにどれほどの無視へと至っているかを想像することはできない、という点です。彼ら実践家の目にはこの道具の価値、つまり「パロール」を、実践家の視線を余所に引きつけその裏づけを見させるだけの無価値にしてしまわないために、何年にもわたる私の努力が必要だったことをお解りください。
💛
「il」が何「uns」かここにいらっしゃることでしょう。私の教えへと導かれたものたちです。「ils」は時代遅れのエクリチュールに導かれました。私は「ils」に知ってほしいのです。「ils」がなることができない「ceci」において、「ils」があるところから、臨床家がどれほどまでに彼らの道具を軽蔑、つまり単に無視することができるかを想像するために、「ce」最初の教えの意味の真価がわかるために不可欠な座標である「une」を見つけなければならないと。「ils」に教えましょう。何年にもわたる私のすべての努力は、「ceux-ci」の目に、「cet」道具すなわち「パロール」の価値を再び与えるために— —その尊厳を取り戻すために、そして、いつだって彼らのものではなかったものを、彼らの目を背けさせる力だった進歩のうちに価値を失ってしまった「ces」言葉にするために、応答者を見つけるために— —必要だったと。

※「il」「quelques-"uns"」が出てきました。ラカンがゴリゴリの反近代主義者だとを知らないとまったく読めません。
🐾
"C"'est
  ainsi
    que j'ai
      pu passer,
        au moins "un" temps,
      pour être hanté par je ne sais quelle philosophie du langage,
        voire heideggerienne,
  alors
    qu'"il" ne
      s'agissait que
        d'"une" référence propédeutique.
 
Et
"ce" n'est pas
  parce
    que je parle en "ces" lieux
      que je parlerai plus
        en philosophe.

そのために、私は少なくとも一時、何らかの言語哲学、さらにはハイデガーの哲学に取り憑かれている、とされてきました。実際は、それは予備的な参照にすぎなかったのです。私がここでこの哲学の場を借りて話すからといって、これから哲学者として話すわけではありません。
💛
「ce」は私に少なくとも「un」時間をムダにさせ、言語哲学のなんたるか、ハイデガーさえ知らないことを思い知らせました。「il」がまだ「une」propaedeuticな参照だったころです。そして「ce」が私に「ces」場所で、俺が哲学者ならもっとマシなことが言えるぞと言わせるわけではありません。

※言語哲学は役立たずだということを知らなかったので時間をドブに捨てたと言っています。「"un" temps」とハイデガーの『存在と時間/Sein und Zeit/Être et Temps』がダジャレになっています。
🐾
Pour in attaquer à quelque chose,
d'autre,
  que je serai effectivement plus à l'aise ici pour dénommer,
 
"ce" dont "il" s'agit est
quelque chose
  que je n'appellerai pas autrement que le refus du concept.

"C"'est
pourquoi,
  comme je l'ai annoncé au terme de mon premier cours,
 
"c"'est
aux concepts freudiens majeurs
 —
  que j'ai isolés comme étant au nombre de quatre, et tenant proprement "cette" fonction
 —
  que j'essaierai aujourd'hui de vous introduire.

もう一つ別の攻撃目標を挙げるとすれば――この場合私はもっと気楽にそれを名づけることができるのですが――、それは概念の拒否とでも呼ぶ以外にないようなものです。だからこそ先日の講義の最後に予告したように、今日は、フロイトの主要な諸概念――その機能を果たすものとして私は四つ取り出しましたが――へとみなさんをご案内しようと思うのです。
💛
「何か」にアタックするものは「他方」です。それにちゃんと名前をつけられるとどんなにかよかったのですが。「il」のある「ce」は「何か」です。それは私には概念の拒否以外には呼びようのないものです。「ce」は理由です。最初のクールの終わりにお知らせしたように、「ce」はフロイトの主な概念に対します。私が――適切に「cette」の働きを持たせて四つに独立させ――今日みなさんに導こうとしている概念です。

※「何かquelques chosen」「他方d'autre」が出てきました。相手が分節した「ce」が「他方」です。d'autreとautrementがダジャレになっています。
🐾
これでだいたいこの本の雰囲気とラカンの天才ぶりがおわかりになるかと思います。

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typodupeerror

私はプログラマです。1040 formに私の職業としてそう書いています -- Ken Thompson

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