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日記

ChaldeaGeckoの日記: シン・デカルト主義

日記 by ChaldeaGecko

デカルトといえば「我思う、故に、我在り」ですが

以後の哲学は現代に至るまでこの影響を色濃く残しており、同時に、それに対する批判も生まれている(例えばカント『純粋理性批判』やフッサール『デカルト的省察』などにおける批判)。現代ではしばしば、デカルトのコギトの存在確立が近代の幕開けとなったといわれ、ポストモダンなどの見地から様々な形で批判されることがある。しかし、一般に大陸合理論の立場からいえば、デカルトの命題は自我の存在を証明する推論ではない。例えば、哲学者ガッサンディはデカルトの命題を、「(1)全て考えるものは存在する、(2)私は今考えている、(3)ゆえに私は存在する」という三段論法と異ならないと指摘する。そして、デカルトのコギト命題はこの三段論法の形式に則っておらず、雑であると難ずるのである。しかし、デカルトにとって、「(1)全て考えるものは存在する」は、未だ疑わしい。意識作用の直接性から「直観として」導かれたものが、コギト命題である。故に、これを単なる論理の推論と考えるのには慎重を要する。これはむしろ「いかなる推理(syllogism)からも帰結(concluditur)されない或る根本的な観念(prima quaedam notio) - (デカルト)」であり、デカルト自身も、「ゆえに」という接続を相応しいとは思っていなかったようである。

独我論というものもあります。

独我論(どくがろん、英: solipsism ソリプシズム、独: solipsismus ゾリプシスムス)は、哲学における認識論の見方の一つで、自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり、それ以外のあらゆるものの存在やそれに関する知識・認識は信用できない、とする。

両者をミックスしたのがシン・デカルト主義なのです。デカルトの「ゆえに」を「同型」だと定義し、独我論とあわせ「心は宇宙全体(単一の実在)と同型である」としました。つまり、宇宙の活動のほとんどは無意識に、脳の一部の活動など、ごく一部だけがクオリアとして意識に知覚されるということです。
正確に言えば、「認識」というものを完全に取り除いています。同型性が心と実在をつなぎ、「認識しているというクオリア」が生じます。つまりこの世界には「クオリア=宇宙しかない」のです。

この考えは、ドナルド・ホフマン『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』によく似ています。独立に考えましたが、出発点が近かったのでしょう。超シンプルな話なので、似るのも不思議ではありません。

「夢が光景にレンダリングされるのはどういう仕組みだろう」と思っていましたが、phason先生の日記:「数」を認識できない男

RFSの症状で特徴的だったのは,「数字」が認識できないというものだ.例えばスポンジでできた「8」の字を渡すと,彼には「何かぐちゃぐちゃな変な形をした物体」としか認識されず,その絵を描いてほしいと言われてもぐちゃぐちゃで意味をなさない形(何かの抽象画のような,まるで「8」には似ても似つかない形)しか書くことができない.手で触って形を認識してもらうと,部分的なカーブや形状はよくわかるが,全体としての形を認識しようとした瞬間=それが数字だと判明する瞬間,その形状は頭から抜け落ちなんだか意味の分からないぐちゃぐちゃな形に感じられてしまう.

これを見て、もし視覚レンダラーが存在したとしても、認識モジュールと同時に壊れる可能性はほぼないだろう、レンダリングしているのは認識モジュール自身でしかありえないと考えました。しかし認識モジュールがレンダリング作業もするというのはかなり不自然だし、進化論的にもなさそうだし、そもそもどういう仕組みでレンダリングしているのか見当もつきません。脳はよく調べられているから、認識には関係ないレンダリング回路があればすぐわかるはずです。というわけで「脳の情報処理がそのまま知覚、クオリアになっている」という結論にいたりました。そうすると物理の話は心には無関係になります。物理が担う、もしくは物理の背後にあるだろう情報の流れが関係するのでしょう。そうすると身体や脳の内外を区別する理由がなくなります。どこまでいっても区切りはなく、結局「宇宙全体が一人の人間の心を生んでいる」となりました。ただし独我論とは違い、他人にも心があることは宇宙の仕組みから間違いないです。

つぎは「宇宙の活動のうち、クオリアになるものとならないものはどう違うのか」が問題になります。クオリアになるものならないものがあること自体はだまって受け入れるしかないことです。まあこれは普通の脳科学でもおなじことですが。

シン・デカルト主義は日常感覚から遠く隔たっていますが

  • きわめてシンプル
  • 心を生み出すメカニズムを考えなくていい

という大いなるメリットがあります。未解決の問題は、普通の科学でも未解決なままです。ドナルド・ホフマンの本にもありますが、物理法則は人間の知覚や認識や思考の産物であり、真の実在のあり方とはかなり異なるでしょう。今のループ量子重力理論でさえ、時間は人間の心が生み出した幻であるという考えになっています。

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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